罩(とう) -Medicine of love- 【高遠香奈生誕祭2021】
ぴろん☆
何かメッセージが届いたらしい。ジャスティナは洗い物をしていた手を止めて、ポケットの中から携帯を取り出し内容を確認した。
「そう。熱は下がったのね、良かった」
一人つぶやきながらお見舞いの返事を打ち込む。何度かそれを繰り返して、相手との文面での会話を楽しんでいると、ふと気になるメッセージが届いた。
『ごめんね、彼が来ちゃったからまたあとd』
「叱られたりしなきゃいいけど」
言いながら、それは万が一にもないだろうなと思う。
だって、病気の時は当社比二倍(?)だし。
砂糖菓子みたいな二人に限って……ねぇ。
「カナちゃん」
部屋の扉が静かに開かれた気配に続いて、低く咎めるように発せられた声にぎくりとする。そうしてこちらに近づいてきた足音が止むと、観念して毛布から顔を覗かせた。
「起きてるかなと思って、お昼ごはんを持ってきたんだけど……その様子じゃ、ずいぶん前から目が覚めてたみたいだね」
毛布の下から漏れる携帯の明かりに気づいたのだろう。マスクを着け胡乱な目を向けてくる浩隆に、香奈は身をちぢこめうそぶく。
「だって、ただ寝てるのにも飽きちゃったんだもん」
「だってじゃないよ。会社を休んでいるのはなんのため?」
突きつけられたまったくの正論に、毛布を顔の半分、ノーズワイヤーの高さまで引っ張り上げた。
季節は秋10月。手がけていた仕事にひと区切りがついたところで、非常にタチの悪い風邪を引き当てたのが判明したのは5日前。通院と服薬によって、その後数日に渡って続いた高熱も昨晩には下がり、酷かった咳も治まってきていたが、体面もあってか会社からは完治を厳命されているため、現状休暇を続けるほかなかった。
「風邪は万病の元。熱と咳で体力は相当落ちてるはずだし、休養するに越したことはないからね。大人しくじっとしてなさい」
昨日の昼まで来てくれていた実母に代わり、その後の看病を申し出た彼が、ベッド脇のテーブルに向かいながら言う。
「大丈夫、もう平気よ。昨日までと違って身体も楽になったし、ほら、こうしてても辛くないくらいには回復してるんだから」
ベッドの上でゆっくりと身を起こし、厚手のストールを肩にかけて主張する。
「確かに、今日は顔色がいいみたいだけど」
「そうでしょ? それにヒロだって本当は仕事が忙しいんじゃないの? 看護のためにわざわざ休みを取ってくれなくても、あとは自分一人でなんとでも」
「ダメだよ」
あとひと押しというところで、ことのほか強く遮られると同時に、サイドテーブルに置かれた盆の上でレンゲが小さな音を立てて揺れた。
「ヒロ?」
そのままの姿勢でこちらを向かないその横顔。マスクで口元は見えないが、軽く寄せられた眉に心情を垣間見る。
ああ、そうか。
理由を察するや一気に勢いがしぼんでいき、入れ代わりに罪悪感と切なさが胸に湧いて思わず手を伸ばす。
「ごめんね」
前腕に触れて口にすると、彼がこちらを向き小さな息をついた。
「いいや、僕の方こそごめん。ついむきになって」
少し気まずそうな雰囲気そのままに、ベッドの端にゆっくりと腰を下ろす。
「カナちゃんが何日も寝込むなんて思わなくて」
「うん」
「母さんの時も……ひどい風邪を引いたのが始まりだったから、少し不安になったんだ」
素直に口にされた本心を、うんと頷いて受け止める。
「心配してくれてたのよね。ありがとう」
当然だよ、と前腕に触れていた手をベッドに下ろし握り返してくる。
「それに、仕事のことは本当に気遣ってくれなくてもいんだ。在宅勤務でもなるべく支障がないように整理してきたし。でも、そんなことよりも」
ふいに語末がどこか面白がっているように聞こえ、香奈は首を傾げて覗き込む。
