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第2話 婚約相手の召使いになりました

あたしはキッチンの壁近くの椅子に座って、しばらく呆然としていました。

あの黒髪の貴族の子はきれいだったけど、結婚するって言われても女同士ですし、身分の違いもありますし、あのときは慌ててしまいましたがあの結婚の話自体も子履しりのけっこうな冗談でしょう。そうに違いありません。

だとしたら、あたしはまんまと騙されたことになります。子履にとってはしてやったりでしょう。

何より、あたしは有莘ゆうしん氏のこのお屋敷での生活を楽しんでいるのです。今まで通りのんびり生活できればそれでいいのです。貴族と婚姻なんてしたら、それはもう権力争いとかで慌ただしく落ち着きのない生活が待っているに違いません。しかしあたしは平民である限り、そんな生活とは絶対に無縁のはずなのです。ふふ、とあたしはかすかに笑って壁にもたれました。


と、私の隣の椅子に別の子が座ってきました。


「センパイ、何か悩みっすか?」


明るい声で質問してくれるその後輩は、及隶きゅうたいという名前です。姓がきゅう、名がたいといいます。平民とは思えない美しい水色の髪の毛を伸ばしていますが、そばかすがあるのが女性としては難点かもしれません。


「ああー‥‥」


あたしはわざとらしく頭の後ろに腕を組んで、ぽんと壁にぶつけました。


「あたし、求婚されちゃったんだよ」

「ええーっ!えーっ!えーっ!お相手は誰っすか!?」

「貴族の小さい子供だよ!」


最初にインパクトのある言葉をぶつけて、反応を楽しんでからオチをつけます。及隶は大袈裟なくらい食いついてくれるので楽しいのです。身分の違いも有るし、子供はまだ分別のついていない年齢でしょうし、さすがに冗談か何かだと受け取ってくれるでしょう。

と思いましたが、及隶は目を丸くしていました。


「どうしたの?さすがに冗談だよ?」

「センパイ、それはもしかして今日のお客様、子履しりさまではないっすか?」

「え、知ってるの?」


それを言うと及隶は青ざめて頭を抱えました。


「どうしたのたい?」

「子履のお父様、子主癸ししゅきさま一族は義に厚く約束は絶対守ることで有名なところっすよ!?それに結婚にまつわる変な掟もあると噂っすよ!!」

「まあ、子供の言うことなんて誰も相手にしないでしょ」


子供の冗談に動揺していると後から恥ずかしくなってくるでしょう。あたしはふうっとため息をついて、近くのテーブルにあった水に手を伸ばしました。それでも及隶が動揺しているようだったので、自分が飲もうと思って取った水でしたが、及隶にあげました。

及隶はそれを乱暴に飲んでから少しむせたようで、あたしに空のカップを突き出すとしばらく手で口を押さえていました。あたしがその背中をなでてあげると、及隶は小さい声で言いました。


「子履さまは御主人様(※有莘ゆうしん氏)の息子と縁談のためにいらっしゃったと聞いたっす」

「うん、情報が早いね、それがどうしたの?」

「子履さまは分別のついた年頃っすよ?冗談で求婚するようなお方ではないっす!」

「ははは、まさか」


あたしの前世の9歳も、一般に物事の分別がまだついていない年頃だと思われています。だってまだ小学生ですよ?この世界の9歳もそうでしょう。あたしには前世の記憶があるから周りより利口に振る舞えますが、そうでない人のほうが圧倒的に多いでしょう。

子供の冗談に慌てることはありません。あたしが椅子から立ち上がって、少し遠くにあるカップへ手を伸ばそうとしたところで、突然侍女が血相を変えてキッチンに入ってきました。


伊摯いしっ!ここに伊摯はいますか!?」

「はい、あたしですが」


あたしがそっと手を上げると、侍女は激しく手招きをしました。


「御主人様がお呼びになっています!」

「えっ、あたしを、ですか?」

「とにかく、早く来なさい!」

「は、はい?」


あたしは言われるがままに、その侍女についていって早足で進みました。


◆ ◆ ◆


この屋敷の2階に、御主人様のお住まいになっている部屋などのほか、お客様をお招きする部屋もあります。あたしはその応接室へ通されました。平民ですから地面にひざをつけて、頭を深々と下げて丁寧に礼をします。


