表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

セルロイドの魚

作者: mizuhey

心の病んだ彼女の数日の軌跡!


第一章



「悪いけど此処で降りてくれない。」

まだ薄暗い街に荷物を下ろすように彼女は視線を落とした。

戯れの余韻を赤いパンプスから覗く踝に探る彼が腕を伸ばす。

反射的にオーバーを渡す彼女はスーツの襟から漂うコロンの香りに窒息しそうになる。

…なにか言いたいならどうぞ……!

彼は少し唇を曲げると彼女の耳元に囁いた。

咄嗟に右手を飛ばすと、彼女はアクセルを踏み込んだ。

あんたの女はポルノグラビアがお似合いよ。


 早朝の街を全速力で走れば気分が好転するかも知れないと思った。

十字路を右折した途端Signalに咎められた。

交通ルールを守るのも市民として悪くないわ…!

珍しく模範生の考えが閃いた。

彼女の車を除いて四車線の前後方とも他に車は見当たらない。

闇と光のポケットに隠される時間がある。

それか今だわ!

彼女は静寂に居心地の良さを感じた。

空虚な空が晴天を暗示するように広がり目線を移動する。

ガードレールに沿って無操作に積まれているポリバケツから悪臭が漂う。

ふとした安らぎを阻止されたごみの山に彼女は嫌悪の視線を向ける。

これが都市なんだ!

電線から滑空するカラスの群れ、10日ぶりに朝食にありついた貧民窟の子供みたいだ。餌を啄んでは舞い上がっていく。

ボンネットに近づく陰に彼女は一瞬凍りつく衝撃を受ける。

カラスの獰猛な嘴に首のない小鳥が見えた。

肉食だと言う事は容易に理解できた。

彼女は弱肉強食の摂理に身構えずにはいられなかった。

眼を背け反対側の街路樹に暫く平常心を戻す工夫をした。


 あいつが停車してあるという嘘ぐらい見抜いていたわ。

免許証も持たぬ男が乗れる車なんて公衆電話に張られているビラで買う女位よ。

暇潰しに入った喫茶店がいけないんだわ。

男性週刊誌を読んでいたら商売女と間違われるなんて?

きっと赤い靴と男性週刊誌が表象になっていたのね。

天使と喋りたいという暗号に同意しゲームを愉しむ事に成ったのを今更ながら後悔した。

一流商社マンと名乗るのは自由だわ!

爪の隙間の汚れと機械油が染みたスーツからあらかたの想像は出来たもの。

あいつ最悪だった!

土建屋程の教養もなかった。


たまに雑種犬を拾うのも良いなんて!

