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*3-2

「すんません! 遅くなりました!」


 僕が呼び出した当人、浅間遥が息せき切らせて駆けこんできて、額ににじむ汗を拭う。


「掃除代わってもらえなくて……えっと、なんすか?」


 授業に遅刻してきた時にあんなこと言っていたくせに、憶えていないとでも言うのか? と、僕が軽くにらみ付けると、浅間は「おっ?」という感じで顔をあげ向き直り、片頬をあげる。


「もしかして昨夜のこと?」


 お腹の中にまだ名残る昨夜の腹立たしさを感じながらも、あくまで表情だけはいつものポーカーフェイスを崩さないようにしつつ、うなずく。


「そう、君があんな夜遅くにあんないかがわしい所に――」

「そのいかがわしいところで、ヘンな男と先生がトラブってたのを助けたのは俺っすよね?」


 あくまで生徒の素行不良を目撃した(てい)から話に入ろうとしたのに、浅間は単刀直入に切り込んできた。やはりあの、涼しげ目で僕を見下ろしながら。


「あ、あれはその……確かに、トラブルになってはいたけど、その……べつに何かいかがわしいこととかでは……」

「でもあれ、ラブホの前じゃなかった? 先生、男とラブホの前で何の話してたの?」

「それは……」


 それ以上は、未成年である彼に洗いざらい話していいかわからない。僕は彼の教師で、彼は僕の教え子であるのだから、大人としてそういういかがわしいところの話はしてはいけないだろうし、教師としてのプライドを、自ら泥を塗るようなことをしてはいけない。

 僕はそれ以上言い返すこともできず口をつぐんでいると、浅間は何かを心得たような顔をしてひとりうなずいている。


「なるほどね、俺がみんなに、先生が昨夜なんで誰とどこでトラブってたこととか、そもそも先生がゲイかどうかとかバラしやしないか口止めに呼び出したんだ? 当たり?」


 案の定と言うべきなのか、浅間は僕が呼び出した理由をなんとなく察したらしく、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。その様子は本当にガラが悪いとしか僕には見えない。

 身長差が20センチほどあることもあって、物理的にも僕の方が分の悪い感じになってしまって、心理的にも物理的にも追い詰められている。 

 ある程度僕の立場が不利であることは織り込み済みで、金銭要求されるかもしれないとは覚悟していたけれど……そんなものは、実際に直面してみると吹き飛ぶほど些細で役に立たない。

 そんな僕の胸中や表情を楽しむかのように、ゆっくり近づいてきた浅間は、へたり込みそうな心持ちの僕の方に顔を近づけ、こう囁いた。


「じゃあさ、先生。俺と付き合ってよ」

「……は? 付き合う?」

「そう。俺さ、初めて好きな人ができたんだよね。それ、先生みたいなんだ」

「初めて、好きになった……?」


 初めて好きになった人が、僕だと言うのか? それはつまり彼の初恋が僕ということになるということなのか?


「そ。先生ってさ、最初見た時生徒か? ってくらいかわいいからさ、どんな先生かなーって思ってたらガイダンスの時、めっちゃ歌とピアノ上手くて、スゲーって思って」

「で? 好きになったって言うのか?」

「うん、まあ、そんな感じ。授業で見かけるたびにドキドキするから、これって好きなのかなぁって思って。だから音楽の授業も選んだんだ」


 僕自身が男でありながら男に恋愛感情をいだくから、そのこと自体に違和感はないけれど、それを自分に向けられるなんて思ってもいなかった。恋愛対象として相手を見ることと、相手からそう見られることは、同じ恋愛に関する事柄であっても正反対の意味を持っていると思う。

 まったく予想もしていなかった言葉に、呆気に取られている僕の頬に指先を伸ばして触れ、反対側に浅間は軽くキスをしそうなほど近づいてくる。

 耳の端も首筋も、見えている肌がすべて赤く染まっていくのが自分でもわかる。それぐらい急激に体温が上昇していくのを感じている僕に、浅間は涼し気な目許を細め大きな口をほころばせて改めてこう告げた。


「だから俺、先生が好きになったかもしれないからさ、付き合ってよ」


 チャラチャラと音がしそうなほど軽薄な見た目なのに、初恋が僕だって? なんの冗談だ――そう、言い切れなかったのは、ただ僕が彼にゲイであることなどの秘密を握られていることだけが理由ではなかった。

 涼し気な目許に見据えられ、大きな唇で笑いかけられると、まるで彼に包まれて捕らえられたように動けなくなる感覚がして、振り払えなかったのだ。振り払えない、でも正体と理由のわからない何かが僕と浅間の間にはある。それは確かだ。

 そうは言っても、僕は教師であり彼は教え子だ。職務上も、倫理的にも、彼から差し出された言葉を快諾するわけにはいかない。

 だから僕は赤い顔を冷ましきらぬままに、辛うじてこう答えるに留めた。


「そ……それは、できないよ。僕は、先生だから。いまは、それに対しての返事はできない」

「えー、そうなの? じゃあ、保留ってこと?」


 不満げに唇を尖らせている浅間は、まるで年端のいかない小さな子どものようで、それが余計に、彼のチャラチャラした印象からのギャップを感じて目を惹き付けられる。

 もしかしたら怒らせただろうか、と一瞬思ったのだけれど、彼はまた目を細めて笑い、こう返してきた。


「わかった。じゃあ、保留できないくらいに俺のこと好きになってもらう」

「え?」


 そういう意味ではないんだけれど……と言う間もなく彼は僕から離れ、ひらひらと手を振って音楽室を出て行こうとする。

 その出ていく間際、僕の方を振り返ってにやりと笑った。


「大丈夫、俺、結構口カタいから」


 でも口説かれる覚悟はしといてね、と言い置いて、浅間は去っていき、僕だけが残され呆然としている。

 ――何がどうなって、結局どうなったんだ? 頭の中が未知の出来事でいっぱいになってパンクしそうなのを、僕はただ早鐘のように鼓動する胸元を抑えて感じていた。




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