*2-1
「春日井先生、おはようございまーす」
「はい、おはよう。ネクタイはちゃんと締めて。君はボタンを留めて」
「出た、こずえちゃんのファッションチェック」
朝、職場である学校の廊下で、すれ違いざまに挨拶を交わす。二人連れの男子生徒の服装を、伊達であるメガネを光らせながら注意したら、そのうちの一人が茶化すように笑う。
挨拶のついでに、生徒の制服の乱れがないのかをチェックをしてしまうのは、僕の日課、と言うよりクセとか性分とかによる部分が大きい。
「僕は君たちの友達ではないのだから、“こずえちゃん”と呼ばれる関係性にはない。気を付けるように」
僕の注意に二人の生徒は肩をすくめ、形ばかりの返事をして去っていく。
しかしその去り際に、「ホント、かわいげねーよな、こずえちゃんって」と聞こえよがしに呟く声が聞こえる。
真面目で、カタくて、融通が利かない。梢という儚そうな名前と、子どものように見える見た目に似合わない僕の言動に対する評価は、おおむねこんな感じだ。
愛想よくとか、上手な嘘だとか、そういう何かを取り繕うようなものや、無駄に着飾るようなものが僕は苦手だし、僕自身には似合わないと思っている。そんなことをしたって、僕が生徒のためを思って指導をしている考えを覆すつもりはない。
だけど、世の中そういう風には捉えてくれるわけではないようだ。
「もう少し生徒に歩み寄ったらどうです? 例えば、メガネを外してやわらかい雰囲気にするとか。春日井先生なら、お若いからすぐに生徒にも人気が出ますよ」
副校長からたびたび言われるお節介な言葉がこういう時頭をよぎり、僕は溜め息をついてしまう。
去年学校が生徒とその保護者に、学校アンケートという、授業のわかりやすさや教職員に対応に対するアンケートを取った際、「春日井先生が怖い」とか、「音楽の授業が苦痛」とか書かれていたらしい。
真面目に、僕なりにわかりやすく音楽に親しみが持てるように、と工夫して授業をしてきていたつもりだったし、身だしなみの注意はこの先、生徒たちの印象が良くなればと思ってやっていることなのに、怖いだとか苦痛だとか言われるなんて思ってもいなかった。
「べつに、生徒たちが嫌いで厳しく指導をしているわけじゃないのに……僕は、良かれと思って……」
音楽室のすぐ隣にある音楽準備室で、次の授業の準備をしながら、僕はふとそんなことを呟いてしまう。
教師は生徒を良い方向へ導くのが仕事なのだから、迎合するのは良くない気がする。
でも――僕は音楽準備室の窓からグランドの方へ眼を向けると、生徒と楽し気にバレーボールに興じている体育教師の姿を見やり、溜め息をつく。
自分は教師だから、正しいことを生徒たちに……と教師になろうと思った時からずっと考えてはいるものの、現にその生徒たちから怖がられたり授業が苦痛と言われたりしてしまうのでは意味がないかもしれない。
でも、手本となる大人が、そうコロコロと生徒の顔色を窺って態度を変えていいものだろうか? とも思う。
(こんなだから、頭が固くて近寄りがたいって言われて……寄ってきたと思ったら昨夜みたいなヘンな奴しかいないんだろうか……)
僕だって、誰かに愛されたり誰かを愛したりすれば、仕事で生徒に敬遠される程怖い雰囲気をまとわなくなるんじゃ、なんて考えるのは甘いだろうか。
――何より、またあんなヘンなやつに絡まれるかもしれないと思うと、誰かを本当に好きになっていいのか、好かれるのかわからないし、怖くもある。
そう考えている内に始業のチャイムが鳴り、僕は我に返って授業モードに切り替わる。
何はともあれ、僕がすることは生徒に正しいものを教えること、導くことなのだから。そう考えながら、僕は教科書や資料を抱えて準備室を後にした。