36、建国記念日
客室の2人掛けソファに、グリージョとルーチェは並んで座っている。膝が当たっているが、相手も離そうとする気配がない。ブラウス越しに掴んだ彼女の両肩は、意外に小さく柔らかかった。
「ルーチェ……」
ほんのり紅く染まった頬にはまだ涙の跡が残っている。焦げ茶色の瞳と白目部分のコントラストが美しかった大きな目は閉ざされ、量のある睫毛が下を向いている。艷やかに色付いた唇が自分の目前にある。
グリージョはゆっくりと腕を動かし、ルーチェを自分へ寄せようとした。抵抗を感じたらすぐ中止出来るように慎重に。彼女は自分の手に力が入っていることに気付いているはずだ。受け入れてくれているように、グリージョは感じた。
右手を離し、指先をルーチェの顎に添えようとする。
リンリンリン
「?!」
グリージョは条件反射の如く腕を伸ばし、彼女を離してから立ち上がる。
「大佐、トルメンタです。開けてください」
ドアの向こうから声がした。
「ああ、分かった。すぐ行く」
グリージョは振り返ることが出来ずにドアへ向かう。
「大佐、すみません。
運転手が明日の出発時刻について相談があると……」
トルメンタが要件を伝えていると、2人の横をスッとルーチェが通った。
「部屋に戻ります。お休みなさい」
ルーチェもこちらを見ずに歩いて行った。
トルメンタは不思議そうに、グリージョは申し訳なさそうに彼女を見ていた。
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町で1番人気の店、カフェ・タンドレスはすっかり元通りだ。住民達や遠方から訪れるファンは皆そう思っていた。
魔法の森でエテルネル民間人が捕虜として敵国ヴィータに捕まった事件。捕まったエテルネル人は、カフェ店主サンティエ・タンドレスの友人らしい。カフェは長期の臨時休業になった。サンティエ・タンドレスが友人救出の為に首都や軍に行っていたからだそうだ。
やがてカフェは再開した。
店主は少し痩せたようだが、彼の母と一緒に美味しいお茶や料理を提供してくれる。顔馴染みだったスタッフは、再開未定の休業を機に転職したらしい。今は遠方の街から来たという新しいスタッフの3人でお店を切り盛りしていた。
エテルネル民間人捕虜について、賛否が分かれていた。報道では氏名や現像魔法絵は公開されなかったが、住民の大半が誰か薄々気付いていた。子どもを助ける為だったとは言え、魔法の森のしかも敵国敷地の木を燃やしたと聞いた時は、誰もが絶句した。「自業自得だ。むしろ1人の浅はかな行動のせいで、ヴィータが強気に出て攻撃してくるかもしれない。だったら、捕虜1人が責任取って処罰されれば良い」そんな考えを持つ者が少なからず現れた。そして理不尽にも、アルカンシェル家に怒りをぶつけてくる連中もいた。
カフェ・タンドレス営業再開は、住民達の不安な気持ちを後回しにさせる効果があった。もう忘れよう。そんな雰囲気に町全体はなりつつあった。
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カランコロン
「いらっしゃいませ」
夕方閉店時間近くに入店した男女2人。他所から来たと、何となく雰囲気で分かる。
サンティエは彼らを空いたばかりのテーブル席へ案内しメニューを渡す。数分後「ご注文は?」と声をかけに行くとと、男性が顔を上げた。
「ブルーシルバーローズティー2つ。
どちらもオレンジハニーシロップをたっぷり頼む」
サンティエは一瞬口元をピクンと動かしたが、すぐに普段通り振る舞う。
「かしこまりました」
カウンターに戻り、オーダーを通して、ブルーシルバーローズティーの準備をする。オーダーを見て察したタンドレス夫人が彼に近付く。
「ママ、ラストオーダーを取ったら僕は店を出るよ」
タンドレス夫人は黙ったまま頷いた。
『ブルーシルバーローズティー、オレンジハニーシロップたっぷり』はルーチェ救出チーム内の暗号で、「重要な報告がある」という意味だった。
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サンティエは店を出ると、人目を避けながら隣町の安ホテルに入った。
先程客のフリをしていた男女と、ジルの他数名が狭い客室に集まっていた。サンティエ以外は全員魔法の森保護管理員だ。ルーチェ救出の為に集まってきてくれていた。所属の魔法の森で仕事をする傍ら、不定期で集まり、計画を練り、準備をしていた。
「要件は何だ? ムロン」サンティエは尋ねる。
「建国記念日が分かった」とムロンは答えた。
カフェ・タンドレスに来た男である。
「ヴィータの建国記念日は先日から継続してるんだろ?
連中のお祭り騒ぎ位、俺らだって知ってるよ」
とジルが横から言った。
齢上だがムロンはジルの後輩で、1年目配属先がルーチェとジルが所属する魔法の森だった。前職はエテルネル軍幹部なので、今回の計画に有益な情報を提供してくれている。
「そういう意味じゃない。魔法の森国境防衛軍の建国記念式典の参加日が分かったんだ」
ムロンは言った。サンティエはすぐに気付く。
「防衛が弱まるというのか?」
「ああ。最小限の人数を残して、基地から大半の兵士が首都に向かう。もちろん有事があれば、別基地から応援を呼ぶだろうが、攻め込むには絶好の機会だ」
サンティエは黙る。ヴィータの長期に渡る建国記念日式典のことは知っていた。最大のチャンスだと理解するが、決断を阻む考えが浮かぶ。
「サンティエさん、俺らは軍人じゃないス。
敵国への敬意なんか不要ッス」
そう言ったのはジルだった。サンティエは自分の頭を見透かされたような気がして気まずかった。
「ジルの言う通りだ。ずっと決行日をいつにするかがネックだった。この機は逃す訳にはいかない」
「ルーチェが待機してるのも、建国記念日だからじゃないかしら? それが終わったら処罰されるのかも」
他の保護管理員達も意見を述べる。
皆、サンティエの言葉を待っていた。
「ムロン、その情報はどこで掴んだ?
特定の日付は軍の機密事項だろ?」
「ヴィータ軍関係者からだ。バレたらそいつの命が危ない。だから俺はこれ以上言わない」
ムロンの返答を聞き、サンティエは眼鏡をクイと上げた。
「分かった。裏取りをする時間を少しくれ。
デマやトラップじゃないと判断すれば、決行する」
ムロンやジル、保護管理員達は、力強く頷いた。




