第38話 出会って5分でバトル(2)
【登場人物の名前変更のお知らせ】
以下2名の名前を変更します。理由は後書きに詳しく書いてます。
・伊尹→伊摯
・子示癸/子示癸→子主癸
物語がここまで進んだところでよりによって主人公の名前を変更することになってしまい、混乱を招き申し訳ないです。
「どうしたのですか?」
務光は教卓までつくと、学生たちに冷静に状況を尋ねます。姫媺が懲りない様子で、高い声であたしを指差しながら説明します。
「この神聖なる学園に、畏れ多くも汚らわしい平民が入ってきたのですから、これから懲らしめるところですわ。この学園は代々貴族が通ってきたところ、平民なんかに席を明け渡すいわれはないでしょう?」
「なぜ平民は汚らわしいのでしょう?」
務光が尋ねると、姫媺は自信満々でふんと鼻を鳴らします。
「聞くところによると平民は親に何かと反抗し、朝は親より遅く起き、夜は親より早く寝て、親が働いている間は遊び呆け、親が死んでも3年の喪に服さないらしいですわ(※この世界では親を尊重し大切にする考え方が現代日本より極端に強い)。そんな平民を招き入れるなど、愚の骨頂です。禹様(※夏の創始者)も帝舜(※五帝の1人。何度も親に殺されかけてなお親のために尽くした伝説で知られる。禹に禅譲した)も泣いておられますよ」
それを務光はうんうんと小さくうなずきながら聞いていました。その仕草を見てあたしは不安を覚えましたが、的中してしまったようです。
「‥では、一度懲らしめてみたらどうですか?」
あまりに平然と言うのですから、また教室がしんと静まり返ります。さすがの姫媺もこの反応は予想外だったようで目をぱちくりさせますが、また机をたたきます。
「それでは、この平民を火の魔法で丸焼きにしても構わないのですわね!?」
「ひっ」
あたしは青ざめて体を傾けますが、しかし務光はひどいくらい冷静に返します。
「構いませんよ。もっとも、姫媺にそれができたらの話ですが」
◆ ◆ ◆
大変なことになりました、いえめっちゃ大変です。
始業早々、1年1組の10人はグラウンドに集められます。この学園には大きなグラウンドが1つあり、それが木でできたカラーコーンのような何かによって3つに区切られています。区切られた後も、フットサルの試合ができそうなくらいに広いです。そんなグラウンドの右端を使って、あたしと姫媺は決闘することになりました。
うちのクラスでは姚不憺、子履、任仲虺(と及隶)、そして妺喜、まだ名前を知らない学生2名があたしの味方をしてくれています。一方で姫媺のところには、2人の学生がついています。
子履は実は初対面である妺喜をちらちら見ていますが、やはりこの場ではあたしが優先らしく、心配そうにあたしを見つめてきます。
「‥大丈夫ですか?摯」
「大丈夫じゃ‥ないかもしれません‥あはは」
そう言ってあたしが苦笑いすると、任仲虺が寄ってきます。
「このグラウンドは地面が固く、この前のような地下水の作戦は通用しないかもしれません。ですが砂は乾燥していますので‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥!分かりました」
耳打ちを終わらせた任仲虺はにっこり笑って、あたしから離れます。向こうにいる姫媺も仲間と3人での打ち合わせを終わらせたみたいです。様子を見た務光が、腕を振り上げます。
「始め」
その一瞬で、あたしは姫媺の周囲にある砂をぶわあああっと舞い上がらせます。大きなつむじ風が起きたように、その巨大な砂煙は姫媺を包みます。このあたりは、乾燥している砂はすぐ飛び舞うという任仲虺の入れ知恵です。
砂の混じったつむじ風が姫媺を覆いますが、姫媺も冷静です。
「土の魔法を使うのですね。でしたらわたしは木の魔法でいきますわ」
えっ待って、さっき教室では火の魔法を使うと言ってませんでしたか?2つ以上の属性が扱える人って珍しいんですよ!?驚くあたしをよそに姫媺は漢服の中から取り出した小袋の中身をひとつかみ取って、ばらまきます。
姫媺を包んでいた砂から次々と小さい茎と葉っぱが生えてきて、そのままくいくいっと急成長します。あたしが操っていた砂は重みに耐えきれず、ぽたぽたと地面に落ちてしまいます。
それだけではありません。植物が合体して急成長すると、あたしに向かって伸びてきます。
えっと、どうしましょう、どうしましょう。待って。
