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栄冠は地味に輝く  作者: wildcats3
7/21

入団1年目「星屑達にはそれに見合ったステージが」Cメロ

 モデルとした実際の試合では、先発の高橋直樹投手が延長10回を一人で投げ切り、勝ち投手に。

 対戦した今井雄太郎投手も8回1/3を投げられました。

 日本シリーズまで書きたかったのですが、それは次回の講釈で♪

 一部加筆致しました。誤字誤表記を訂正致しました(2021.05.18)

 武蔵野球場の歴史は意外と古い。

 元々は狭山丘陵の擂鉢状の地形を生かして、60年代前半に竣工した小規模球場である。主にアマチュア野球に使用されていたのだが。それがプロ仕様に改築されたのは70年代後半だった。

 当初は貸し球場となる筈であったが、折しも施主である武蔵野グループ総帥の佃義明が球団オーナーとなった為に事情が変わる。

 単なる拡張工事であったのがデザイン一新となったからだ。

 設計アドバイザーの提言により、内野スタンドから狭山丘陵の眺望を楽しめるようにと、バックスクリーンとバックネットの位置が入れ替えられてしまったのである。

 その結果として野手は時に強烈な日差しを避けようと思えば、サングラスの使用を余儀なくされるようになった。

 建築デザインとはデザイナーのイメージが優先されると使用者の負担が増す、という世に数多ある例の一つが新生・武蔵野球場なのである。

 機能美よりも装飾美を優先させたが為に向きが180度反転してしまったマウンドに、絵本光一郎が初めて登板したのは9月初旬の事だった。



 サングラスを必要とする程では無いものの燦燦と陽光が照りつける土曜日の午後、俺が抱いた感慨は“まさかこんなに早く”だった。

 一軍デビューは来年の六月頃を想定して準備していたのだが……う~む、計算が狂ってしまったぞ。これは困ったな。

 打撃投手だった頃よりも球種を増やしコントロールを安定させる為、投球フォームを上から横へと変更する。言うは易しだが行うは難しであるのは、先刻承知の事。

 体の回転運動が全く違うのだもの。

 前世ではさっぱり通用しなかった上手投げ。引退後は腕を少し下げたスリークォーターで打撃投手の一員となり、打撃練習の相手をしている内に腕が年々下がっていったっけ。

 もしかしてサイドスローが俺には一番理に適った投げ方なのでは、などと思い至った頃にはユニフォームを脱がざるをえない年齢と体力になってしまったのだ。

 だから今年一年かけて、頭に思い描いた最適を具現化すべく、フォーム固めに徹しようと思っていたのだ……けどなぁ。

 全体練習の後、二軍監督に明日のデーゲームから隣だぞ、といきなり告げられ吃驚したのは昨日の事だった。

 思わず“マジっすか”と聞き返したら、四の五の言うなと怒鳴られる始末。

 慌てて用具を纏めてカバンに詰め、今日の午前中に此処一軍球場へと赴けばマネージャーが入り口で待ち受けていた。

 右も左も判らず挙動不審者然としていた俺が案内された先は、ロッカールーム。

 俺のネームプレート付きのロッカーに荷物を置いて着替えたものの、さてこれからどうすれば良いのやら?

 などと状況の変化に取り残されている間にも、試合前のミーティングが行われ、練習時間も終了する。

 そして、あれよあれよという間にプレイボール。

 “ジッサマはこっちだ”と江原投手にグラウンド脇に設けられたブルペンへと連れ込まれた俺が漸く正気を取り戻したのは、3回の攻防が済んだ後であった。

 因みに今日は、何とか三位を確保してはいるもののリーグ優勝の望みは完全に断たれた神戸ブレイザーズとの第20回戦。二連戦の初日だ。

 先発は此方が高島直樹投手で、彼方が井上雄太郎投手。ベテラン同士の投げ合いだった。

 試合経過は現在2-0で負けている、と。ブレイザーズの得点は、通算1500得点達成まで秒読みとなった“世界の盗塁王”こと藤田豊選手の2ランによるもの、か。

 前世では雲の上のような存在だった選手達が、目の前でプレイしているのだなぁ……って、そんな場所に俺がいて良いのかな?

