第六十二話 空の喧騒(1)
「キュアアアア!」
大きな羽根がばさりばさりと音をたてて、ジェインとザイスト隊、アシュリーたちの頭上で旋回している。
「あれはなんだ? 鳥か」
ザイストが見上げて呟く。青狼はジェインが来たことでほぼ制圧できていた。
「あれ? 見たことない? ハルピュイアってやつさ」
美しすぎる賞金稼ぎが、漆黒の髪に夕日を設えて、当たり前のように答えた。
その魔物の様相は人々を震えさせるに十分だった。自分たちが如何に世間を知らず、ぬくぬくと生きてきたのだ知り、この場にいる守護隊とコルテナ住民の血の気が引いていく。
青狼と対面して十分に引いていたはずなのに、青を通り越して白い顔色の面々に、更に引くものなのだなとザイストが呟き、妙に感心したような表情をする。
魔物が口々に出す声が、異様な雰囲気を纏わせる。
瞳も唇も、顔の造作だけは人の女のようで、だが梳かしもしないゆえの変に纏まった髪は長く、それは揺らめく。
首から下の半身は、性別を示唆するようにある胸のあたりのふたつの膨らみまで斑色の短い毛で覆われ、両手は大型の鳥の翼、下半身も鳥のそれ、足の先には太く鋭い鉤爪があり、背丈はちょうど成人女性程度だろうか。
それがハルピュイアと呼ばれる魔物だった。
これが五羽か六羽か、ぐるぐると人間たちの上を飛んでいた。
「あー……そういえばあいつ、確かなにか小技持ってなかったっけ」
なんだったかなと首を捻り考えるジェインに、早々に魔物はその小技を披露してみせた。
ジェインたちの上空に何羽かいたやつらが口々に奇声をあげている。
が、突然に。
「!!!!!」
耳が裂けたかと錯角するほどの高音がザイスト隊とジェイン、アシュリーたちのいる地上に降った。空間を一瞬圧し潰したかのような衝撃で、その場にいた者はひとりを除き、皆体制を崩しよろめいた。
「ああ、言ってなかった。こいつと戦るときは、耳になんか詰めておくんだ」
ただひとり、ふらりともしなかったジェインが、地面に手をつく守護隊士や街の人たちに言いながら、自分の片方の耳から小さな詰め物を引っ張り出して見せた。
『多分あんた、言うのが遅いわよ』
い、いつの間に、というのがこの場の皆の共通感想。
「何もなかったら耳に手でも当てときな」
言いながら、身振り手振りでそう伝える。
そんなことで防げるのかとか、剣が握れないじゃないかという不満な顔で見られていることには知らんぷりで、ジェインはわくわくしながらまた手の中の詰め物を耳にねじ込んだ。
「こちらとしては、あんたらが剣を使えないのが都合いいんだよね。は~、これはまた、いい稼ぎになりそうだ」
耳がよく聞こえないのをいいことに、ジェインの本音が口から洩れる。
「ザイスト!」
剣を握りしめ、頭を振って額に滲む嫌な汗を片手で拭うザイストへ、心強い友の声がかけられた。
が、先ほどの音の攻撃であまり聴こえてはいない。
「……よう、カーラント」
姿を見て応えた。
「今のはあれが?」
「あ? そう、今ので耳がよく聞こえないんだ。カーラント、あれはな、ハルピュイアってやつらしいぞ」
またも図鑑でしか見たことのない魔物が、見上げた空に数匹、ばさりばさりと飛び回っている。月花亭前に駆けつけたカーラントとその部下は、上を警戒しながら、ザイスト隊の体勢を立て直す手助けをした。
「アシュリー! ゴーシュも、リオまで、なんで外にいるの!」
少々咎める風な言い方で、リュシェルが三人のところへ駆け寄った。三人ともにさっきの高音にまだ耳をやられているようで、痛そうに顔を歪めていた。
「さっきの嫌な音だね?」
下に向けて撃った口撃は、そのまま真下に衝撃波のように伝わったようだ。その場にいなかったが近くには来ていたカーラントやリュシェルには、嫌な音というくらいで実害まで及んでいないのがその証。
「なんだ、二人とも。なんか用事?」
視線はハルピュイアに、台詞だけカーラントとリュシェルの二人に向けてジェインは言った。
「さてと、次が来る前に少し墜とすかな」
掛けられた声に二人が返答する前に、当の本人がその場からいなくなった。
「あれ、どこに」
見失ったカーラントがザイストの横で視線を巡らす。
「ギャアアアア!」
知らない人が聴いたら人間の女性の声だと信じるくらいにはそっくりの叫びをあげて、瞬く間に空から何かが降ってきた。
一縷の望みを賭けられるはずもなく地面に激突したそれは、大きな衝撃音と共に道路に穴をあけた。細かなものが巻きあがり、視界不良でしっかり確認出来ないが、よく目を凝らして見ると、道路の真ん中が黒い。
「まさか」
「アアアア!」
また、新しい叫びと共に墜ちてくる。
「ハルピュイアを墜としてるのか?!」
カーラントの声に皆が上を見上げた。
そこには三体目のハルピュイアに剣を振るおうとするジェインの姿があった。
二体目を斬り落としたあとか、次の対象に背中が向いていた彼女は、長い黒髪を空に泳がせ、剣を握る左手に勢いよく右手を添えると、ぐるんと反転し獲物と対面する体勢になった。




