42、祈りの時間
バンテ達を残して、グリージョとルーチェは部屋に戻る。
「またねー」とバンテ達が手を振って見送ってくれた。
「バンテはあのままで良いの?」
「大丈夫だ。遠隔で指示出来るし、バンテ達が見聞きするものは、私にも伝わるようになっている」
「そうなの?!」
ルーチェは休暇明けにザッフェラーノと会話したことを思い出した。バンテを通じて聞かれていたのだろうか? でも今に至るまで触れてこなかったのなら、聞こえていなかったのかもしれないと、ルーチェは考えることにした。
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グリージョの部屋に戻り、ルーチェは棚のポットを温め始め、傍に置かれている紅茶缶を手に取った。
「ありがとう。先に着替えてくる」
グリージョはそう言って寝室に入って行った。
ルーチェがお茶とお菓子を机に並べていると、ドアがカチャリと鳴り、グリージョが出てきた。
普段と異なり、銀糸が縁取られた軍服を着ている。式典用だとすぐに分かった。
「素敵ですね」と思わず言った後に、ルーチェは照れて顔が赤くなった。
「そうか? 装飾が苦手で、あまり着たくないんだけどな」
グリージョはそう言いながら椅子に座った。
「正午になったら、ルーチェは寝室で待機してくれ。今回私はこの部屋で王への祈りを捧げる」
「分かりました」
ルーチェは返答した後、紅茶をすすった。
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寝室に戻ったルーチェはベッドに腰掛け、時計を見る。
正午を示した針はカチカチカチと動き続けている。
静かだ。
秒針が妙に大きく聞こえる。ガラス窓の向こうからもほとんど音がしない。
ルーチェはドアを見つめる。この先でグリージョは今ヴィータ国王へ祈りを捧げている。彼だけではない。基地にいる自分以外の全ての人間が祈っている。一体どんな気持ちで彼らは祈りを捧げているのだろうか。
何日も過ごしてきたこの部屋も触れているシーツも、自分の物ではないと、改めて気付かされる。エテルネル人の自分は今、この空気から弾き出された状態のように感じた。
しかし、この聖なる時間の傍にいることはとても貴重な体験だと、ルーチェは思った。
コンコンコンコン
「はい?」
グリージョがドアを開けた。
「祈りが終わった。ザッフェラーノのところで昼食にしよう」
ルーチェはニコッと微笑み、部屋を出た。
人気のない廊下を歩きながらグリージョは話しかけた。
「特に質問したりはしないんだな。祈りの時も静かに待っていてくれた。正直、敵国捕虜がドア1枚隔てたところにいる状態で祈ることに不安があったが、問題なく祈りに集中することが出来た。感謝する」
突然礼を言われ、ルーチェは戸惑った。どんな顔をして良いか分からず、そっぽ向いたまま口を開く。
「余程のことが無い限り、異国の文化や風習や信仰には、敬意を払うべきです。両親が言っていました」
「へぇ。君のご両親は外交関係の仕事をされているのか?」
「いいえ。ただの役場職員です。でも趣味で文化研究をしていて。外国に関する本や資料がよく家に積まれていました」
グリージョは興味深そうに聞いていた。
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外は曇り空だが、白砂蚕の布で覆われた魔法の森代替庭園は、僅かな光も白く反射させるので中は明るい。賢者ザッフェラーノは、今年一番の仕事を終え、フーっと息を吐いた。今まではすぐに退散しないと、何の虫にやられるか分からない危ない空間だった。今は清潔な空気が漂い、白い空間に映える緑の魔法植物が美しく配置された庭園である。ザッフェラーノはしばらくそれらを眺めてから、庭園を出た。
「グリージョ達はもうすぐ来るかのう……? うぐ?!」
ザッフェラーノは庭園出入口の前でうずくまる。
身体を襲う違和感。起きてほしくなかったことが起きたと悟る。しゃがんだまま杖を天に掲げた。
バシュン!!
「あれは!」
グリージョとルーチェは、庭園の方角の空に、赤い光が点滅して消えたのを見た。
「走るぞ!」
2人が走っている最中に「カンカンカンカン」と鐘を叩く音が響く。ルーチェは緊急事態だと理解した。
「ザッフェラーノ!」
園庭の前に到着したグリージョは、ザッフェラーノの身体を起こす。賢者の顔は青く、汗をひどくかいていた。
遠くから森へ向かう蹄の音が、ルーチェの耳に届いた。
「控え室に行くぞ」グリージョは小柄な老人を背負い走る。ルーチェは先に入り、ザッフェラーノが座る椅子を整え、ジュースを温めた。
「隊は向かったのかのう?」
「私の先発隊が出発した。応援手配も始まってるはずだ。ザッフェラーノ、まずは身体を楽にしろ」
グリージョは老人を宥めるように言った。
「ルーチェ、ザッフェラーノを頼む。通話機を借りるぞ」
グリージョは作業机に置かれた通話機を手に取る。短くハッキリとした声で指示を出していく。
「ファロ大佐!」
ファロ隊の兵士が控え室に入ってきた。
「聖地侵入者と思われる者から書面が届きました。鷹が運んできました」
グリージョは書面を受け取り、広げて読んだ。表情が一気に険しくなる。そして振り返りルーチェを見た。
「グリージョ……?」
ルーチェが恐る恐る声をかける。
「『エテルネル人による最聖地侵入を避けたくば、ルーチェ・アルカンシェルを引き渡せ』と書かれている」
ブワッと身体中が逆立つ心地がした。
「誰が、そんなこと……? 軍が?」
「民間の非公式団体によるものらしい。律儀に署名してある。お前も私も知る名がある。
『サンティエ・タンドレス』」
ルーチェは目を見開き、手で口を塞いだ。
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メガネをかけ直して、サンティエは空を見上げた。
雲の色が濃くなっている。一雨降りそうだ。森の中は霧でぼんやりとした視界になっている。
サンティエやジル達がいるのは、ヴィータ人達が最聖地と定めている場所だ。結界が張られており、今はジル達が結界のほんの少し手前にロープを置いて目印を作っている。ヴィータ兵士が来た時、自分達が足を踏み込むか否かの交渉するには、現在は入っていないと主張する必要があるからだ。
「帰ってきたわ」
保護管理員の女性の肘に鷹が止まった。鷹使いでもある彼女の鷹に、ヴィータ軍へ手紙を送ったのだ。
「俺達は間違ったことをしてないッス。堂々と名前を書いてやるッス」というジルの言葉で、今いるメンバー全員の署名が入った書面を用意した。
しかし、その書面はサンティエの服の胸ポケットにしまっている。鷹の鉤爪に持たせる際、コッソリ違うものとすり替えたのだ。それがどういう結果を招くか、サンティエも想像つかなかったが、今は一旦置いておくことにした。
鷹使いの彼女によると、基地では既に軍が反応し、第一隊がこちらに向かっているとのことだ。
サンティエは息を呑み、ヴィータ兵士がやって来るのを待った。