 急に現実が圧し掛かってきやがった……結構な重さじゃないか、現実って奴は。

 まぁ登録即登板はないだろうから、今日のところは一軍の空気に慣れる事に専念するとしよう。

 江原投手も、今日の直樹の調子なら俺達の出番は無いかもな、って言っているし。勝とうが負けようが、このまま完投して下さいますように。


 その後は、一進一退であった。

 5回裏に立木安志選手のソロで1点を返すも、6回表に間嶋浩美選手のタイムリーで直ぐに突き放されるレイカーズ。

 シーズンの目的を失ったとはいえリーグ古豪の意地か、あっさりとは勝ちを譲ってくれそうにもないブレイザーズ。

 得点直後に失点するのは実に宜しくない展開であるのだが、ピンチを迎えても最少失点で切り抜けているのだから、悪い展開とは言い難い状況である。

 それも全て、先発の両ベテランが技巧を凝らした投球術を惜し気もなく披露しているからだ。

 高島投手も遺憾なく力を発揮しているが、それ以上に調子が良さそうなのが井上投手である。安打は許すも、連打は決して許さないのだから。

 6回裏のレイカーズ打線は四番スウィーニー選手からの好打順。この回に追撃の一打がでれば、劣勢を覆せるかもしれないのだが……期待虚しく三者凡退。

 試合は終盤戦へと差し掛かった。

 6回3失点とクオリティースタートの条件をギリギリ満たした高島投手が、7回のマウンドに上がる。

 どうやらベンチの判断は、今日は高島投手と心中する心算のようだ。

 平成の世なれば次の登板を考慮して降板止む無しって判断をするのだろうが、今は昭和、先発したら完投しなさいよって時代だからなぁ。

 中継ぎ抑えの重要性は既に認知されてはいるものの、それを重要視しつつも理解が足りていないのが実情だもの。

 それは昔気質のベテラン選手のみならず、コーチや監督や球団首脳部も同様であり、世間の熱心な野球ファンも以下同文である。

 スポーツマスコミですら、先発から中継ぎへの配置転換を“降格”って堂々と報じているのだから何ともはや。

 ホールドやリリーフ・ポイント制度が制定されるのはまだ先の話。先発したら完投したい、ってのが今の投手達の偽らざる信条なのだ。

 高島投手の続投も、本人とベンチの思惑が一致したからだろうなぁ。やはり、今日は大人しく観戦モードでいるべきなのだろう。

 周りを見渡せば、江原投手を筆頭に石橋毅投手も西川和人投手もパイプ椅子に坐り込んでネット越しでは無く、備え付けのモニターで試合中継をのんびりと眺めている。

 左キラーの必殺仕事人である長沢保投手に至っては、パイプ椅子に背を預け、タオルで顔を覆っていたりして。……もしかして居眠りですか?

 ブルペン担当の日下部義明バッテリーコーチも注意をしようとしないのは、江原投手が率先して寛いでいるからだろう。

 どうやら江原投手は、一軍昇格から僅かな間でブルペン内のヒエラルキーのトップに君臨しているようだ。実力社会、恐るべし。

 まぁ俺は江原投手に目をかけてもらっているとはいえカースト最下位、諸先輩方と同じ様な振る舞いをするのは許されていないので、独りストレッチに精出しているのだけれど。

 ……幾らスクランブル出動に慣れているとはいっても、そんなにダラけていて大丈夫なんですか、先輩の皆さん?

 などと不吉な事を考えてしまった罰だろうか、のらりくらりと投げていた高島投手が突如崩れた。ずっと手玉に取っていた下位打線に連続出塁を許したのだ。

 7番のサンデー・フォックス選手にストレートの四球を与え、8番の藤波浩雅捕手にセカンド強襲の内野安打を許し、9番の渡辺勉選手への代打である室井真一選手に粘られ四球を選ばれてしまう。

 あっという間にノーアウト満塁の大ピンチ。

 当然ベンチからの電話が鳴り響き、俄然てんやわんやのブルペン内。そりゃあもう、大騒ぎさ。

 安穏としていた中継ぎ陣が押っ取り刀で肩を作り直す中、悠然としているのは江原投手のみ。勝ち試合の抑え要員なのだから当然なのだろうけど、ねぇ?