そうだ、植物は土の栄養を無理やり吸い出しているのでしょうから、砂に混ざってる小石を小さく砕いて、鋭利な刃物を作って植物に吸い込んでもらいましょう。あたしは短く呪文を唱えつつ、砂を思い通りの形に砕きます。
あたしへ迫ってくる植物の動きが鈍くなって、止まります。
「ええっ、うそ、何で!?」
姫媺は驚いている様子ですが、あたしは小石の粉砕に集中します。
鋭利な破片となって植物に吸い込まれた砂より細かい小石が、植物の管を内側から破き、無数の傷をつけ、茎をもろくします。
葉の中にも吸い込まれ、葉はよれよれにしおれ、数枚がぼろぼろと剥がれ落ちます。
植物は少しずつその背を引っ込め、縮んでいきます。
姫媺は呆然として、体を震わせています。
「な、なぜ‥いえ、燃やすものはあるのですわ。服よ、もえあが‥‥っ!?」
あたしは、自分の背後に大量の砂を舞い上がらせます。太陽の光を半分くらい遮り、地面に分かりやすいくらいの影を作ります。
あたしの服を燃やそうとしたら、砂に混ざっている枯れた植物の破片などに火を移してから姫媺の服にぶつけ、そっちの服も燃やしてやるぞという警告です。いつあたしの服が燃やされてもいいよう、目を凝らして姫媺の次の動きを集中して待ちます。しかし姫媺はため息をついて、両手をあげます。
「‥‥降参ですわ。木が土に負けたら、もうどうしようもないですわ」
‥よし。あたしは姫媺に見えないよう、片手をぎゅっと握ってガッツポーズの代わりにします。
背後にあった砂をすべて落とすと、及隶、任仲虺、そして子履が駆け寄ってきます。
「‥お疲れさまです、摯」
「履様」
子履はにっこりと笑うというよりは安堵したという表情で、無言であたしを見つめています。あたしからは程よく距離を取っていましたが、子履のその顔を見るだけで、なんだかあたしの気も抜けてしまいます。自然と自分の顔も笑ってしまいます。
その隣まで来た任仲虺が何か言おうと口を開けたタイミングで、務光が拍手します。
「伊摯、おめでとう。さすが私が見込んだだけあります」
すぐそばでは、姫媺がうらめしそうにあたしを見ています。務光は姫媺のそばまで近寄ると、それを咎めるように上から声を落とします。
「姫媺、あなたも気付いているようですが、伊摯は木の魔法を土の魔法ではねのけました。火と木の2つの魔法が使える姫媺が木を選んだのは間違っていません。通常、木は土に剋ちます(※木は土より強い)。これを相剋といいます。しかし伊摯は逆に、土を巧みに操り本来の強弱関係を逆転し、土で木を侮りました。これを相侮といいます。相侮には相当の魔力や努力が必要なことを、一組として合格した姫媺もよく知っているでしょう?」
うん、相当の魔力や努力って必要なものですか?あたしそんなことした記憶はないんですけど。
「おそらく前世で粘土や土を使って工作した経験が活かされているのですね」
子履が小さい声で補足してきます。あたし、前世では確かに工作好きでしたが、とにかく見栄えのいい立体を作りたくて何時間も何日も試行錯誤していたのを覚えています。前世の経験はたしかにありましたが、それが現世でもこんなに生かされるものなのでしょうか。料理中、誰かが洗い落としきれず野菜に残っていた砂を魔法で落としたり、植物の根を食材にしたい時に土を徹底的に掘り起こしていたりは、毎日のようにやっていましたが。
務光は続けます。
「伊摯は学園入試では総合3位で、魔法の成績だけで見たら1位です。このような優秀な人を、なぜ追い出せるのでしょうか」
「‥‥は?」
姫媺もあたしも、子履も、その場にいる人達も、みなあんぐりと口を開けて呆然としていました。
※伊尹の実際の姓は姒、名は摯になります。伊は氏で、姓名は姒摯が正しい表記です。本作では話の都合上、氏である伊を姓として扱います。
なお尹は字ではなく、甲骨文において権力者の官名として記されているもので、史実通りにいくと、まだ商の家臣でない間は尹と呼ぶことは不適切です。伊尹の名を使い続けるのは難しいと判断し、名前を変更します。
また、姓が姒であること、伊という氏があることから平民という設定を貫くのは多少の無理がありますが、そこはもうストーリー上仕方ないので平民だったということで押し切るつもりです。
それから、子示癸も子主癸に変更しました。子主癸は子履の母(史実では父)ですが、『示癸』は甲骨文、『主癸』は史書に記載のあるものです。対して子履は甲骨文には『成』『唐』、史書には『履』とあります。親子にかかわらずお互いの名前の出典が矛盾しているため、示癸のほうを変更しました。




