入団1年目「星屑達にはそれに見合ったステージが」Track②
今回は別人物の視点です。
ちょいと長くなってしまいましたが、御容赦を。
誤字誤表記の御指摘に感謝を!(2021.04.10)
一部改訂致しました。サブタイトルも変更しました(2024.01.04)
私が久々に武蔵野第二球場を訪れたのは、八月の終わり間際だった。
エ・リーグは大阪・広島・東京による三つ巴の首位争いの最中、たった一日の勝敗で一位から三位が入れ替わる激戦に、さぞや各チームのファンは毎日が一喜一憂であることだろう。
一方で、ワ・リーグの首位戦線は無風状態。
ゴールデンウィーク後に首位となって以来、レイカーズは着々と白星を重ね、貯めた貯金はもう直ぐ30の大台を突破しようとしている。
既にファンや評論家達の興味は、埼玉に続くAクラス入りが阪南・兵庫・川崎の何れになるのかへと移っていた。
去年までは数え切れぬほどに通った場所を、ネクタイに背広姿で訪うのは何とも言えず不思議な感覚である。
隣にあるレイカーズの本拠地、武蔵野球場のベンチにいたのも、今となっては遠い記憶に思えるのもまた同じくだ。ユニフォームを脱いだのは、一年に満たぬほんの数か月前であるのに。
取材の旨を事前に伝えていたので出迎えてくれた球団職員の後について関係者専用口から内部へと入る。
去年までは顔パスであったのにという思いが胸中を過ぎるが、既に部外者なのだ、仕方がない。
第二球場へと入る前に、ふと隣に建つ一軍のホーム球場を見上げた。
誰が言ったのか忘れてしまったが、ホーム球場と第二球場の間には不可視の壁が聳え立っているのだそうな。まるでベルリンの壁のように。
同じ土地にありながらも自由な行き来が厳密に制限されているのだから、あながち間違いでもないのだろう。
壁を越えるには相当な努力と覚悟がいる。だがそれ以上に必要とされる存在とならねば、通行許可証を与えられはしないのだ。
先日、その許可証を手に入れ、軽々と壁を飛び越えた男がいた。
三十も半ばを過ぎ、盛りすらとうに過ぎているにも関わらず幸運に恵まれた、いや、不屈の努力でその権利を勝ち取った男の名は、江原豊。
普通であればロートルだの、チームの御荷物だのと内外から揶揄されていても可笑しくない年齢であるにも関わらず、江原は一軍ブルペンにおいて存在感を日に日に増しているようであった。
長年に亘りレイカーズを支えて来た大黒柱の日高修も、何かと頼りにしているのだと、バックネット裏の方にも漏れ聞こえて来る。
江原は、オーナーの鶴の一声がなければ、去年で引退を宣告されていた筈だ。
少なくとも去年の成績では戦力外だと判断されて当然であったし、江原にノーと言う資格などなかったであろう。
然れどひしめく若手達を蹴散らし一軍昇格を果たした江原は、往年程ではないが去年とは比べ物にならぬ球速と球威を取り戻し、返り咲き直後の本拠地初登板で9回1イニングを無安打無失点で終えた。
試合はレイカーズの負け試合であったにしろ、相手は現在2位の川崎オーシャンズである。しかも抑えた打者はレックス・リュー、折笠博満、山崎功児の強力クリーンアップだった。
去年までの江原の調子であれば三者連続ホームランを浴びていても不思議ではない。しかし江原は三人の強打者を手玉に取り、連続三振で仕留めたのだ。
その後は葛井寺球場での対阪南ブルズ戦に二日連続で登板し、2セーブを挙げている。打撃力ならリーグ屈指のチームを相手に!
首位独走中のレイカーズの死角を強いて挙げれば、抑えが不在である点。
ベテランと若手が遺憾なく力を発揮している先発陣の御蔭で投手力は申し分ないものの、逆に言えば中継ぎを投入せねばならぬ試合は脆いとも言える。
ロングリリーフ役を担っている若林久信の奮闘がなければ、拾う試合よりも落とす試合の方が多くなっていただろう。
事実、先発が5回を持たずに降板した先の連戦で、レイカーズは二ヶ月振りの三連敗を喫していたのだから。
若林が幾ら二十歳の若武者とはいえ、暑い盛りに連投を強いられてはへばってしまうのも当然である。
そんな時に9回限定とはいえ、安心して最後を任せられる投手の出現は、優勝を目指すチームに取って得難き光明と言わずに何と言おうか。
今シーズンも残り二ヶ月程。
ラストスパートに拍車のかかる時期にチームの救世主的地位を占めた、江原豊。
一体何が彼を変えたのだろうか?