「おい、ジッサマ。お前、ちょっと行ってこいや」


 え、何ですと!?

 誰の声かと思いきや、慌てた様子が欠片もない江原投手、御当人の御言葉である。


「ねぇ、コーチ。この中で直ぐに出れそうなのはアイツだけでしょう。ペーペーの度胸づけには、丁度良いんじゃないですか?」


 いやいやいやいやいや、全く何言い出すのだ、アンタは!

 目上の人への進言めかしているけれど、アンタのその物言いは、実質的な命令じゃないかよ!!

 二軍で散々面倒見てあげたのに……時には聞きかじりの曖昧情報を基にした新規トレーニングの実験台にもしたけれど、一軍復帰の恩人に対してそれはないだろう!?

 どう考えても新人いびりじゃねェーか!


「……はい、はい、絵本なら行けます、はい……大丈夫です」


 大丈夫です、じゃねェーよ!

 日下部コーチ、アンタも何を言っているのだ!?

 ヘコヘコしながらベンチに回答してないで、石橋投手や西川投手の尻をもっと叩いて急がせろよ!


“レイカーズ、ピッチャーの交代をお知らせ致します。ピッチャー、高島に代わりまして、絵本。ピッチャーは絵本。背番号、42!”


 どーすんだよ、名前呼ばれちまったじゃねェーか!

 ニコニコと手を振りながら“頑張れよー”じゃねェーだろうが、江原さんよ!!



 ああ、どうしてこうなったのだろう……。

 ブルペンカーを降りてマウンドへ。小走りで5秒とかからぬその距離が何とも恨めしい。

 出来ればフォームを完成させてから登りたかったなぁ。

 完成とは程遠い投球フォームは、打撃投手時代後半の投げ方と全く一緒。腕が下がり気味のスリークォーターというのが、何とも微妙な感じで。肩や腰への負担が少ないのだけが救いだけれど。

 バックスクリーンの向こうに見えるなだらかな狭山丘陵の眺望を楽しむ余裕も無いままに、中途半端な支度で立たねばならぬマウンドの居心地の悪さよ。

 そのマウンドには、内野手全員とボールを手にした監督……代行が待ち受けていた。

 実は九月に入って直ぐ、広川監督は持病の痛風が悪化したとかで療養の為に現在は休養中だったりする。

 健康的な食事で体を労われ、と選手達に厳命していた張本人が何てザマだ、とは誰とは言わないが口の悪いベテラン選手の呟きだ。

 同じ感想は、誰とは特定せずとも多くの選手達が抱いていた。斯く言う俺も、以下同文。もしかしたら俺みたいになるぞ、という自虐的反面教師なのかもしれないけれど。

 監督代行を務めている黒柳幸弘総合コーチは、渋面みたいな笑顔で俺のグラブにポンとボールを放り込んだ。


「気負わなくていいぞ。今日の試合を失ったところで、ウチの優勝決定は揺るぎもしないからな」


 のっしのっしと去って行く監督代行の背に、俺は思いっきり舌を出したくなった。

何だよその言い草は!

 それが、ノーアウト満塁の逆境に登板させられたぽっと出の新人に対して、言うセリフかよ!

 無理矢理に不機嫌さを心の底へと押し込めた俺は、“頑張りまーす”とだけ返事する。

 ショートを守る新鋭のチームリーダーである伊倉宏典選手、いぶし銀と呼ばれるには些か青いセカンドの鶴発彦選手、若き大砲のサードの浅川幸二選手が次々と励ましてくれるのは嬉しかったけどね。

 ファーストのスウィーニー・ジュリアン選手も拙い日本語で、“ふぁいとよ、ふぁいと”と言ってくれたが……Fightの発音が日本語っぽいのは何故だ?

