第六十七話 質問
「ねぇ、ちょっとあんたに訊きたいことがあるんだけど」
背後から不意にかけられた声に、魔物であるクインの身がびくりと跳ねた。何故だか振り返ることができず、だが怒りを口から発する。
「……おまえ、おまえね? あたしの子どもたちを……!」
背中に生えた翼が冷え込むほどの冷たい気配を感じたのか、ぶるぶると太った体が揺れる。魔物がその底冷えする恐怖を跳ね除け、瞬く間に伸びた鋭く赤い爪で憎い顔を引き裂こうと振り返るのに、かけた時間はほんの数秒。
だが、そこには誰もいなかった。
「こっわ。自由自在な赤い爪ってザ・女の武器って感じ。ま、いいから話を聞きなよ」
見事に空を切った赤く長い爪。
見る見るうちにクインの顔が赤くなり、今度は別の理由でぶるぶると小刻みに体が揺れた。こんな国のはずれの街に、このような女剣士がいるとは想定外だっただろう。この日この時に襲撃を計ったことが、彼女らの最大の失敗に違いない。
「おまえは仮にもハルピュイア・クインだ。なら、他のやつより物知りだろう?」
今も地上で人間同士を戦わせている元凶の魔物を前にして、恐れもなにも感じないらしい。三階建ての屋根を平然と平地のように立つジェインは、腕組みをしたまま言った。
「ちょっと訊きたいことがある」
言い方はフレンドリー、碧玉の奥の心意は計り知れず。天使もかくやの美貌を前に、ハルピュイア・クインのそのさらさらの髪が、逃げたい心情を表すかのように風にたなびく。
「蒼い天罰の瞳」
ピクリ、と魔物が微かに反応した。
『あら? アタリ?』
「知ってる?」
ハルピュイア・クインがそのフレーズに少し体を動かしたのを、賞金稼ぎとその相棒は見逃さなかった。じっと見詰められ、膨れた眉間にくっきりと皺が寄る。子を殺されたが故の表情か、ひくつく頬を今は爪が短く整った綺麗な指先でぐいと押さえる。
「ああ、ああ、なるほど」
ハルピュイア・クインの引きすぎた赤い口紅が震えながら弧を描く。
「おまえのその人間離れした闘い方、強さ、認めたくはないが禍々しいほどの美」
「は? なに?」
ジェインがクインの口から出たお褒めの言葉?に、困惑した顔を見せる。
しかし、ハルピュイア・クインは構わず続けた。
「可愛い我が子をあんなにも簡単に仕留めやがったおまえ、おまえが」
「いや、話訊いてないね、あんた」
尋ねたのは別のやつのことなのに、何故かジェインのことを言おうとする目の前の太った魔物。
「蒼い天罰の瞳をもつ魔物を知っているか訊いてるんだ」
「ひひひひ、ははははは!」
突然、魔物は狂ったように笑いだした。先ほどまでの子供を失った悲しみと苦しみの母親の顔ではなく、心底意地の悪い、化け物の笑顔で。
ひとしきり笑い、ジェインが引きに引いたころ。
「おまえが噂の賞金稼ぎ、キンバーライトの生き残りだね」
ジェインが月花亭の三階の屋根で、ハルピュイア・クインと対峙しているとき。地上に残って闘っていたのは、カーラント唯一人だった。
だが、街の人や隊士の多くは既にジェインが眠らせており、カーラントは残りを戦闘不能にすればよかった。
連れていた部下や街の人が、いまや水揚げされた魚のように横たわり、呻き蠢く中を歩く。カーラントの足も流石にふらつくが、襲ってくる人々はまだいる。
彼らをうまく戦えないようにしながら、漸く探していた戦友を見つけた。
「ザイスト!」
彼は白い隊服の背中を見せて、地面に突っ伏していた。声をかけてもその体躯はピクリとも動かない。
「ザイスト、おい、ザイスト!」
今度は診療所のときのような失敗は犯さなかった。
カーラントは先ずザイストの状況を確認しながら声をかけた。血溜まりはなく、ザイストの体に見えるのは掠ったような傷が幾つか。命の危機にはいないようでほっとする。
しかしそれなら何故反応をしないと、幼馴染の顔に近づき、耳を寄せた。
「……すー、すー……ぐぉ」
カーラントは黙ってザイストから耳を離した。
「人騒がせなやつめ」
ごいん、と副隊長の拳が分隊長の頭にめり込んだ。
「うーん……」
それでも目を覚まさないザイストに、カーラントは呆れたような目を向けた。
残りの操られた者たちが、人形ではないカーラントを目指してよたよたと集まってきた。怪我を最小限にするのに気を使うが、ザイストはここに横たわり、リュシェルは見当たらず、そしてあの賞金稼ぎはクインと対峙している。
ならば、俄か戦闘員と守護隊の隊士は、カーラントが沈静化させるしかない。幸運なことに、彼にとって彼らは強敵ではなかった。
それよりも。
この場には未だ魔獣ハルピュイアが数匹と上級魔物のハルピュイア・クインがいる。援軍を呼んだとして、きっとクインに操られる人形を増やすだけにしかならないだろう。
あの化け物どもをどうやって斃すか、この場に残る戦力は守護隊副隊長と賞金稼ぎの二人のみ。カーラントが難しい顔になるのも仕方なかった。
その時──。
バサバサッ。大きな羽音が複数、空気を揺らした。
 




