第七十話 対面
「リオ!」
掴んでいたものを離す前に、ハルピュイアはリオ共々に地面に転がった。斬ったジェインの目前で、噴き出す血が魔物か子どもかどちらのものとも知れずに広がっていく。
リオのすぐ傍にいたアシュリーにも赤い花弁が降り注いだ。
「リオ!!」
顔にどちらかの血を滴らせ、それでも構わずにアシュリーは倒れた弟を抱え起こそうとした。しかし、こと切れたはずのハルピュイアが未練たらしく握るリオの肩口には、まだ深々と大きくて太い爪が幾つも食い込んでいた。
「リオ、リオ、リオ」
アシュリーが精一杯に力を入れても、死んだハルピュイアの足はびくともしない。横からゴーシュの大きな手ががっと出てきて、二人で引き剥がそうとした。
「私も手伝おう」
急に人形たちが人に戻ったことで、駆けつけることができたカーラント。この場にいた最後のハルピュイアを無事に仕留め、付いた返り血で白い隊服は真っ赤だった。助力を申し出ながら傍に膝をつく。彼が加わったことで、漸くリオに食い込んでいたハルピュイアの足の爪は引き抜かれた。
「リオ、リオ」
顔面蒼白なリオは意識もなく、それと変わらない顔色のアシュリーが幼い弟の名を呟きながら、ゴーシュと共にそっと地面に横たわらせた。
抜いた爪痕から瞬く間に血が溢れる。ゴーシュが着けていた前掛けを急いで外して、傷口へぎゅっと押しあてた。白い前掛けが、見る間に深紅に色づいていく。
「医者を! 誰か医者を!!」
ゴーシュの声にはっとしてアシュリーが顔をあげた。
「……そうだ、おかみさんっ」
リュシェルならなんとかしてくれるのではと、淡い期待が目を泳ぐ。
『……おかみさんってさー』
カティアの言いたいことは、ジェインにも痛いほど分かった。ちらっとリュシェルが転がっているであろう場所を見る。……まだ転がっていた。
「私が医者を連れてこよう」
リュシェルが使いものにならないことを知ってか、カーラントがそう言って立ち上がると、すぐにこの場を後にした。周りには倒れた人々。人形化が解けた彼らが動けるようになるには大なり小なり手当が必要で、この街の状態では助けが来るとしてもまだ時間がかかりそうだった。
「これは一体……また魔物が?」
カーラントが離れてすぐに四人の背後からふらりと女が現れた。騒ぎを聞き
つけてなのか、それはアシュリーが見知った女だった。
今日初めて会った二人の女のうちの、一人。
「あの! 診て、診てくれませんか! 弟が、リオが」
藁をもすがるとは、まさにこのことだった。
アシュリーは今日知り合ったばかりの人間に、血塗れで横たわる弟を助けてくれと懇願した。この女が医者でないことを、アシュリーは知らない。
ここにいるはずがない女。
診療所をやっていると言ったのだ。彼女たちはそう言ったのだ。今のアシュリーにはそれがすべてだった。
「ごほっ」
月花亭の前は広場というわけではない。舗装された広めの道があり、建物でこれを挟んでいる。この戦闘はそんな場所で繰り広げられているのだ。リュシェルはアシュリーたちがいる対角線上に倒れていた。
やっと咳も治まってきたところだった。倒れた人々の呻き声は聞こえるが、金属音はなりを潜め静かになりかけたこの場が、またも騒々しくなった。数匹分の耳に障る鳴き声と、聞き覚えのある人々の声。
体中の骨が悲鳴をあげそうなほど軋む。これでもきっと賞金稼ぎの女剣士は大分手加減をしてくれたのだろう。手の中の欠けた刃をじっと見るリュシェル。
「リオ、リオ!」
ぼんやりとした瞳で、手をじっと見詰めるだけのリュシェルの耳には相変わらず誰かの声が飛び込んでくる。ピクリ、と指が動いた。
「……」
リオという名も、そう呼ぶ声も、リュシェルがよく知るものだと気付いた。ヒステリックなアシュリーの声に何かがあったのだと知る。手助けは自身が受けねばならぬものなのは分かっていたが、動けない体を意志の強さだけで動か
そうとした。
必死さも度を超すとなかなかに応えてくれるものかもしれない。僅かにリュシェルの頭が動き、それは幸運にも意図する場の方角だった。視線を声のする方へ向けた。
そこへ人影が、急に現れた。
気になったのは何故だろうか。
弟分の無念が報せたのだろうか。
リュシェルにも理解できない何かが、ぞわりと体中を駆け巡った。
「……ア、シュリー!!」
どこから声が出せたのか、リュシェルは大声で叫んだ。
『ジェイン!』
カティアの報せより少し早く、ジェインの体が動いた。
診療所をやっているといった女、ジミールは自分の足に縋るように懇願するアシュリーの腕を突然に掴むと、そのままぐいっと引き上げたのだ。彼女の顔を覗きこみ、昏い穴のような口から白い歯を覗かせて。
間一髪だった。まさに。
「ぎゃああ!」
ぼたぼたと落ちる赤い液体。またも片腕を失ったシェイプシフターが真横に飛んだ。
「やっとご対面」
白銀に光る剣を眼前に構え直し、ジェインがぺろりと唇を舐める。今斬った証拠が銀の剣身を伝い、地面につるっと滴り落ちて、赤と銀の痕を残す。
ゴーシュはアシュリーの名を呼ぶ声が聞こえた方へ、一瞬だけ視線をやった。
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