45、ルーチェとデゼルト
「いかがされましたか……?」
バチンッ!
「「グワッ?!」」
人が倒れる音がした。ルーチェはベッドから離れ、牢屋の中央に立つ。見張り兵を倒したということは、誰かが助けに来たのか?
カツーン、カツーンと、硬い石床を鳴らしながら何者かが近付いてくる。
「お似合いの場所だな」
冷たい笑みを浮かべながら牢の前に現れたのは、デゼルト少佐だった。先程と同じ兵士2名を両脇に連れている。
「開けろ」
解錠し、3人は中に入る。ルーチェは後ずさりした。
「ようやくファロから引き剥がし、お前の首を王へ差し出せるぞ。違法越境、聖地冒涜、スパイ、犯罪誘致。
加えて、ハニートラップかな?」
四角いレンズの眼鏡越しに、淀んだ紫色の瞳がクリクリ動き、ルーチェを見る。強すぎる香水の匂いのせいで、ルーチェの鼻は痛かった。
デゼルトは突然手を伸ばし、ルーチェのブラウスのボタンを掴んだ。
「キャア!?」
コトーンとボタンが落ち、胸元が広がった。ルーチェは手でサッと隠す。
「よく見れば、悪くない女だ。どうせ首だけになるのだから、いくら食っても支障無い。我が隊の女飢えに多少は貢献しそうだ」
3人の男達の顔を見て、ルーチェはナイフを向けられたような恐怖を感じた。
「一体、何回ファロの慰み物になったんだ?!
このエテルネル女が!」
ルーチェは怒りでカッとなる。デゼルトが再び手を伸ばしてきた。ルーチェはそれを払い、拳で顔を殴った。
「フグッ!」
デゼルトは不意をつかれフラつく。部下が慌てて支える。
「グリージョはそんなことしない! お前なんかと違う!」
ルーチェはデゼルトを睨み付ける。
頬を擦りながらデゼルトは、目付きを変え、手を振った。
「アァッ!」
ビリビリと全身が痺れ、ルーチェは立っていられなくなった。膝をつき、両手の平を床につけた。
「身の程を知らない馬鹿女め。後でたっぷり解らせてやる」
デゼルトはサッと薄ピンク色のシルクハンカチを出し、部下に渡した。
「目に見える傷をつけたら、ウブな部下達が萎えるからな。これで結んでから鎖で繋げ」
部下はルーチェの手首をハンカチで結び、ハンカチと鎖を繋いだ。
「サッサと歩け!」
ルーチェは手首を引っ張られ、身体を起こす。手足のしびれに耐えながら、牢屋を出る。気絶している見張り兵2人の間を通り、4人は出口から階段を上った。
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地下牢を離れ、4人は館内のどこかに向かう。黙ってついて行けば、自分の命も身体も危ない。このハンカチが解けないかと、ルーチェは手首を動かす。
「ナインべヴェーグング!」
ズシンッと身体が重くなる。引っ張られたままだったので、ルーチェは前方に倒れる。
「ジッとしてろ。みっともない傷をこれ以上増やすな」
デゼルトは言い放ち、3人は再び歩き出す。
ルーチェは倒れたまま渡り廊下の上を引きずられる。
先程の身体の痺れはすぐに取れた。あれはデゼルトの魔法だろう。彼は拘束系の魔法使いなのだろうか。3人から逃げるには、自分の魔法で攻撃する必要がある。しかし魔法錠が手首にある限り、それが出来ない。この錠を外せないか、ルーチェは懸命に考えた。
「まずは私の寝室に連れて行く……」
血の気が引く。コイツの寝室なんかに行ってたまるか。
その時、ルーチェはグリージョが言っていたことを頭に思い起こした。拘束魔法が発動する条件。呪文を唱えた時、魔法錠を外そうと引っ張った時、この錠自体は布製でよく伸びるのだ。そして、攻撃や抵抗目的で魔法を使う時……。
(あれ?)
