第3章:転校生との出会い
橘 樹が教室に入ると、いつもと違う雰囲気が漂っていた。普段は騒がしいクラスメイトたちが、妙にざわついている。橘は、自分の席に向かいながら、周囲の視線が一つの方向に集中しているのを感じた。
「今日、新しい転校生が来るらしいよ。すごくクールで、かっこいいって噂!」
教室のあちらこちらで、そんな話が飛び交っていた。橘は転校生にあまり興味が湧かず、窓際の自分の席に座って、ぼんやりと外を眺めた。彼の頭の中は、奈々のことでいっぱいだった。奈々が家で抱えている問題、そのことにどう向き合うべきか、橘はまだ答えを見つけられずにいた。
「おはよう、橘!」
そんな橘の沈んだ気持ちを吹き飛ばすように、明るい声が後ろから響いた。振り返ると、いつものように元気な笑顔を浮かべた奈々がいた。しかし、橘はその笑顔の裏に隠された彼女の苦しみを知っている。
「お、おはよう」
橘はどこかぎこちない返事をした。奈々はその様子に気づいたが、深くは追及せずに笑顔のまま話し続けた。
「今日は楽しみだよね! 転校生、どんな人かな?」
橘は曖昧に頷きながら、クラスの入り口に目を向けた。ちょうどその時、担任の先生が入ってきて、静かに黒板の前に立った。
「みんな、今日から新しいクラスメイトが加わることになった。神崎 零士くんだ。彼のことをよろしく頼む」
先生がそう言うと、教室のドアがゆっくりと開き、黒髪の少年が姿を現した。神崎 零士。背は高く、鋭い眼差しと無口そうな雰囲気が教室全体を包んだ。彼の静かな存在感に、教室は一瞬で静まり返った。
「……よろしく」
神崎は低い声でそう言うと、簡単に一礼し、先生に案内されて自分の席へと向かった。彼の姿を目で追うクラスメイトたちの視線は、興味津々だ。だが、神崎はその視線にまったく動じることなく、淡々とした足取りで席についた。
「クールだね……なんか、橘とは全然違うタイプ!」
奈々が笑いながら言ったが、橘はその言葉に苦笑するしかなかった。だが、橘の中で神崎に対する妙な違和感が拭えなかった。彼の目、言葉の端々――何か、自分と共通するものがあるように感じたのだ。
その日の放課後、橘は校庭の片隅で、一人静かに本を読んでいた。奈々には今日は一緒に帰るのを断り、少し一人で考える時間が欲しかったのだ。奈々のこと、自分に起きている異常な現象――そのすべてが頭の中で渦巻いていた。
「……お前、橘だろ?」
突然の声に、橘は顔を上げた。そこには、神崎が立っていた。彼の鋭い目が橘をじっと見つめている。昼間、彼の静かな様子からは想像できないくらいの強い視線が橘に注がれていた。
「神崎……どうしてここに?」
「お前、何かに気づいてるな」
唐突な神崎の言葉に、橘は一瞬、何を言われているのか理解できなかった。だが、その瞬間、心臓が一拍早く鼓動した。まるで、神崎が自分の秘密を知っているかのような口ぶりだった。
「どういう意味だ?」
橘は冷静を装いながら問い返した。だが、神崎は答えず、さらに一歩近づいてきた。
「お前も、見えるんだろう。他人の記憶が」
その言葉を聞いた瞬間、橘の中で全てが繋がった。神崎も、自分と同じ能力を持っている――いや、それ以上に、彼はその力をすでに自覚しているのだ。
「どうして……それを……」
橘は驚きと戸惑いを隠せなかった。だが、神崎は冷静なままだった。
「俺は、この能力を持っていることに気づいたのはお前より早い。そして、そのせいで、これまで多くの問題に巻き込まれてきた」
神崎は淡々と語り始めた。彼が転校してきた理由、それはこの力のせいで周囲の人間関係が壊れていったからだという。そして、彼は自らの力を隠し、他人に干渉しないように生きてきた。
「だが、お前は違う。お前はまだ、その力をどう使うかもわかっていない」
神崎の言葉に、橘は言葉を失った。確かに、橘はこの能力を使って奈々の記憶を覗いてしまったが、それがどういう意味を持つのか、まだ何も理解できていない。
「お前もいずれ、この力の代償に気づくだろう。俺はもう、その代償を払っている」
神崎の言葉は冷たく、そしてどこか悲しげだった。橘は彼の瞳の奥に、深い孤独と苦悩を感じ取った。
「俺たちにとって、この力は呪いだ。誰かを救いたいと思っても、結局はその人を傷つけることになる」
神崎はそう言い残し、背を向けて立ち去った。橘は彼の背中を見つめながら、自分も同じ道を歩むことになるのではないかという不安を感じた。
その夜、橘はベッドに横たわりながら、神崎との会話を思い返していた。自分と同じ力を持つ人物が現れたこと、それが単なる偶然ではないことを彼は感じていた。だが、この力がもたらすものが「呪い」だという神崎の言葉が、橘の心に深く突き刺さっていた。
「俺の力も……本当に呪いなのか?」
橘の中で、次第に恐怖と不安が広がっていく。だが同時に、彼の中には「この力を使って奈々を助けたい」という強い意志も芽生えつつあった。