動物愛護協会員の心情にも似た動機から退屈に合わせた2時間。

つまらぬ世間話の傍聴人にされた、事に今更ながら腹がたった。

駅のシャッターが上がると同時にホームに駆け込み始発で出社すればいいわ。

彼に案内された惨めなHotelの一室を思い出す。

シャワーを捻った途端赤い水が出たバスルームは始めてだった。

両手を伸ばすと壁に手が触れた。

錆びついた匂いが体を洗っている最中心にまで浸透した。

湯栓を捻ると彼女は口の中にシャワーをあて大声を出した。


脱ぎ捨てた黒いワンピースに紫のスカーフ。

鏡に映った姿に間違いられた事も理解できた。

安っぽいコールガールでももう少しマシにドレスアップするわ。

非常階段の位置を確認した用心深さは親譲りのものだ。

アクシデントに対処するには冷静な判断力が必要だ。


入れ違いに小僧がシャワーを使っている僅かな時間。

窓を開けて隣のビルの手摺に手が届いた時、最悪の場合アクロバットを披露するしか無いという結論に達した。

その後が一仕事だった。

欲求不満の若者と遊戯する小悪魔を指先から取り出し糊が効きすぎたシーツの上に一匹ずつ放つ。

後は悦楽のシーソーに乗り人生相談に頷けば良いだけの筈だった。

だが、Hotelから出社するOLの媚びたヨーデル。

クライマックスを絶唱して、何度もスタッカートの呻きが轟く。

カラオケのマイクを離さない人種は此処までも侵略するのか。

幻滅を壁から筒抜けで聴こえる変拍子にあたる。

思わず彼女は靴を投げ付けた。

頻りに連絡場所を教えたがる男にはうんざりだった。

別に洋服ダンスに吊るすほどの価値もない。

手渡されたmemoをトイレに流した。

なぜ、ああも女を独占したがるのだろう。

不愉快極まりないという顔をしたままチェックアウトした。

ゲームに没頭できず不足な快楽に身を委ねたしくじりが未だ残留している。

気まぐれを優先させて皮被りの小僧等に着いて行くべきでは無かった。

……回想を中断する耳障りなざわめきが街角から不意に飛び込む。


放置自転車を分解して遊ぶ陰が赤茶けたビルの入口で盛り上がっていた。

勾配の烈しい階段に腰掛けている娘が二人で囃し立てている。

明け方のディスコから追い出されたおめかしをした子供達だろう。

ラップで乗っては自転車のタイヤで曲芸をしている。

仲間のパフォーマンスに無関心な1人の成熟した少女がいた。射すような視線をかわすと信号を見上げる。

歩道で宙返りをしていた曲芸師のなか、一際カラフルな模様の少年が彼女の車に気付いた。

黄色いシャツの少年がサドルに跨る。

歩道から近づいてきてフロントガラスをノックする。

少しだけ窓を開けて彼女は挨拶を聴いてあげた。

「乗り遅れた季節を探しているのかい」顔立ちの整ったまだあどけなさが残る口元からハスキーな声が届いた。

「いいえ、これから乗る予定なの」

こんな子だったわ…彼も、ふと初めての相手が蘇って気そうだった。

「おばさん…送ってくれない」

彼女はきつく睨み付ける。

「コインロッカー迄」

仲間が物珍しそうに接近するのを、少年は片手で払い笑窪を見せた。

「いいよ、僕だけじゃ申し訳無くて全員は乗れないだろう」

立ち話の途中に信号が変わる。

少年が合図すると散らばっていた仲間が整列して車に敬礼した。

「バイバイ」

走り出すとバックミラーを確認した。

順序良く並んでは大きく手を振るまだ若い希望が視えた。


オートメーションで生産される子供達。

明方のコインロッカーに駆け込み色のない制服に身を包む。

戻せない時のネジを引き抜き、現世で愛のコマを回す所業は10年前も今も変らない。現在も1秒後には同じ過去という時間の観念で捉えられるだけ…!

数分の感触で感じた遭遇者達との会話、愛しさが脈打つバラグラフを切り取る。

「ホームルームで不純な夢を貶しなさい」


朝霧が細い粒子を集めては乳白色のメガロポリスを聖域に変える。天上から射し込む光線が霧を追い払う…僅かな時間。公園は雑踏の音が侵略する前の平静さを保つ。

立体交差する坂の上に停めた車から窪地になっているエリアを窺う。

一人の少年の行動が観察対象として彼女の双眼に捕らえられた。

誰かを待っているのだろうか?!

ジーンズの前ポケットに両手を突っ込んでは取り出す。

顔を覆うように息をかけては繰り返す。

その動作にも飽きたのか…何やら欄干の上に敷き詰めている。

もっとよく見ようと想い彼女はリアシートに手を伸ばした。

景品で当ったのよ?