「普段から健康体を自負してたカナちゃんの看病ができるなんて、それこそ千載一遇、こんな珍しい機会を逃す手はないと思って」
「は?」
「ベッドで大人しくしてる君を見て、一層愛おしくなったっていうか、手厚く介抱してあげたいなぁと思ってね」
それはいわゆる看護の心の一種、それとも庇護欲だろうか。のみならず、探究心とか好奇心に似た気配も同時に感じ取れるのは気のせいかと、香奈は考えかけてすぐにそっと蓋をした。
「小さい頃に見様見真似で覚えたものだけど、不自由させないくらいにはできてるかな?」
「素人であれだけできれば十分よ。シーツの取替とか着替とか、手際がいいって昨日お母さんに褒められてたじゃない。それに清拭も、身綺麗になれたしすごく気持ちよかったわよ」
「熱が下がったから、体調が良ければ今晩は軽いシャワーもいいとは思うけど、どうせならまた拭かせてくれない?」
バカ! と下心を責めると、彼ははぐらかすように軽く笑った。
「それよりも、さ」
じゃれ合いのようなやり取りから一転、言葉を濁し目元に険を宿らせ、深刻さをあらわにする様子に、一体何事かと不安げにうかがう。
「どうしたの?」
「実はね、一等困ってることがあるんだ」
「え」
言うなり握られた手に力が込もり、身が寄せられて顔が間近に迫ったと思った刹那、
かさり。
何かが軽く触れ合った音がした。
「おあずけ」
かち合った視線の中で笑み、ひそりと口にした後で立ち上がる。完全に面食らい頭が真っ白になっていた香奈は、遠ざかっていくその姿をただ見ていることしかできなかった。そうして部屋の入り口にまで至った彼が、おもむろにこちらを振り返ったところで我に返る。
「それ、お粥。前にカナちゃんが作ってくれたのと同じくらい愛情を込めて作ったからね、食べたらちゃんと寝るんだよ」
最後におやすみと手を振り残すと、扉を締め去ってしまった。
しんと静まった室内。一人残されたのを自覚した直後、身体の熱がぎゅんと跳ね上がったのがわかった。急激な反応にあわあわしながら、じんじんする頬を両手で押さえて思う。
「そういえば」
この数日間、いちども。
だから今唇に感じているそれは、完全に自分の想像の産物だ。そう理解しているからなおのこと、羞恥心が煽られ、そのまま背中からベッドに倒れ込んだ。
「もう……完ッ全に逆効果じゃない」
更に熱を増していく顔と早鐘のように打つ鼓動。そうなるように仕向けておきながら「寝ていろ」とは、なんという意地悪だろうか。とにかく落ち着こうと深呼吸を繰り返していると、ふとスツールの上の小鍋に思い至り、再び起き上がった。
手を伸ばして盆を膝に乗せ、まだ熱い蓋に注意しながらゆっくり持ち上げる。開けた瞬間、ふわっと漏れ出た湯気と甘い香りを吸い込むとひとときほっとした。
「そういえば『前に』って」
いつのことだろうとふと疑問が湧き、しばし記憶を手繰って。
「あ」
合点するや、あっさり陥落してぼそっとつぶやく。
「早く治そ」
別に、そういう意味じゃないから!
誰にともなくそう心の中で言い訳をしたうえで、香奈は久しぶりのまともな食事をするべく、白いレンゲを手に取った。
ふうふう、ふー。
はぷ。
「……ん、美味し」
ぴろん☆
「あら」
数時間の後、再び届いたメッセージに目を通す。
『ヒロが天然イケメン過ぎてツラい』
明らかに昼間より浮ついたその文面。しかしそのおかげで、回復への意欲は俄然高まったようだ。この調子なら――数日後の彼女の誕生日は、例年通り皆で祝うことができるだろう。
「天然イケメンと天然乙女、か」
どっちもどっちのいい勝負、だからいつまでもお互いにときめくことができるのよね、とふと思う。
「これからも全私が推すわ」
くっと軽く拳を握りつつ、ジャステイナは、自分も幸せのおすそ分けをもらった気がして微笑んだ。