56、ルーチェの決断
不法侵入で捕まり、敵国軍基地にいるにも関わらず、サンティエがいる場所は牢屋ではなかった。
安宿のようなややカビ臭い部屋の硬いベッドに座り、サンティエは窓からの景色を眺めていた。両手首にはめられた布地の魔法錠にスススと触れる。
ドアをノックする音が聞こえた。
「サンティエ・タンドレス、支度は良いか? 移動するぞ。私は運搬部隊のオルソビアンコ少尉だ」
オルソビアンコはもう1人部下の兵士と共に入室した。
首元に装飾が施された正装の軍服姿だった。
「荷物はこれ1つか?」
オルソビアンコはドア傍に置かれた麻袋を見る。中にはブルードラゴンの革鎧が入っている。サンティエは頷いた。
オルソビアンコはフワリと荷物の周りに風を集めて浮かせた。3人は部屋を出て基地入口に向かった。
基地入口には馬車が用意されていた。
馬車の前にはグリージョが立っていた。グリージョも正装だった。オルソビアンコが敬礼し、サンティエを連れてきたと報告する。
「乗れ」
グリージョに言われ、サンティエは馬車に乗る。御者が馬を動かし、馬車は森に入っていった。
2人は斜め向かいの位置に座った。カタカタと揺れを身体で受けながら、サンティエは黙っていた。基地で待機中、ルーチェは療養中ということ以外聞かされていなかった。
「ムロンについての情報提供は感謝する。おかげでこちらも色々取り調べが進んだ」
グリージョが言った。
「僕は質問に正直に答えただけですよ。
そちらも、正直に答えてほしいのですが」
「何をだ?」
「ルーチェはエテルネルに帰れるのですか? それとも既に帰ったのですか?」
サンティエがグリージョの方を見る。
「エテルネルへの返還の許可は降りてる。しかし彼女はヴィータに残っている」
グリージョの言葉はズシンとサンティエの頭に落ちた。取り乱すなと心で言い聞かせながら、窓へ顔を逸らす。
予感はしていた。向かいに座る彼は、非常に魅力的な男だ。ルーチェを幸せに出来るはずだし、そう思ったから彼女も決めたのだ。
「そうか……」
砂がこぼれ落ちるような声でサンティエは言った。メガネを上げながらこっそり指で目頭を拭った。
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騎馬隊と馬車は拓けた地に到着した。運命の裂け目には10名の兵士とローブを着た老人が立っていた。
対岸の方は、保護管理員やトレンチコートの姿がある。
サンティエはグリージョに降りるよう言われる。
2人は崖の方に向かう。
「これより、エテルネル人返還を実行する」
オルソビアンコが風でグリージョの声を対岸に届ける。
「承知した」と、風と共に返答が戻ってきた。
オルソビアンコは素早くサンティエから魔法錠を外し、代わりに革ベルトを彼の上体につけ始めた。ベルトにはロープが繋がっている。
「命綱です」
オルソビアンコは部下に長い長いロープの端を傍の木に結ばせた。
「向こうで国際警察が待機している。
ヴィータはお前を不問としたが、エテルネル側は知らん。まぁ、悪い扱いはしないだろう」
グリージョはニヤッと笑った。
サンティエにはどこまでも嫌味に見えて悔しかった。
「残りの準備は……カモミッラはまだなのか?」
グリージョとオルソビアンコが喋り始めたが、サンティエの耳には届かなかった。
対岸にジルと保護管理員リーダーがいることが分かった。彼らが懸命に手を振ってくれているのを見て、サンティエの気持ちは幾分和らいだ。
「ファロ大佐! 遅くなり申し訳ございません!」
少し離れた場所からカモミッラが大声で言った。
カモミッラは普段の白衣と違い、紅色の正装軍服を着ていた。小さな馬車から慌てて降りる。
「車輪が溝にハマりまして……」
カモミッラが深々と頭を下げている後ろで、御者の兵士が手を伸ばし、馬車に乗っていた人物を降ろす。
サンティエは目を見開いた。
