ひろゆき氏の遅刻に関する話を聞いて ~ひろゆきを論破してみる~
まあ、いつものゆるーい感じの考察です(笑)
ゆっくりしていってね( ・∀・)っ旦
さて、2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が「遅刻」に関する発言で物議を呼んでいるようで。妻であるゆか氏のツイートで上手く騒動に落ちがついた格好になりそうですが、私なりの見解を書いていきます。
なんとなく感じていることなんですが、ひろゆき氏(以降氏)が主張している内容は過去の氏の発言と合わせて考えると構造が多重化して齟齬が出ているんですよね。
恐らく氏は気づいておらず、自身の主張に一貫性があると思っているし、批判されている方も、その辺りをつけていない方が多いように思うので、噛み合っていないと感じています。
主張に齟齬が生じている時点で氏が悪いのですが、その辺りを解説しつつ、論破王に一方的に論破を試みてみます(笑)
そもそも、氏の主張に齟齬があると感じるのは何処か、何故そうなるのかを解説します。
氏は芸能人の有吉氏を引き合いに出して、時間厳守する人物は他者のご機嫌とりをして時間を犠牲にしている。
有吉氏ほどの大物芸能人でもその呪縛の中にいて、自分はその呪縛にはまりたくない。
成果をあげているなら、遅刻なんて些末なことを気にしなくていいし、気にしなくていいライフスタイルが自分にはあっている。
過去に、遅刻する人が優秀なら、遅刻した分、帰るのを遅くする。そのためにサービス残業をやめ、定時で帰るのを徹底すれば、労働時間は同じなのだから不公平にならないはずだ。
最後に最愛の細君より「私にそれ(遅刻)したらどうなるかわかってるわよね」とツイートされる。
こうして箇条書きすると解ると思いますが、氏の主張はプライベートとビジネス、個人の志向と社会的有益性をごっちゃにしています。
氏は個人として、時間に縛られたくないという性質を持っている。
ビジネスの場で定時に出社することに業務上の必然性がない場合は、成果を上げているならば時間を固定する意味が薄いと思っている。
この2つの主張は同様に見えて、その実は違います。
上の主張は単に氏の性質の話で、ビジネスの現場や個人の人間関係においての有益性の話ではありません。
下の主張は反対に、時間厳守しなければならない事柄(開店時間や運航時間が決まっている、約束した時間があるなど)を除いて、時間的な制約がなくても出来る業務であれば、フレックスなどを取り入れる方が効率や能率、個人のモチベーションがあがり、結果としてその方がいいといった、ビジネス上の有益性の話です。
このふたつは全く別の論点で話すべき内容で、相互に関係しないんですよ。にも関わらず、ごっちゃにしてしまっている。
有吉氏の例は「大物芸能人すら時間に囚われている」という分かりやすい例をあげて、自分はそういう生き方は息苦しくて出来ないと、氏の性質を語っているのに、そのまま、成果を上げれば遅刻してもいいに繋げたために、自分の我儘を成果さえ出せば聞いてくれる社会が望ましいという話に矮小化させてしまった。
別々に話せば、自由に生きたい人は時間に縛られない職種で、時間厳守じゃないライフスタイルを模索すればいいということと。フレックスを導入した方が効率があがり、さらにプライベートの時間が増えれば、その分をキャリアアップのための講座利用や趣味にと様々な活動や消費へと回り、企業や社会に有益であるし、定時で出社することを強制しても定時で帰宅することを認めない、時間に厳しいといいながら、遅刻ばかり煩くて、サビ残に甘い日本の体質への批判と、こんな感じに論点が分かれて、それぞれに議論出来るはずが、氏自身が混同してしまっているために、幾つかの大切な主張が「氏自身の性格の問題」に矮小化して聞こえてしまうんですよね。
そして、にもかかわらず最愛の細君のツイートからは「個人の人間関係においては時間を守っている」ことがわかり、反対に共演者からのよく遅刻するという証言で、一気に「自分が遅刻するから、遅刻は気にしなくていいと論を組んでしまっているように見えてしまう。」
