第八十一話 後先(1)
「まさか同じ師匠ってことは無いと思うけど……え、そうなのかい?」
カティアがけらけらと小気味よく笑った。
『逆よ~。あっちがジェインの弟子よ。ねぇ』
「いや……ほんのちょっとだけ、顔見知り程度さ。ただ、あの子と剣筋が似ているなと思ってね」
思いがけずに触れることができた記憶のピースに、ぽろりとこぼれた言葉。
「あの子? あの子と言うにはうちの師匠はかなりの歳だと思うけど……」
はたと気付いて、ジェインは言い繕った。
「あれ、あの子って言った? あの人、だよ。あの人」
リュシェルに失礼にも耳は大丈夫かと言いながら、あの時そんなに強くあんたを蹴ったかな、とあらぬ方向に視線をやった。後遺症のせいにでもしたいようだ。
「まさかこんな外れの街で、うちの師匠のことを知っている人と出会えるなんて驚いた。それも、ジェインさんみたいな凄腕の。でも確かに師匠は放浪癖があるし、ジェインさんも賞金首追ってあちこち行くんだろうし、どこかで遭遇していてもおかしくない、か。なんにしても、尊敬する師匠と剣が似ているなんて言われるのはとびきり嬉しいことさね」
機嫌良さそうにリュシェルは話しながら、くすりと笑った。
「……知的探求心というものが」
ジェインが思い出したように呟く。
「「『人を人たらしめる』」」
二人(と、もうひと振り)の声が重なった。
ジェインとリュシェルが記憶から取り出した言葉だった。
「確かに同一人物のようだ」
ジェインの整った唇の両端が微かに上がる。
「懐かしいねぇ。師匠の口癖」
『あの子ったら、まーだ言ってたんだ』
カティアがくすくすと小気味よく笑う。彼女たちには、ほんの少し前の思い出だった。
「ああ、それで、話は師匠のことだけかい? 他にもまだ何か?」
「……」
「なんだい、言いにくいことかい?」
辛い経験をした直後に少しだけでも和んだこの空気を、また曇らせるのだろうと思うのか、珍しくジェインは言い淀んでいた。
「あー……そうじゃない、いや、そうかも……」
何杯めか、ジェインが手の中のグラスに残っていた赤い液体を、ぐっと喉に流し込む。
「おまえさんは、本当に優しい子だね」
「ぐほ!」
「ああ、ほら、美人が台無し……ってことには、ならないみたいだね。でもそのままもなんだから、これで拭きな」
吹き出したワインが赤い血のように飛び散って、ジェインの顎からも滴り落ちる。それさえも様になると言うリュシェルをチラ見し、差し出されたタオルで口を押えた。
テーブルをリュシェルが拭きながら。
「アシュリーのことだろ?」
ジェインは間を開けて頷いた。
リュシェルはテーブルを見つめたまま。
「……冒険者だったあんたは、聞いたことがあるんだろ」
リュシェルは目を伏せた。
「ああ、知っているとも」
褐色狼、青狼、ハルピュイア、そしてシェイプシフター。
これだけの魔物がこの国で、まるで何かに引き寄せられたように一ヵ所に集まるなど、見たことも聞いたこともなかった。
魔物を引き寄せる。この意味することを、リュシェルは薄々気づいていた。
惨過ぎて、口にすることも躊躇われるそれ。
「死よりも恐ろしい生……」
びくり、とジェインの指が小さく跳ねた。
「まさかアシュリーがとはね……。もしかして、ジェインさんが面倒を?」
「ああ」
静かな室内に、ぽつぽつと交わされる会話。
「すまないね……ジェインさんには何の関係もないのにさ」
「いいや。こっちにもメリットしかないよ」
ゆっくりと否定の意味で頭を振る。
「私は賞金稼ぎだ」
「ああ、そういえばそうだったね」
拭き終えて、部分的に色づいてしまったタオルを握りしめながら、リュシェルは言った。
「いや本当に……あんたに会えてアシュリーは幸運だ」
「……あんたはいつから?」
【悪魔の祝福】のことに気付いたのか、というジェインにリュシェルは答えた。
「情けないが、この襲撃でだよ。この国で魔物が出てくることも、ましてや複数同時でなんて珍しすぎるだろ。住処の違う青狼とハルピュイアが街中で一堂に会するはずもないからね。決定打はシェイプシフター、あいつさ」
あの時、アシュリーの手を掴み、引っ張り上げようとしたヤツが口を開いてやろうとしたことは。
「あいつはあの時、手っ取り早くアシュリーに渡ろうとした。あんなに人がいる中で秘匿を是とする種族が、自分の正体がばれるようなことを、そうそうするはずがない。ヤツがそれをやろうとしたのは何故か」
「【祝福の血】で得た力で全員を始末すれば、最初から見られていないのと同じ」
リュシェルが大きく頷いた。
「あの場にはあれだけ沢山の人がいたのに、あいつはわざわざ力が弱いはずの少女を選んだ。おかしいじゃないか。屈強な隊士があんなにいたのに。それで、ここ最近のすべてを繋ぎ合わせたら、もうそれしかないだろう、って」
事態が収拾してからずっと、このことばかり考えていたのだとリュシェルは溜息混じりに言った。
「これはあとで思い出したことだけど、数日前にアシュリーはうちで怪我をしている」




