生への足掻き
「ぃイイイイイイイイイイ!」
死んだ。と、そう思った。
身体は竦んで全く動くことが出来なかった。化け物が叫んだ時に体が一度反射的に痙攣した以外、そこから化け物がこちらに一歩踏み込みながら腕を振るっている時も、体は全く動くことが出来なかった。
だから、化け物の腕が頭にぶち当たらなかったことは神の気まぐれだったのだろうか。化け物は目前まで迫っていた腕を突然引っ込めた後、苦しそうに頭を掻きむしりながら膝をついた。
(・・・・あれ、生きてる)
化け物が膝をついてうなり声をあげている最初の数秒間、なにも考えることもなく立ち尽くしていたが、ようやく自分が生きていることに気づいたのか、脳が動き出す。
「ッ・・・!」
逃げた。
とにかく化け物が少しでも長くそこで動かないことを祈りながら、太一は背をくるりと翻すと全力で走り始めた。
「ハッ・・ハッ・・なんなんだよあれは・・・!」
荒く呼吸を繰り返しながら俺は化け物について考える。恐らくあれが朝、八木が言ってた例の神隠しで現れたという化け物で間違いないだろう。
「くそっ!話半分で聞いてるんじゃなかった!殺されるッ!あれは本気でヤバイ!」
(あんなのが平然とこんな町にいてたまるかよ、どうなってんだいったい!)
太一は興奮のあまり思考が滅茶苦茶になるのを自覚しながらも生きるために走り続ける。すると、空き地を抜けた田んぼの脇道の終着点に自分の自転車があるのが目に入った。
「よし!あとは自転車に乗って逃げ」
ズン!
大地が揺れた。
走っていた太一の前に突然空から化け物が降ってきた。先程空き地で唸っていた化け物が太一を逃がさないように上から回り込んできたのだ。
「も、もうちょっとなのに!」
化け物の後ろには自転車が止めてあり、邪魔さえなければすぐさま自転車に乗り込むことが出来る位置まで来ていた。両脇には田んぼがあり、足を踏み込むと身動きがとれなくなり一発アウトだろう。
諦めとそしてどうにでもなれ、とここにきて俺は覚悟を決めた。
「どうやらあんたをどかさないことには、俺は生き残れないらしいな」
両脇には田んぼ、道はこの脇道一本のみ、ここはなんとか化け物に一発入れて怯んだうちに脇を通り抜けて自転車に乗る。それしかない。
「・・・」
俺は、左半身を前に右半身を後ろにして軽く構え化け物が攻撃してくるのを待つ。
「アウィイイイイイイイ!」
化け物は喜びの感情を含めたような叫び声をあげながら右腕を大きく横に振りながら殴りかかってきた。
そう、俺はこの腕を振り回す攻撃を待っていたのだ。というか、これ以外だと恐らくその時点で死んでいただろう。体全体でタックルされたり、反応できないくらい素早い打撃や掴み等は、最初から選択肢からは捨てていた。というか対処ができない。
とんでもなく早い攻撃だが、腕の射程圏内からワンステップで避けられる位置までじりじり後退していたおかげでギリギリ回避することに成功する。
「っ!」
これまでの化け物の攻撃と八木の聞いた話しから推測するに、あまり理性的な攻撃方法を取らないであろうことは分かっていたので、太一は腕を後ろに下がり避けた後、大きな隙ができると考えていた。
化け物は当たると思っていたのか、全力で腕を振りぬいたため、上半身が腕と共に回転してしまい太一の踏み込みに対処ができていない。
「予想以上ォ―――!」
あまりにも上手くいったため、つい口をついた叫びをあげながら俺は前に踏み込む。
右足に力を籠め体を前に押し出し左足から着地、そのまま沈んだ体を引き上げながら遅れてくる右足を左足まで引き寄せる。そして左足を軸にしながら腰を少しずつ回転しつつ、左足で前に踏み切った。つまりは前にジャンプした。そして空中で貯めた回転エネルギーを腰を回し右足へ―――。
“飛び上段回し蹴り”
右足は完璧な手ごたえとともに化け物の顔を横から蹴りぬいた。そう、完璧に決まったはずだった。
「ィイ?」
化け物は毛ほども効いていないかのように平然と崩れていた体勢を元に戻した。
太一は飛んだあと全力で蹴りぬいたため体勢を崩し腰から地面に落ちている。
化け物は地面に落ちた太一の足をむんずと掴んでから逆さづりにしながら持ち上げる。
会心の蹴りも通じず、惨めに持ち上げられた太一は強く、死を予感した。
(こんなところで、死んでたまるか!俺は家族のために生きなくちゃいけないんだ!)
