*6-1
「バカだなぁ、梢にそんな誰かを手玉にとれるような器用さなんてないじゃんか」
その日はどうにも気分が晴れなかった。一人で家にいると、想定外の展開になってしまった浅間との一件について延々と考えてしまう。だから、金曜の夜であることもあって、僕は馴染みのバーに来ていた。
僕はそんなにお酒は強くもないし飲めないけれど、このバーは学生時代からの友人であり、かつ、唯一僕がゲイであることを明かしている、伊勢谷凪の店・レインというバーなのだ。
レインはいわゆるゲイバーというものと言うよりも、性別などに関係なく利用できるようにというコンセプトの店なので、僕のようにゲイであることを明かしていなくても利用しやすい雰囲気だ。
実家の家族も知らない僕を知っている、伊勢谷の店の存在があるので、知らぬ間に溜まる鬱憤を吐き出せる場としてここを利用している。そうすることで、僕が世間でクローズドゲイとしてなんとか過ごせている気がする。
伊勢谷の言葉は、僕が先日のトラブルを助けられたと同時に、ゲイであることを知られたのが浅間という生徒で、口止めに付き合うかピアノのレッスンを迫られている話を受けてのものだ。
僕はジンジャーエールのグラスを煽るように飲み干し、ちりちりする溜め息をつく。
「バカなのは僕が一番わかってる……でもさ、ただ黙っていてくれ、で本当に黙っていてくれると思う?」
「それは俺に言われても。俺、その子知らないし」
伊勢谷は僕の言葉に肩をすくめ、何かカクテルの材料になるお酒やドリンクを選び始める。
今日は金曜の夜なのに、時間が早いせいか店はそんなに人が多くなく、ゆっくりと過ごせるのでつい、伊勢谷と僕だけにしか通じない話をしてしまう。
「そう言われるとそうだけど……」
「でもさ、小さい弟のためにピアノ習いたい、なんていまどきにない感じでかわいいじゃん」
やっとかわいいと思えるようになった小さな弟が喜ぶから、と言うが、本当にそのためだけに僕にあんなことを訊いてきたりするだろうか? 本気で習いたいなら近所のピアノ教室でも充分だろうに。
学校で教師からわざわざ習いたい、なんて単純に暇つぶしが欲しいだけな気がしてならない。
「だからだよ。嘘くさい。絶対僕をからかってるんだよ。ゲイだから、珍しくて遊んでるんだ」
「梢、曲がりなりにも教師なんだから、教え子をそんな風に言うのはどうかと思うけど?」
片眉をあげて言う伊勢谷の正論に僕が黙り込んでいると、伊勢谷は手際よく1杯のカクテルを作ってくれた。薄暗い店内でも鮮やかにきらめく黄色の1杯だ。
「なにこれ? 僕お酒飲めないんだけど」
「シンデレラっていうノンアルのカクテル。お酒の飲めない人でも魔法がかけられたようにお酒が飲めるようになるっていう意味でね、カクテル言葉は“夢見る少女”」
「……僕が夢見がちの子どもって言いたいの?」
「そうじゃなくって。たまには夢見がちになってもいいんじゃないって思って」
「どういうこと?」
「梢はもっと相手をいろんな角度から見て、夢見るようにいろいろ想像してみたらいいんじゃない? 折角、その子が梢を好きだって言ってくれてるんだし」
「生徒に手なんて出せないよ! クビになるじゃんか!」
思わずカウンター席でスツールから立ち上がりそうになった僕を、伊勢谷は手を広げて制し、座らせる。
「そりゃそうだよ。だから、ピアノを教えてあげればいいんじゃん。梢が教師を理由に彼と付き合ってあげられないなら、せめてデートしてるみたいな、夢見るシチュエーション作って答えてあげないと」
「なんでそうなるんだよ……弟のためにピアノを弾けるようになりたいなんて嘘かもしれないのに」
「じゃあ訊くけど、その浅間君だっけ? 彼が絶対に嘘をついてるって、なんで言えるんだよ? はっきりそういうとこを見たりした?」
「そういうワケじゃないけど……」