入団1年目「星屑達にはそれに見合ったステージが」サビ
お待たせ致しました。
因みに、野村克也氏解説・実況植草貞夫アナが中継を担当したのは、実際は第四試合です。
加筆訂正しました。誤字誤表記を訂正致しました。御報告に感謝を!(2021.11.06)
10月22日に水戸園スタヂアムで行われたダブルヘッダーを以て、ワイルド・リーグは本年度のリーグ戦全日程を終了した。
首位は約二週間前にリーグ優勝を決めた、埼玉レイカーズ。
二位は15ゲームもの差を付けられた川崎オーシャンズ。三位は勝率1毛差という僅差で阪南ブルズ。以下、神戸ブレイザーズ、東京ファルコンズ、南紀ハリアーズ。
遅れる事二日、エキサイト・リーグもまた全日程を終了する。
首位は一週間前に延長10回時間切れ引き分けで胴上げの時を迎えた、大阪サンダース。
二位は直接対決では勝ち越しながらも7ゲームの差を開けられた、広島キャナル。三位は昨年と同じく、東京ギャラクシーズ。以下、横浜ウィザーズ、名古屋ドルフィンズ、代々木スターズ。
日本一の称号奪還を目指すレイカーズと、21年ぶりの優勝に沸くサンダース。最終戦を引き分けたレイカーズと大勝したサンダース。
リーグ戦終了から休む間もなく挑む最後の大舞台を、どちらがシーズン中の勢いを持ち込めるのか、解説者達の下馬評は五分五分である。
さて、シーズン後半の後半になり一軍昇格を果たした絵本光一郎だったが、初登板初勝利を得た後も、敗戦処理の役割は変わらずであった。
抑々、光一郎の昇格は、先発に中継ぎにとフル回転であった若林久信を二軍で休養させる為の一時的処置に過ぎない。
若林が休養十分と判断された10月初頭、入れ替わりで二軍へと舞い戻った光一郎は、胴上げの瞬間をテレビ中継で味わう事となった。
二軍選手達が万歳するのに混ざりながらも、抱いた感想は実に冷静なもの。痛風治療から復帰したばかりの広川監督の病状が悪化しなければ良いけれど、である。
元々が今年一年は二軍でのトレーニングに専念する予定であった光一郎にとって、一軍の事はどうにも他所事であったからだ。
故に後日、日本シリーズ出場登録メンバーに自分の名が加えられたのを二軍監督から告げられた時、光一郎は久々に驚愕の声を発する事となる。
その驚愕は、転生に気づいた時よりも遥かに大きなものであった。
「……では、此処までの本日の試合の経過を振り返ってみましょう。
先ず先手を取ったのはレイカーズ。
2回の表、先頭の六番浅川がヒットで出塁、ワンアウト後に八番及川がスリーベースヒットを放ち先制点。続く九番鶴のセンター前ヒットで更に加点するや、一番伊倉がバックスクリーンへと放り込む特大の2ラン。
怒涛の攻撃でレイカーズが4点を奪い、サンダース先発の中江をノックアウトしましたが、サンダースも黙ってはおりません。
サンダース、3回裏の攻撃。デッドボールで出塁した八番木原と内野安打の二番弘中を塁上に置き、三番バーガーがライトスタンドに突き刺さる追撃の3ランをかっ飛ばし、レイカーズ先発の桑島をマウンドから引きずり下ろしました。
しかし次の4回表、本日絶好調のレイカーズ及川のバットがまたもや火を噴き、同じくライトのポール際へシリーズ1号ソロ。
その後は両チームの中継ぎが踏ん張り、試合は5対3、レイカーズ2点リードのまま終盤を迎えております。……さて、解説の野沢さん」
「はいはい」
「サンダース二連勝でスタートした今年の日本シリーズ、武蔵野球場ではサンダースの強さばかりが目立ち、このまま一気に四連勝するのではといった感じでしたが、舞台が甲子苑球場に変わった途端、新ダイナマイト打線と讃えられたサンダース打線のお株を奪うようなレイカーズの一気呵成の攻撃、如何見られましたか?」
「そうですね……今シーズンを象徴するような展開だと」
「と、申しますのは?」