必死に諦めそうになる心を押さえつけながら逆転する方法を考える。
そうだ。思い出した。あれはたしか八木が話していた事だったか。
『男より力の劣る女子供でも相手を一撃で戦闘不能にできる人体急所に"人中"ってのがあってな、その一つである鼻と口の間にあるくぼみに打撃を入れるととんでもない激痛が走るんだってよ』
現在太一の足は左足は化け物に掴まれており右足に関しては、ちょうど化け物の鼻あたりに膝が来ている。
(こいつが素直に蹴らせてくれるかは分からないが、やってみるしかない)
太一は頭に血が上り意識がふらふらになりながらも両腕でがっしりと化け物の体に抱き着いた。そしてすぐさま掴まれていない方の右足を溜めを作るために後ろに引く。
何かをしてきそうな気配を感じたのか、化け物が動き出そうとしている。
「させるかっ!」
化け物のずっしりと立っている体を大地に見立てて太一は、上半身で化け物の体を掴み、支えを得た右足を加速させて膝蹴りを顔面に放った。
「!?ィイイイイイ!」
流石に逆さになりながら放った膝蹴りは威力は十分というわけにはいかなかったが、化け物の不意をついたのか多少はダメージが通ったらしい。
("人中"に入ったかは分からないけど、間違いなく鼻は潰した感触があった・・・!)
化け物は痛みから、耳障りな声を出しながら太一を空中に放り投げた。
「えっ」
放り出されるように空中から投げられたため、体が平衡感を失い受け身を取る方向すら分からないまま太一は地面に叩きつけられた。
「っ、っ!」
正面から地面に落ちたため呼吸ができなくなる。必死に酸素を肺に取り込もうとするが上手く呼吸ができない。
そして、呼吸ができるようになった時には、化け物が怒り心頭といった顔つきで上から見下ろしているところだった。
(なんだ、ダメージが通ったといっても鼻血の一つも出てやしないのか。)
正面から太一に止めを刺すべく腕を振り上げている化け物の顔をみながら太一は場違いにもそんなことを考えていた。
結局最初から一矢報いることすら不可能だったのだ。鼻を強打して生物の反射運動で少し怯ませただけ。出来たのはそれくらいだった。
(そもそもこんな化け物を人間がどうこうできるわけ無かったってわけか・・・)
「ははは・・・流石に死んだかな」
倒れている俺に上から必殺の一撃が降ってくる。
(ごめん母ちゃん、あの約束守れなさそうだ)
来るであろう衝撃に備えて眼を閉じる。
「・・・・・・・?」
おかしい、いつまでたっても衝撃がこない。
「相変わらずパワーだけなら一級品だな。流石の俺の手もぶるっときてるぜ」
目を開くとノースリーブ姿の髪の毛がぼさぼさ頭の男が化け物の拳を腕で受け止めていた。
上から打ち下ろした腕に対して左手で回し受けのような形で受け、右手は化け物の打ち下ろした腕の肘の内側に縦拳で突き刺さっている。
「よぉーガキ、さっきの蹴りは素人にしてはなかなかいい線いってたぜ」
「あ、あんたは一体」
「んー?いや別にお前さんを助けに来たとかそういうかっこいい奴じゃないんだけどな?」
男は攻撃を受けた体制からこちらに振り替えると、なにやら面白そうに口元をにやっとさせながら呟く。
「ようやく化け物の気配がしてみたから来てみたら、なにやら面白そうなことになってるなぁってそこでさっきまで見学してたくらいだしよ。」
男はそういって道路の向こう側にあるバス停留所のベンチを顎で指した。
「予想外にただのガキが粘っていたもんでな、久々に生を感じさせる気持ちいいあがきを見せてもらったよ」
男がこちらを向いて喋っている間に化け物は目の前の男を消し去るために全力で体を捻り攻撃を繰り出そうとしていた。
「ちょっと!前!前!」
「だから、これはお礼なんだぜ。自分に感謝しな?ガキ。お前が必死に生にしがみつこうと足掻いたから生き残れるんだぜ。」
男が言い終わるうちに化け物は下から救い上げるようにために溜めた腕を振り上げていた。
直撃すれば体全てが怪物の爪によりスプラッタ映像間違いなしの光景になるだろう攻撃を、男はまるで来るタイミングが分かっていたようにこちらに体を向けたまま、大きく一歩化け物の方に踏み込むことにより攻撃を避けた。
(速く踏み込んでるわけでもないのに攻撃を・・・いやタイミングがよすぎるんだ)
男は背中を向けた状態から化け物の攻撃後の隙だらけの腕を下から掴み、その手を前に引っ張りながらがら空きになっている脇に肘打ちを叩き込んだ。
「?・・・・ギィ・・ッィイイイァアアアアア!」
「痛てぇだろ。そこは痛いんだ、これに懲りたらあんまりにも隙だらけの攻撃はやめるんだな」
化け物はダメージを大きく食らったのか、大きくバックジャンプをして道路のほうに移動し男から距離を取る。
