不穏な先輩
八木にヘッドロックを掛けられた後、特に何事もなくそしていつも通り太一は授業中に爆睡していた。いまだに体力が戻り切っていないため別に寝る気がなくても授業が始まって3分ほどで頭がふらふらになり寝てしまうのだ。
授業中に寝てしまうという経験自体はそれなりに多くの人間が体験していることだと思う。体育の授業の後やお昼が終わった次の授業等では本人の寝る気あるなしに関わらず思わず寝てしまっていた、そんなことは多くの人が経験したことがあるのではないだろうか。
そういう場合は大抵どこかのタイミングで起きたり終わる寸前には意識が戻ってきている場合が多いだろう。
しかし、今の太一のように最初から起きる気がなく周りを気にしないくらい寝るとどうなるのか。
授業の終了を表す鐘の音が教室に設置してあるスピーカーから大きな音で流れてくる。
「よし、今日の授業はここまでだ。終了の号令を頼む」
「きりーつ!」
がたがたがた、と生徒達がやっと終わったー等とぼやきながら席を立つ中一人だけ未だに机で突っ伏して寝ている生徒がいた。そう、太一である。
「ん?誰だ寝ているのは」
もじゃもじゃした頭を掻きながら先程まで数学を教えていた先生は生徒が皆立っている中一人だけ座って微動だにせずに寝ている太一を誰か起こしてやれと近くの生徒に声を掛ける。
「おい、太一終了の号令だぞ起きろ!」
前の席の八木が先生に声の掛けられた生徒が何かを言う前に小声で肩を揺すりながら太一を起こす。
太一は何度か肩を揺すられた後ようやく意識が覚醒した。
「んー・・・・・」
ごしごしと目を擦りながらぼーっとした状態で太一は他の生徒同様席を立った。
「あぁ藤原だったか」
先生はようやくそこで寝ていたのが太一だということに気づいたようで、それならば納得だというような表情をする。
「しかし藤原よ、号令がかかっても起きないのは今回が初めてだな。まぁ先週はどうやらぶっ倒れたようだしまだ体調が戻っていないのかもしれないが・・・まぁ調子が悪いようなら早めに保健室にいけよー。よしじゃあ号令再開してくれ」
この学校の先生であれば、藤原太一という生徒が授業中に寝てばかりいることは一般常識のようになっているため、今更そんなことで太一が叱られることは無い。
そのまま授業が終わった後、未だにぼーっとしている太一に八木が話しかけてくる。
「おい、お前流石にさっきから寝すぎだぞ。いくら何でも号令の合図が出たら普通起きるだろ」
実は既にこのやり取りも数回行っていて、先程の前の授業でも終わった後、八木に寝すぎ、と注意されていた。体調に関しても何にも問題ないと言っているので余計に達が悪く、だったら起きてろよという話なのだが。
「いやーぐっすり寝るのが久々過ぎてつい寝過ごしちゃってさ」
太一はぐーっと手を上にあげて身体を伸ばすことでようやく先程の授業中の眠気が取れていく。
授業中にひたすら寝る生徒と言えば学校に来てから帰るまでひたすら授業中も休み時間も関係なく寝る生徒と休み時間は必ず起きるのに授業中は必ず寝る生徒のだいたい2種類に分別される。もちろん太一は後者だ。
「ったくよぉ、今から昼飯だぜ?それに今日はお前の話を聞くってことで鳴海さんも一緒なんだから今更保健室行くとかやめてくれよ?」
八木の言った通り今日は雫も一緒にお昼を食べることになっている。なんでも以前保健室で帰り際に言っていた俺のきょうだいの話が聞きたいんだそうだ。わざわざ昼に時間を取って貰わなくてもいいと言ったのだが、逆にそれ以外に時間が取れそうにないとの事だったのでじゃあそうしますか、となったのだ。
俺は授業で使わないくせに広げるだけ広げた教科書を片付けながら、
「別に気分が悪いわけじゃないし、保健室には行かないって。それより鳴海さん先に外に出てるんだろ?俺たちも準備をして早く行かないと」
「さっきまで爆睡してた奴にそれを言われるとはな・・・」
八木も太一が大丈夫そうなのを確認してから昼飯の準備に取り掛かる。