「伊摯でございます。ただいま参上いたしました」

「顔をあげよ」


顔を上げてみると、ローテーブルの向こう側のソファーに御主人様、あたしから見て右側のソファーに御主人様の息子様、左側にお客様と思われる男女一組、そしてさっき会った子履が座っていました。後ろには大量の付き人が控えています。

普段温厚な御主人様は、この時ばかりは険しい顔で怒鳴るように話していました。


「お嬢様がお会いになったのはこの方で間違いないでしょうか?」


御主人様がそう言うと、左側のソファーに座っている女性の大人が、子履に話しかけます。


、この人であってる?」

「はい」


子履は何のためらいもなく、はきはきと答えていました。

あたしは背筋が凍ったような気がしました。この短いやり取りで、あたしは事の重大さに気づいてしまったかもしれません。

御主人様は少し申し訳無さそうに頭を下げつつ、女性に話していました。


「この者の料理は、家内がいたく気に入っています。料理人なら他にもたくさんいるので、別の人にできないでしょうか?さらにけた者はいくらでも取り揃えております」

「履直々の指名なので、何とかできないでしょうか?」


様子を見るに、この女性はどうやら子履の母親のようです。やり取りを見ていると、あたしを結婚相手ではなくあくまで料理人として連れて帰ろうとしているようです。どのような作戦かは存じ上げませんが、最終的にあたしは子履と結婚することになってしまうかもしれません。

女同士の結婚なんて‥‥あたしには興味ないです。ただ冗談で言っただけなのに。しかしそこは貴族同士の話し合いの場、平民のあたしは口出しもできないまま、どんどん話が進んでしまいます。

最後に御主人様が、あたしに最後の命令を下しました。


「息子がしばらく商丘しょうきゅうにある子主癸ししゅき様の御邸で寝泊まりすることになったから、お前はその付き人として料理を作ってくれ。粗相はするな」

「ははーっ」


あたしは深く礼をして、応接室を出ていきました。


◆ ◆ ◆


なーんて思っていましたが、やっぱり冷静に考えてみれば貴族の令嬢が簡単に平民の同性と結婚したいと言うはずがありません。仮に本気でそう思っていたとしてもまず周りが止めるでしょうし、本人も15歳くらいになって分別のつく年頃になったら撤回してくるでしょう。何より貴族になって権力争いに巻き込まれて殺されたくないあたしは、そういうことを無理矢理考えることにしました。

とはいっても、商丘へ行くことになったのは事実です。あたしはリーダーとして、部下を何人か集めなければいけません。


「センパイ、大変なことになったっすね‥」


本気で結婚すると思い込んでいる及隶は絶対入れるとして、他のメンバーにも声をかけたところ何人か応募してくれました。

これから夕食を作りつつ荷造りしなければいけません。少し慌ただしくなったところで、また侍女がキッチンに入ってきました。


「お客様から竹簡ちくかんを預かりました」

「ありがとうございます」


あたしはその竹の束を受け取りました。子主癸からのものでしょう。この世界に紙というものは存在しますし普通に流通していますが、格の高い貴族は代わりに竹を割ったものに文字を書いて紐を通して束にして使っています。


「うわ、竹簡っすね、初めて見ました‥‥!」

「あたしも初めて触るよ」

「触らせてください、センパイ!」

「いいよ、はい」


そうやって及隶と少し遊んだところで、あたしはテーブルの上でその竹簡を開きました。

その内容を見て、その竹簡で軽薄に遊んでしまったことを後悔しました。


『履と婚約したことを聞きました。世間体がありますのではじめは料理人という格好ですが、いずれ結ばせますのでよろしく。この話を旦那は知っていますが、あなたの御主人様とその息子はまだ知りませんので、決して粗相のないように。子主癸』


あたしは今度こそ本当に背筋が凍りつきました。一介の召使いとして平穏な暮らしを送るという夢が崩れていく気がしました。隣で覗き見していた及隶も、これ以上無い微妙な表情をしていました。

おい止めろよおい。親だろ自分。

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