30、ファロ大佐の休暇
数日後、ルーチェはいつものように寝室で軍服に着替え、隣の部屋に行く。既にグリージョが机で仕事を始めていた。
「おはようございます、ファロ大佐」
ルーチェはそう言って中央のテーブルに着席し、朝食を食べ始める。トルメンタが現れて、ルーチェの寝室に入っていった。いつもと違い、今日はカバーをかけた衣服を持っていた。
「ルーチェ、明後日から私は休暇に入る」
グリージョはペンを走らせながら言った。
「基地を出て、街に行く。お前も同行するんだ」
ルーチェはまだ噛む途中だったパンを先走って飲み込んでしまった。苦しみながらジュースを流し込む。
「え、あ、でも……」
「服はトルメンタに用意させてある。
後で試着しておけ。空洞杉と庭園の手入れはカモミッラとオルソビアンコに引き継いでおくように」
そう言ってグリージョは立ち上がり部屋を出た。
ルーチェが呆然としていると、寝室から洗濯物を持ってきたトルメンタがニコリと微笑んだ。
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翌々日朝。
ルーチェは久しぶりにトルメンタに起こされるまでベッドに潜り込んでいた。どうにも起きる気になれなかったのだ。
「ルーチェ、支度をしましょう。今日は軍服でも囚人服でもないわよ」
トルメンタは楽しそうに寝室のクローゼットからドレスを出した。持ってきていたバスケットには、化粧品類が入っている。
「とびきり素敵にしてあげる」
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「おはよう、体調はどうだ?」
寝室から出てきたルーチェに、グリージョは声をかけた。
グリージョは朝食を摂っていた。今日の彼は、明るいグレーチェックのジャケットに紺色のスラックスを身に着けていた。中のシャツは水色で第一ボタンを外している。
ルーチェは見慣れない相手の姿に少々戸惑いながら、一歩進む。動きがぎこちないことを自覚し、照れる。自分もまたいつもと違う格好だからだ。
若葉色の生地に白い小花模様が刺繍されたワンピース。脛まで丈があり、ストンと自然に落ちてプリーツが出来ている。胸元はベリード・ラペルになっており、開いた部分には深緑色の絹地が貼られている。ウエストマークしたベルトも深緑色だ。長袖の裾にさり気なくレースをあしらっており、魔法錠が目立たなくなっていた。靴は高さ数センチ程のヒールで履きやすいものだが、滅多にこの手の靴を履かない彼女は、なかなか苦戦している。
「お、おはようございます。
折角ご用意してもらったのに、不慣れなもので……」
ルーチェは苦笑いしながら席につく。
「とても良く似合っている。髪型もそっちの方が良い」
グリージョは微笑みながら言った。
普段は後ろに1つに束ねていただけの髪だが、今日はトルメンタに整えてもらったのだ。毛先やサイドにウエーブをかけて後ろでふんわりと纏めている。
「ルーチェの炎魔法のおかげでコテが使いやすくて良かったわ。これを他の女性に教えたら、庭以外の仕事が増えますよ」
トルメンタはニコニコしながら言った。
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門の前には運転手と黒い魔法車が待機していた。
その周りにはファロ隊の兵士達が並んでいる。
「ファロ大佐、行ってらっしゃいませ!」
姿勢を整え、規律通りに振る舞う兵士達に、紺色の中折れ帽を被ったグリージョは手を振り声をかけながら馬車の方まで歩いた。ルーチェも深緑色のクロッシェを被り、顔を見えにくくする。
グリージョは先にルーチェを乗せ、続けて自分も乗る。
「基地を頼んだぞ。何かあれば中佐に報告しろ」
完璧なお辞儀を餞別に、馬車は出発した。
「私に気を遣わなくて良い。街に着くまで、しばらくお互いのんびりしよう。後からトルメンタもやって来る」
グリージョはそう言うと帽子を取り、窓の方を向いて黙った。ルーチェも反対側の窓を見る。いつもと違う角度の森と基地の塀が見える。
靴と服にはまだ慣れないが、トルメンタも一緒だと聞いて少し安心できた。ワクワクする気持ちも芽生え、顔の固さは解けてきた。
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フッとルーチェは目覚める。馬車が止まり、御者の声がする。
「着いたぞ、ルーチェ」グリージョが言う。
ルーチェは自分が膝を開いて寝ていたことに気付く。裾が長いので問題無いが、一気に恥ずかしさが襲う。帽子もズレている。
「降りろ。手洗いを済ませ、昼食にしよう」
先に降りたグリージョは無表情のまま手を伸ばす。ルーチェはその手を取り、馬車から降りた。
「ルーチェ、頼みがある」
並んで歩きながらグリージョは言った。
「何ですか?」
「休暇の間は、私のことをグリージョと呼ぶように」
「え? 何故?」
「休暇中に『大佐』と呼ばれたくない。周りも緊張するしな。それにお前も、私と親しい女性のフリをした方が安全だ」
ルーチェは袖に隠れた魔法錠を掴む。彼の言うことは一理ある。自分がエテルネル人であると知られない方がお互い平和だろう。
「分かりました……。お昼は何を食べるの? グリージョ?」
ルーチェがそう言うと、グリージョは吹き出した。
「な、何よ? 言われた通りにしただけよ!?」
「いや、ごめん。つい、面白くて……」
しばらくグリージョはクックックッと笑いを堪えていた。