 思わず首を傾げた俺の肩や尻をポンポンと叩き、所定のポジションへと戻って行く内野陣。

 後に残ったのは将来的には球史に名を残す選手となる、池澤勤捕手だ。

 何が投げられるのかと聞いてきたので、無難にカーブとスライダーですと答えたら、指の本数で球種を指定するから適当に投げろと言われた。


「取り敢えず、何も考えずにミット目がけて投げろ。暴投以外は全部捕ってやるから」


 流石は、レイカーズ黄金期を背負った名捕手だ。漸く安心感が湧いて来たよ。

 主審の急かす声にホームへと戻って行くその背中に、帽子を取って一礼する。相手は年下だが敬服に値すると思ったからだ。

 ……いや、俺の方が年下か。そうだそうだ、池澤捕手にしろ内野陣にしろ全員が前世でも当世でも 敬すべき諸先輩方で、指導者としても卓越した手腕を有する偉大なる球界人なのだ。

 伊倉選手も鶴選手も浅川選手も池澤捕手も、全員が引退後に監督となられるのだから大したものだよな。しかも伊倉選手以外の全員が、率いたチームを優勝へと導いている。

 V9を達成したギャラクシーズの選手達の何人かが、後に優勝監督となったように。何とも凄い人達だ。

 黄金期を支えるって事は野球に関する多くの知見を学ぶって事なのだなぁ。

 おっといけない、感慨に耽っている場合じゃないや、投球練習をしないとな。

 散々踏み荒らされたマウンドを丁寧に足で均し、握り締めたボールの感触を味わいながら、ゆっくりと動作を起こした。それを一回毎に確かめながら、数回繰り返す。

 そして、試合が再開された。



 さて最初のバッターは、本日の先制点を2ランで決めた俊足好打の藤田選手か。

 ……って、いきなりラスボスじゃねェーか!

 7番から9番の三人が塁を賑わせているのだから、次打者が不動のトップバッターである藤田選手なのは当然なんだけど、さ。

 だけど、初登板の新人が浴びる洗礼としてはちょっと厳し過ぎやしませんか?

 実際には約三十年前に少しだけ経験しているのだから、初登板でも新人でも洗礼でも何でもないのだけど。

 前世で初めて登板した時に得た感動は今でも忘れられやしない。あの時、最初に対戦した打者は………………誰だっけ?

 忘れたものは仕方がない。今は現在にだけ集中しよう。

 バッターボックスに入り、二度三度と素振りをくれてバットを立てる、藤田選手。

 立てたバットはヘッド部分が通常よりも重くて太い、所謂“こけし型”。

 本来はメジャーの名選手の名に肖った、“タイ・カップ式”と称されるタイプなのだが。日本では“すりこぎ型”や“ツチノコ型”と呼ばれている。

 こけし型は、タイ・カッブ式の中で一際グリップエンドが大きい形状をしていた。

 そんなバットを構えた藤田選手は俺と同じくらいの身長を、更に小さくしている。背中を丸めて両膝を曲げ、一般的なストライクゾーンを更に小さくしようとしていた。

 因みにストライクゾーンとは、高さが打者の肩とベルトの中間付近を上辺とし、膝頭の直下を底辺とした、ホームベースと同じ変則五角形の面を有する立体である。

 九枚のパネルを投球でぶち抜くゲームの所為で世の中的には平面だと勘違いする向きもあるが、決して二次元的なものではなく三次元立体であると認知すべき代物なのだ。

 故にストライクとは、実際には視認も出来ず触れも出来ない変則的な五角柱に、寸毫でも接触したと認められた時にだけ、コールされるものである。

 という訳で、どれだけ打撃フォームで正面の表面積を減らそうとしても、奥行きはどうあっても減らせやしないのだ。なので有効に使わせてもらうとしよう。

 さて、初球のサインは……指2本だから、カーブか。

 俺は軽く頷いてから御指名の球種をホームへと投じれば、一拍置いて主審がストライクをコールする。

 まぁ、当然だよね。ど真ん中にスローカーブなのだから。

 落ちる球の良い所は、ストライクゾーンの奥行きを有効活用出来る点にある。俯瞰すれば、ホームベースの後ろ半分に投げ込めば良いからだ。

 打者の多くは、バッターボックスの真ん中から前よりに立つ者が多い。その方が速球にも変化球にも対応し易いからだ。

 だがその分、ボールの変化の見極めに苦慮する事がある。速球と変化球の球速が似通っていれば猶更だ。

 では何故に、速球よりも遥かに球速の劣る今のスローカーブを藤田選手は見逃したのか?

