入団2年目「人は誰しも大人になる前に、青春なる期間を過ごす」序奏
長らくお待たせ致しました。誠に申し訳無しです。
勢いで書けなくなったので、どうしてもモタモタと。
人は誰しも大人になる前に、青春なる期間を過ごす。
ある者には楽しき日々であり、別の者には多くの別れに彩られた時間である。
その始まりは押しなべて、自分は子供じゃないと思い出した時であるが、終焉は個々により千差万別となる。
ある者は命尽きるまでが青春であると言い、別の者は責任が権利を凌駕した時であると言う。
いずれにせよ必ず終わりが訪れるのだが、終わってしまったと理解し得た時に、人は大人になるのかもしれない。
「あんたが勝手に惚れて、ふられただけの話やないか。
そんなしょーもない事でメソメソしなや、辛気臭い!」
虚ろなままで家に帰ったワシを玄関で迎えたオカンは、ホンマにワシの親かと疑うてしまうくらいに辛辣やった。
もうちょい何か言いようがあるやろうに、とそん時は思うたけど、一晩経ってみればホンマその通りや。
少し冷静になったら、オカンの精一杯の激励でもあったんやなぁとも気づけたし。
せやけどな、辛いんやで。
洟たれ小僧の頃から大好きやったギャラクシーズに指名される、憧れのユニフォーム着て水戸園スタヂアムのグラウンドに立てる……そう思うてたのに。
ドラフト会議でギャラクシーズが指名したんは、ワシやなくて草尾やった。
プロに進まず大学へ行くって言うてた、草尾や!
何でワシやないねん!?
オカンの手料理食いながらオヤジと一緒にニュース観てたら、記者会見でまともに喋れずビービー泣いとるワシが映されてた。
……みっともないなぁ、って我ながら思うけど、せやけど辛いモンは辛いし、悲しいモンは悲しいんやからしゃあないやんか。
スカウトのオッサンが一位で間違いなく指名するさかいに、そう言っとったのに。
裏切られたわ、ホンマ!
「朝から泣きなや、みっともない。それ以上、味噌汁しょっぱくしてどないすんねん」
五月蠅いな、オカン。ワシかて泣きとうて泣いてんのとちゃうわ、ほっとけや。
「ああ、せや。アンタ当てに手紙が来てたで……差出人みて驚きなや」
そう言うて渡された封書にはメッチャ綺麗な筆文字でワシの名前が書かれてた。誰やろう思うて裏を見たら……確かに吃驚仰天や。
……何であの人が?
あの人、言うんはワシにとっては天敵みたいな、いや、天敵やった人や。
府の大会や地区予選だけやない、交流目的の練習試合ですら、ワシはあの人から一本も打てへんかった。
公式戦で64本もかっ飛ばしたワシが、御情けのヒットすら打たしてもらえんかったピッチャーや。
“アイツ”やのうて“あの人”って呼んでんのは、名前を口にするのも怖いからって訳やない。
試合以外で面付き合わせた事がないからやし、試合の時に会話した事がいっぺんもないからやし、そもそもあの人の方が学年一つ上やからやし。
決して、怖いとか畏れ多いとか、そんな感情ではないんや。
せやよってに、そんな感じの間柄やさかい、当然やけど今まで一度も連絡なんか取り合った事はあらへん。口きいた事がないんやもん、当然やわな。
せやのに、そんなあの人が、ワシに手紙やて!?
慌てて呑み込んだ味噌汁に咽ながら封を開けたら、短い一文が達筆で書かれとった。
“We are the champions, my friends. 来年は一緒に笑おうぜ”
……何じゃこれ?
何がマイ・フレンドやねん?
どういうこっちゃ?
疑問符が次から次と頭の中に生まれ出よる。
「オカン、これいつ届いたん?」
「昨日やで」
ほな、投函されたんは昨日のドラフトよりも前って事やんけ。
せやのに、“一緒に”って……何でや?
