第七十七話 悔恨
無数の傷にあちこちを包帯で巻いた姿のシラーに、同じようなザイストが声をかけた。
「ああ。大した傷でもないが」
「その姿で?」
前に立つザイストにシラーはやっと顔をあげて言った。
「命がある。……あの子の代わりに死すべきは私なのに」
「なんだと?」
ザイストの声が冷たくなった。
ふいと顔を背け、シラーは魔物を街へ入れてしまったのは自分だからなと呟いた。
「あの時にすべてを防げていれば、今、この惨状はない」
「バカなことを」
どちらかといえば、先に青狼の数を減らしてくれたシラー達のお陰で、この死傷者の数なのだといえる。
「あれだけ減らしてくれたのに、おまえはまだ不満なのか。そんなに自分の腕に自信があったのか、凄いな、おまえ」
「茶化すな。今はのってやれない」
ザイストはシラーの隣に座り、同じく壁に寄りかかった。
「まあ、確かにツラいな。今回は幸運の塊だったって隊長もカーラントも話していたが、ひとりでも守れなかった人がいたら、本当にそうだとは言えないよな」
昨日の褐色狼と青狼、ハルピュイアとハルピュイア・クイン。どの種族も実戦では初めて対峙した。如何に練習を重ねていたとはいえ、隊員の誰もが訓練のようには戦えなかった。
撃退するには骨が折れるものを更に同時に三種族もと考えれば、この程度の死者数で済んだのは幸運以外に表現できないだろう。しかし。
「おまえの気持ちも分かるが、必要以上に自分を責めるな。シラー・アンティア分隊長の指揮は完璧だったぜ」
シラーを慰めようとするザイストの心が、彼に本心を吐き出させる。
「守りたかった。警護を任されたからには、誰一人傷つけることのないように、毎日寸暇を惜しんで鍛錬を重ねていたからな。だが、いざとなればこの有様。笑うじゃないか。この程度の腕で、私は怪我人のひとりも出すつもりが無かったんだ。ましてや死者など……っ」
嗚咽交じりに吐き出す台詞に、ザイストはそれ以上何も言わず、ただずっと、シラーの隣で降り注ぐような満天の星を見つめた。
────
「ジェイン」
長く焦がれた声がする。私の顔を覗くのは。
ぽかぽかのお日様が少しだけ焼いてしまった髪。とろけたはちみつの瞳。
(サラエル)
小さな少女と手を繋いで歩く。引き摺る私の足。
「ここだよ!」
笑顔に続いて景色が変わる。
森の中の一面の黄色。緑と黄色が風に揺れる。
花弁が空を舞い踊る。くるくる、くるくる。
綺麗で可憐な世界。
隣で笑う、初めての友達。あの日見た、きらきらな世界。
(ああ、もう分かっているよ。これは夢だ)
自覚した瞬間に笑っていたサラエルがかき消える。花と共に、空間に溶けるように。
「出てくるんじゃないよ!!!」
急に場面が変わった。
昔の自分と、サラエルがいる。真剣な顔をした、サラエルの母親も。
暗色の空気が肌にひりつく。突然に響く多くの声。人と、人じゃないものと。激しい戦闘の音が家の中にも聴こえる。
「おばさん!!」
(ああ、これは)
「サラ! ジェインとここで隠れているんだ」
引っ張られる腕、突き飛ばされるように押し込められた小さな部屋。ドアを閉める直前に。
「ジェイン、あんたが持っていたあの剣、悪いけどちょっと借りるよ」
「え! あの剣は、ダメ、おばさんには使えない、あれは!」
幼い自分が必死に首を振る。だが、話は聞いてもらえない。
耳に心臓が移動したように煩くて痛い。閉められた扉は重くて、子どもの力ではびくともしない。
何度も何度も扉を叩く。血が滲んでも、懸命に叩く。
(あれは、あの剣は、私じゃないと使えない)
「ジェイン、大丈夫だよ。あんなやつら、絶対お父さんとお母さんがやっつける」
少女のサラが誰を慰めている?
サラのような小さな子ども?
私が?
……誰が子どもか。
「違う、私は、サラ」
運命を分ける轟音、あっという間に崩れゆく世界。
白から黒へまた反転する世界。
散らばる瓦礫の中、突きだす形で白く浮き上がる少女の手。あの日の、小さなままの自分が、瓦礫の中から引っ張りだそうとしている。
「サラ! サラ、しっかりして。今だしてあげる」
白い小さな手を握りしめる。ぐいと力を込めると同時に、抵抗らしいものがなくそのままずるりと抜けて尻もちをつく。
「……っ」
サラの腕は、肘から先がなかった。
握った掌が握り返すことはなく、その先にサラはいなかった。
サラの腕に覆いかぶさるように、その場に蹲る。大きな碧玉の瞳からぼたぼたと涙が零れ落ちる。
見渡す限り瓦礫しかなく、燃えカスとなり果てた、家であったものの集まり。
声を詰まらせながら胸を掻き毟る。
(私が嘘を吐いたから?)
(カティアと離れたから?)
(何も打ち明けなかったから?)
そうだとしても。
「くそ……なんで、こんな」
喉の奥から痛みが音になって溢れる。
黒い夜に激しく降る雨が、世界を無音に変えたとしても。
「サラ!!!!!」
────
「私への罰に、彼らの命を使うな!!」
ふかふかのベッドで眠っていたはずのジェインが、暗闇の中で突然声をあげた。
はっとして起き上がると、周りを素早く見回す。
『ここは月花亭よ』
相棒の声に、段々と意識がハッキリとしてきた。
「……ああ、そうだ。あれは単なる、雑な記憶の羅列」
顔にかかる髪をかき上げた。冷や汗か何本も肌に残ってしまったが、気には留めない。




