エピローグ(4)
最終回です!
ああ、と言われるがまま掴もうとして、ジェインははっとその手を止めた。
「あっぶね、また騙されるとこだった」
『はぁ?』
「そうやって親切ごかしに言って、柄に触れた瞬間、子供にする気なんだろ? その手には乗らないさ」
裏を読んでやったと言いたげに、ちろりと剣を見下すジェイン。
長年連れ添った相手を疑うジェインの腰に下げられたカティアは、大きくて長めの溜息を吐いた。
『はあああああああああ。あんたって!』
「な、なに」
心外とばかりの相棒の台詞に、ジェインも少し口ごもる。
『あのねぇ、あんたが思っているより酷いわよ?』
ぐっと言葉に詰まる。
「え?」
ジェインの目がきょろきょろと左右に泳いだ。
自分の容姿にさほどの興味もないジェインが、己を映す鏡など持ち合わせているはずもない。
『んもう、水桶!』
ジェインを知っているカティアが苛立ったように言う。
言われた通り渋々と、自分の座る横に置いていた桶を覗いた。夜と炎の明かりをその身に映していた水面に、元絶世の美女が姿を現す。
「うげ」
美女らしからぬ声音がジェインの口から出たところで、本人もカティアの言うことが理解できたようだ。
水面に映るその顔は、火であぶられた肉のように所々が焼け焦げ、顔周りの髪はちりちりと熱に屈していた。煤けた顔にぎょろりと光る碧の両目が今はホラーだ。
『私はあんたがそんなになるまで何故自分を放置できたのか理解できるけど、流石にアシュリーは引くわよ』
とどめの台詞に、ジェインも項垂れた。
「確かに、これはまぁ。……ごめん」
『じゃあとっとと治すわよ』
今度は否と言わなかった。
『さ、抜いて』
握りしめた剣を、一気に引き抜く。すらりとした剣はとても優美な姿だった。もう片方の手を添え、掌で包む。
ざあっと一帯に風が吹き、木々が騒ぐ。
その風は剣を目指し、緩やかに刃に纏わりついた。カティアを握る手からジェインの身体へ伝い、優しく包み込んで、ふわりと黒髪を空に漂わせた。
ジェインの体が、内側から仄かに光り出す。と、認識した瞬間に、雷光のように一気に光った。
瞬く間の出来事だったが、風に消えかかっていたはずの焚火は元の勢いに戻り揺らめいていた。
瞑っていた目をゆっくりと、ジェインは開いた。その碧色の瞳に最初に映るものは。
「だーかーらっ! なんであんたが! でっかくなってんだって!」
可愛らしい両手がしっかりと握りしめていたのは、黒い刃の大きな剣。数瞬前の細めの白金に輝く美しい剣では決してない。
わなわなと震える自分の手を視界に、ジェインは怒鳴った。その声ですら可愛らしい。
『痕もなく綺麗に治してあげたのよ。感謝こそされて当然なのに、あんたって子は』
カティアの言う通り、ジェインの顔にも髪にもなんの傷跡も残ってはいなかった。
白く磁器人形のように滑らかな肌、伝う長い白金の髪はそれ自体が光を持つかのようで、嵌め込まれた両の瞳の碧の深さには溜息しかでない。
が、そんな自分の容姿に何の関心もない本人は、がっちゃがっちゃと大剣をこれでもかと揺らした。
「この! 嘘つきっ」
怒りが血色よく頬を染める手伝いをする。
美しく可愛らしい少女が怒っていてもそれは小鳥の囀り。とても鬼の形相などとはいえず、残念ながら何の迫力もない。
時折小さく笑うカティアの声に、ただただジェインは腹の虫が収まらなかった。
「やっぱりやりやがったじゃないか! そもそも、なんでいつもこれなんだよ! たまには懐刀みたいになれよ! 毎回毎回、デカいんだよ!」
小さな少女にはかなり不釣り合いの大剣だ。彼女じゃなくても嫌がるだろう。
『あー、うるっさいわね。……ほら、小さくなったわよ』
ジェインの握りしめる剣は、その手の中で少し震えた。が、サイズはほとんど変わらない。
「どこがだよ! 全然変わんないよ! もっと小さく、料理用のナイフみたいにさあ!」
黒鉄の刃を揺らし、大振りのジェスチャー付きで訴えるジェインに、カティアの何かもぶちっと、反論した。
『はあああ? あんたの有り余る力を吸い取ってあげてるんでしょうが! そもそもねぇ、余り過ぎなのよ。文句があるなら発散してきなさいよ。そうね、この森の生き物全部狩れば、少しくらい小さくなれるわよ?』
ひと息に捲くし立てられたがジェインも負けない。
「このバカッ広い森の生き物全部だって??」
すうっと息を吸った。
「ばーか! できるか! この、ばかカティア!」
『はあ、相変わらず語彙がないんだから……。お願いだからたまには本を読んでよ。叫びたくなるわ』
見えるわけでもないのに、何故か頭を抱えているカティアが浮かぶ、そんな台詞だった。
「知るか! 無駄に命を狩るくらいなら、自分の身が弾ける方がマシなんだよ」
ふうふうと息荒く、持っていた剣を勢いよく地に突き立てた。
黒い剣身に映る自分を見ないようにか、さっと目を逸らしどっかりと石の上に座りなおす。
夜は長くて短くて、騒々しく過ぎていく。
周りから見れば盛大な独り言。
結構な声量だったが、アシュリーはすうすうと寝息を立てて眠っている。
ぐっすり眠れるようにと、夕食にこっそり混ぜた薬がいい仕事をしたようで、お陰でジェインは自身の価値を下げずにいられるだろう。
長い年月を共にする離れられない関係の一人とひと振りの、それでも穏やかな時間であった。
「あーあ、奇跡みたいな街だった」
ジェインは小さく細い両手を満天の星空にあげて伸びをした。
『懐かしい名前も聞けるなんてね』
星が降る。
小さなサラ・ジェインは、口元を緩ませにやりと笑った。
「たまにはこんな、殺伐としない日があってもいい」
ある一点を軸に、放射状に星が細く早く落ちていく。
彼女たちの願いを残らず汲もうと、まるで星々が集まったかのような。それは数えきれないほどの輝きだった。
────────終
9か月ほどの長い間、お付き合いくださりありがとうございました。
この話は今回で終わりとなりますが、二人とひと振りの旅はまだまだ続きます。
次回作まで、どうぞお元気で。




