38、決意の時
「警察です。少しお時間頂けますでしょうか?」
サンティエの父タンドレス氏は帰宅中に、男二人に声をかけられた。二人共着古したトレンチコートを着ている。彼らが見せているバッジは確かにエテルネル警察のものだ。
「何か御用でしょうか?」
帽子から見える髪は丁寧に整えている。たっぷりの口髭も手入れしているのが分かる。彼のコート一着でこの二人のコートが何着買えるだろうか。
「国際犯罪と違法越境の噂がこの町にありましてね。失礼ですが、お手元の新聞はどこで……?」
タンドレス氏はバスで読んでいた新聞を手に持ったままだった。エテルネル語ではないことが、一目で分かる。
「私は貿易会社勤務だ。取引先の国の新聞を読むのは当たり前だ。『フェリシテ』という社名くらい聞いたことがあるだろう。私はそこの取締役だ」
タンドレス氏は名刺を渡す。受け取った警察二人は少し慌てた態度を取る。
「失礼いたしました。では何か気になることがございましたら、こちらにご連絡ください。特別捜査室に繋がります」
1人が名刺を渡す。タンドレス氏が受け取ると、警察は会釈して去って行った。
充分離れたことを確認し、タンドレス氏は警戒しつつ急いで家に向かった。
■■■■■
タンドレス氏は家に着き、玄関ドアを施錠した後、息を大きく吐いた。
「サンティエはいるか?!」
ドタドタとタンドレス氏はリビングに入る。
「お帰りなさい、あなた。
サンティエは今日は休みで、今は部屋にいるわよ」
リビングで寛いでいたタンドレス夫人が言った。
タンドレス氏は帽子もコートもそのままで、サンティエの部屋のドアを叩き、返事を待つ前に開けた。
「パパ? いきなりどうしたんだ?」
サンティエは壁沿いの机の前に座っていた。学生時代からずっと勉強に使っていた場所だ。
タンドレス氏は帽子を取る。禿げた頭頂部が光っている。様子を見に来た夫人に帽子を渡す。
「警察が違法越境の噂を聞きつけ、町に来ている。
サンティエ、お前は何を企んでいるんだ?」
サンティエは立ち上がる。
「企む? 僕は何もしてないよ」
「嘘つけ。前にやって来た保護管理員の連中とコソコソと集まっているだろ! このノートは何だ?」
タンドレス氏は机上のノートを掴み、パラパラめくる。ダチョウのような鳥についてまとめられており、他にも関連する本があった。
「ファットリッチという食材について調べていた。カフェのメニューに加えようと思ってね」
サンティエは答えた。
「調教について調べている理由は?」
タンドレス氏はノートを乱暴に置く。
「仕入れでは、飼育環境、管理方法、流通経路をきちんと確認することが大切だ。パパも昔から言ってるだろ? その為に色々調べていた」
サンティエは冷静だった。しかし、タンドレス氏の目は変わらない。
「お前は何かをしでかす時程、静かでおとなしい。
私は許していないぞ。お前は、大事な得意先からのスカウトを全て蹴って、ドラゴン狩りやらに行き、私の顔にたっぷり泥を塗ってくれた。
今回もそうだ。ルーチェ救出やらぬかして、魔法の森を越えてヴィータに行くつもりだろ?!」
「……だったら、どうするんだい?」
サンティエは言った。彼の眼差しに怒りが混じる。
「お前達のことを警察に話す。親子だろうが関係ない。
それから絶対にアルエットを巻き込むな。やっと学校に通えるようになったんだぞ」
タンドレス氏は人差し指をサンティエに向けて言った。
「少しでも怪しい動きを見せたら通報するぞ! 良いな!」
そう言ってタンドレス氏は部屋を出た。
帽子を持った夫人が心配そうにサンティエを見る。
「うるさくしてごめんね、ママ。大丈夫だよ」
サンティエは荒らされた机を片付けながら言った。
■■■■■
翌日。カフェ・タンドレスはランチタイムの後一旦閉店し、ディナータイム前の準備をしていた。普段はジルの仲間がスタッフとして店を手伝っていたが、今日は非番のジル本人がカフェの手伝いをしていた。
カランコロンとベルを鳴らし、アルエットが現れた。魔法学校のローブ姿のままで指定鞄を抱きかかえている。
「まぁ、学校から直接来たの? ママに言ってきた?」
タンドレス夫人が近付き声をかける。
「サンティエ……いる?」
アルエットの表情は青ざめている。夫人は何かあったのだと悟る。
「どうしたんだい?」「アルエット久しぶり」
サンティエとジルがカウンター奥から現れた。
「これ、見て……」アルエットは鞄を開けて中から紙を取り出した。その手は震えている。
「学校に。誰かが貼っていたの……」
アルエットは今にも泣き出しそうなのを堪えていた。
サンティエはその紙を広げて見た。ジルも覗き見る。
「これは……?!」
現像魔法絵と文字が白黒印刷された、粗雑なビラだった。
『軽薄エテルネル女の哀れな末路』というタイトルと、下品な文章。2種類の絵はどちらもルーチェだった。
1枚は上着を脱がされた状態の、もう1枚は軍服を着た大男に押し倒されている絵だった。2枚とも背景に兵士と思われる足元が写っている。
「ルーチェ……」
サンティエは脱力し、その場にしゃがみ込む。
落ちた紙を見てタンドレス夫人が叫ぶ。
「酷い……! アルカンシェルさん達に見せられないわ!」
夫人は顔を手で隠して泣き出した。
「話が違うッスよ。ヴィータの連中を信じた俺達が馬鹿だった。あいつらは結局こういうことしかしないんだ……!」
ジルは怒りを抑えられず、近くのテーブルを叩いた。
「サンティエさん! 今すぐ先輩を助けに行きましょう!
式典や裏取りなんか、待ってられないッス!」
座り込んでいるサンティエの背中に向けて、ジルは大声で言った。彼の目からも涙が溢れていた。
「サンティエ……」アルエットが声をかける。
「知らせてくれてありがとう。辛かっただろう」
そう言いながらサンティエはアルエットを抱き締めた。彼の肩はアルエットの涙で濡れていく。
カランコロン
アルカンシェル氏が入ってきた。
「おや、私が来る時はいつも取り込み中だね」
タンドレス夫人は慌ててビラを隠す。
「急いで伝えたくてね。例の日だが、間違いないだろう」
アルカンシェル氏はやつれていたが、目は強く燃えるようだった。サンティエは顔を上げて氏を見る。
「本当ですか……?!」
「式典スケジュールの法則性と今回の日程が一致した。
2日後、魔法の森ヴィータ王国国境防衛軍は手薄になる」
サンティエはアルエットを抱き締めたまま静かに言った。
「アルエット、ジル、ママ。力を、貸してくれないか……?」
カウンターに置いていたデキャンタの水が突然ガタガタ震えながら増えていく。溢れ出した水が床へ伝っていった。