ちなみに太一が言っていた外に行くというのは、教室で3人でご飯を食べていると要らない厄介に巻き込まれるかもしれないので、人の目から外れた場所でお昼を取るために教室の外に出ようということだ。
「よし、太一準備出来たろ?行くぞ」
「おう」
教室の中ではまだ多くの生徒が友達と談笑をしながらゆっくりと弁当を取り出し準備をしている最中に、太一達はそそくさと弁当を片手に教室を後にした。
――――――――――――――――――
この暑い真夏にお昼から炎天下の日差しの下でご飯を食べるなんて狂気の沙汰としか思えないのだが、鳴海さん曰く涼しくていい場所があるそうなので、俺と八木はそこに向かっていた。
「太一よ、鳴海さんが言ったとはいえ本当にこんなくそ暑いところで飯を食える場所があると思うか?」
八木は廊下を歩きながら既に暑くてしょうがないのか、手をうちわのようにして自分に頼りない風を送りながら聞いてくる。
「んー、確かに暑いけどよくよく考えたら教室にクーラーが付いていない時点で中も外も案外暑さは変わんなかったりするとか?」
実際にこの季節になると、日差しさえ当たらない場所なら外だろうと中だろうと暑さは変わらない気もする。それに室内だと外よりも風通しが良くないということもあり下手すると外の方が涼しいまであったりするかもしれない。
「あー言われてみれば確かに今廊下にいるけどあっちぃもんな・・・それより場所は第2体育館前の通路でいいんだったよな?」
「だったはず・・・だけど、そこに鳴海さんがいるってことなのかな?」
太一と八木は雫にとりあえずここに来てほしいと言われただけで実は具体的な場所は何一つ分かっていなかった。
そうして二人で暑さを隠し切れずに精彩を欠いた足取りで歩いていると丁度反対側の廊下から雫が歩いて来た。
「あれ?鳴海さんどうしてそっちの廊下から?」
特に何も考えずに八木は言ったのだろう。単純に第二体育館に行こうとするならそちらの廊下を通る必要がないからだ。しかし、そもそも何にもないのであれば太一達と一緒に行動すればよいだけなのだ。つまり元々何かしらの用があって先に教室を抜け出していたので反対側の廊下から来た、とただそういうことなのだろう。
(というか、鳴海さん"用"があるって言ってたしな)
雫もあれ?おかしいなと思ったのか苦笑いをしながら返事をした。
「少しやることがありまして、少し寄り道をしていました。あれ?言ってませんでしたか?」
「あぁ、そういやそうだった・・・・うん」
暑さで思考もおかしくなっているのだろうか、八木も自分で言ってから俺何言ってんだろみたいな顔をしている。
「でも丁度良かったです。もし、待たせてたらどうしようと思っていたので」
雫は八木のおかしいところに気づく様子はないまま笑いかける。
俺たちはここにいても熱いだけだし早く飯を食いに行こうと、第二体育館に向かって歩き出す。
そうして体育館前の通路口付近を歩いていると体育館の方から歩いてくる人影が見えた。
その人物はこの学校の制服を着ていることからここの生徒なのだろう。しかし、シャツがズボンからそのまま出ていたり首や手首にアクセサリーを付けていたりと明らかに校則違反な恰好をしていた。体格も大きく中学生にして既に身長は180cm位あるように見える。
その男は、驚いたように目を見開いた後、肩を揺らして笑いを堪えながらこちらに歩いてくる。
「っくっくっく・・・太一お前、早すぎだぜ」
八木は瞬時に警戒態勢に入る。
「藤堂!いつ出てきやがった!またなんか太一にちょっかいかけ――」
太一は警戒する八木を手で遮りながら藤堂に話しかける。
「藤堂"先輩"。少年院から戻ってきてたんですね。それはそうと俺に何か用ですか?」
「あ?用?・・・なんだてめぇら変な顔しやがって偶々に決まってんだろ。ただお前のむかつく顔を見てたら急に用を思い出してきたなぁ?」
藤堂は拳を鳴らしながら近づいてきた。