「核弾頭に例えられる増岡を筆頭に、バーガー、神谷、小川の強力クリーンアップトリオを揃えたサンダースは確かに強い。
春先のバックスクリーン三連発に象徴されるように、ギャラクシーズをはじめエ・リーグ各球団はいいように打たれました。
往年のダイナマイト打線が蘇ったような今年のサンダースですので、誰もがサンダースの強さを強打豪打にあると思っています。
ですが、それはサンダースの一面であり……錯覚でしかありません」
「錯覚、ですか」
「そうです、錯覚です。サンダースの今年の強さは、打撃よりも投手力を含めた守備力にあります」
「ほうほう」
「その証拠が初戦と二戦目です。初戦は先発の池永が完封しました。二戦目は先発のゲッツが七回1失点と踏ん張り、その後を受けた藤岡、夏八木の盤石のリレーで接戦をものにしています。
つまり、先発が大崩れせずに中盤まで投げられれば、藤岡ら中継ぎ陣が試合を落ち着かせ、最後は夏八木が締める事で勝つ。サンダースの強さの一端は投手陣にスタッフが揃っている事にあるのだと思います。
打線は所詮、水物ですからね」
「成る程。セーブ数31はリーグトップですね。ですが打率にしろ、安打数、打点、得点、本塁打なども全てがリーグで断トツです。犠打数も多い」
「野手の成績で絶対に見逃してならないのは、どれだけエラーをしないかです」
「……78個でしたか。確かにリーグでは二番目に少ないですね」
「どれだけ点を取ろうとも同じだけ点を与えてしまっては、常に勝ち続ける事は難しい。投手力が整備され、鉄壁とも言える守備力があってこそ、豪打は威力が増すのです」
「横内監督は現役時代、“牛若丸”と渾名された名ショートでした。チーム作りにもその辺が影響しているのでしょうか?」
「恐らくそうでしょう」
「一方、レイカーズの広川監督も同じく現役時代は名人芸で鳴らしたショートでした。奇しくも今年は、同時期にエ・リーグで技を競い合った遊撃手同士の一騎打ちとも言えますね」
「そうですね。横内監督と同じ様に投手力と守備力に重点を置いてチーム作りをした広川監督ですが、惜しむらくは打線に華が無い。主役を張れる選手が育っていない事です。
もしかしたら今年のシリーズの決定的な差は、そこに現れるかもしれませんね」
「なるほど。……さて、場内整備が終了致しました。試合再開、これから六回の攻防が始まります。打席に入りますはレイカーズ……」
「さて、とうとう試合は大詰め、九回裏を迎えました。レイカーズは先の八回表に1点を追加し、点差は3点。このまま逃げ切り、シリーズ初勝利となりますでしょうか。
おっと此処で、ベンチから広川監督が出て参りました。どうやらピッチャー交代のようです」
“レイカーズ、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、若林に代わりまして、江原。ピッチャー、江原、背番号18”
「三塁側スタンド、レイカーズ応援団、レイカーズのファン達が立ち上がって拍手喝采をしております。
今シーズン終盤、遅ればせながら登場した千両役者、優勝請負人の江原投手の登場に、大きな声援です!
おや、三塁側だけではありません。一塁側からも、いや、スタンドを埋め尽くした観客全員が総立ちです!
グラウンドに降り注ぎますは万雷の拍手! 場内を揺るがすのは江原コール! 甲子苑球場が、江原豊の凱旋を祝福致しております!
思い起こせば昭和50年10月10日、ギャラクシーズ戦に先発として登板して以来、十年ぶりに江原豊が甲子苑のマウンドに戻って参りました!
奇しくも江原豊が縦縞のユニフォームを脱いだ時の監督は、今、一塁ベンチにいる横内監督の時!
その江原豊を三顧の礼で迎えられ、リリーフエースとして起用したのは当時、南紀ハリアーズの監督であった野沢さんです!