男の方は、ようやく怪物のほうにゆっくり体を向ける。
「もともとお前と遊ぶつもりだったんだ、もっと楽しませてくれないとなぁ」
化け物は睨みを付けながらその場にじっとしていたので、男は化け物との距離を歩いて詰めていく。そして化け物の攻撃射程圏に男が踏み込んだ瞬間に突然唸り声をあげながら化け物が動いた。
しかし、男のスピードはそれをさらに上回る。
「おせぇ」
太一の目からは化け物が攻撃しようとしたら急に膝をついて倒れたようにしか見えなかった。
(まさか攻撃するそぶりをみてから、高速で顎にジャブを打ったのか。早すぎて殴ったモーションすらみえなかった)
化け物からするとなんで自分が倒れているのかすら分かってないかもしれない。俺は気づくと体を起こしながら、まるで漫画のようなその戦闘に見入っていた。
「おいおいおいおい、さっきいっただろ?大振りな攻撃はやめろって。ほら、いつまで倒れてんだよ。そんなに強くは打ってないから立てるだろ?それとも手を引っ張ってやらないと置き上がれないってぇのかぁ?」
化け物は膝から倒れた体勢から突然跳ね起きながら爪で男を狙った。
「ィァイイイイイイ!」
男は貫手のように放たれた攻撃を後ろにさがりつつ冷静に捌いた。しかし、化け物も今回は攻撃をした瞬間に隙を見せないように細かく攻撃を繰り出す。男は再びそれを捌きながら反撃に左手で突きを放つも化け物はしっかりと腕でガードをして反撃を通さない。
何回か攻撃のやり取りをした後、男が少し後ろに下がり間を作る。
男は顔に満面の笑みを浮かべながら言った。
「ようやくわかってくれたかぁ。やっぱり頭の悪い奴に物を教えるときは直接指導してやんねぇとな。いまの調子でどんどんかかってこい。ただし、3回ダウンしたら遊びは終わりだ、既に一回ダウンしてるから後2回までは付き合ってやる」
再び男と化け物がじりじりとお互いの射程圏内で攻撃のチャンスを窺い始めた。
最初に動いたのは男だった。踏み込んで左手で高速の突きを放ちそれを化け物がガードした瞬間、更に密着するために近寄った。
密着されると当然体が大きい化け物は攻撃がしづらくなり、防御一辺倒になる。ひたすらガードを固めていたが、ガードをすり抜けて腹部に一発もらってしまう。
「ィイギィっ」
化け物はたまらず距離を取るために後ろに下がった。が、後ろにバックジャンプすると全く同時に男も前に詰めていた。
「いい選択肢だぜ。だが俺は逃がさないけどな」
(上手い、自分に有利な距離で戦うことによって相手に引くか無理やり反撃させるかの選択を迫ったんだ。当然化け物はローリスクな距離を開ける方を選んだが、あの男は完璧にそれを読んでいた。)
太一は離れたところから戦闘を見ることで冷静に分析していたが。同時に人間業じゃないと思わず声を出していた。
「普通下がるとわかってても、あんなにぴったり詰めることなんてできるわけが・・・」
化け物は着地する前に男を振り払うように空中で手を振るったが腰の入ってない攻撃では男はびくともしなかった。
そして着地する間際に男は化け物の片足を自分の足で払い、左手で服の襟を掴んだ。化け物は片足で不安定に着地した瞬間に男に襟を掴まれたまま更に後ろに押される。そのまま倒れそうな化け物に男が無情にも顔に拳骨を思いきり叩き込んだ。
ズズゥウン
沈んだ。
まさにそう表現するような地響きを立てて化け物の巨体はアスファルトというリングの上に倒れこんだ。
「さぁ、2回目のダウンだぞー。あと一回だからなー」
男は楽しそうにいーち、にー、さーん、とカウントしていったが、化け物は全く反応を見せずに10カウントを数え終わっても起き上がることは無かった。
「あ、あれ?おかしいなちゃんと手加減したのに。それに体力がなくなった予兆もきてないしまだ動くはずなんだけどな。」
男が慌てふためいて化け物の上でがんばれーがんばれーと謎のダンスを踊っていると、意識を取り戻したのかゆっくりと化け物が立ち上がった。
男は嬉しそうに化け物が起き上がるのを見ながらシャドーボクシングを始めている。
「よーしよしよし!、じゃあ3ラウンド目やるぞぉ」
嬉しそうにシャドーボクシングを始めている男を横目に化け物は腰を落としてしゃがむとすごい勢いで跳躍していった。男から逃げるように。
ポカーンと口を開けたままそれを見ていた男は
「え?お前ら逃げるとかそういう思考出来るんかい!ちょっと待てや逃がさんぞ!」
そういうと、男も化け物のようにすごい勢いでジャンプして追いかけて行ってしまった。
「・・よくわからないんだけど終わったの?」
太一は静まり返っている薄暗闇の夏の夜にポツリとそう呟いた。