考えれば考える程にこんがらがってきたわ、訳判らん。
手紙を握り締めながらグルグルする意識を抑えようとしてたら、不意に頭ん中でこの前テレビ観戦した映像がビデオみたいに自動再生されよった。
真っ青な帽子を被り、大きない体で強打者揃いのサンダース打線に立ち向かっていた、あの人の姿が。
最終戦で登板するなり、バーガー・神谷・小川のクリーンアップ・トリオを抑えきった、あのシーンが。
シーズン中に滅茶苦茶スゴイ成績を残した訳やないのに、サンダースの主軸を三者連続三振に仕留めるか?
無茶苦茶やがな、そんなん!
一番しょぼい成績の五番小川が3割越えで30本以上、四番の神谷は3割丁度で40本、三番のバーガーなんて三冠王やで。しかも全員が100打点以上や。
そんなバケモンみたいなスラッガー達を、どないやったら抑えられんねん?
せやけどあの人はそれをやってのけはった。ほぼ完璧って言うてもエエくらいに抑えてしまいはった。
一緒にテレビを観てたオカンの“そらアンタが、手も足も出ぇへん筈やわな”ってな厳しめの評価も、真っ当な意見やと素直に同意出来るくらい、圧巻の投球やった。
翌日、草尾に同じ事言われた時は腹に一発かましたったけどな。言うてる草尾かてヒットの一本も打ててへんくせに、えらそーに言うなってな。
「……ほんで、アンタ。どうすんの?」
どうすんのって、何がや?
「惚れた相手に添い遂げるん? それともスッパリ諦めるん?」
急に言われてもそんなん……答えられる筈ないやろ。
即座に言い返そうとしたら手の中で紙が小さな音を立てよった。
気づかんウチに握り締めていた所為でクシャクシャになっとった手紙。
そうか、ワシの決断一つで、あの人が天敵から頼りになる味方になるかもしれんのか。
ガキの頃から被りとうて被りとうてしゃあなかったギャラクシーズの帽子を諦めたら……青空色の帽子を被る事にしたら、一緒に笑えるんかもしれへんのか。
「……ワシ、もう泣かされるんは嫌やわ」
「そうか。ほな、男らしく見返したり」
「ああ、そうするわ」
するとそれまで黙りこくってたオヤジが、ワシの目見て嬉しい事を言うてくれた。
「やっぱりお前は、自慢の息子や」
五日後、ワシは両親と野球部の監督と一緒に、家まで訪ねて来てくれはった球団の管理部長さん、ワシをクジ引きで引き当ててくれはった人やけど、と顔合わせして色々と説明聞いて判らん事に答えてもらってから、契約書に名前を書き込んだった。
ちょっと緊張しとったんで字が震えてしもうたんが悔しいけどな。
ほんで12月12日。
ワシは新監督さんに青空色の帽子を被せてもろうた。
今日からワシは、埼玉レイカーズの金月和博、背番号は3番や!
ワシはスポーツ特待生やったから出席日数は大幅に免除されとるんで、高3の三学期ともなれば最低限の出席で済む。
せやさかいワシは年明け早々、選手寮に入る事にしたんやけど……何故か、あの人が入り口で待ち構えていやはった。
仁王立ちするその姿は、記憶の中よりも小さくて……思わず笑ってしもうたんやけど、態度は全然小っちゃくなかった。むしろデカ過ぎひんか?
「おう、久しぶりやな、金月。監督命令で俺がお前のお目付け役を務める事になったさかいに。
せやから今日から俺を兄やと思え、俺の言う事は絶対やと従え、以上!」
……マイ・フレンドなんとちゃうんかいッ、絵本さんッ!!
