21、賢者ザッフェラーノの言葉
水分を飛ばしたスギカブトの茎を数本、グリージョは瓶に入れて栓を閉めた。
「調合師のところに行ってくる。2人は昼食を食べて休憩していてくれ」
グリージョが去った後に、ザッフェラーノがルーチェを園庭近くの小屋に案内した。
「儂の控室じゃ。狭いが中に入ってくれ。お嬢さん」
二度と触れられることのなさそうな日焼けした本や書類があちこちに積まれており、促されたテーブルと椅子には埃が被っている。ルーチェは内心抵抗あれど言う通りに座る。
トルメンタと別のメイドが2人の食事を運んできた。中に入った途端、トルメンタは眉間に皺を寄せた。速やかに食事をテーブルに置いた後「失礼します」と言い、小屋の窓を全て開けて換気をした。
「ホットブラッドオレンジジュースを飲みなされ。儂の好物じゃ」
ルーチェはズズズと湯気立つジュースを飲んだ。酸味がまろやかになり美味しい。
「ホホホ。アルカンシエル殿は顔にすぐ出て分かりやすいのぉ。おかわりの用意をさせておこう」
ルーチェは照れながらパンに手を伸ばした。
「ザッフェラーノ様、ご昼食後に掃除係が来るように手配しました。見られて困るものはお早めに片付けなさってください」
トルメンタはお辞儀をして小屋を出た。
「困るものは別に無いがのぉー」
そう言いながらザッフェラーノは本の一部を慌てて引き出しに入れ始めた。移動の途中でバサっと落ちた雑誌の表紙は、胸の谷間を強調した女性の絵だった。
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昼食後、2人は掃除係に小屋を追い出された。室内からガタガタ音が響き始めた。
ルーチェは残りのスギカブトを釜戸で煎る。その様子をザッフェラーノが穏やかに眺める。
「生活には慣れたかのう? 食べ物や寝具は身体に合っておるか?」
土釜でスギカブト萎んでいく様を見ながらザッフェラーノが尋ねた。
「衣食住は充分過ぎる程です。感謝すべきだと思っています」
ルーチェは答える。
だがその声は本心から言っているように見えない、とザッフェラーノは推測した。
「不安があるようじゃの? 捕虜の身じゃから能天気ではおれんだろうが」
ルーチェはギュッと閉めていた口を開く。彼女は頭や心に溜め込むことが苦手なのだ。
「グリージョ・ファロ大佐が何を考えているのか分からないのです。いつも険しい顔をしていて。
トルメンタを介してとても気遣ってくれていますが、今朝は苛立った様子でした」
「グリージョもな、アルカンシエル殿の対応に苦労しているのじゃ。貴女の身を守りたい気持ちはあるが、簡単にいかないことが多い」
ザッフェラーノは言った。
ルーチェはそれを聞きながら火を消し、乾かしたスギカブトを全て袋に入れた。
「両国への刺激にならないように慎重なのは分かります。
でも、自分の部屋で匿うことが理解出来ません。いつか乱暴されるのではないかと、怖いんです」
ギュッとルーチェは腕を組んだ。
ザッフェラーノはハッと彼女を見る。
「まぁ私に手を出す程、女の趣味は悪くないでしょう! 若くもないし、女らしさにも欠けているし」と、ルーチェは慌てて言い繋げる。懸命に誤魔化しているようだ。
「ルーチェ・アルカンシエルよ、聴け」
賢者ザッフェラーノは声を落とす。
「グリージョはそのような下卑た行為をする人間ではない。
貴女に敬意を持って行動したいと考えているのじゃよ」
ルーチェは釜戸に残った焦げカスを集める手を止めた。
「国境防衛軍支部は、昔から他で負傷や粗相をした兵士の左遷先扱いじゃった。
しかし、グリージョが来てから変わった。
彼は兵士一人ひとりをよく見て、個人に合った任務を与えた。心身の回復対策も柔軟に取り入れた。グリージョの元で訓練した後、異動して将校として活躍している者もおる。女性兵士達にも彼はできる限りの理解と配慮に努めている。
話が逸れたな。とにかくグリージョは少なくとも貴女を直接傷付けようとは考えておらん。
賢者の名にかけて、断言する」
ザッフェラーノは昼食の時の、呑気な雰囲気から変わり、真剣な目でルーチェを見た。
皺が刻まれた瞼の向こうの目は光を放っている。
「分かりました……」気圧されて、ルーチェは言った。
「とはいえ、グリージョが普段よりも落ちつなかい様子があるのは儂も認める。仕方無いのじゃ。魅力的な未婚女性が常に自分の傍に居ることになってしまったのじゃから。女慣れしていない真面目男には、ちと難問なのじゃ」
「からかわないでくださいよ。子どもの頃から今でも、汗まみれ泥まみれで生きてる女ですよ。色気も欠片もない」
ルーチェはようやく笑みを見せる。謙遜でもなく本心から言っていると賢者は悟る。
「自覚が無いとは、罪作りじゃのう……」
そうぼやくが、ルーチェには届いていなかった。




