2、迷子の男の子と炎の魔法
5歳の男の子サンティエは、歩道脇の茂みの向こうにある芝生の真ん中に立った。
彼の両親は芝生の端で、彼の様子を見ている。
「サンティエ、レンズが濡れるから外しておきなさい」
母親の声を聞き、彼は顔の半分はありそうな丸い眼鏡を外してベストの胸ポケットにしまう。
サンティエは深呼吸して、頭上を見る。
囲まれた木々の隙間から日の光が差している。
木漏れ日を浴びながら、彼は両手を掲げた。
すると、手のひらから水が噴き出した。
サンティエは芝生を駆けながらあちこちから水を出す。
芝生の上、木々の枝、自分の身体から。
サンティエのオリーブ色の髪も服もどんどんびしょ濡れになる。
その様子に、彼の両親は息を呑んだ。
「前よりも魔力が上がっているのに、難なくコントロールできているみたいだな」
彼の父親は言った。
「貴方のお父様も水使いだったのよね。
サンティエもそうなるのかしら」と母親。
「いや、あの子は父を超えるかもしれない。
魔法学校に入学するまでは、森で時々発散させてやらないとな」
サンティエは気持ち良さそうに水魔法を発動させる。
自分の思い通りに水が出てくる。木も葉も土も水がかかり、活き活きしているようだ。
サンティエは楽しくて仕方がなかった。
「また空襲が起きたわね。
町役場で避難民の受入手続きが始まってるそうよ。
お隣に引越してきたご夫婦ももしかしたら……」
「そうだな、出来る限りの手助けをしよう。
戦争で家を奪われることはどれだけ辛いか」
「私達もこの町に助けてもらえなかったら、どうなっていたことか」母親は涙ぐむ。
「サンティエもこの町で生まれて良かった。
魔法の森が近いおかげで、魔法に理解のある人が多い……」
「サンティエ?!」
母親が父親の言葉を遮り大声を出した。
父親も芝生を見る。
水溜りだらけのその場所にサンティエの姿はなかった。
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霧が深くなっていく。暗い森の中をサンティエは歩いた。
「パパー、ママー」
木の幹から水を出すのが楽しくなり、芝生の向こうまで進んでしまっていた。
気付くと戻り方が分からなくなっていた。
濡れた服が重くて寒い。立ち止まると甲高い鳥の鳴き声が空から降ってくるようだ。
サンティエは震えながらトボトボ歩いた。
コォーコォー
聞いたことがない鳴き声だ。
空からではなく、茂みの方から聞こえてきた。
振り返ると10メートル程先に、1頭の鹿の姿があった。
サンティエは危機を直感した。
体の表面が木の皮のようにバリバリしている。頭部に生えている2本の角は太く、葉っぱがついている。瞳は赤く光り、こちらを睨んでいた。
魔獣。サンティエは悟った。
サンティエは走って逃げる。
後ろから力強く枯れ葉を踏む音がする。
魔獣が追いかけて来てる。子どもの脚では到底逃げ切れない。鹿の魔獣はサンティエ目掛けて跳ね上がった。
その影がサンティエの姿を覆う。
ボワッ!
キャイン!
サンティエは異変に気付き、立ち止まる。
魔獣の体が燃えているのだ。鳴きながら地面に体を擦っている。
燃える魔獣のその奥に、女の子が両手を前に出していた。焦げ茶色の髪に、泥だらけの姿だった。
「あの子の魔法?」
魔獣は黒焦げになり、その場を慌てて去った。
女の子は魔獣がいなくなると、逃げるように走った。
サンティエも女の子を追いかけようとしたが、両親の声がしたのでそちらの方を見た。
「サンティエ!」
「勝手に離れちゃ駄目じゃないか!」
サンティエの母親は彼を強く抱き締めた。
「今のはウッドディアーだ。
乱暴な性格で、人間を角で襲ってくる魔獣だ」
サンティエの父親は言った。
「随分黒焦げだったわね。
雷にでも打たれたのか、人間にやられたのかしら?」
「さぁ、どうだろう?
ウッドディアーはエテルネルでは害獣扱いだ。
人間が駆除目的で攻撃していてもおかしくない」
「でも森の中で炎や雷の魔法を使うなんて最低だわ。
森が傷付いたらどうするのかしら?」
サンティエは炎の魔法を使った女の子のことを、両親に言うのは止めようと思った。
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「ルーチェ!」
アルカンシエル氏が手を振ると、ルーチェの身体は宙に浮いた。
ルーチェが叫ぼうとする前に、アルカンシエル夫人がパチンと魔法をかけて眠らせた。
「やっと、つかまえた」
「混乱したのね。無理はないわ。
森に火が燃え移らなくて良かったわね……」
「余程怖かったのだろう。
落ち着いたら、ここに来るまでの記憶はお前の魔法で消してやろう」
アルカンシエル夫妻はルーチェを抱えながら、出口へ向かった。