先程見送った小僧の手垢が付いているオペラグラスをスカートの裾で拭う。

下手な言い訳を迂闊にも喋ってしまった。値札が付いている景品などある訳が無い。

……ごく稀にだが、社会生活のバランスに苛つく時がある。

あの娘といる時に限って、ふと妹の顔がチラついた。

身体検査が嫌なら盗まなきゃ良いのに。

妹と一緒にショッピングに出ると左手が勝手に動いてしまう。自衛本能として、左手に現金を握りショッピングに出る癖も身に付いてしまった。

「しばらく治まっていたのに」

左手を抓ると痛みを教訓にする。


レンズに映る風景を堪能しては身体を左右に揺する。

歩道橋の上に再び先程の少年を発見するとHandleに肘を付き固定する。

個性的な少年のフォルムに彼女の魂は吸われる想いがした。

彼が鎮痛剤の包みで鶴を折る仕草が白いオペラグラスのレンズに拓ける。

「神様と逢い引きかな」

エンジンの回転音を止めては両切のシガレットの灰を落す。

藤色の吐息が立ち込めると眼に染みる朝の風景に生き返るのを感じる。

「あのタイプは厄介だわ?」

オペラグラスを膝に落としバックミラーの向きを下げた。

眼の下に隈のある少し悴れた顔。

まるで時間外勤務だわ!

鬱積していた怒りが弾けるのを感じた。

この疲労恢復には熱いシャワーとマーマレードのお茶が覿面!

自宅の浴室が脳を掠めた。

無意識にハンドブレーキを戻し坂道を降りる。

指にセンスの悪いネクタイが触れた。

2日も車内に居座るとは何という厚かましいネクタイだろう。

顰めっ面をすると蔑むように瞬きをする。

1日ずつ情報やトラブルは発生する。

眼に見えぬ物の方が意思を持ち接近してくる。阻止する手段は生命の完全燃焼しか無いのだろうか。

身辺にまとわりつく男性関係を清算する幾種類かの方法を模索しよう。

別れの設定をGenre別に並べる。

年齢=キャリア+将来性

データーを打ち込み最高値の高い者を選ぶ。

ランダムに消去しては残った方法を実行しよう。

その決定は常套と成った空白を埋める為にするゲームの一種だった。

「ミッシングパーソンの一人になるのも一案」

そう考えてはくすっと微笑する。


少年は鎮痛剤の包みで折った4羽の鶴を手のひらに乗せていた。

ふと気配に気付き亡霊のような陰が揺らめく藤棚に眼をやる。

足元にも達せずセロファンから溢れた七色の粉末は風に運ばれては散っていく。

神との待ち合わせの時間は迫っていた。

時計をポケットから取り出しては盗み見る。

その年齢特有の癖を彼も持っていた。

時間に管理されるという強迫観念から腕に時計をつけることは無かった。

自分のスタイルを破ったのは彼にとって初めてだった。

待ち合わせる相手が彼にとって重要な位置を占めるからだ。


 ヒーターがあまり効かないので彼女は外の気温が推測できた。

フェンスの向うに広がる公園のベンチでは小鳥が砂利から餌を探している。

私達も石塊の中から宝石を探すため生きているのかも知れない。

彼女は小鳥と人間を比較した。

なにか異様な塊が動いたのでビクッとした。

地下道で暖を取れなかったルンペンがふらつく。

新聞紙を数枚衣服のように身体に巻いて震えている。

宝探しに失敗した輩か!

いつもより寒い夜明けだ!