 山なりのボールがど真ん中に来たのだ、打ちごろだと痛打されても可笑しくないのに。

 理由は二つあり、一つは藤田選手に初球を打つ気がなかったからで、もう一つは予想外の球種であったからだ。

 ノーアウト満塁というビッグチャンスに臨む時、えてしてベテラン選手であればある程に確実な打撃をしたいと思うもの。闇雲に初球に手を出し、もしも打ち損じてしまったら、と考えてしまうのである。

 況してや投げるのは何処の誰かも判らぬ無名の新人投手だ。

 二軍でそれなりの結果を出しているのだからある程度は知られていても良さそうなものだが、二軍ではレイカーズは東部でブレイザーズは西部とリーグが分かれているので情報不足は仕方ないか。

 何処の球団も情報収集を担当するスコアラーを、それほど多く雇ってはいないのだ。リーグ内のライバルチームに一人張り付けられれば御の字、次の対戦チームに二人送れたら万々歳、ってのが実情なのだから。

 それに投球練習ではどんな投手も、速球しか投げない。何球種投げられるのか、という情報公開など愚の骨頂だからね。態々手の内を教えるなど阿呆の極み。

 故に打者が初対戦する投手について得られる情報など、その投球練習を見て知る投げ方と凡その球速だけと言えよう。

 そんな訳で、打ちごろの山なりカーブでも打ち気の無い打者からすれば、手の出ない未知のボールとなるのである。

 さぁワンストライクだ。

 相手は格上なのだからワンストライクくらいじゃ、アドバンテージにもなりゃしないが。

 もしも俺にアドバンテージがあるとすれば、俺は藤田選手の事を色々と知っているが、藤田選手は俺の事を全く御存じないって点だろう。

 ではお次のサインは……速球か。

 それではリクエスト通りに投げましょう。但し、内角高めにね。

 内角高めへの速球は俗に“釣り球”と称される。和製英語では“ウエストボール”。

 正しい英語だと“waste pitch”つまり“無駄な投球”となるが、これは逆説的な言い回しなのだろう。ウエストボールとは次の投球を活かす為の撒き餌なのだから。

 “投球の基本は外角低め、アウトローにあり”とは昔からの野球格言だ。

 前世で知った野沢克也氏の言葉にも“外角低めのストレートこそ原点投球”というのがあった。

 他にも“ピッチングは、外角と内角、高めと低め、緩と急、ストライクとボールという、4つのペアによる相対関係で成り立っている”など。

 初球で“緩”を投げたのだから次は“急”であるべきなのだ。そしてそれは、三球目の布石でなければならない。

 但し、野球格言も野沢氏の言葉も、コントロールがあってこその話である。

 内角高めへの配球とは、打者の顔に最も近い箇所へ投げるという事。僅かでもミスすれば、即デッドボールとなってしまう。

 また、デッドボールを恐れてチビった投球をすれば甘くなり、打者にすれば打ちごろのコースになるからで。

 幸い俺は、コントロールにだけは自信がある。例え投球フォームが理想形となっていなくとも、ベストでなくとも、ベターではあるのだ。ぶつけない自信は十二分にある。

 俺が投じたボールに藤田選手は僅かに上体を仰け反らせたが、主審のコールは勿論“ストライク”。

 返球を受けながら池澤捕手を見れば、低めに投げろとジェスチャーをしていた。

 ……もしかしたら初登板で上ずっていると思われているのかな?

