第八十九話 師匠と弟子
両手を握りしめて、ぐっと堪えるリュシェルに、ジェインは続けて言った。
「今日の午後から葬儀があるんだろ」
「……え? ああ、そうだよ。リオもそこで……あの、せめて見送ってから行くのは」
ジェインは首を横に振った。
「なるべく人の往来が少ない間に出たいんでね」
街での合同葬儀であれば、住民のほとんどが集うだろう。どんな視線も少ない方がいい。
「ああ、そうか、そうだね。それがいい。アシュリーのこともあるけど、街の英雄がこんな美女だと知れば、また騒がしくなるだろうし」
その言葉には苦笑いしかできない。
「身体に気をつけるんだよ。アシュリー、いいかい、私はあんたのおばさんだ。何か困ったことがあったら連絡するんだよ。いつでも力になる。あんたは一人じゃない。このリュシェルがずっとついているからね」
「あ……ありが、とう。おかみ……ううん。おばさん、ありがとう」
真剣に心配する表情のリュシェルに、アシュリーは琥珀の瞳を潤ませて答えた。
「あのね、実は私、おじさんとは話せないままで……黙って出た方がいいと、そう思って。……でも、会えばよかった! ……リオのお見送りも出来なくて、ごめんなさいって、大好きだって伝えて……。ごめんなさい、おばさん。おじさんのこと……お願いします」
決壊した涙腺が満水の涙を盛大に放出し、鼻にかかる声でアシュリーは思いを言付けた。最後のワードに、リュシェルの表情が一瞬凍る。
確かに、何もかも知る必要がないと判断したのは間違っていない。リュシェルは馬車の荷台に座るアシュリーの手を両手で包みながら、何度も頷いた。それしか出来なかった。
ジェインが握る手綱の先で、馬がひと声あげる。それを合図に、馬車はゆっくりと動き出す。
「アシュリー! アシュリー! 元気で、元気でね」
「おばさんも。元気でいてね」
二人の乗る馬車が見えなくなっても、リュシェルはその場に佇んでいた。
「ごめんよ、アシュリー……おばさんを、許さないでね……」
リュシェルのその声は、誰にも届かない。
『ウォルターの弟子、あんたに似てるわ』
少しの間黙っていたカティアが、もういいだろうと思ったのかジェインに言った。
「弟子の弟子は弟子だからだろ。弟子は師匠に似るもんだ」
早口言葉のようなことを言って、にやりと笑みを浮かべた。
『やだ、それって災難』
音階の高い笑い声がジェインの頭の中を占める。
リュシェルの雑貨屋を出て、換金所のある建物が見え、すぐに守護隊の大きな建物が現れた。すれ違う人々は皆やることが多すぎて、小さな馬車が通り過ぎることになんの関心も寄せなかった。
何事もなく、馬車は四つのうちのひとつである、その中でもひと際大きなゲートに到着した。
今回の事件の余波か、片側だけが開いている。
「おはようございます。お出かけですか?」
馬車のスピードを落とすと、若い隊士が声をかけてきた。曖昧に頷き、ゆっくりと止まるように見せかけ、しかし、そのまま馬を歩かせ進む。
「ご存じでしょうが先日の件がありますので、くれぐれもお気をつけて」
並ぶように歩いてかけてくれた隊士の気遣いに、ジェインはにこりと微笑んだ。フードの下から垣間見えたとびきりの美しさに、隊士がぴしりと硬直した。
『なに置き土産的に被害者だしてるのよ』
ははは、と笑ったジェインは、馬を走らせる。ゲートをくぐり抜けた次の瞬間、後ろの荷台に座るアシュリーを大きな声で呼んだ。
「アシュリー、振り返れ!」
「え?」
咄嗟に言われるがまま振り返るアシュリー。
「……あ!!」
片側だけ開いたゲート。閉まったままの扉の外で熱心に手を振る誰か。
「お、おじ、おじさん!!」
あまりのことに、揺れる馬車に体も揺れながら、アシュリーは荷台の縁に手をかけて、身を乗り出していた。
「アシュリー! アシュリー!! 元気で、元気でいるんだぞ!」
ゴーシュの声が、馬車の車輪の音を不思議と躱して二人の耳に届く。アシュリーは長い髪を風に翻し、どこから出るのかと言うほどの声量で応えた。
「おじさーん! ありがとう。今まで、ありがとう!」
見る間に遠く豆粒のように小さくなっていくゴーシュに、アシュリーは何度も繰り返し礼を言い続けた。どれだけ述べても、礼の言葉を尽くしていないかのように。
『あんたも意地悪ね。ゴーシュのこと、なんで雑貨屋に言わなかったのよ』
「弟子の不始末は師匠の責任。だけど仕置きは必要だろ」
『あんたも大分非常識なくせに、変なとこで教育熱心なんだから』
馬車は走る。風と共に。
荷台のアシュリーは点になったゴーシュへ向けて、まだ力いっぱいに手を振り続けていた。
『あれね、きっと今、ゴーシュの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだわね』
手綱を握りながらその様を思い浮かべたのか、ジェインが破顔する。キラッキラの笑顔で高らかに声を上げた。
「ああ! 間違いない!」




