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*16-1

「春日井先生はしばらく寝てるから、あなたは教室に戻りなさい」


 ぼんやりと戻ってきた意識の端っこに、自分の名前を口にする声がして意識がそっちに向く。

 まだ視界が開ききらないのではっきりわからないけれど、どうやら僕はどこかで寝かされているらしい。


(ここは……保健室?)


 徐々に戻ってきた感覚とはっきりしてきた意識を開いていくと、真横のカーテンが開く音がした。

 顔だけを横に向けると、保健室の先生が僕の様子を窺っている。


「あ、お目覚めになりました? どうです、気分は」

「えっと……僕、音楽室で、倒れて……?」


 ようやく開いて発した声はガラガラでとても言葉を模っていない。保健室の先生も眉をあげて驚いたような顔をし、それから苦笑する。


「そうよぉ。春日井先生、授業中に倒れちゃったから、大騒ぎだったのよ」

「……すみません」

「彼が抱えて運んでくれたんですって。お礼言わなきゃ」


 そう言って彼女から手招きされて呼び寄せられ顔を覗かせたのは、むすっとした表情の浅間だった。


「……浅間君」

「周りの生徒がパニックになってる中、彼が冷静に素早く先生を抱えて連れてきてくれたの」

「そうなんだ……ありがとう、浅間君」


 あの冬の夕暮れ以来顔を合わせていなかった浅間は、相変わらず派手な見た目をしているものの、無邪気さは感じられず、クールな部分が際立っている。

 身長差もあって威圧感さえ覚えながらも僕はお礼を言ったけれど、浅間は無言でうなずくように頭を下げ、そのままふいっとどこかへ行ってしまった。


「あら、照れてるのかしらね。それよりも春日井先生、具合が悪いなら無理して出勤しちゃいけませんよ。まだ受験学年も登校している時季なんですから、うつしたらどうするんです!」


 至極もっともな正論を言われ、子どものようにうな垂れて「すみません」という僕に、保健室の先生は続けざまに早退するように勧告してきて、そして帰りがてら病院にも行くように念を押す。

 勧告通り僕は副校長に早退を申請し、帰り支度をして学校を後にすることにした。



(何も言わなかったし、目も合わせてくれなかったな……)


 帰りの電車の中、熱が上がってきたのかぼうっとしてきた思考の端っこでそんなことを考えていたら、じんわりと視界が潤んでしまった。

 自分から彼を突き放したくせに、まるで自分が被害者のような思考回路をしてしまうことに呆れる。彼にあんな態度を取られても仕方ないようなことを僕はしてしまったのに、いまさら何を弁解しようと言うのだろうか。

 随分と暗い目をしていた。涼しげな雰囲気を通り越し、近寄りがたいほどの頑なさが彼の放つ空気ににじんでいたようで、胸が痛い。


「……僕のせいなんだろうな、きっと」


 初めての恋をあんなふうに拒まれてしまったら、そしてその相手に今更話しかけられても、どう反応していいかわからないのは当然だろう。

 それでも彼は僕を気遣って、真っ先に保健室に運んでくれた。その対応の素早さとその発端にある感情が僕への想いの名残であるのだとしたら、僕は、どう彼に声をかければよかったんだろう。

 もうあのレッスンをしていた頃のように、じゃれてくる姿は見せてくれないだろうけれど、それでも、もう少しだけ彼と言葉を交わしたい気持ちもある。


「そんなの、勝手すぎるか……」


 こちらの都合で拒んだり求めたりするのは、あまりに大人の勝手が過ぎるだろう。

 浅間からの想いを受け入れたり、受け止めたりしてあげられないのなら、無駄に期待をさせたり、逆に傷つけるばかりになってしまうだろうから……もう、彼にこれ以上関わらない方がいい。

 僕は教師で、彼は生徒である。その大前提をこれ以上揺るがすようなことはしてはいけない。

 三年生は芸術の授業がないから、あと数回顔を合わせるのをやり過ごせばいいだけだ。どうにかなるだろう……いや、どうにかしなくてはいけない。

「もう補習はごめんだからな、浅間君」

 誰に言うでもなく冬晴れの空を見上げながら僕は呟き、ふらつく足取りで病院へと向かうことにした。



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