第25話 子履と一緒の部屋で寝ました
部屋に一歩踏み入れると、子履は自分のベッドに座っていました。
「おじょ‥履様、これは‥どういうことですか?」
「‥本日からこの部屋で生活してもらいます。正式な婚約者になったのですから‥これくらいいいではありませんか」
子履は言いにくそうに、口をもこもこさせていました。あたしもしゃべりづらいです。
「な‥なぜ及隶を巻き込んだのですか?」
「その‥‥」
子履はうつむいて、小声で何かぼそぼそ言っています。及隶がこっそり近づいて聞き取りに行きます。及隶、勇気ありますね‥。
やがて及隶が戻ってきて報告しました。
「2人きりで寝るのが恥ずかしいみたいっすよ!」
「こら隶、せめて小声で言って!」
あたしは及隶を守るようにぎゅっと強く抱いて、それから子履を見ます。及隶の言葉を聞いた子履は真っ赤になった頬を手で覆い隠して、口をぱくぱく動かしています。この季節なのに、汗が流れています。‥‥が、否定するそぶりは見せません。
子履はたまにあたしと2人きりで密室で食事するようにはなりましたが、寝室まで一緒にするのはまだ抵抗感があるようです。じゃなきゃ、こんなぼろいベッドをわざわざ運んできたりはしないでしょう。子履と1度だけ同じベッドで寝たことはありましたが、その時は子履の親友の任仲虺も一緒でしたね。親友がいないと何かと心細いのでしょうか。
「‥‥分かりました、平民の生活はかなりお見苦しいでしょうが、ご命令とあらば‥‥」
「そのベッドも衣服も明日新しいものを注文しますので、大丈夫です」
「いえ、それは‥‥」
そんなことをされたらさらに貴族に依存してしまうじゃないですかとあたしは焦ったのですが、子履はそばにあった大きな枕を抱えて、視線を落とします。
「‥お聞きしたいことがございます」
「何でしょう?」
「摯は、姚不憺のことをどう思っていますか?その‥顔立ちがいいんですよね?」
「そ、それは‥」
うん、これ嫉妬してます。完全に嫉妬してます。及隶の言ったとおりです。子履を籠絡させようかと思いましたが、完全に逆効果でしたね。
「‥‥この屋敷へ連れてきたのも、特に深い意味はないです。本当に本日お会いしたばかりです」
「本当ですか‥‥?」
「本当です」
「‥‥分かりました」
及隶によれば姚不憺はあたしに下心を持っていたらしいですしこれは結果論ですが、もう男を屋敷につれてくるのはやめたほうがいいかもしれません。後悔しましたが、まあ今回は子履がこの程度で許してくれるなら、と思うことにしましょうか。全然この程度じゃないんですけどね。
斟鄩学園の寮では貴族向けの規格のベッドが貸与されるということですし、それに慣れるという意味では発注も悪くはないかもしれません。そうですね。そうやって前向きに考えたほうがいいと思います。
でも手に持っている風呂代わりのタオルはすっかり冷えてしまったのでもう使えません。新しいタオルを取りに行きましょうか‥‥と思ったのですが、取りに行って部屋に戻ったら戻ったで、子履の目の前で服を脱いでタオルを使うことになります。それは‥‥いろいろまずいです。本当にまずいです。
「あの、履様‥」
「どうなさいましたか?」
すっかりベッドの端に立て掛けた枕にもたれてしまった子履が返事します。
「その‥服を脱ぐときは、宿舎の部屋に戻ってよろしいですか‥‥?」
「あっ‥‥」
子履も気づいてしまったようで、頬をうっすら赤らめて、手で口を覆い隠します。
「‥‥そ、そうですね。戻ってください」
「分かりました‥」
◆ ◆ ◆
翌朝になりました。
今回に限って、朝食の配膳は他の侍女がおこなうよう指示されました。あたしは通常ならキッチンで待機するところですが、それも子履の命令で、及隶と2人きりで子履の部屋にいることになりました。さらに、その部屋にいる間に姚不憺が屋敷を出て虞の国へ戻るため出発したそうです。徹底してますね。
今回の作戦は失敗したし、いたいけな子履を傷つけてしまったし、いいところなしでした。