二月になり春季キャンプが始まってからの日々は、大変やった。
ホンマに大変やった。
BF学園での血を吐くような練習が、お遊戯やったと思うような。
せやけどプロの練習ってのは、やらされる練習やない。
やらなアカン練習や。どんだけしんどうてもせなしゃあない。そうせんとプロとして食うていかれへんのやさかいに。
先ずは体力作りや。
プロ野球ってのは何が何でも体力がないとどないもならん。
日本で行われているプロスポーツの中で開催期間が一番長いスポーツなんやから。
今年の公式戦開幕は4月4日で、最終戦が10月の頭。日本シリーズまで計算に入れたら10月の末までズーッとや。
休みは週一、それを半年以上もやり続けるんがプロ野球や。
どんだけ才能があってもそんだけの間、試合に出続けられる体力がなかったらなーんもならへん世界や。
超高校級なんてラベルはキャンプ初日に剥がされてしもうた。もうヘトヘトや。
あんまりにもしんどうてグラウンドの隅でへばっていたら、絵本さんがケロッとした顔で覗き込んできやはった。
「頑張ってんなぁ、自分」
“へぇ、頑張らさせてもろてます”って返事するんも苦しいんで、俺はハァハァ言いながら頷くしか出来ひんかった。
すると絵本さんはメッチャ楽しそうな顔をしやはる。
「頑張れ、頑張れ、死ぬほど頑張れ。
但し、無理はすんな、絶対に怪我すんな。
お前が怪我して困るんは、お前だけやない。
お目付け役のワシが困るし、打撃指導の大輝コーチも困る。
一番困らはるんは、森山監督や。
何よりもお前を戦力として計算しとるチームが困るからな。
それにや、全国のレイカーズ・ファンと、お前のファンがガッカリするんやで。
プロ契約した瞬間から、金月和博って存在はお前だけの物やない。
全国津々浦々におる、お前のファンの物や。
そのファンの代表が、お前の御両親や。
ヤバイって思うたら御両親の顔を思い出して、身を守れよ。
無事是名馬、ってのは絶対的真理やからな」
気づけば怖いくらいの真顔になってはった絵本さんの言葉に、ワシは“ハイ”しか言えへんかった。
「それにしても自分が入団してくれて良かったわ。
自分のお目付け役やなかったら、こないにスルッと一軍キャンプに潜り込めんかったやろうしな。ホンマおおきに、金月様々やで」
いや、そりゃ謙遜し過ぎやろ。
ワシが入団してへんでも、日本シリーズのあの活躍を考えたら、絶対に呼ばれてたんとちゃうん?
「ボチボチ起きろよ。いつまでもサボってたら、結城さんと笠原さんにドヤされんぞ」
母校の先輩二人の名前を出され、ワシは慌てて立ち上がった。さっきまでの真剣な顔はどこへやら、絵本さんはケラケラと笑うてはる。
「ドヤすんはBFのOBだけとちゃうぞ」
「ハイ、済みません、先輩!」
いつの間に現れはったんか、呆れ顔で立つベテランの加藤晋作さんに、絵本さんは脱帽しながら90度姿勢にならはった。
絵本さんの見事な変わり身にポカンとする間もなく、ワシは全体練習へと追いやられる。
何もかもが初めて尽くしのプロ一年目は、何とも締まらんワチャワチャした感じで始まったんやった。
キャンプも第二クールになれば、プロの練習にも少しずつ慣れて来るもんや。
このままやったら怪我せずにオープン戦に入れるかもな、何て思うとった矢先。
絵本さんが唐突に宣言しやはった。
「キンタロー、今晩から夜間特訓すんぞ」
誰が言い出しはったんか知らんけど、チーム内でのワシの呼び名は“キンタロー”になっとった。
中学ん時の“キンちゃん”とか“キンキン”よりはマシやからエエけど。
因みに絵本さんの渾名は“ジッサマ”や。こっちは名付け親が判っとって、言い出しっぺは去年で引退しやはった江原さんやそうな。
理由は言動と投球が爺むさいからなんやて。
ほんまその通りや、傑作や。大笑いしたら土手っ腹にキッツイ一発を喰らわされたけどな。容赦ないなぁ、堪らんわ。
それはそれとして。
特訓って何やろうと思うたけど、初っ端に従えと言われてハイと答えたからには言う事きかなしゃあないんやろうな。
くっそー、いつかクーデター起こしちゃる。
「俺の言葉に逆らいたきゃ、俺から一本でもホームランを打ってからにするんやな」
ケッケッケってな高笑いには腹立つけど、高校時代を思い返せばどうもならんさかいに黙るしかあらへん。
絶対に紅白戦でかっ飛ばしたるさかいに!
