*7-2
僕の忠告に、屁理屈で返してくる辺りが子どもだなと思うのだけれど、その子どもじみた言動が、大人びた見た目とギャップがあって、うっかり僕の心が揺らぎそうになる。揺らいで、彼が期待する何かを、ほんのわずかに応えてやりたくなってしまう。そんなこと、絶対に許されないのはわかりきっているのに。
だからせめてもの足掻きに、僕は視線を外しながらこう答える。
「まあ、他人の思想に他人がとやかく言う権利はないことではあるな」
頬を赤らめないように細心の注意を払いながら、僕はなるべく何でもない顔をして言ったのだけれど、浅間は一瞬呆気にとられたように目を丸くし、そしておかしそうに笑う。
笑われるようないわれはないのに、と僕がムッとした顔をすると、浅間は笑いながらその理由をこぼす。
「っはは、こずえ先生らしい理由。そういうとこ、好きだなぁ」
「べ、べつに君に好かれようと思って言っているわけじゃない」
「そうなの? 俺の気を惹こうとしてるのかと思ってた」
くすくすと笑いながらそう言ってくる浅間にテキストを投げつけたい衝動にかられたのをグッと堪え、「そうじゃない!」と思わずムキになって返すと、浅間はその涼し気な目許を細める。
「先生がちゃんと先生してるとこ、俺、すっごい好き」
細められた目は微笑んでいるようでいて、じっくりと獲物を狙う肉食獣のにらみにも見える鋭さがある。捕らえられる――そんなぞくりとする色気にも似た、だけどある種の恐怖を僕は感じた。
色気と恐怖と、ほんのわずかに混じる無垢で剥き出しの感情。初めて誰かに恋をしたという浅間から向けられる想いは、恋愛経験知の低い僕には持て余すほど重く熱い。
だけどその熱さが、あの夜に傷つけられたままの僕の胸に、心地よくも感じてしまうのはどうしてだろうか。彼は、僕の秘密を知る忌々しささえ感じる存在であるはずなのに。
「こずえ先生、次何すんの?」
「あ、ああ……そうだな……『からたちの花』の歌のテストをしようか」
「歌のテストって先生がピアノ弾いてくれるんだよね? 毎回?」
「ああ、そうだよ」
「それなら、俺、最初から授業出たいな」
「そうじゃなくても出てくれ、浅間君」
生徒の行動の原動力に、自分が含まれるのは教師冥利に尽きると言えるかもしれない。でもそれが、純粋と言って良いのかわからない理由が含まれているとしたら、どう受け取ればいいのだろう。
「歌詞覚えた方がいい? その方が点数上がる?」
「まあ、そこは自分で考えて」
「えー、教えてよ。俺とこずえ先生の仲じゃん!」
「そういう特別扱いはしないと言ってるだろう」
少し甘やかしそうになると、生徒というのはすぐに嗅ぎつけてくるものなんだろうか。目ざとい様子で期待のこもった視線を向けてきた浅間に、にべもなく応えると、たちまちに肩を落とす。その大袈裟な様子はクールに見える見た目が形無しになるほどだ。
クラスの友達の前では明るくさわやかで、どこかクールなキャラクターで通っているようで、廊下ですれ違う時はじゃれ合う同級生たちを傍で見守っているような感じだ。
だけど僕の前では、年相応より少し年下の甘え方をしてくる気がするのだけど、僕の思い過ごしだろうか?
「でもさ、補習してくれるのって特別扱いなんじゃないの?」
「どういう思考回路でそうなるんだ。君はただ出席率が悪いからなんだからな」
「えー、俺が好きだから特別授業してくれてるのかと思ってた」
「だから、なんでそうなるんだ」
楽観的というか、ポジティブすぎる浅間の言葉と思考に呆れはしつつも、怒る気にはならなかった。少し前なら、くだらないことを言うな、とか切り捨てるようなことを言っていた気がするのに。苦笑いをして軽く受け流す程度しか出来ないけれど、冷ややかな視線を投げていた頃から比べれば、随分違うんじゃないかと思う。
とは言え、僕の中の自己申告のような自覚症状だから、宛てにはならないし確証もない。ましてや、彼から影響を受けているなんて思って良いのかもわからない。
「ほら、練習を見てやるから譜面をもって起立して」
過ぎる考えを打ち消すように浅間に声をかけピアノの前に座る。深呼吸をして奏で始めた僕の旋律に、大きく息を吸い込んだ若々しい声が重なっていった。