第八十話 返報(3)
カタカタとカティアが揺れる。思いの大きさか、標的が小さいからか、なかなか狙いが定まらない。
「恥ずかしいとこ見せちまって」
ジェインはそっとリュシェルの手に自分の手を添えた。
「……これでいけるだろ」
誰への言葉か、ジェインはそう言ってもう片方でもリュシェルの手を包んだ。
『あー……、そうですね。はいはい、いけますとも』
あんたが触れているのなら。
カティアの声がジェインの頭の中で溜息混じりに応えた。
あれだけふらふらとしていた切っ先が、ジェインの文字通りの手助けでピタリと止まる。両膝をついた形のリュシェルの傍に、ジェインは片膝をついて並んだ。
感情を奥歯で噛みしめながら狙いを定める。床に置かれた核に銀の切っ先が触れた。かちりと小さな違和感のような手応えに、リュシェルはちらりとジェインを見た。
軽く頷くジェイン。待っていたかのようにリュシェルはぐっと腕に力を込めた。
みるみる剣の先が核に入っていく。少し硬いパンのような感触だった。と、かつん、と剣先が床に当たる。今まで抵抗なく進んでいた刃は、不思議なことにそれ以上進まず、代わりに核が身の内の異物に我慢できずに弾けた。
小さな小さな破裂音と共に微かな悲鳴を乗せて、核は文字通り弾けて散った。
空気中にきらりと光ったこれが、生きている間に何も為さなかった、このシェイプシフターの一番誉れとなる瞬間であったろう。
刹那とはいえ、宝石のような煌めきをその身で体現したのだから。
「……あんたの仇は、この世に存在していた痕跡すら残せなかった。いいかい、あんたはちゃんと、弟分の仇を取ってやったんだ」
ジェインは、目を閉じて天を仰いだままのリュシェルにそう言った。リュシェルはか細い声で、なにかを言いながら、何度も頷いていた。
『あんたってこういうとこ、良い子よね』
……ジェインの体中に鳥肌が立った。
暫くして目を開けたリュシェルは、なにかひとつ吹っ切ったような表情を見せた。先ほどまで見せていた、頑張っている笑顔ではなく。
「すまなかったね。貴重な収入源だろうに。あんた、いやジェインさんのおかげで弟分の無念を晴らせることができた。本当はね、いざという時は何の役にも立たず、グラインを助けてやれないなんて、何のためにこんな目を持っているんだって、抉りだそうかと思うくらいで……。でもこうして仇を取ってやれた。やっと役割を果たせたんだ。感謝しかない」
両の瞳の中に陰りの色が僅かに見て取れるのは、それはまだ仕方のないことだろう。
「なにかお礼を」
「いいよ、礼が欲しいなら核を渡したりしない」
ジェインは剣を鞘に滑らせ、腰に戻した。
『この店の品物全部もらっても、あれにはかなり遠いしね』
きっとリュシェルが用意できる金品よりも、査定額はもっと高額だったろう。下世話な計算をしらっとカティアは試みていた。
「いや、でもそれだとあたしの気が」
しつこく食い下がる。
ジェインはこれ以外は何も受け取る気がないとばかりに、コップに酒を注いでぐいと飲み干した。
「……なら訊いてもいい?」
一気に呷ってちらりと上目遣いでリュシェルを見る。
「ああ、何でも聞いとくれ。あたしに答えられるものならなんでも答えるよ」
リュシェルは大袈裟に両手を広げた。
「────あんたの剣だけど」
ジェインがリュシェルと剣を交えて感じた、あの、違和感。
「誰に習ったんだ?」
「は?」
もっと別の何かを尋ねられるとでも思っていたのか、リュシェルは拍子抜けたような表情で、それに見合った返事をした。
「え、なんだい、誰に習ったか? もしかして師匠のことを訊きたいのかい?」
ジェインがその綺麗な顔を何度か揺らし、うんうんと頷いた。
「あたしなんかと比べられない程、遥か高みにいる剣の使い手が、うちの師匠を知りたいとはおかしなこともあるもんだね」
「あんたは弱くない」
ジェインの口から即座にでた言葉に、少し気を良くしたのか、リュシェルは背もたれに体を預けながら自分の話を始めた。
「そいつは嬉しいね。これでも一応ちょっとは名が通ったパーティの一員だったんだ」
リュシェルは続けて、幼い頃に兄と二人で剣の修業を始めたことや、その途中である事件が起こり兄が死んでしまったこと、そこで助けてくれたのが師匠なのだと彼との馴れ初めをかいつまんで話してくれた。
「まあそれで、二十年ほど前に冒険者になったのさ。最初は師匠と同じパーティでね」
黙って聞いていたジェインが、頷いて言った。
「その師匠の名を聞いても?」
「もちろん、いいとも。ガリンガム、ウォルター・ガリンガムさ」
『うわ!』
ジェインよりも多めに、カティアの方が驚いた。
『ガリンガムって、まさかあの子?』
「その顔、もしかして知っているのかい? 師匠のこと」
「まぁ、ちょっと」
ジェインの表情が少し柔らかくなったのを、リュシェルは不思議そうに見た。
『やだ、なつかし。だからこの雑貨屋さんとあんたの剣、どことなく似てたのね!』