夕食後、連れ込まれたのは室内練習場やった。
ベテランや中堅クラスの人らは誰一人いてへんけど、若手の先輩達が何人かバッティング練習やらシャドーピッチングやらをしてはった。
ほんで何でか、荷物を抱えた大輝コーチと腕組してはる弥永投手コーチが待ち構えていやはった。どっちもえらく難しい顔やった。
“今晩は”って一礼した途端、返事もしやはらへんで大輝コーチが抱えていやはった荷物をワシに押し付けはった。
「バッティングゲージに入る前に、コレ全部装着するんだ」
昼間と違い何か怖い声の大輝コーチの命令に従い、ワシは渡された荷物……って何やこのメットは? 何でアメフトのメットなんや?
それに、キャッチャーやないのに何で専用の防具を着けなアカンのやろ?
どっちのコーチも、ものごっつぅ真剣な顔をしてはるんでワシは、“何でですか?”とは言えずに黙って言われた通りに防具を着けて変なメットを被り、バットを握る。
空いてるバッティングゲージに入った途端、絵本さんの顔つきが怖い感じにならはった。
あ、絶対に歯向かうたらアカン雰囲気や。
「一応確認やけど、キンタローは器用なタイプか?」
「いえ……そうは思いませんけど」
「せやろな。ぶきっちょ、やわな」
「……器用やない方やと」
「せや、キンタローはぶきっちょや」
「……はぁ」
「何で高校時代、俺がキンタローに打たれへんかったか言うたらな、ぶきっちょやったからや」
「はぁ」
「キンタローは身長があるし、手も長い。体型から導き出せる答えは一つ、外角打ちが得意なタイプや。
真ん中からアウトローにかけてのコースやと、理想的なフルスイングできるし、楽々でスタンドインやろう」
「はぁ」
「せやから俺は内角を攻めて外角で仕留めとってん」
「……どういう事です?」
「草尾みたいな小器用なタイプには別の攻め方するけどな、キンタローみたいなタイプはな、内角を意識し過ぎた途端にバッティングが狂ってしまうんや。
高校ん時、俺の内角攻めに対抗しようとして、よう空振りばっかしとったやろ?
そんで空振りが嫌で内角を諦めたら今度は外角に手を出して、打ち損じ捲っとったやろ?」
「……はい」
「おもろいくらいに術中に嵌ってくれたわなぁ。
自分がオーシャンズの折笠選手みたいに打撃の天才やったら、打ち損じる事無く外角を流し打ち出来たやろうけど、そないなバッターはそんなにおらん。
況してやキンタローはパワーヒッター・タイプやからな、どないやっても流し打ちの名人にはなられへん。
せやけどな、流し打ちの名人にはなられへんでも、球史に名を残すホームラン王にはなれる。
なぁキンタロー、球界最強のバッターになりたいか?」
そら、当然やろう。
ワシが大きく頷いて返事をしたら、絵本さんは満面の笑みにならはった。
……何か胡散臭い感じがするけどな。
「ほな、今夜からは球界最強のバッターを目指して頑張れ。
防具はその為の養成ギプスみたいなもんや。
当てへん自信は大体93%はあるけど、一応は用心せんとな」
信用してエエんかどうかは知らんけど、何やホンマっぽい注意をした絵本さんはトコトコと10メートルちょっとくらい向こうへと歩き、据え置きの籠からボールを一つ手にして振りかぶらはった。
「今から内角にバンバン投げるけど、絶対にバット振るなよ。
ジッとしとけ、ただ見とけ。
絶対に打つなよ、見送るだけや、エエな?」
するとホンマに内角へボールがビュンッて感じで来よった。
マウンドからの距離よりもかなり近い分、130㎞そこそこのボールが剛速球に見えよる。
高めの速球、外から内へと食い込んで来るシュート、落差は小さいけど鋭く落ちる球、そんで何だかよう判らん変化球。
打者の習性としてついタイミングを計ってしまうけど、バットは1mmたりとて動かさんよう必死に我慢する。
テンポよく連続で10球を投げてから、絵本さんが言いはった。
「ボチボチ、目が慣れてきたやろ。
ほな、次の一球は、横っ腹近くに当たる感じで投げるさかいに、上手く避けるんやで」
え、何やて?