今日は、シーズン前半に首位独走の原動力となったもののオールスター戦直前に右肩損傷で二軍落ちした徐泰源の回復具合を知るといった建前で訪れたのだが、真の目的は江原を変えた何かを探る為である。
焼けつくような昼の日差しの下、どこか楽し気な球団職員の案内でグラウンドへと革靴で踏み入った私は、奇妙な感覚に包まれた。
言葉にすれば、郷愁であろうか。
通算19年の現役時代も、引退から四年後に就任したコーチとしても、過ごしたのは全てエキサイト・リーグであったのに、僅か3年しか在籍していないワイルド・リーグの、然も二軍のグラウンドを懐かしく感じるとは。
踏み締めた土の感触も、胸一杯に吸い込む空気さえも心を軽くしてくれる不思議さよ。
球団の意向で、江原よりも先にお払い箱となった我が身である。
恨み言の一つでも心の奥底から湧いて出るかと思いきや、胸に渦巻くは旧懐の念ばかり。
いつの間にかワ・リーグの空気に染まり切ってしまったのだろうか、それとも骨の髄まで野球界の住人なのだという事なのか。
「やぁ、森山さん。御無沙汰です。今日は如何されましたか?」
気づかぬ間に、去年まではコーチとして同じ釜の飯を食っていた二木三雄が傍にいた。私は一軍ヘッドで彼は二軍投手という立場の違いはあれど、レイカーズを強くする為に尽力した仲間である。
いや、仲間であった。
彼は未だに背番号を背負い続けているが、私の背中には何もない。その事実に今更ながら気づかされ、私の心が僅かに波立つ。
好奇心に駆られノコノコとやって来た自分の間抜けさに僅かに腹を立てながら、平然を装って尋ねる事にする。些か早口となった事に不信感を抱かれなければ良いのだが。
「徐泰源の様子はどうかと気になってね」
「徐ですか。奴ならあそこで元気に走っていますよ」
二木の指さす外野を見やれば、二軍の選手達が整然と列を為してランニングの真っ最中であった。ベンチ前の此処まで元気な掛け声が聞こえているのに、それすら気づかなかったとは。
よっぽどノスタルジーとやらに浸っていたらしい。全く恥ずかしいばかりだ。
目を凝らせばひょろりとした徐の姿は直ぐに確認出来た。特に右肩を庇う様子もなく、淡々とした感じで腕を振って走り続けている。
ベンチの中で涼んでいたのか、監督の樋浦茂やもう一人の投手コーチである弥永荘六ら二軍首脳が次々に現れ、此方へと会釈をした。
打撃コーチの鷲尾博実の姿が見えないのは、恒例行事となっている選抜選手達によるアメリカ遠征の引率役を今年も務めているからであろう。
不意に弥永が大声で全員集合の号令をかけた。
列を乱さず外野からベンチ前へと駆けて来る選手達。戻って来たところでダラダラとした様子もなく、きびきびと整列する様はまるで訓練の行き届いた軍隊のようだ。
二軍ですら徹底された広川監督の管理野球。その補佐役として去年まで厳しく指導していたのは誰あろう、この私である。
プライベートにまで口出ししていた私は選手達に随分と嫌われたものだった。CIAだのKGBだのと陰口を叩かれていたのも知っている。
現に目の前に立つ男、調子を落とし江原と入れ替わりで降格した主力打者の緒方卓司の眼差しには、親しみの欠片も感じられない。
優勝を目指す為、共に必死であった頃ならば兎も角、今の彼に取って私は既にチームの一員ではないからだろう。
気を遣い、命令を聞かねばならぬ相手ではないのだ。今更愛嬌を振り撒く必要などないのだから、当然の反応といえた。
それに元々が寡黙でぶっきら棒な性格の男である。逆に愛想が良かったら腰を抜かしてしまうかもしれない。
などと愚にもつかぬ事を思っている内に、選手達は樋浦の指示で全体練習を始めようとしていた。
「事前運動準備! 始め!」
すると、大きく間隔を空けた列から独り離れた徐が選手達へと向き直るや、大きく深呼吸をした後、奇妙な振る舞いをし出す。
肩幅程に足を広げ、真っすぐ横から前へと伸ばした両手を下げる動作を繰り返したのだ。微かに聞こえる呼吸音でリズムを取るように、手を上げては下ろし、膝を少しだけ屈伸させる。
やがて腰から上だけを右へ左へと僅かに回転させ、両手を柔らかく大きく伸ばしては引き寄せた。そこからの動きはまるで舞踊のようでもあり、空手の型のようでもあり。
何とも形容し難いフワリフワリとした動きを繰り返す徐に合わせて、残る選手達も同じ動作をしていた。
何だ、コレは?