 だとすれば好都合だ。恐らく藤田選手もそう思ってくれている事だろう。

 さて次のサインは……スライダーか。取り敢えず俺の投げられる球を全て見ておきたいのだろうな。それでいて大火傷をしない配球とは、流石は名捕手候補だよな。

 遊び球無し、ってのもまた気持ち良い。それではラスボス退治の仕上げをしよう。そう思い三球三振を狙って外角低めへと投じたカットボールであったが、やはり藤田選手は偉大な打者だった。簡単に見逃しも空振りもしちゃくれない。

 バットは空を切らず、コーンと軽い音を発する。

 しまった、一瞬そう思ったが、打球は前へは飛ばず真上へとフワリと上がり、池澤捕手が頭上へと掲げたミットにすっぽりと収まった。

 大チャンスにキャッチャーフライ。打ち損じた藤田選手は大袈裟に悔しがってみせた後、不意にニヤリと笑いながら俺を睨みつける。

 その眼に浮かんだ色を読み解けば“ようも恥かかせてくれたのう”だろうか、きっとそうだろうな。

 思わず慄然とした俺は、ビビったのを覚られないように帽子の庇を深くする。

 変化が浅過ぎた……打ち損じてくれて助かったよ。

 カットボールとは速球とほぼ同じ速度、同じ軌道を描きながらホーム手前でボール一個分ほど鋭く変化する球種である。

 平成初期までは、つまり現時点では“高速スライダー”や“真っスラ”と称される、横滑りしながら僅かに沈む変化球だ。

 しくじったな。確実に空振りを狙うのならば、縦に落ちる“縦スラ”を選択すべきだったか。

 まぁ、良いか。ワンアウトを稼いだのだ。反省は試合後に取っておこう。

 次打者は、湯浅敬二郎選手。小技の得意な典型的な二番打者タイプの好打者だ。

 確か去年は三割を打ち、遊撃手部門でベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれていたっけ。犠打数も二年連続でリーグ・トップを記録し、今年もトップに成りそうな勢いである。

 一死ながら満塁であるこの場面、ブレイザーズは小技をしかけてくるか、それとも普通に打たせるのか?

 チラリと三塁ランナーを見遣れば、フォックス選手が其処にいる。その鈍重な巨体の向こうにある三塁ベンチの様子を窺えば、イケイケドンドンが信条の鵜飼監督は身動ぎ一つしていない。……代走は無し、か。

 という事はスクイズもないな。今年も打撃好調な湯浅選手のバットにお任せなのだろう。

 年間本塁打が凡そ片手で足りる湯浅選手、二塁打は毎年十数本も放っているが足で稼いだものが多いので、長打を恐れる必要性はほとんど無い。

 右方向への強い打球さえ警戒すれば良いだろう。

 藤田選手は左打ちであったが、湯浅選手はオーソドックスな右打者。流し打ちをされなければ恐らく大丈夫だ。

 ならば、おっつけて右へと流されないような投球に徹しなければ!

 俺は池澤捕手の出した速球のサインに大きく頷いてから渾身の力を込めて、スプリットを投げた。

 縦スラと似たようなボールであるが握りが違うし、投げ方も違うボールだ。

 スライダー系は切るように投げてスルリと逃げるのに対し、スプリットはフォーク系なので抜くように投げてストンと落とす。スプリットとフォークの違いは、落差の大きさである。

 真ん中低めに投じたスプリットは、さぞや打ち易そうに見えた事だろう。初対戦の投手の初球であるにも関わらず、当たり前のようにスイングする湯浅選手。

 単なる速球であればジャストミートされたかもしれないが、僅かに落ちた分、バットはボールの上っ面を擦る様に叩くのが見えた。

 緩くワンバウンドした打球を真正面でキャッチした俺は、即座にホームへと投げる。立ち上がり、ホームを踏んでボールを受け止めた池澤捕手は直ぐに数歩前へと前へと移動し、一塁へと送球した。

 1-2-3のダブルプレイの完成だ。

 大いに盛り上がるライトスタンドの声援を背中にベンチへと戻れば、手荒い祝福が待ち受けていた。もう次から次にバシバシと。背中や尻は兎も角として、頭を叩かれて嬉しいと感じたのは……随分と久しぶりの事だ。