先程までとは明らかに違う敵意のようなものをぶつけられているのを感じる。そして、ゆっくりと歩いてきた藤堂は太一の目の前で止まり上から睨みつけた。
隣で八木がいつでも手出し出来るように身構える。
俺も流石にこうなっては暴力沙汰も避けられないかと、軽く手を上にあげ何が起こってもすぐ動けるように形を作った。
「やめてください!」
まさに一触即発の状況に雫が声を掛けて割って入って来る。
「こんなところで、暴力沙汰を起こすつもりですか!そんなことをしても誰の特にもならないし何の解決にもなりません!」
藤堂は急に割り込んできたよく分からない女をうざそうに見た後太一に振り返り口を開く。
「おい、なんだこのくそうぜぇ女は」
「そ――」
「私は、最近八木君達のクラスに転校してきた2年生の鳴海雫といいます。」
太一が答えようとすると横から雫が口を挟む形で自己紹介をした。
藤堂は心底面倒くさそうに雫を見た後そのままゆっくりと太一達の横をすり抜けて歩いていく。
「気分じゃなくなった」
八木は遠ざかっていく藤堂をじっと睨みつけた後完全に姿が見えなくなったのを確認すると、ようやく安心できたのか大きくため息を吐いた。
「あーびっくりしたぜ。あいつあれだけの事やらかしといてまだこの町にいたんだな」
「いや俺も正直びっくりした。もう顔を見ることもないと思ってたからなぁ」
俺と八木があーだこーだ喋っていると、
「あのーそれでさっきの方は一体誰なのでしょうか?藤原君達の言い方から考えるに先輩だということはわかりましたけど・・・」
雫は可愛らしく首をこてんと傾けながら訊ねてくる。
「あぁ鳴海さんはあいつ知らないよな、えっと――」
「おい、太一別にここで話さなくてもいいだろ?飯に食いに行ってからでいいんじゃねぇか?」
八木は先ほどと同じように暑いのか手でパタパタと自分を仰ぎながら喋る。
「そうですね、とにかく移動してからにしましょうか」
そう雫が返事をした後、太一達はお昼を食べに移動を開始した。
――――――――――――――――――
雫が第二体育館から少し歩いて太一達を連れて来た場所は川だった。
この学校は県内では唯一川が敷地内に流れているということで実はかなり珍しかったりする。しかし、川と言ってもそんなに広い幅は無くこの学校の生徒も「あぁなんか小さい川があるんだな」くらいにしか認識されていない。
「どうですか?ここなら水で体を冷やしながらお昼を食べることが出来ますよ!」
川に連れて来て早々に雫は太一達に振り返りながらどうだと言わんばかりにドヤ顔をする。
太一達は何とも言えない顔でお互いを見た後質問をした。
「え?鳴海さんマジでここで飯食うの?」
八木が改めてそう質問するのも当然で、どう見てもここは食事をするような場所ではなくまた涼むにしてもこの川ではその効果を得られるように思えなかった。
「まぁ見ただけではそう思いますよね。ではそれを確認するためにもまずは近づいてみましょうか」
雫も当然この手の話題を振られることはあらかじめ予想していたのだろう。なので八木の質問に対して嫌な顔一つせずに、実際に川に入ってから判断しろと言わんばかりに太一と八木を川に近づくように誘導する。
しぶしぶ近づいて改めて川の様子を見てみる。なるほど、確かに少し離れたところから見るよりは水量もあり水も綺麗なように見える。そうして俺が水辺を見渡していると、八木はおもむろに屈んで川の水に手を入れようとしていた。
「どうせ、川の水はぬるいんだろ?・・・あれ」
思っていたのとは違う反応をした八木に俺は思わず聞いてしまう。
「まさか・・・冷たいのか?」
八木は俺の質問に肯定するかのように今度はもう片方の手を川の中に突っ込み両手で水を救い上げると突然俺に水を掛けて来た。
「うわっ何しやがる・・・・あれ、たしかにこれ冷たいぞ」
その水は夏の暑さでぬるくなった水ではあり得ないほどに冷えていた。俺と八木はもっと川の冷たさを味わうべく靴を脱ぎ捨てて川の中にザブザブと足を入れた。