馬車からルーチェが降りてきたのだ。見覚えある水色のブラウスとベージュ色のベストに深緑のスカートを履いている。血色の良い笑顔が眩しく輝いている。
「グリージョ、遅くなってごめんなさい」
サンティエはハッと気付いた。彼女は自分を見送りに来たのだ。無事であることを証明するために。
ルーチェは、グリージョとサンティエがいる方へ、駆け寄った。
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ルーチェは走り、そして、両手を広げ抱きついた。
「サンティエ! 一緒に帰ろう!」
「え?」
一瞬何が起きたか分からなかった。ルーチェは隣の筋肉色男ではなく、自分に抱きついていた。
「お前の要望通り、そしてルーチェの希望通り、2人を一緒にエテルネルへ返還する」
グリージョは言った。
「ルーチェ……」
サンティエは顔を真っ赤にして、自分にしがみついているルーチェを抱き締めた。毛先の感触や肩の柔らかさが懐かしい。確かに今ここにルーチェがいる。
「……愛してる」
サンティエはルーチェの耳元でそっと呟いた。
ルーチェはピクンと身体を震わせた。返す言葉に迷い、ただ強く抱き締めた。
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「ああ、ルーチェ! 嬉しいけど、寂しいわ!」
命綱を装着中のルーチェに、カモミッラが抱きつき頬を擦り寄せた。ルーチェも彼女の背中に手を回す。
「カモミッラ、ありがとう」
「でも聞いて、ルーチェ。
私ね、森の合同管理をするヴィータ側責任者に選ばれたの。これからも貴女と森の仕事が出来るのよ!」
カモミッラの嬉しそうな顔を見て、ルーチェも笑った。
「どうか元気で。聖地を守ってくれた貴女のことは忘れません。私も森のことを勉強し、管理に努めます」
オルソビアンコは手を差し出し、2人は握手を交わした。
「ルーチェは美男子がお好みじゃったのかぁ。残念じゃったの、グリージョ」
ザッフェラーノがニヤニヤしながらグリージョを見た。グリージョは誤魔化すように咳払いする。
「国境も聖地も、人間が勝手に決めたことじゃ。じゃがな、魔法の森もたまに人間を決めるのじゃ。ルーチェ、お前は森に選ばれた。この賢者ザッフェラーノが断言する。誇りを持って森の管理に励んでおくれ」
ルーチェは頬を染めながらお辞儀し、賢者と握手した。皺と筋だらけの手は細く小さいが、とても暖かった。
「グリージョ……」
賢者との握手を終え、ルーチェはグリージョを見つめる。
グリージョも優しく真っ直ぐな目でルーチェを見る。
「これからもヴィータと魔法の森をよろしく頼む」
グリージョが手を差し伸べる。
ルーチェは少しドキドキしながらその手を握る。太くて厚みがある力強い指と手の平。それでいて繊細に動く指先。
「本当にありがとう……。
あなたがいなかったら私は、私は……」
ルーチェの目からポロポロ大粒の涙が零れ落ちる。
「お前の努力と築いた実績の結果だ」
と、グリージョは微笑みながら言った。
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「敬礼!」
オルソビアンコの風が2人を包む。ヴィータ軍兵士達は敬礼をしたままフワフワ浮くエテルネル人を見守る。
ストンと、ルーチェとサンティエの足が対岸の地に着いた。予め言われた通り2人が命綱の革ベルトを身体から外すと、スルスルとロープと一緒にヴィータ側へ戻っていった。
「国際警察だ。一旦君達を我々が保護する。同行願おうか」
トレンチコート男2人がルーチェ達に言った。2人は素直に応じる。
ジルが、保護管理員用魔法車に乗り込む。
警察と一緒に車に向かう途中、ルーチェは一度だけ振り返った。対岸の彼らは敬礼を続けていた。
次回、最終話です。
☆追加情報☆2025/11/08
魔法の森保護管理員リーダーの名前はギドンです。
俺はもう若くない第一章にも登場しています。