膝の上で何十回となく無意識に結ばれていたネクタイ。悪趣味の塊を窓を降ろし路面に転がす。

これっきりにしようと友人の紹介で始めたコンパニオン。仕事の量が増えるたびに付き合う男性も比例した。

だが賢明な彼女は報酬の殆どを衣服と化粧品に費やす友人とは少しだけ違っていた。

更衣室で詮索され嫉妬の対象になる煩わしさは御免だわ。

手帳をちぎって恋愛の共犯者の名前を1枚ずつ燃やした日の同僚の顔色。今までで最低の見物。

思い出し笑いをするとスターターボタンを押す。

 坂の下から威勢のよい掛け声がアスファルトに響く。

眠い身体を屈伸させてはジョギング親子が沿道を走って来る。


 ゼブラゾーンの手前で軽くクラクションを鳴らす。

ムッとして振り向く中年に彼女はウインクする。軽い蔑みに似た感情が感じられた。

自慰も知らない眼鏡っ娘がママに逢いたいとせがむ声が聴こえた。

お前の女房は団地でオナっているぜ。

唇を窄めて微笑んでは小馬鹿にする。

遅れて走るトドみたいな肥満娘が父と弟に追い付くと息を整える。

子供の手を取り中年は走りを続行する。

節制もなく二人も拵えるなと彼女は幸福な家庭に苛立つと睨み付ける。


 左耳で1cm程の銀色の天使のイヤリングが揺れた。

十代の誕生会に恋人から貰った唯一のプレゼント。

彼が腹上死してから彼女の人生観は変わった。


 腐り切った街に生きる人間め。フロントガラスを占める家族写真の構図に彼女は苛立ちを感じた。

……子供達教えてあげるわ。

人は歳を取ると無いと解っている純愛を探して巡礼になるの。

先程棄てたネクタイの塊が路上に転がる。

眼鏡っ娘はサッカーボールの様に玩びボンネット目掛けて蹴り上げる。

親の注意する声より眼鏡っ娘の行いが心地よく見えた。

無心な狂気を磨きなさい、そう伝えようとしてみた。


突風が巻き起こる。新聞紙を飛ばされたルンペンが親指の出たポロ靴を引き摺って車道に飛び出す。

しなびた希望を露出して哄笑する。

ジョギングの列から一番遅れているトドの方に近寄っていく。

「負け犬め」轢き殺してやろうかと思った。

この街で生き残るにはしぶとさが必要だわ。


アスファルトで起こる早朝の揉め事に関知せぬ腹を決めアクセルを踏み込む。ミラーに映る新緑の輝きに一瞬眼を奪われた。

「地上天使が午后には氾濫するメガロポリス」「ペットショップで翼を交換するのよ」「ベガープリンスよ急ぎなさい」

密かに呟いた助言は誰にも届かなかった。


 薄っすらと明けていく小さな宇宙。ビルにのしかかっていた雲が上空の気流に払われる。

アイボリーの給水管が竜の鱗のように光を受けては露骨にうねる。



 少年は尻のポケットから巻いた煙草を抜くと口に挟んでみる。

破けたブルージーンズの膝から埃が舞い込む。

睡眠不足の頭を覚醒するためにオイルライターの火を煙草に近づける。

指が痙攣したのを誰も気付かなかった。煙を漏らさないように吸い込む煙草。幻覚剤の映像が残留して脳神経を痺れさす。

織り上げたセロファンの鶴が欄干から車道に降りていく全ての情景がスローモーションで送られる数分の出来事。

ふと少年は考えた。

「折らなければ良かった。奴の寿命は数分だろう」

朝の風が午后の喧騒に変わるまで待ち続けよう。

無数の鳩が梢から一斉に飛び立つと純白に空が明けていく。

期待を打ち消すように疾走する彼女の車は車道に降りた鶴を轢き殺していく。

「さようなら…待っていても神様は来ないわよ!乱行で忙しいの」


 闇というポロ隠しのベールに封じられていた繁華街。太陽光線はひときわ醜く浮き立たせる。

大都市の運命とも呼べる残酷な時間が迫る。

通りゆく人々が視点を変えても無駄だろう。全てのグロテスクさに眼を背ける事は出来ない。

 彼女は数分後、ハイウェイのトールゲートでチケットを切る用意をする。

ミラーで点になる陰影に心で呼びかける。「セルロイドのお魚が空を飛ぶこともあるわ」「頑張りなさい!神様が君を救う破滅まで」

彼女の祈りは早朝の車の流れに乗るまで反復された。


 …………………Fin










新しい恋を見つける事が出来ない彼女の数日の記憶!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