と思うてたら、ホンマにボールがこっちに向かって来やがった。
思わず飛び退くようにやり過ごしたワシは、当然ながら文句をつける。
「何しはりますのん!」
「せやから、当てるって言うたやろ。
自分みたいな大物ルーキーに対して、相手のピッチャーは絶対に内角を攻めてきよる。舐められたらアカンからな。もう嫌になるくらいドンドン投げてくんで。
せやけど誰もが俺みたいにコントロールがエエ訳やない。
するとや、投げ損じはデッドボールに早変わりしよるわな。
そん時、自分はどうするんや? 甘んじて当たるんか? それで怪我したらどうするんや?
対策の一つとして、体を鍛え捲って筋肉ダルマになるって方法もあるやろう。
せやけどな、肉襦袢はほどほどにせんと体の柔軟性を犠牲にしてしまうからな。
そしたらバッティングフォームが狂ってもうて、打てへんバッターになってしまうで。
デッドボールばかりで直ぐに怪我したり、怪我はせんけどガッチガチで打たれへん、そんな役立たずになりたくなかったら、避けれるボールは全部避けろ。
次からは外角を打つ心算で立て。
俺は変わらず内角を攻める。
ギリギリの所にボールが行くけど我慢して、見逃せ。
当たる所にボールを投げる時は、さっきみたいに避けろって言うさかいに」
その晩、俺は25球のボールを見送って、5球を避けた。
たった30球やのに、精神的にはヘトヘトや。
軽くストレッチをしている絵本さんはといえば、大して疲れた顔も見せずにケロッとしてはる。
去年からプロとして過ごしてはる絵本さんと、プロになったばかりのワシとでは、こないに大きな差があるんか。
たった一年の違いやのに、とんでもない差が出来てしもうてる事に改めて気づかされたわ。
「毎晩は俺かてしんどいさかい、一勤二休にしよう。
明日明後日は休み、次の特訓は明々後日や。はい、今夜はお疲れさん」
手早く後片付けを終えると、絵本さんは周囲に“お先ですー”と言いながらさっさと行ってしまいはった。
次いで二人のコーチもメモを手に、何事か相談しながら立ち去って行かはる。
防具をつけたままのワシが独り、何だか判らんままにポツンと残される。もしかしたらアホ面してたんかもしれへん。
何でか言うたら、練習場にいてはった先輩達全員が、憐れむような顔で口々に慰めてくれはったからや。
今年から一軍に昇格しやはった内野手の戸松さんが“えらい奴に目ぇつけられたな”ってヘルメットをポンポンと叩けば、去年は先発に抑えにと大車輪の活躍をしやはった若林さんは“まぁ諦めろ”と尻にバシッと一発くれはった。
「何やったんでしょう、コレ?」
今更ながらの疑問に、二人の先輩は顔を見合わせてから明後日の方向に首を曲げて、声を揃えはった。
「「さっぱり判らん」」
「何で大輝コーチだけやなくて、何で投手コーチの弥永さんもいてはったんでしょう?」
「ジッサマが無茶せぇへんように見張ってたんじゃないか」
「高校の後輩やし、弟のチームメイトでもあったからコーイチロー……ジッサマの事は昔から知っとるけど、アイツは時々突拍子もない事しよるからなぁ。
とは言うても、危険な事はせぇへんけどな」
「ホンマですか?」
「ホンマ、ホンマ。アイツのモットーは“安全第一”、ヤバイ事はせぇへんさかいに」
「それにジッサマって、“治外法権”みたいな存在だからなぁ」
「舐めた態度は一切せぇへんけど、相手がどんなベテランでも臆せず話しよるしなぁ。江原さんともしょっちゅうつるんでたし、強面の緒方さんとも仲良しやし」
「ニッコーさん(=日高)も一目置いてるしなぁ」
「納得いかんかったら相手がコーチでも食い下がるし、それをコーチも嫌がってへんし」
「偶に俺も年下だってのを忘れて相談したりしてるしなぁ」
「……何者ですの、あの人」
「それは俺にも判らん」
「まぁ悪いヤツやないし、間違った事はせぇへんし……可笑しな事はするけどな」
あっはっはっは、やないでしょう。二人は如何にもな作り笑いでワシの疑問を誤魔化しはった。
多分きっと、答える気はないんやろう。
悶々としながらその夜を過ごした所為で、翌朝は寝坊しそうになった。
「寝てばかりいても、それ以上はデカくならんぞ」
呑気そうな口調で起こしにきてくれた絵本さんには悪いけど、ワシは心の中で猛抗議させてもらうで。
アンタの所為や!