率直に伺います、野沢さん、今のお気持ちは如何ですか?」
「…………」
「もしかして泣いて……」
「いや、良かった、ホンマに良かった。十年経っても豊は甲子苑に、サンダースのファンに愛されとったんやなぁ……」
「本当に……そうですね」
「自分から喧嘩別れして出て行ったんやないし、チーム事情で出されたんやから本人も忸怩たる思いがあったのやし……」
「ええ……さて、野沢さん。3点差での登板ですが、如何思われますか?」
「如何も何も…………全く問題無いでしょう。恐らく気合十分である筈。その気合が空回りする程おぼこくもありません。何しろ幾多の修羅場、鉄火場を潜り抜けて来た猛者ですからね、豊……江原は!」
ホンマ、去年で辞めんで良かったわ……アイツの御蔭やな。
それにしても……なぁ、まさか甲子苑でサンダース相手に投げられるとはなぁ。
野球人生の最後の最後で、神様も粋な計らいしてくれるもんや。
さぁ……ビシッとエエトコ、お見せするとしようか。
「バッター、下條のバットが空を切った!空振り三振!江原豊の鋭く落ちるカーブがズバンとミットに収まりました!
試合終了。3対6で、レイカーズ、シリーズ初勝利。一矢報いました!
江原豊のセーブはシーズン中と合わせれば15個目となります。
野沢さん、シリーズ直前に今シーズンでの引退を発表した江原豊ですが、まだまだ投げられるんじゃないでしょうか?」
「…………いや、それは判りませんね。そう思いたい、そう願いたいのは山々ですが、江原が判断した事ですから。
私達には見えない、判らない何かがあるのかもしれません。
あるとすれば……今シーズンの大半を過ごした二軍で得たものなのでしょう。
一軍に昇格してからの獅子奮迅は、何処か鬼気迫るものがありましたから。
ですがそれは来シーズンには持ち越せない、そう判断したのかも……」
「なるほど……しかし今日の内容であれば、日本シリーズの間はマウンドでの仁王立ちする勇壮な姿が明日以降も見られるのでしょう。
さて残念ながら、放送終了の時間が迫って参りました。
本日の試合は埼玉レイカーズが3対6で勝利致しました。
勝ち投手は若林久信、負け投手は日下一彦、江原豊にセーブが付いております。
解説は野沢克也さん、実況は私、内田貞夫でお送り致しました。
野沢さん、有難うございました」
「はい、失礼致しました」
「テレビを御覧戴きました皆様、それではこれで失礼致します。
最後に……お帰りなさい、江原豊!! 貴方には甲子苑のマウンドこそが一番良く似合う!!」
二連敗したものの二連勝した事で星を五分に戻したレイカーズであったが、甲子苑での最終戦では敗北してしまう。
一方、日本一へ王手をかけたサンダース。本拠地での胴上げを阻止されたものの、再び舞台を武蔵野球場に戻した第六戦では初回から猛打を爆発させる。
二死から四球と二安打で塁を埋めたビッグチャンスで打席に入ったのは、第四戦から六番レフトでスタメン出場しているベテランの中谷啓二であった。
前年度まで横浜ウィザーズの主力打者として、低迷し続けるチームを支えていたベテランである。しかし寄る年波には勝てず成績が急落した事で、チームを追われるようにトレードされ、今年から縦縞のユニフォームを着ている選手だ。
三年前には首位打者の栄冠を手にした事もある打撃職人のバットが火を噴いたのは、カウント1ストライク2ボールからの四球目であった。
レイカーズ先発の高島直樹の投じた真ん中よりの速球を中谷のバットが強振するや、理想的な角度で打ち上げられた打球は綺麗な放物線を宙に描き、ライトスタンド上段へと飛び込む。
満塁ホームラン。
それはサンダースがシリーズ制覇、球団創設以来の悲願である初の日本一の栄誉を手繰り寄せる、大きな一手となる。
しかしレイカーズも黙ってやられる訳にはいかない。
その裏にすぐさま、先頭打者の伊倉がレフトへソロアーチを放ち、逆転の機会を窺う。
だが新ダイナマイト打線の切り込み隊長、増岡も負けじと同じ場所へホームランを打ち込んだ事で、サンダース優位を揺るがせまいとする。
苦心しながら後続を断った高島であったが、マウンドを降りる背中には既に覇気も闘志も宿ってはいなかった。
期待して送り出した先発投手が開始早々に試合をぶち壊した事に、頭を抱えたのは広川監督以下レイカーズ首脳陣だ。
2イニング5失点では続投させる訳にはいかない。誰がどう見てもノックアウト状態である事は、何よりも高島自身が自覚しているだろう。
では誰を投げさせるべきか?
