あくまでただの、自己満足。
「なあ、もう一度やり直そう」
俺は玄関先で“彼”と話していた。
何とかやり直して欲しい。もう一度頑張って欲しい。立ち上がって欲しい。そのために俺は“彼”を励まそうとしていた。
玄関を少しだけ開け不機嫌そうな顔を向けてくるのは“今の彼”。
俺の知る“彼”──7年前の彼はこんな顔をしなかったと思う。あの頃はよく笑って楽しそうな“陽キャ”、という印象だったのに今は四六時中ゲームをして目の下に隈を作った“陰キャ”そのものだ。
……まあ、“根っからの陰キャ”の俺が言えることでもないが。
「俺はもう働きたくないんだ。それにお前には関係ないだろう」
彼の言葉に少しばかり傷付いた。
確かに俺には関係ない事だ。仕事をしようがしなかろうが彼の勝手だ。俺みたいな『他人』がでしゃばって言うようなことじゃない。
「俺はもうあんな気持ちを味わうのは懲り懲りだよ。あんなプライドをズタズタに引き裂かれるくらいなら仕事なんてしたくない」
「…………」
俺は何もいえなかった。『全ての職場がそうじゃない』『たまたま悪い会社に入っただけ』
かけられる言葉なら沢山ある。
だがそれは真実ではない。
そんな無責任に不確定な言葉の励ましなどかけられない。俺だって毎日プライドをへし折られて、それでも仕事を辞めないで必死に食らいついて頑張っている。
「それに今の生活の方が性にあってるんだよ。ゲームで敵を撃っている間は何もかも忘れられるんだ。あの時の屈辱も、親からの叱責も、周囲からの白い目もなァ!」
最高なんだよォ。
そう言わんばかりに目を見開いて力説する彼にかつての面影はひと欠片もなかった。
「……なあ、何も辛いのはお前だけじゃないんだぜ?」
我慢の限界だった。
地の底で這いつくばってクソ上司から訳の分からない叱責を受け、叱られ続けてそれでも仕事を続けて這い上がろうとする。そんな俺がバカみたいじゃないか。
「はぁ?お前に何がわかるんだよ」
「…………なあ、少し中学の頃の話しないか?」
□■□
「うわっ……あれみてよ唇尖らせてキスしようとしてるんじゃない?キモっ」
「誰とキスしてるの想像してるのかな、ナナミ、あんたじゃない?」
「うわぁ、ちょっとやめてよ〜冗談でもきついって〜」
「「「アハハ」」」
彼女らの言葉にうんざりしていた俺。
小学高学年辺りからだろうか。男女問わず俺をバカにするようになったのは。
この頃の俺は精神的に参っていたのかよく体調を崩し休んでいた。流石に中学では高校受験の事もあった為休むことはなるべくないようにと頑張ってはいたが、休んだ回数は3年間で13回ほど。体が弱いとかそういう訳じゃない、普通の健康男児であったにしては些か多すぎる欠席数だ。
まあ、当時は特に何も感じなかったが、友人1人以外、クラスメイト・先生はおろか、家族までも信じることが出来なかった俺は異常だったのだろうと今なら思える。
「たく、うるせぇな」
「別にキスなんて想像してねえってのに自意識過剰すぎかよ。あいつらの方が断然キモイわ」
俺はその唯一の友人のところに行き、愚痴りあう。俺にとって唯一の救いだった彼。今はもう会っていないが、もし会うことがあれば感謝を述べたいと思ってしまうほど当時の俺の精神は彼に救われていたと思う。俺が折れなかったのは彼が同じように怒り、憎んでくれたからだろう。1人だったのなら俺は今こうして生きているかも怪しい。俺ってば豆腐メンタルだったし。彼がいた中でも何度か〇のうと思ったことはあったわけだし。
「───!────。」
「──────。」
「「「アハハ」」」
女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。
