31、グリージョと思い出の人
手洗いを済ませトイレを出るとグリージョが立って待っていた。
「1人で行かせたが、ちゃんと戻ってきたな」
「そんな無謀なことしませんよ。ここが何処かも分からないのに」
グリージョの言葉に、ルーチェは頬を膨らませた。
「ハハハ、そうだな。
ここは基地から少し離れた観光地だ。既婚兵士の多くは反対方面の町に、家族を住まわせている。普段我々が休日に出掛けるのもそっちだ。こっちには兵士が来ることが滅多にないので、のんびりできる。物価は高いがな」
「なるほど。だから魔法車で来たんですね。
てか、魔法車があったんですね」
「地形が複雑な魔法の森は、車よりも訓練された馬の方が良いのだ。それに、聖地に人間のからくりを持ち込むのは、先代国王のご意向に沿わない」
グリージョは自分に言い聞かせるように解説していた。馬車しか使えない現状に不満を募らせているようだった。
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2人がやって来たのは軽快な音楽が流れるトラットリアだった。ウェイターが窓際の席に案内する。
「海だ……」
きらめく群青色の海を見て、ルーチェはため息をつく。
ずっと魔法の森近くで暮らしてきた彼女にとって、海は大変珍しいものだった。
「景色も素晴らしいが、料理も中々だぞ。
ウエイター、まずはオレンジワインの白を頼む。それから……」
グリージョは慣れた様子で料理の注文をしていく。程無くして、ワイングラスが置かれ、薄橙色の液体が注がれた。
「オレンジワインは初めてかな?
基地ではずっとジュースだから、こういう時くらいはな」
二人はグラスを掲げて乾杯し、ググッと飲んだ。
芳醇な甘い香りとスッキリとした苦味。久々のアルコールは一気に心を解いていくようだった。
ウェイターが料理を運んできた。
真っ白な丸い皿の上に、トマトとバジルとエビ。新鮮で瑞々しい赤と緑の色が輝いている。
「おーいしい!」
ルーチェは思わず頬に手をやる。顔の綻びが止まらない。
「基地の食事も悪くないんだが、限られた予算で、保存しやすく栄養のあるメニューとなると、どうしても鮮度と味に限界があるからな。
この街は、海も農地も近い。新鮮で上質な食材が売りなんだ」
沢山食べるタイプの二人は、会話そっちのけで、出てくる料理をひたすら平らげていく。
海老のビスクスープ、鴨のスモーク、リングイニのバジルソースがけ、スズキのバターソテー、グレープフルーツシャーベット、オレンジ牛のフィレステーキ。
途中でワインをおかわりし、追加でポークパテとバケット、マッシュルームのオイル煮も注文する。
ワインを飲みながらルーチェは店内を改めて見る。
日当たりの良い明るい店内には、他にもテーブル席で歓談しながら食事している客が何組かいる。皆、かしこまった服装ではないが、アクセサリーや小物が高価そうで、富裕層の人々がバカンスに訪れているのだろうと思った。
デザートのキャラメルバニラパルフェをつつきながら、ルーチェは会話用に口を開く。
「グリージョはどうして魔法の森支部に来られたんです?」
砂糖たっぷりのエスプレッソダブルをクイッと飲み込みながら、グリージョは目を開いた。
「何をやらかして、左遷させられたのかって聞きたいのか?」と彼は少し意地悪に返す。
「いいえ。グリージョが来てから兵士達は変わったと、ザッフェラーノ様が言ってたので、それだけの人物がどうして辺境の支部にいるのかと思いまして」
「希望したんだ。中佐に昇格が決まった時に赴任先を魔法の森支部にしてほしいってな」
グリージョはカップを置いて言った。
ルーチェは思わぬ回答に身を乗り出した。
「私の叔母が魔法の森で行方不明になったんだ」
グリージョは窓の向こうを見る。
「世間的には死亡となっているが、当時子どもだった私は信じられなかった。森の中で叔母の衣服の端切れと馬が見つかった。馬は魔獣に襲われてたから、叔母も同じ目に遭ったのだろうと判断されている。
私は納得がいかず、自分の目で確かめたいと思った。私の家は代々軍人を輩出している。国境防衛軍に入り、魔法の森に赴任すれば調べられると思った」
「そうだったんですね……。すみません、聞いてしまって」
ルーチェはスプーンを置く。溶けかけのアイスクリームを黙って見下ろす。
「気にするな。聖地である魔法の森は、赴任したからと言って自由に探し回れる訳ではない。それに、当時は前責任者が酷くてな。現場体制めちゃくちゃで、それどころじゃなかった。
でも魔法の森の近くにいる限り、いつか叔母の手がかりが掴めるんじゃないかと信じているよ」
「グリージョにとって叔母様は、とても大切な人だったのね」
ルーチェは再びスプーンを持って、パルフェの残りを食べる。
「ああ、素晴らしい人だった。あの人のおかげで、今の私がいる」
そう語るグリージョの表情はとても穏やかだった。
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トラットリアを出て2人は街中を歩く。
観光客向けのカフェバーや小売店が並ぶ。明るいオレンジを基調としたレンガ造りの建物と白い石畳みの道のコントラストが眩しい。街のあちこちにオレンジの木が植えられており、店の前にもオレンジの花が飾られ、柑橘の甘くて爽やかな香りが空気に浸され、鼻孔を心地よく通っていく。
アルコールが入り、お腹も満たされたルーチェはすこぶる気分が良かった。ただ、時々すれ違う人の視線を感じることがあり、ふと我に返る。
「運転手と車は先にホテルに行かせてる。トルメンタもホテルで待機しているはすだ。我々は散歩がてら歩いて行こう……どうした?」
グリージョが隣で歩くルーチェに尋ねた。帽子の影に隠れた彼女の表情が困っているように見えたからだ。
「気にしすぎかもしれないけど。見られている気がして。
お店を出る前に口紅だけ自分で塗り直したのがまずかったかな? 私、おかしくないかな? もしかしてエテルネル人だとバレてる?」
ルーチェは少し顔を上げて、グリージョの方を見る。
普段化粧をしないため自信が無いのだ。
「大丈夫だ。問題ないよ。
すれ違う人が君に視線を送っているのは、単に君が綺麗だからだよ」
「え?! そんな訳?!」
ルーチェは大きな口を開ける。
「自覚が無いって、損な性格だな」
グリージョは微笑みながら言った。
ルーチェは今ひとつ納得いかないが黙って歩くことにした。