レイカーズは初戦から此の方ずっと投手陣を惜しみなく投入して来た。先発要員であろうと必要とあらば中継ぎとして起用して来たのだ。
既に喫した三つの負け試合ですら逆転勝ちする可能性に賭け、希望を託せる投手を次から次にマウンドへと送り込んだレイカーズ。
堪ったものではないのは、広川監督の勝利への執念を背負わされた投手陣である。
シーズン中よりも速いテンポで登板を命じられた投手達は、とっくに疲弊の極みにあった。
草臥れていないのは、九回1イニング限定の起用が約束されている抑えの切り札と、第七戦での先発予定と、此処まで一度たりとて登板していない者だけである。
つまり、江原豊と増山博久と、絵本光一郎の三人のみ。それ以外の投手には僅かな期待すら抱けぬ状況。
ところでだが、昨日までの五試合で光一郎が一度も登板していないのには理由があった。
広川監督の信頼を勝ち得ていなかったから、である。
光一郎が一軍に昇格していた期間は、広川監督が痛風治療の為に休養していた期間と重なっていた。
敗戦処理という役割ながら幾ら最善の結果を残していても、直に見ていなければ信頼以前の話である。
そんな存在の光一郎がベンチメンバーに選ばれた理由は、本来登録を予定していた中継ぎ投手がシーズン最終戦での登板で肩を痛めたからであった。
急遽代役を探さねばならなくなった広川監督は、休養中に代理を務めていた黒柳総合コーチの進言を受け、ルーキーである光一郎の昇格を熟慮の末に決める。
だが、幾ら信頼するコーチからの進言であろうと素直に鵜呑みする程、広川監督は甘い男ではない。
実戦での投球を見てから最終的に判断しようと考えていたのだ。
しかし自身の勝利への渇望欲求に従ったが故に、なまじ負けた試合が終盤まで縺れる接戦ばかりであったが為に、終ぞ光一郎へ登板を命じる事が出来なかったのだ。
ところが先発がノックアウトされてしまった事で、広川監督は究極の選択を強いられる羽目になった。見方を変えれば自業自得でもあったのだけれど。
負ければ終わりの此の試合。点差は4点。残された長いイニングを、明日先発予定の投手と実績が少な過ぎるルーキーと、どちらに託すのがベストの選択か?
三者凡退であっさり終わった二回裏の短い時間をフルに使い、広川監督は悩みに悩み、漸くにして一つの答えを選択する。
そして、その答えが間違いでなかったと心から安堵出来たのは、それから1時間以上も後の事になるのだが。
このまま投げずに終わるのだろうか、だとすればそれはそれで面白い経験かもな、などと呑気に考えていた俺が浅はかだった。
名前がコールされたのは、まさかまさかの三回表。
“え、噓でしょ、嘘だろう!?”と叫ぶ前に、日下部コーチに尻を蹴飛ばされる勢いでブルペンを追い出されてしまった俺。
声援やら野次やらを四方八方から浴びせかけられ辿り着いたマウンドでは、悟りの境地に達したのかと思うくらいに表情の抜けた広川監督が待ち受けていた。
“お前しかおらん”とボールを渡すなりベンチへさっさと帰って行かれたが、言われた方としては意気に感じるよりもキョトンとする外しようがない。
溺れている最中に掴めたのは藁だった、と聞かされた気分なんだけど、ねェ?
……まぁいいや、何せ今はそれどころじゃないのだし。
伊倉選手ら内野陣は口々に“緊張するな”と言ってはくれたけどさ。それなら緊張しない方法の一つも教えてくれよ、先輩方?
池澤捕手も“いつも通りに”って言うけどさ、日本シリーズはいつもとは全然違うでしょうが!?
さて、どうしよう、どうするよ、日本シリーズだよ、何だよソレ、前世でも知らねェよ、体験した事ねェよ、いやあったか、でもあれは試合前練習で投げただけで試合では一球たりとて投げてねェよ。
大体さ、俺の未来予想図で考えた日本シリーズ登板は来年の予定で、シーズン中に中継ぎとしてそれなりに実戦経験を積んでからの筈なのだ。そうだよ、今年じゃないのだよ諸君、って諸君って誰の事だろう?
