51、必死の抵抗
ルーチェの頭上に濃い雨雲が現れた。そういえば少し前に遠くで雷音もしたような。ルーチェは一雨降ることを予感した。歩いて目的地に行くのはやはり時間がかかる。人の激しい声が漏れてくる。行く先でサンティエとグリージョ達が戦っているのだろうか。いくらサンティエが優秀な魔法使いでも、軍隊に敵うことはないだろう。グリージョなら簡単に殺すようなことをしないだろうが、それでも心配は尽きなかった。
「あ!」
こちらに向かって来る音が聞こえてきた。ルーチェは慌てて木々の隙間に入り、身を潜める。捕虜の自分がここにいるのを知られたら、基地へとんぼ返りになるに違いない。馬と兵士の行列が過ぎ去るのを背を向けて待った。
その為、ルーチェは気付かなかった。行列の中に、移動魔法で運ばれるジル達がいることに。
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数年前の小規模地すべりが発生した後、国や軍から予防対策の予算は下りなかった。しかし、果ての山含めた魔法の森支部の国境防衛軍は、次に備え、独自に計画や訓練をしてきた。それでも今回は予測外の事態が重なり過ぎている。グリージョ自らが発生地へ向かうのはやむを得ないことだった。
ファットリッチは雨でぬかるんだ道も難なく踏み込み、走り抜ける。バシャバシャと泥水がはね、彼らのフサフサの羽にかかる。
上方からズズズと振動と濁音が響いてきた。
「どうするつもりなんだ?!」サンティエが言った。
「滑り落ちる土砂の方向に先回りし、私の魔法で堤防を創り食い止める。
賢者によると、今時点で幅は数十メートル。回り込んだ地点次第だが、1キロも創れば何とかなるはずだ」
「一人で出来るものじゃないだろ?!」
サンティエが言う。自分には手伝えない作業なのが悔しかった。
「堤防を補強出来る兵士をこちらに来れるように部下が調整している。応援が来るまでならきっと踏ん張れるさ」
グリージョは口元に笑みを浮かべた。その口元は引きつっていた。
峰を抉りながら、泥水状態の土が滑り落ちてくるのが見えた。細細とした木々を容赦無く巻き込み、まるで雪崩のようだった。
グリージョはファットリッチに乗ったまま片腕を振り上げる。泥水が襲う前の地面がズズズと長く続く壁のように立ちはだかる。壁の所々に、2メートル程のバンボラテッラを創り、壁を支える。
グリージョは土壁の中央辺りに来て、ファットリッチから降りる。背中が軽くなったファットリッチはサンティエの方に向かう。サンティエは待ち構えるグリージョを横から見守った。
ほとんど濁流に近い大量の土砂が、勢い良く下ってきた。
バシャーン!!!
高さ5メートルの壁に堰き止められた土砂はどんどんグリージョのいる反対側で積み上がっていく。
「ク……ウウ……」
グリージョは両手を前に出し、バンボラテッラと共に土砂の勢いに耐えた。
離れた場所で様子を見ていたサンティエは、土壁の隙間から泥水が漏れ出したり、上部が崩れたりしていることに気付く。ファットリッチが踏む地面を見下ろし、壁の役割を果たすには土が水分を含みすぎていると思った。自分の力ではどうすることも出来ないことが歯痒かった。ファットリッチを安全に待機させ、いざとなればすぐにグリージョを救えるように構えた。
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司令地点の木の下では、ファットリッチ2頭と待機兵士数名とザッフェラーノがいた。この場にいない兵士達は現在大急ぎで地すべりを食い止める為の人員を集めようとしている。しかし近隣基地からの応援部隊の到着も遅れていることもあり、重い空気が賢者達を囲っていた。
「ザッフェラーノさん!」
背後から予想外の声が聞こえてきた。振り返ると、ルーチェは息を切らして駆け寄ってきた。囚人用ブラウスとスカートはボロボロで、両手首には魔法錠ではなく薬草の葉を巻き付けていた。
「ルーチェ?! 何故ここにおるんじゃ?」
ルーチェは賢者の肩を借りて手を乗せ、息を整える。ザッフェラーノが空いている側の腕を振り、兵士にルーチェへ飲み物を渡すように促す。
「グリージョは? サンティエはどこ?……あ、ありがとう」
その問いにザッフェラーノはギュッと唇を閉ざす。
ルーチェは受け取った瓶ジュースを一気飲みした。
「それよりも、マズイことが起きとる。
地すべりが起きた。グリージョがサンティエと一緒に止めに行っとる」
思いもよらない回答に、飲んだばかりのジュースが逆流しかけた。
「ウッ、え、どういうこと?」
「ルーチェも力を貸してくれ。あのダチョウに乗れるか?」
賢者の杖がファットリッチを指す。
「ええ、乗ったことあるわ。馬より簡単よ」
「じゃあ急いで現場に向かってくれ。山頂の方向へダチョウの足跡を辿れば行けるはずじゃ」
ルーチェは訳が分からないままファットリッチに乗る。
手伝ってくれた兵士は、空洞杉移植参加者だった。「気を付けて」と声をかけてくれた。
「頼んだぞー」
ザッフェラーノが杖と腕を振って見送ろうとする。
ルーチェは未だ状況を把握してないが、この場から離れた方が良いと思い、ファットリッチを走らせた。
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この土ではこれ以上耐えられない。元々の土質と通り雨の影響でいつ崩れてもおかしくない。
グリージョの頭の片隅では、意外と冷静にその結論を出していた。魔法を発動させながらグリージョはあらゆる想定をした。応援がいつ来るのか。来るとすれば、何系魔法か。その魔法使いに何をさせるか。最後の手段は地面を深く割り、谷を強制的に作り泥水を流し込むことだが。この地でそんなことをすれば、近いうちに大規模な土砂災害を起こす原因となり、本末転倒だ。
グリージョの頭の中には、解決する可能性が高い方法も浮かんでいる。だが、それを実現させるのは現状不可能だ。何度も浮かぶその策を頭から飛ばし、実行できる手段で最善の策を考え続けた。
ドシャ……
壁を支えていたバンボラテッラ達が次々と崩れる。壁の隙間から泥水が噴き出し始めた。グリージョは自身の安全確保の為、逃れる動きのシュミレーションを頭で描いた。
また一体、バンボラテッラが崩れた。自身と森の魔力を使って土砂に対抗してきたが、いよいよ限界に達したと悟った。