ルーチェはあることに気付いた。いやでも、本当にそうだとしたら、この魔法錠を付けた意味が無いのでは……?
「階段を上るぞ! とっとと立て!」
デゼルトの部下が乱暴に鎖を引っ張る。ルーチェは黙って立ち上がりる。
(やるなら、今しかない……)
「全く田舎のボロ基地め。機械式昇降機もないとはな」
デゼルトはブチブチ言いながら階段を上る。一歩後ろを進む部下2人は愛想笑いしながら相槌している。
「町で娼婦が着そうな服を買ってこい。野暮なものしか揃わんだろうが、ここの隊員には充分だろ」
階段を上り終え、廊下へ進む。
「承知いたしました……アッチィ!!?」
長さ調整の為に、革の持ち手と鎖を一緒持っていた部下が叫ぶ。反射的に鎖を手放す。ガシャンと落ちた鎖から湯気が出ており、ジュッと音がした。部下は慌てて持ち手も手放した。
「何?!」
3人がルーチェを見る。彼女の手首が燃えており、足元には焦げたハンカチが落ちている。
「魔法錠を燃やしたのか!」デゼルトは言った。
ルーチェは痛みに耐えながら、指を動かす。良かった動く。腕を振って火を消すと、ボロボロと煤が落ちた。
「取り押さえろ!」デゼルトが叫ぶ。
ルーチェが腕を斜め下から上に振ると、目の前に炎の壁がボワッと立ち上がり、デゼルト達と隔てる。
「クッ……、対抗魔法を!」
デゼルト達が立ち往生している隙に、ルーチェは走って逃げた。
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建物内が騒がしくなってきた。ルーチェは人目を避けながら外に出た。
赤くただれた手首が痛くて仕方ない。ルーチェは自分の火で火傷しないようにコントロール出来る。しかし、あれだけ長時間密着していた錠を燃やす際、皮膚に触れずに燃やすことは不可能だったのだ。
両手首を水で冷やして消毒したいが、今はそれどころじゃない。ルーチェはなるべく基地から離れたところで身を隠そうと思った。
「るーちぇーー」
バンテ3体が建物の方までやって来た。
「バンテちゃん?! 何で?」
バンテ達はルーチェ森の傍に植えていた薬草の葉を持ってきていた。彼らは長くて幅広の葉を、包帯のようにルーチェの手首左右にそれぞれ巻き付けた。葉に含まれた水分がヒヤッとし、火傷の痛みがかなり落ち着く。
「ありがとう、バンテちゃん……グリージョ」
ルーチェは自分を見つめるバンテに向かって言った。
『お前は森で身を隠せ。バンテは土に戻るが、お前なら一人でしばらく生き延びられるだろう。
私の方はこれから忙しくなるが、必ず迎えに行く』
バンテからグリージョの声が聞こえる。ルーチェの胸は熱くなった。
「分かったわ。ところでグリージョ。この魔法錠を私に使う意味ってあったの?」
『いつかデゼルトがお前を攫うだろうとは予測していた。その時の為に逃げられる手段を残していた。わざわざあの時もう一度説明したが、無事に気付けたようで良かったよ』
ルーチェはフフフと笑う。
バンテは静かになった。ルーチェは視線の先にある魔法の森の入口を見る。胸の鼓動は激しくなっている。逃げて隠れなければならないからか。いや、それだけではない気がする。
「サンティエ……」
森がザワザワと揺れる。鳥達が声を掛け合いながら森を離れるように飛んでいる。ルーチェは何かを察したようだ。
「グリージョ?!」
ルーチェが森に向かって走り出すと、3体のバンテが肩車で縦に並んだ。それが倒れると同時に馬の形に変わり着地した。
「るーちぇー、乗るー」
「ありがとう。私をグリージョのところへ連れて行って!」
ルーチェは土の馬に乗り、森へ入った。