今年の一軍昇格は予想外の予定の前倒しで、生まれ変わり生き直しのボーナスみたいなもの……と納得していたのだよ、俺は。誰がどう考えても、ノーカウントだろうに。
だから二軍に戻れた時は、“良い夢見ちゃったぜ”って納得していたのである。
それなのに、ああ、それなのに。
ルーキーの身分でプロ野球選手なら誰もが憧れる最高の夢舞台、日本シリーズに登板だぜ?
参ったなぁもう!
兎に角、指名されたからには一球以上、打者一人以上に投げなければルール上、交代させてもくれやしない、ときたもんだ!
仕方がない、取り敢えずはこのイニングだけでも頑張るとするか。
で、バッターは……。
“バーガー、かっ飛ばせ、バーーガーー!! ライトーへ、レフトへ、ホームラン!! かっ飛ばせーー、バーーガーー!!”
わざわざトランペットの伴奏付き応援歌で教えてくれて有難うよ、サンダース応援団!
……いや全然有難くねェよ、今年のエ・リーグ三冠王様の登場じゃねェか!
日本記録タイまで後一本の54本ものホームランをシーズン中に打ち、シリーズでも初戦から三試合連続でホームランを打ってるし、毎試合安打を放っているからシリーズの打率はシーズン中よりも高い3割7分5厘だし、ポッと出のルーキーにどうしろと?
進退窮まったぜ、誰か助けてヘルプ・ミー!
勇者でもないレベル1で、いきなり恐怖の大魔王と対戦だなんて、とんだ罰ゲームじゃねェかよ!
ああ、畜生、こうなったら破れかぶれだ。
投げてやろうじゃねェか、どうなっても知らねェぞ!!
それからの俺は、抑えようという気持ちは放棄した。ただひたすらに池澤捕手の構えるトコに投げ込む事だけを意識する。
拭っても拭っても額から滴り落ちる汗で目が滲み、サインの指の数が偶に判らなくなるけれど、その時は咄嗟に思いついた球種を投げ込む事とした。
ええい、カーブだ、スライダーだ、カットボールだ、スプリットだ、速球だって投げるぞ、チェンジアップもだ、シンカーは……止めておこう、シュートなら大丈夫だろう、序でだ喰らえツーシーム!
有難い事に今年の日本シリーズは全試合DH制だ。余程の事がない限り、投手は打席に立たなくて良い。
だから俺は余計な事は気にしなくて良い。投げるだけの機械に徹すれば良いのだ。
相手がスリーアウトになったらマウンドを降り、ウチの攻撃が終わればマウンドに登るだけの、投げる機械に。
ああ、早く交代させてくれないかな。
次のバッターは誰だ……誰でもいいや、内角は高めに、外角は低めに、落ちるボールは真ん中よりもずっと下に、曲がるボールはストライクゾーンから外に……。
帽子を脱いだら被り直し、ロージンバッグを掴んだら投げ捨て、グラブの中のボールの感触を確かめ、投げ急がないようゆっくりとサインを覗き込み、頷いたら両手を振り被り、軸足に体重を乗せたまま左足を跳ね上げる。
左のスパイクがマウンドを噛んだら体重移動はスムーズに、脇を締めて左手は胸の前に、肩甲骨をしっかりと稼働させて右手は肩の後ろに。
そして、必死に牙を尖らせた闘志を心から肩、肩から肘、肘から手首、手首から指先、指先からボールに乗せたら出来るだけ体の遠くで、出来るだけホームベースの近くからキャッチャーミットへと。
一呼吸置いてから鼓膜へ届くのは鈍い音。くぐもった音。ミットを抉る音。時に聞こえてくる奇妙な音はバットに亀裂が走った音だろうか? 声援が五月蠅いからよく判らねェや。
ええっと……今、何回だ?