夜間特訓は、キャンプが終了してオープン戦が始まっても、試合が本拠地である時だけは必ず行われた。
バッティングピッチャーでもあらへんのに疲れ知らずやな、絵本さんは。
何か釈然とせんけど納得させられてしもうた上下関係は入寮してから相変わらずやったから、キャンプ中盤には逆らう気も無くなってしもうた。
今のワシは、絵本さんの理不尽やけど理に適ってるっぽい命令に、唯々諾々と従う毎日を過ごしとる。
強制的に毎晩飲まされる“青汁”ってヤツだけはホンマ勘弁して欲しいけどな。
色んな菜っ葉の搾り汁やさかい美味くないのは見ただけで判ったけど、呑まされたらまぁ苦いは不味いは最悪や。
“健康の為や我慢せい!”って絵本さんも一緒に呑んではるから、辛抱しとるけど。何で晩飯の後に芋虫の気分を味わなアカンのや、何の罰ゲームやねん?
何度か大輝コーチに夜間特訓の事も含めて色々と相談したんやけど、答えはいつも“大丈夫だ、安心しろ”やった。
これで大丈夫なんやろうかと不安になるけど、大輝コーチの言葉が魔法の呪文みたいに不安を取り去ってくれた。
せやからワシは辛抱して、練習に邁進した。
大輝コーチは“俺を信じろ……絵本もな”とも言わはった。そう言われたら、ワシに出来るんは信じる事だけや。
それにしても……“治外法権”って、ホンマやなぁ。
せやけど特権を振り翳す、好き勝手し放題の傍若無人って訳やない。
練習は人一倍熱心やし、ダラけたり怠けたりしてるトコを見た事がないくらい、真面目一辺倒や。どっちか言うたら、練習するんも楽しいてしゃあないって感じや。
秩序っていうか、ルールには厳格なほどに従順やし。
目上の言う事には二つ返事……常にやないけど。
「もしかしたらジッサマは“チームの和”ってのを、誰よりも大事にしているのかもしれないな」
明日は広島へ行くんやけど、その前の全体練習の最中の休憩時間に、何や遠くの方を見ながら伊倉さんはそう言わはった。
「広川監督の辞任は急だったし、森山監督の就任も突然だった。
去年リーグ優勝したけれど、チームは熟練どころか今現在も構築中だ。
絶対にガタガタするだろう。もしかしたら開幕早々に空中分解してしまって最下位になるかもしれない。
俺はそう思っていたよ、キャンプが始まるまでな。
コーチのほとんどは残留だったからといって、新監督の方針が去年まで一緒かどうかも判らないし。
森山監督は一昨年までヘッドコーチだったが、その三年の間、親しかった訳でもないしな。どちらかと言えば、疎遠だったかもな。
キャンプ初日の夜に、初めてじっくりと話す機会を作ってくれたから今は信用しているけど、それまでは不信感しかなかった。
今年からチームリーダーって役割を与えられたけれど、そんな俺がこの様なんだぜ、他の選手達の気持ちなどもっと酷かったに違いない。
それが今では和気藹々だ。
馴れ合いじゃなくて、程よい緊張感を保ちながらお互いを信用し合っている。
首脳陣と選手達の間は去年までみたいにギスギスしておらず、実に風通しが良い。
俺が入団した時の監督は、今は管理部長をしている根谷さんだった。マネジメントは抜群だけど、指導者としては……何も指導しない人だったな。
それに比べて広川監督は現役の頃は守備の名人と言われた人だった。
新人王を獲って意気軒高だった俺の鼻っ柱は、会った初日に圧し折られてしまったよ、もうボッキボキにな。“下手くそ!”って数え切れないくらい罵られたよ。
確かにそれは事実だったんで、俺は反論も疑問も無しで広川監督の命令に従ったよ。腹は立ったけど、その怒りをガソリンにしてな。
だけど俺より年上の人達は少し違ったな。
疑問と反論を口にして怒り捲っていた。もう毎日、カンカンさ。
だから広川監督が辞めるって伝えられた時は皆で万歳万歳だったよ。
俺? そりゃ俺も一緒に万歳したさ。
俺の甘っちょろい姿勢を叩き直してくれたのだから今でも恩人だと感謝しているが……大好きかどうかは別だからな」
伊倉さんはニヤリとしやはったけど、ワシは笑わんかった。ヘラヘラしてエエ話かどうかくらいは、ワシかて判るしな。
「今年から広川監督はいない。
四年間で三度のリーグ優勝と二度の日本一をもたらしてくれた名監督が、いなくなったんだ。
さて俺達はどうすれば良い?
