*5-1
連日放課後に呼び出すのはさすがに怪しまれるだろうか、と思いつつも、浅間の出席率が低いことは担任の住吉も知っていることなので、逆にそれを利用することにした。
「音楽で補習って何するんすか?」
出席率が悪ければ、単位がもらえず、卒業案件に引っ掛かってしまう。だから、欠席分を補うために放課後に個人教授をしてやると提案してみたのだ。
実際問題、本当に浅間は欠席が多く、鑑賞のレポートが殆ど提出されていないので、補習は言い訳以上に必要だ。
僕ら以外誰もいない音楽室で二人きり、僕はホワイトボードの掲げられた教室前方で、浅間は一番前の真ん中の席に座って互いを見据えている。
昼休みにリストアップしておいた楽曲のタイトルをホワイトボードに書き連ねた僕は、振り返りながら浅間の質問に答えた。
「浅間君は、前期から片手で数えるほどしか出席していないから、欠席した日の曲の鑑賞をしてもらって感想のレポートを出してもらう。あとは、歌のテストも」
「うぇ、マジっすかぁ」
「文句を言うなら過去の自分に言うんだな。だいたい、店の手伝いを口実にあんな時間帯にあんな場所をうろうろしていて……」
「それがあったから、先生あの時助かったんじゃないの?」
「……いまはその話は関係ないだろう」
説教をしてやるつもりが、逆に正論を言われて口ごもってしまうと、浅間は机に頬杖を突きながら「ねえ、こずえ先生」と、訊ねてくる。
「なんだ」
「歌のテストのピアノってこずえ先生が弾くんすか? 音源流すんじゃなくて?」
「僕は音源よりもピアノを弾く方が、音が調節しやすい」
へぇ、すげぇ、と浅間は呟き、頬杖をついてリストアップしている楽曲のタイトルを眺め、ちらりと僕の方を流し見る。その目は薄く笑っていて何かを企んでいる顔をしているように見えた。
「ねえねえ、レポートって絶対なの?」
「僕の授業を受けている生徒は全員出してもらう」
「例外なく? レポートの代わりに何か楽器できたら免除とかないの?」
「ない。そういう特別扱いは嫌いだ」
「そっかー……じゃあ、無理かなぁ、頼むの。先生融通利かなそうだし」
ニヤニヤと挑発するような眼差しをよこしながら、そんなことを大きな独り言で呟く浅間の態度に煽られてはいけない。そうわかってはいつつも、ここで無下に内容も確かめもせず断ってしまうのは、教師としても人としても冷たすぎる気もする。
そうなったら、浅間のような生徒のことだから、「やっぱこずえちゃんは冷血」とか言って回るかもしれない。
そのついでに、昨日のことや、僕がゲイであることまで、するりと彼の口をついて出てしまう可能性だってなくはないだろう。人の口に戸は立てられぬ、とは言うものの、自らが立ちふさがって盾になることは出来るかもしれない。
だから、僕はあえて浅間の言葉に応えるようなことを口にした。
「そういう、思い込みは相手に失礼だと思わないのか、浅間君」
「え、だってこずえちゃんはお堅い、ってのは周知の事実でしょ」
「それは教師だから当然のこと。それとも、僕は生徒の君の頼みごとを突っぱねるほどの冷血漢に見えるのかな?」
煽られたら煽り返すのは大人げないことはわかっているけれど、言われるがまま頼みごとを聞いてやるのは癪な気がしたのだ。
浅間はくすりと笑いつつも首を横に振り、そうじゃないと言いながら本題を切り出す。
「そういうんじゃなくってさ、どうやったらピアノってうまく弾けるようになるのかなーってコツ教えてもらおうかと思って」
「ピアノをうまく弾くコツ? なんでまた」
君のような、夜遊びが好きそうな生徒には必要ないんじゃないのか? という、僕の方こそ思い込みのつまった言葉を吐きそうになって、慌てて口をつぐむ。教師が教え子を不必要に先入観で振り分けてはいけない。
僕の言葉に浅間はブレザーの胸ポケットに手を突っ込み、スマホを取り出して何かの画像を表示して差し出してきた。
表示されていたのは、弾けんばかりの丸い輪郭の、まだ赤ん坊とも言えるほど小さな子どもの写真だ。大きな口許が浅間によく似ている。
「これ、弟」
「えっと、2歳だって言う?」
「そ。すっげーかわいいでしょ?」
「ああ、まあ」
正直僕は、こういう職業に就いてはいるものの、子ども、特に乳幼児の扱いがよくわからない。僕が日頃相手をしているのが、大人に近い高校生ばかりだというのもあるのかもしれないが、とにかく同僚の教師の子どもの写真なんかを見せられても、リアクションが上手くできないのだ。
そういう所が僕よりとっつきにくくしている自覚はあるけれど、身近にそういう幼子がいないのだから仕方がない。
しかし浅間は、僕のそんな下手くそなリアクションが目に入らないくらい幼い弟を溺愛しているらしく、自分で表示させた画像を見入ってとろけそうな顔をしている。
無条件で誰からでも愛される術を持っている赤ん坊になんて叶うわけがないか……そんなことを彼の笑顔を見て反射的に思った自分に驚き、我に返る。僕はいま彼に対して何を想っていた?