もう随分と投げたような気がするけどな。
立ち上がった池澤捕手がミットに収まったボールを主審へと渡し、サンダースの誰だか……背番号16だから小川選手か、がバットを担いで首を傾げながらベンチへ帰るのを見て、俺はどうにかこうにかこの回も敵の攻撃を凌げたのを知る。
さて次のイニングに備えてキャッチボールをしなきゃ。
そう思いながらマウンドを降りると、ベンチ前に何故か広川監督が立っていた。
「御疲れさん、よく投げてくれた。もう休んでいいぞ」
ポンポンと尻を叩かれたのだけど、直ぐには言葉の意味が理解出来なかった。
何となく判ったのは、キャッチボールをしなくてもよいって事だけで……。
少しふらつきながらベンチの隅に腰かけると、何処からともなくタオルやらスポーツドリンクやらが。
お礼を言いつつスポーツドリンクを飲み干し、タオルで顔を拭ったら漸く人心地がついた。
それで、今は何回なんだい?
……げ、九回表じゃねェか。
点差は……3点差か。全然記憶にないけれど、四回に加点していたのか我がチーム。打者の皆さんは気合十分な様子だけれど、たったの1イニングで逆転するのは少し厳しいかもなぁ。
まるで現実味が感じられぬ視界の中、ウチの攻撃が始まった。
立木選手が鋭い打球を放つもサード正面、スウィーニー選手のフルスイングはスタンドまで後少しのセンターフライ。
ありゃりゃ、あっという間にツーアウトだよ。
次は五番指名打者の緒方選手か。ついこの前まで一緒に二軍でトレーニングさせてもらった仲だ、出来れば最後の打者になって欲しくないなぁ。
よし、応援しよう。かっ飛ばせー、オ・ガ・タ!
よっしゃ、二塁へ滑り込んだぜ、ツーベースヒットだ!
腰の具合が絶好調なら三塁打だったかも……いや、元々俊足じゃないから同じ二塁打のスタンディングダブルだろうな。
さぁ次は、浅川選手だ。ここで一発欲しいけど、それだと1点足りないし。まぁ何でもいいや、兎に角絶対に打って下さいよ!
オッケー、バッチリ、連続二塁打で1点追加だぜ、5対3!
二死のピンチではあるけれど、数年後には盗塁王にもなる俊足のランナーが二塁にいるのだ、後が続けばもしかするともしかして!?
よしよし、池澤捕手は粘りに粘って四球だ、これで同点のランナーが出たぜ。
此処で一発が出たら、歴史が変わるかもだ、頼みましたよ、及川さん!!
だが光一郎の、広川監督を筆頭としたチームや、スタンドで必死の声援を送るレイカーズ・ファンら全員の期待も虚しく及川は三振に倒れ、ゲームセットの瞬間を迎える。
歴史に変更はなく、先発したジョン・ゲッツ投手が胴上げ投手となり、大阪サンダースは悲願を叶えた。
但し史実通りではなく。
光一郎という異分子が6イニングを散発3安打、5奪三振、四死球無し、無失点に封じた為に、あるべき結果よりもサンダースの得点は4点も減らされたのだから。
こうして、世間的には無名に近いルーキーであった筈の、光一郎の一年目は終了した。多くの人々に深い印象を残しながら。
尚、一軍での公式戦成績は以下の通り。
2勝0敗0S、登板10試合、投球回25回2/3、被安打7、被本塁打1、奪三振11、四死球0、失点2、自責点2、防御率0.70。
因みにホームランを打たれたのは、前世からの大ファンであった美人女優が白血病で亡くなったのを試合開始前のニュースで知ったからだったりする。
登板前から心ここにあらずの光一郎、打たれたのは至極当然の事であった。
夏目雅子様、今も貴方は永遠のマドンナです。御霊の安らかなるを祈念して合掌礼拝。
尚、江原こと江夏投手に日本シリーズにて甲子園での登板をさせようと思ったのは、とあるフォロワーさんのツイートを大いなるヒントとしております。彼の御方に感謝を。
試合の展開は、以下のサイトを参照させて戴きました。ウスコイ企画様、無断で申し訳ございません、そして最大級の感謝を!(平身低頭)
http://2689web.com/index.html
又、江夏投手の個人記録に関しましては、たばとも様のサイトを参照させて戴きました。たばとも様にも勝手利用の御詫びと御礼をを!(平身低頭)
http://classicstats.doorblog.jp/archives/44148222.html