「おぉおお!これ本当にすごい冷たいぞ?どうなってんだ・・・」
「しかも、川の中も苔でもっとぬるぬるしてるかとおもったけど全然そんなことねぇな」
そうして、太一と八木が川の冷たさに驚嘆していると雫が川岸まで近づいてきた。
「どうですか?ここなら暑さを凌ぐのに良いと思いませんか?」
「あぁ、確かにこの冷たさなら逆に体が冷えてくるくらいだな」
しかし、どうしてこの川がこんなにも綺麗で冷たいのかを雫が知っていたのだろうか。雫はまだこの学校に来たばかりのはずで碌にこういう隠れスポット的な情報も得られにくいと思うのだが。
八木も同じことが疑問だったのか直接雫に質問をする。
「鳴海さんはどうしてこの川がこんなに冷たいって知ってたんだ?」
雫はその質問も予想していたのか持ってきていた鞄からレジャーシートを出しながら答える。
「八木さんは川の上流と下流で何が違うか知っていますか?」
「え?上流と下流?なんだっけか・・・なんかそういえば小学生の頃に聞いたような聞かなかったような・・・」
雫は少し考える時間を与えた後、答えを言う。
「上流は水の流れが速く冷たくて、下流はその逆で水の流れが遅くてぬるくなるんです。そして先程言われていた川に苔が生えていないというのも水の流れが速く苔が生えにくい環境だからというわけなんです」
「あー確かにこの学校ずいぶん山に近い場所にあるもんな。それで水がこんなにも冷たいのか」
俺と八木は雫の説明になるほど、と相槌を打ちながらざぶざぶと水の中を歩いてレジャーシートを木陰に広げている雫に近づく。
「でも、鳴海さんここに来たばっかりなのによくこんな川があるなんてよく知ってたね」
雫がレジャーシートにどうぞ座ってくださいというので俺と八木は川に足を付けた状態でシートに座る。
「実はこの学校の敷地内に川が流れていることは実はその手の川に詳しい人達の間では割と有名なんですよ?」
雫は生まれたころから身近に水に関わる機会が多かったため、川や海だけではなく水関連の出来事には多大な興味があり、この学校に来た時も珍しい川があるということで楽しみにしていたらしい。
「ところで、ここでお昼をとってもよろしいですか?もしやっぱり川でなんか食べられないというのなら場所を変えようと思うのですが・・・」
「いやいや、ここの水本当に冷たくて気持ちいいしなんだかこういうの新鮮ですごくいいと思うぜ!なぁ太一!」
「うん、俺もここでお昼を取るのはいいアイデアだと思う」
というわけで、本格的にここでお昼を取ることになった太一達は自分の弁当を開けて食べる準備をする。
さて、それではご飯を食べようかというタイミングで雫が突然靴靴下を脱ぎだす。
「も、もしかして鳴海さんも入るつもり?」
「もちろんです。せっかくここまで来ていて入らないのは勿体ないですから」
ちゃんと足を拭く用のタオルもあらかじめ人数分用意しているので入るのに何の問題もありませんと言いながら雫はレジャーシートにお尻をつけて靴下を脱ぎきるとそのままちゃぽんと水の中に足をつけた。
「あぁーやっぱり水は気持ち良いですね」
太一達は同年代の女の子とこんな形で一緒に川に入るとは思ってもいなかったので妙にどぎまぎしてしまう。
「さて、それでは早速ですがお昼を食べながら色々とお話しを聞かせていただきましょうか」
「え、色々?」
「もう忘れちゃったんですか?先程の先輩の話、聞かせてくれるんですよね?それに本来の目的であるあなたのきょうだいの話も聞きたいですし」
「あ、ああそうだった」
太一はそういえば先程ひと悶着があったことを思い出す。忘れるような出来事でもなかったのだがその後の川での出来事で上書きされてしまったのかすっかり忘れてしまっていた。
「では、話していきますか・・・」
俺は自分で作った弁当の卵焼きをお箸で摘まみながら先程出会ってしまった藤堂と俺のきょうだいの話を雫にしていくことにした。