何を言っているかは分からなかったが、俺にとって彼女達の声はノイズ──すなわち耳障りな『音』でしか無かった。
□■□
「そんな中、変わらず声をかけてくれてた。あの頃の俺は『なにか裏があるんじゃないか』とか、『どうせこいつも他の奴らと一緒で心の奥底では俺を見下してるに違いない』と考えてたけど、本当はお前がそんな奴じゃないって知ってたんだ。お前は他の奴と違って普通に声をかけてくれてた。それが俺の心を支えてくれてた1つでもあるとわかったんだ」
「そんな恩人が挫けて倒れてるんなら手を差し伸べるべきじゃないか!当時俺がされたみたいに手を掴んで立ち上がってやり直して見てほしいんだよ!リトライ──いや、リスタートしてもらいたいんだよ!こんなクソッタレな世界かもしれないけど、何も辛いことばかりじゃない。楽しいことだって、嬉しいことだって沢山あるんだ」
「…………」
□■□
「なあ、俺とくんでくれない?」
「ごめん。俺今日は〇〇と組む予定だから」
部活の時。俺にとっていちばん苦痛だったパターンだ。
練習は本来色々なパターンで多種多様なプレイスタイルのプレイヤーと練習するのが最も効率的で、強くなれる方法だと思うのだが、あいつらは固定で6人でローテーション。
組み方しだいでは俺は省かれる事もあった。
そんな時に声をよくかけてくれていたのがお前だった。
「ねえ、まだ練習相手決まってないんでしょ?一緒にやろう?」
「うん!」
信じきれない俺だったけどそうやって誘ってくれてたのは正直に嬉しかった。
「それでさ、俺ってば新しいサーブ思いついたんだよ」
「えっ、どんなサーブ?見せてくれよ」
□■□
「そ、そんなの気まぐれだよ。俺はそんなに出来た人間じゃない。あの時はたまたま俺も相手がいなかったからで……」
「でも他の奴らには空いた人は3人でローテーション組んでるやつもいた。……正直そんなに俺と組みたくないのかよってイラついてたけど……まあ、そんなのはいいんだ。君がなんと言おうと俺は助けられたんだ」
だから恩返しをさせてくれ。
そういうつもりだった。
「でも、それってお前の自己満足だろ?」
「えっ?」
俺の頭は真っ白になった。
「俺が助けたから助けたい。俺の意思は?俺は助けて欲しいなんて一言も言ってない。そもそも助けたいとか何様なんだよ。その上から目線気に食わないんだが。確かに俺はニートだし、世間から見れば立派な社会不適合者だよ」
弾幕のように心を抉る言葉に俺は何ひとつ返す言葉をもちあわせていなかった。
さらに追い打ちをかけるように彼は続けた。
「だがな、お前は俺に説教できるほど立派な人間なのか?俺にとって同情してるかのようなこと言いやがって、テメェに俺の何が分かるんだよ!俺はテメェみたいに自己満足で助けた気になってヒーロー気取ってる糞野郎が大嫌いなんだ」
「──────だから早く帰っ」
『─────ハッ!?』
起きたら深夜2時。背中はびしょびしょに濡れ全身に嫌な汗が張り付いている。
数秒遅れでやってきた寒気に思わず身震いをする。
──夢でも俺は助けることは出来ないのか。
「まあ、現実では言葉にすらしてないけどな」
──やるせない。この気持ちをなにかにぶつけたい。
「執筆でもするか」
殴り書きのように──否、殴り書きで筆を進める。止まることは許されない。勢いのまま文字を連ねろ。感情に身を任せろ。
「今の熱を忘れないうちに……」
………………。
……………。
………。
……。
…。
。
「結局……これって、ただの」
執筆を終え数分もしないうちに熱は冷め、意欲もなくなった。
冷静になり、先程までの自分に微笑する。
「──『あくまでただの、自己満足。』だよな」
今の落ち着きすぎた俺は自分に対して嘲笑の1つすら表情に表せなかった。