エピローグ(3)
「あのとき小耳に挟んだんでな」
ハルピュイア・クインの襲撃、操り人形と化した人々との戦闘シーンを思い浮かべたのか、ジェインはふっと態度を軟化させた。
「……あんな状況で、よく挟めたもんだ」
リオは両手を軽く上げて少しおどけてみせた。
「で、知っているのか」
貴重な手掛かりが聞けるかもしれない展開に、ジェインは普段見せない表情で訊ねた。
「随分と面白いヤツを追っているな」
「!」
リオとジェインの視線がひとつに結ばれる。
『うそ、あいつを……奴を、知っているの?』
思わずカティアが声を漏らしたように、ジェインもごくりと唾を飲み込んだ。
今まで決して、その片鱗さえ見つけられなかった相手。リオはそれを面白いヤツと称した。
「アイツを知っている!? 本当に?」
食い入るように体が前のめる。
炎に寄せた身が熱いと悲鳴をあげても、この話が相手ではジェインの気は引けない。暗闇よりも黒い黒髪が、炎を纏おうとする。
『ジェイン! 下がって!!』
頭の中、カティアに大声で叫ばれて、漸く少し後ろに引いたが、視線はリオから離れなかった。
「おいおい、体はもっと大事にしろよ」
髪と肉を焼く匂いに、リオが若干引き攣りながら言った。
「まあ、今のでおまえにとってヤツの情報が、どれほど価値のあるものなのか分かったがな」
にやり、と笑う。
「交換条件だ。ヤツの情報をくれてやろう。おまえがアシュリーを守ってくれている間、手に入れる度にだ」
「は? 今は持っていないのか?」
ジェインは明白に落胆した。あまりの気落ちぶりに、リオはむっとする。
「昨日の今日だぞ」
「それでも」
持っていないという事実しかないじゃないか、とジェインが不機嫌に口を開こうとした。
「ああ、伝手なら色々あるから心配するな。おまえらが見つけられないことも、うちの眷属なら可能さ」
ジェインは継ぐはずの言葉を飲み込んだ。
「いいか、こまめに連絡してやるから、絶対にアシュリーをエサにはするなよ」
人差し指をジェインに向けて念を押すリオは、その姿の年齢相応の顔をしていた。
「……OK、出血大サービスだ」
「よし、契約成立だな」
ジェインの台詞に、リオは満足げに頷いた。
「じゃあな」
言いたいことを言ってもう用が無いのか、柔らかそうな金髪を揺らして、くるりと向きを変える。
「ああ、ひとつ言い忘れてた」
リオの小さな背に向けてかけられた声に、少年が立ち止まる。
「芝居、上手かったよ」
「……そりゃどうも」
笑いを含んだジェインの言葉に、リオは片手を上げることで答えた。そのまま、暗闇の中を躊躇なく進む。
「……世界を巡る血煙が、幾度目かの旅を終えたその瞬間、この世はすべて灰燼に帰す──」
アシュリーに後ろ髪を引かれながらも、リオの足は止まらない。
「神の門は開かれずとも……とはなんとも虚しい限りだな」
小さく呟きながら、ちらりと少しだけジェインの姿を盗み見る。
美しい女、絶世と呼ぶに相応しく、剣の腕までも並ぶものがない女。
きっと火傷で爛れた肌も、縮れた髪も、すぐに元に戻るのだろう。
「性格に難はありそうだが、アシュリーの護衛にも、いい暇つぶしにもなるな」
交渉事が上手くいったからか、こちらも花が綻ぶ微笑みを湛える、成長が楽しみな少年。失礼な物言いは彼を引き立てるスパイスのひとつか。
「アシュリーに見られる前に、手当てはしろよ」
暫く森の中を進んで、リオは闇に溶けていった。
「ねえ、聞いた?」
ジェインはリオが消えていった方向を、まだ目を離せず食い入るように見ていた。
先ほどの炎で焼けた肌は酷く赤く、前髪もチリチリと溶けていたが、まったく意に介していない。
『聞いたわ。何この展開』
カティアも興奮気味に相槌を打つ。
『眷属って言ったわね』
「ああ」
『あの子何者なのかしら』
ジェインは自身の唇に指をやった。瞬間、火傷の痛みに眉を寄せる。
「つっ……なんにしても、あれが魔獣じゃないのは確か」
無意識にかそれでもそっと摘まみながら、考えているようだ。
姿形は完璧に少年だった。きっとあの街の誰も、ゴーシュやアシュリーでさえもリオの正体を知らないのだろう。
老練の希少種のように、それは周囲の誰も気付きえない完璧な偽装だった。
『なら』
「ああ」
二人がお互いに見当をつけたもの。
それはきっと同じ。
「多分、いや、十中八九アタリだ」
『類友かー。久々に珍しいものに当たったわね』
笑いを含んだ台詞に、ジェインもふっと目を伏せた。
「まったく、希少さの大安売りな街だったよ」
『それ!』
カティアが笑う高い声を聴きながら、ジェインも少し表情を緩ませた。
『そうだ、あんたそれ痛くないの?』
「え?」
『顔は火傷しているし、折角の綺麗な髪もちりっちりよ』
リオの話に夢中になりすぎて焚火に身を乗り出し、負った火傷。それに気付かないほど、ジェインには重要度が高い話だった。
ジェインの自らの傷への無頓着ぶりには、カティアも呆れているようだ。
『しょうがないわね、ちょっと私を掴みなさい』
いよいよ次回、最終回です!
 