これでは批判が来るのは仕方ないように思われますよね。
人間関係においてもビジネスにおいても信頼は大切ですから、決められた時間を守るということは相手を尊重していることにも繋がりますし、職種によっては時間厳守でなくては反対に有益性を損ねることもありますよね。日本の公共交通が定刻通りなのは時間を守る国民性のおかげですからね。
プライベートでも、やはり信頼関係を築く上で大切だと思います。
氏はこうした辺りはわかってはいると思いますが、テレビの仕事などで遅刻を繰り返しているという話に関しては「別にどうでもいい」んでしょうね。
氏は十分に収入があり、本人の発言として「テレビメディアに干されても別に構わないから、好き勝手話せる」と発言していたことがあります。反対にそのスタンスが面白がられて需要があるとも言えるので、テレビメディア側から求められているとも言えますからね。
日本において、遅刻に厳しくサビ残には甘いという指摘は非常に鋭いと思います。時間を守ると言うならば、定刻に帰ることを推奨すべきですし、勿論、残業にはそれに応じた代金を支払うべきで、労基の定める時間を超えて働かせてはいけませんね。
コロナ以降、リモートなどで、会社に定刻に出社して、規定時間拘束する必要のない業種というものがあると認識が拡がっていると思いますから、ライフスタイルの多様化に合わせて、こうした議論は尽くされるべきだと思います。
氏のこれらの発言の問題は、何度も言いますが、発言の是非以前、論点をわけて、主張を整理し、其々に個別に語るべきものを「時間を守る」「遅刻」「定刻を決める」と同じ線上にあるように見える事柄を混同してしまっていることです。
実際には違う事柄であり、共通する部分もある。何が共通していて、どう違うかを明確にせぬままに語ってしまうのは、本人の性質としての「時間を守る必要を感じないし、守る気があまりない」という部分に大きく起因すると思います。
結局のところ、主張の根幹が、「遅刻しても別にいいじゃん」という些か軽い動機から派生しているんですよね。なので「人として信用出来かねる」という批判は的を射てますが、発言の論点が多岐に渡っているために噛み合っていないと感じてしまうんですよね。
これは以前に拙著のエッセイでも書いた氏の論法に寄るところも大きいでしょう。
もしかすると、敢えて論点を混同しているのかも知れないということですね。同一の話題で複数の論点を混同させ、一貫性のある主張のように見えて、その実、ズレがある話をすることで、相手が突っ込んで来たときに別の方向にスライドさせて、相手が間違った批判を展開していると思わせるための手法かもしれません。
今回だと、感情論で批判する方にはビジネス上の有益性の問題だとかわし、反対にビジネス上でも信用が損なわれると言われれば、個人の性質の問題で、「おいらが時間に縛られたくないだけ」と逃げる。
氏は相手の揚げ足をとる、確定した主張に見せて、逃げ場を用意してはかわすといった方法論をよく取るので、その結果として、論点をまとめ、整理することをしなくなっているのかもしれません。
最近、発言をテレビメディアで取り上げられ注目を集めるために、多くの方から批判を受けるようになり、この手法が通用しない場面が多いと思います。
複数の方の目でいくつもの立場、様々な角度から批判されると逃げ場を封じられてしまうんですよね。
最愛の細君のツイートが、一番の皮肉なっていますが、反対にいい意味でフォローになっているのが面白いですね。仲が宜しいようで、まあ、あれです。
リア充爆発しとけってことですかね(笑)
ということで、論破とは言い難いですが終了で(笑)
感想くださーいな( ・∀・)っ旦
。⌒ ヽ(´ー` )アメチャン投げるでー
。⌒ ヽ(´ー` )拾ってやー
┌(`Д´)ノ)゜∀゜)誰が拾うか
暑いですね。
塩飴なめて熱中症にご注意をm(_ _)m
先日も行き付けのサウナで倒れた男性の救助に少しだけ、手を貸したんですが、ご無事だったようで良かったですが、水分補給、大事です。
では( ´・ω・)シ