 前世では保志監督に“ようやった!”と滅茶苦茶叩かれたっけ。ドルフィンズ時代には後にも先にもあの一回だけだったなぁ。

 今日はビギナーズラックみたいなものだけど、出来れば今後もこの喜びを味わいたいものだ。

 さて責任を果たせたしこれでお役御免だろうと思っていたら、黒柳監督代行が“次も行け”などと無茶を言う。

 命令されたら仕方が無い。敗戦処理のお務め、きっちりとさせて戴きましょう。得難い一軍での実戦登板の機会だ、今の俺がどこまで通用するのか試させてもらうとするか。

 そう割り切って8回のマウンドに登った俺は、対戦する打者達の気配を探り呼吸を読み、今の精一杯を投げ込んだ。

 三浦浩二選手をサードゴロ、ドリーマー・ウォーカー選手をセンターフライ、間嶋浩美選手を見逃し三振。

 昨年度の三冠王を中心としたクリーンアップトリオをどうにかこうにか三者凡退に抑えた俺は、一生分の運を使い切った気分だった。

 もう精も根も尽き果てた感じだけれど、まだ後1イニング残っている。ヘトヘトではあったが、投球練習をしておかなければ。

 ぼんやりとし出した意識に活を入れた瞬間、場内が大歓声に包まれた。

 何事かとグラウンドを見遣れば、池澤捕手が弾むような足取りでグランドを駆けており、ホームベース付近では加藤晋作選手と浅川選手が頭上で拍手をしている。

 そして華やかな炸裂音と共に青空を彩る鮮やかな色、色、色。

 レイカーズの選手がホームランをかっ飛ばした時とチームが勝利した時に打ち上げられる、武蔵野球場名物の花火だ。

 ナイトゲームならば煌びやかな光が大輪の花を咲かせるが、今日はデーゲームなので原色のスモークが大空を染めている。

 逆転3ランを放った池澤捕手が、ベンチ前での出迎え行列に並んだ俺の頭をポンと叩く。


「お前にばっか、活躍させてられっかよ!」


 マスコットガールから受け取ったぬいぐるみ、レイカーズのマスコットキャラであるレイ君をスタンドへと投げ込んだ池澤捕手の会心の笑みに、全身に纏わりついていた疲労感が一瞬で消し飛ぶ。

 ヨシッ! 後はたったの1イニングだ、やってやろうじゃないか!

 ……そう勢い込んだの束の間、黒柳監督代行は俺に“お疲れさん”と一言述べて球審へと歩み寄る。


“レイカーズ、ピッチャーの交代をお知らせ致します。ピッチャー、絵本に代わりまして、江原。ピッチャーは江原。背番号、18!”


 ……そりゃ、そうか。

 負け試合が勝ち試合になったのだ。9回に登板するのは当然ながら守護神、抑え投手の役目だよな。

 三人目の打者をピッチャーフライに仕留めた江原投手は、グラブへ収めたボールを俺の胸へと押し付けながら不敵な笑顔で言ったのだ。“俺に休日返上させるたぁ、いい度胸だな”と。

 そして、ヒーローインタビューに呼ばれ慌てて駆けだした俺の背にも、一声かけてくれたのだった。


「ジッサマ、初勝利おめでとう」

 行政を牛耳る政党とTVメディアがグルになれば恐ろしいプロパガンダ政治となる。

 地方政党主導により大阪が崩壊しつつある現状に、毎日精神がゴリゴリ削られています。

 皆様もどうか御無事で御安全にお過ごしあれかし。何卒息災で!

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― 新着の感想 ―
[一言] プロ初対戦の相手が世界の盗塁王・・・ プロ初奪三振の相手が3割打者の85年度盗塁王・・・ 他にも昨年度の三冠王(この年も最多安打に3割30本100打点達成)と、1000安打のトリプルスリー達…
[気になる点] 五角柱は立方体じゃないのでちょっと混乱しました。 [一言] 野球にわかだけど面白いです。
[一言] 投球スタイルの変更した理由部分が加筆かな? 江原が二軍時代の話をしていないと他の一軍メンバーは「じっさま?」と疑問に思っているだろうな >ピンチ あぶさんの弟の様に(金銭)トレードとか?…
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