第10話 仲間ができました
この小説に登場する地名、登場予定の地名、その他の参考としての地名をまとめた地図を作成しました。後から修正する可能性もありますが、適宜参照いただき、小説の理解の補助となれば幸いです。なお、あくまで架空の地図であるということを念頭に入れていただきたいです。
https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=11VosZdr3vpuV0uFxANwq8ECkeLkTc6LH&usp=sharing
「なるほど‥結婚して貴族になるのが嫌なのですね‥レズはよく聞く話ですが、結婚まで発展するのはかなり珍しいですね」
任仲虺はあたしの話を聞きながら、うんうんと頷いていました。御主人様に無断で秘密を話すのははばかられますが、任仲虺の笑顔がまぶしいというか、お母さんに優しく暖かく微笑まれているような気がしたので結局話してしまったのでした。
その時、ドアがゆっくり開いて子履が戻ってきました。この世界の厠はすごくくさいので、その臭いをごまかすように子履は全身に柑(ミカン)のきつめの匂いをつけています。この匂いがなかなかいいのと、外出先のトイレによってはまた異なる匂いをつけてくることもありましたので、他人がトイレに行くのはあたしにとってちょっとした楽しみでありました。
子履があたしの隣の席に戻ると、今度は任仲虺が子履に言いました。
「そういえば伊摯さんは料理がお上手いと伺っておりましたが、わたくしも頂戴してよろしいでしょうか?」
「はい、ぜひ。なんならお泊まりください」
「いえいえ、わたくし宿もとっておりますし、突然押しかけてご厄介するわけには‥」
「こちらもお泊まりいただくつもりで準備しておりましたから、問題ございませんよ」
「まあ、でしたら宿に控えている使用人に一報を入れさせていただきます」
「それがよろしいです」
こういう、有莘氏のところでも以前の御主人様がやっているのをよく聞いた一連のやり取りというか儀式のようなものを済ませた後、任仲虺は部屋を出ていなくなりました。
そうしてあたしと2人きりになると、子履はぎゅっとあたしの手を握りました。
「‥寒くなりましたね」
子履の手のひらは、あたしの手の甲よりひんやりしていました。子履がぱちっと目を開けてあたしを上目遣いで見てきますので、あたしは耐えられなくなって子履の背中に手を回します。と思ったら子履が椅子をくいっと近づけて、あたしの肩の下にぺったんと顔を預けました。
「伊摯、温かいです‥」
見ず知らずのあたしのことがそこまで好きなのかな?と思いましたが、よく考えれば子履を結果的に姒臾から守ってしまったり、占いでいい結果を出してしまったりと、ここ数日を思い返しても距離が縮まるような要素しか出てきません。あたしは子履と疎遠でいるつもりでしたが、子履にとってあたしはもっと別の存在かもしれません。
「‥私を姒臾から守ってくださって、大変嬉しかったです」
「お嬢様は‥一介の使用人にすぎないあたしのことが好きなのですか?」
「好きですよ」
そう言って、子履はまたあたしの顔を見上げました。あたしは反応に困ってそっぽを向いていましたが、あたしの肩にもたれて目を閉じる子履が人形のようにかわいらしくて、気がつくと手が勝手に背中を撫でていました。手を止めようかと思いましたが、背中の触り心地がどうにも気持ちよくて温かくて止められません。
足音とドアが開く音がしたので、子履は慌ててあたしから離れました。相手が任仲虺であることを確認すると、椅子に座り直して茶の残りを飲みました。どうやら任仲虺には本当にまだ恋愛や結婚の話まではしていないようです。
「今日は弈をやりすぎましたね。伊摯さんの魔法も拝見したいのですが、もう外も暗くなりましたし明日お時間取れますか?」
「はい、大丈夫です。えっ、外が暗く?ああっ、申し訳ございません、夕食の支度をしてまいります!」
あたしは何度もぺこぺこ礼をして、駆けて部屋を出ていきました。
◆ ◆ ◆