勝つしかないよな、優勝するしかないよな。
でないと、俺達は広川監督がいなきゃ何も出来ない木偶の坊って事になってしまう。
だから俺は必死なんだ。去年よりも野球が上手くならないといけないからな。
絶対に上手くなって、去年までの俺達を見返してやらないと、な!
そう思っているのは俺達だけじゃない、きっと森山監督が一番そう思っている筈だ。
だから積極的に求めるものを開陳してくれているし、何よりも言葉を惜しもうとされていない。御蔭で意見は言い易くなったし、何を考えているのかが目に見える形で反映されている。
信頼してくれているのがいつも実感出来るから、俺も皆もそれに応えようと頑張っている。……去年までとは大違いだよな、全く。
だけどな、チームにとっての何よりの潤滑油は、ジッサマだよ。
普通はなぁ、投手は投手、野手は野手で固まるものなんだ。
当然、投手コーチは投手陣に付きっ切りだし、打撃コーチは野手の事しか見ちゃいない。職分が違うから、それが当たり前なんだけどな。
あんな風にゴチャ混ぜで仲良くお話しするなんて、これまで見た事もない光景だよ、本当にな」
伊倉さんの指さす方を見れば、増山の兄さんと池澤さんと徐さんと浅川さんと加藤さんが車座になってはる。
一軍の主軸を担う若手中堅ベテランの間に、さも当たり前のように首を突っ込んでいるのは、絵本さんや。
あ、近くを歩いてはった守備走塁の小林コーチを呼び止めて、そんで……自分が座ってた場所を譲らはった。
「な、不思議な光景だろ?」
苦笑いする伊倉さんに、ワシは少し上の空で同意する。
確かにそうや。
指摘されるまで気づかんかったワシが我ながらアホやと思うてしまうくらい、何とも不思議な光景やった。まるでプロ野球や無うて高校野球、いや少年野球みたいな感じや。
「其処で、キンタローに一つお願いがあるんだけどな」
「え?」
「ジッサマってな、他人の事は良く見ているけれど、自分の事は全然見えてないような感じがしてな」
「ああ、そんな感じですね」
「こんな事をルーキーに頼むのは筋違いだとは判ってるけどな、お前を一人前の男と見込んでお願いする。
ジッサマの事を見ていてやってくれないか。何だか生き急いでいるように見える時があるんだよ。
突飛な事をするのは今更止めようがないけれど、無茶をしないように見ていてくれないか」
「はぁ」
「俺も見ちゃいるが、何処で何しているか全てを把握するのは俺一人じゃ限界があるからさ」
「……」
「江原さんにも言われたんだよ。“ジッサマを頼む”ってな」
「判りました……って、その絵本さん、何処行きました?」
「え、さっきまであそこに……いねぇな」
「いませんね」
「探せ、キンタロー!」
「はい!」
グラウンドの何処にいるのかと走り回って探したら、何の事はない、さっきまでワシと伊倉さんがいてた真後ろ、ベンチの端っこで今年新加入のブロデリックと身振り手振りで会話をしていたんやった。
どんだけフリースタイル主義やねん!
そんな訳でワシは、ワシのお目付け役の絵本さんのお目付け役になったんや。
……何やそれ。もう訳判らんわ。
因みに「青汁」は商品名でもありますが、著作権のない一般名詞だそうで。
次話投稿は一時間後の20時です。