部屋に戻ってきた子履は、頬を軽く腫らしていました。いろいろ終わって、たまっていた感情が爆発したようです。
そのまま、ベッドであたしの隣に座ります。ちらちらと横目であたしを見ています。何かを欲しているようでした。あたしはため息をついて、それから手で子履の背中をなでます。
子履は無言でしたが、特に抵抗する様子もなく、従順な子猫のようにあたしの肩に頭をあずけます。それがなんともかわいらしくて、あたしは手を何度も上下に往復させていました。
子履、百合はともかくこういうときはかわいいからずるいです。あと及隶はそんな顔でこっち見んな。
◆ ◆ ◆
5日経った今日も、子履は機嫌が悪いようです。ていうか生態が変わりました。お化粧の練習をめっちゃしています。
この世界ではお化粧に汞というものを使うのが一般的らしいです。この汞というのは前世では水銀と呼ばれているらしく、有害な物質で肌や健康に影響があると子履は言っていました。始皇帝の死因も汞を直接食べたためという説があるらしいです。昔の人はとんでもないことを考えるんですね。
前世の記憶のある子履は当然、そんなものは使わず平民向けの植物由来のものを組み合わせてなんとか工夫して使っています。汞には劣るものの、変な白っぽさがなく肌の色がよく見えて、かえって艶めかしいように思います。
鏡とにらめっこしている子履を部屋に置いて、あたしと及隶は居間で服のサイズを測らされています。居間はいつも子履が食事に使っている部屋です。いやもう普通にこの前姚不憺と一緒に衣服店へ行ったときに測ったはずなのですが、オーダーメイドで作るときはさらに細かい計測が必要らしいです。ていうか結局服を子履のお金で買われてるじゃないですか。一応、商のこの屋敷で子履と同じ部屋で過ごすための粗末な部屋着という建前ですけど、それでもこれまでの料理人と違って、侍女のように普段から貴族と直接接する必要のある使用人が着るような比較的立派な服を調達されるのでしょう。
計測が終わって子履の部屋に戻ります。化粧の匂いもものすごいですが、部屋の右側には新しいベッドがしっかりしつらえられていました。さすがに平民のために貴族のベッドを用意するわけにはいかなかったでしょうけど、それでも平民向けにしては立派なベッドが置かれています。
触ってみます。任仲虺のベッドに潜り込んだときほどではありませんでしたが、以前のベッドよりやわらかいのは明らかです。ですが、これだけのベッドですと毎日きちんとした手入れが必要になるのではないでしょうか。そうなるとまた私生活が圧迫されます。
「あの、ここまで立派なベッドを用意されてしまうと、その、手入れが‥‥」
「手入れは侍女にやらせますので大丈夫ですよ。摯も婚約者ですしいずれ貴族になるので、問題はありません」
「うう‥」
そりゃ、子履はまだあのことを怒っているのであたしはもう何とも言えません。貴族と距離を置きたいのですが、しばらくは諦めたほうがいいのでしょうか。及隶はもう過去のことだったかのように、2つ並んだベッドの上でわいわい遊んでいます。
「隶、静かにして、ここ貴族の部屋だから‥」
あたしがそう注意すると、及隶は声を出すのをやめて、その代わり右へ左へ体を転がし始めました。まあ‥このくらいならいいでしょう。ですが楽しそうです。その能天気さを分けて欲しいです。
「はぁ、やれやれ‥‥」
あたしはため息をついて、ベッドの隅に座ります。ベッドで遊んでいる及隶の作る振動が、ここまで伝わってきます。まああまり音を立てないのなら、楽しそうですしいいでしょう。しかしこれであたしの生活は貴族にくっついてしまいました。あたしが悪かったとはいえ、これ以上さらに何かされたらどうしましょう‥‥。
と、化粧の練習が一段落ついたようで、湯につけたタオルで顔を拭き取り終わった子履がまた話し始めました。
「そうだ、平民は濡らしたタオルで体を洗うらしいですね」
「はい」
「ですかそれでは、またベッドが汚れてしまいます。本日から風呂に入ってください」
はい?
あたしは目を点にしました。