キッチンで調理の途中、勝手口のドアがコンコンと叩かれました。それを開けた部下の料理人が驚いてあたしを呼びましたので行って見てみたら任仲虺でした。
他の料理人が恐縮するのもよくないのですが、やっぱり外は寒いので任仲虺をキッチンの隅の椅子に座らせました。あたしは料理を作っている途中でしたが、続きは及隶に任せることにしました。及隶もあたしの料理をいくらか覚えたようなので、腕も信用できます。
あたしは熱めのお茶を出して、任仲虺の傍らに立ちます。任仲虺が優しく「座ってください」と言ってくれたので、あたしは「失礼します」と言って座りました。
「伊摯さん、わたくしのことは対等な友人だとお考えいただいて結構ですよ。上下関係の礼儀は不要です。履さんもおそらく同じことをお考えでしょう」
「そんな、身に余るご厚遇をいただくわけにはまいりません」
「でも伊摯さんは魔法が使えるのですし、おそらく学園でもお付き合いが多くなりますよ。今のうちから対等に接することで、わたくしにもメリットはあります。問題ございませんよ」
「それでも、あの、学園でも使用人という立場ですから、平民は平民でございます」
貴族の生活とは距離を置きたいところです。あたしが何度も首を振って拒否したので任仲虺は諦めたようで、ふふっと小さく笑って茶を飲みます。
「それで、どのようなご用件で参りましたか?なんならこんな汚いところではなく、外へお呼び出しいただいても‥」
「お忙しいところ急に邪魔立てして申し訳ございませんし、呼び出しても移動時間が余計にかかってしまいますからね。でも履さんのいないところであなたとお話できる機会が限られていますので。至急お伝えしたいことがあり、参りました」
「といいますと?」
「本日、履さんはわたくしを利用して、あなたも含めた3人で入浴するつもりでございます」
この世界に実はお風呂なんてありません。いえ、あるにはあるんですが国王が儀式のときに使うものくらいで、一般貴族ですら前世のシャワーみたいに湯で体をさっと洗い流すだけです。しかし子履が何年か前に「毎日風呂に入りたい」などと言い出して、屋敷の一室に浴室をしつらえてしまったのです。さすがに儀式のための行為を毎日行うのに子示癸は苦笑いしていたらしいのですが、そのうち慣れて入浴は半ば家族の習慣のようになってしまっていました。この話が街に広まるや街の人達もすっかり感化されて、商の国のあちこちの家で浴室ができてしまったのだとか。ちなみに銭湯というものもできたのですが、これは子履の発案らしいです。発明家ですね。
あたしもたまに銭湯に入りに行っていますが、さすがに屋敷の風呂に入らせていただくわけにはいきません。それに子履と裸の付き合いになってしまうではないですか。裸‥はだ‥‥。考えるだけで恐ろしいです。
「どうしますか?無理ならわたくしのほうから断りますが」
「は、はい、ぜひお願いします」
あたしは精一杯頭を下げました。すると任仲虺はまたふふっと笑って言いました。
「わたくしがあなたのために入浴をやめさせますけど‥その見返りはありますか?」
「‥‥といいますと?」
「なんてことはありません。わたくしと一緒に寝てくださいますか?」
「ええっ!?」
「もちろんわたくしに性的な気持ちはございません。これは誓います。せっかく平民と友人になったのですから、平民の苦労話を間近でお聞きしたいのです」
「え、ええっ!?」
友人なんて身に余る厚遇、と言いかけましたが任仲虺はにこにこ笑っています。そんな純粋な笑顔を見ていると、あたしは何か言い返す気も失せました。
「‥‥は、はい、分かりました‥」
「ふふ、交渉成立ですね。それでは料理のお邪魔ですので、これで失礼いたします」
あたしは何度も頭を下げて、勝手口から出ていく任仲虺を見送りました。
貴族と友人になった上に、一緒に寝る、ですか‥‥これはかなり大変なことになりましたね。
史実と異なる点があれば(登場人物が女性になってる点、伊尹ではなく子履のほうから追いかけてる展開になってることなどを除いて)出典(中国語可)を添えてご指摘いただけますと幸いです。