何処かで見たような気がするが、少なくともグラウンド上で見た経験などこれまでの人生で一度もないのは確かだった。
「太極拳ですよ。驚かれましたか?」
「ああ、意表を突かれた。まぁ、腰を抜かす程じゃないがね」
そうか中国武術か。道理で見たような気がした筈だ。ブルース・ドンや、ジョージ・チェンの映画でブームになったカンフーとやらの一種だったな。
武術という割には激しさはない。印象としては日本舞踊に近い優雅さを感じる。
立派な体格をした約三十名の男達が揃いのユニフォームを着て、踊りにも似た緩やかな動作を反復しているのは、何とも評論し難い光景であった。
滑稽さもあるが、選手達の顔も二軍首脳の表情も真剣そのもの、漂う雰囲気にお遊びやふざけた感じは一切ない事に気づく。
彼らの真剣な様子に、危うく吹き出しそうになった自分を恥じた。コーチらの指導の下で行われている事を馬鹿にするのは、チームを馬鹿にする事だ。
私の知る二軍首脳は決して愚か者の集まりではない。真摯に野球と向き合う者達である。この瞬時には理解し辛い光景にも隠された意図があるのだろう。
其処で私は選手らの動きを、よくよく観察する事にした。
お手本となっている徐の体に、力みらしきものは全く感じられない。所謂、真に正しいリラックス状態にあるのだろう。つまり、筋肉や筋に余計な負荷がかかっていないという事だ。
選手全体を見渡せば、徐と同じくらいに動きの良い者が一人いるだけで、残りの者達には何処かぎこちなさが見受けられるのに気づいた。
ベテランの緒方など、動きの割には余計な汗を掻き過ぎているように見える。
実際、帰宅後に彼らの動きを思い出しながら体を動かしてみたのだが、ゆっくりとした動作が如何に難しいかが良く判った。
直ぐにバランスが崩れてしまうのだ。
何度も尻餅を搗きそうになり、妻には失笑を提供してしまったが。確かに太極拳とやらは、真剣に自分の体を上手く使わなければ如何ともし難い動作であると理解出来た。
手解きもないままに初心者が行った所為か、翌日には酷い筋肉痛に見舞われたのも不見識の報いであったのかもしれない。。
バランスを取ろうとすれば筋肉や筋の端々にまで無駄な力が入り、返ってバランスを崩してしまう。
東京ギャラクシーズの現監督で元同僚であった大平貞治は一本足打法を完成させる際に、剣術のみならず合気道などの鍛錬にも励んだそうだが、合気道も確か力に頼らぬ武術であった筈。
相手の力を流用して倒す為、か弱い女子供の護身術に最適であると何かの番組で伝えていたのではなかったか。
太極拳も合気道に似た体技であるに違いない。
投げる時も打つ時も、走塁や守備でも、体の軸がぶれていては良い結果は得られないのは周知の事実だ。
もしかしたら、江原は年齢と共に体の軸のぶれが大きくなっていたのではなかろうか。
若い頃は筋肉で補えたであろうが、今の江原の体は決して筋肉の塊とは言えない。元々が肥満し易い体質であると思われる。
だが今の体型は……そう言えば、去年に比べれば幾分腹回りがスッキリとしたような。
例え一部であろうと脂肪を筋肉に置き換えられたならば、体全体にかかる負担は随分と減らせられる筈だ。
軽くなった体重、増えた筋肉、太極拳などによるトレーニング効果。
今年の二軍生活で、江原は肉体の改造に励み、体の正しい使い方を徹底して学んだに違いない。そうでなければ、一軍であれ程の活躍が出来る訳がない。
もしも今の状態がオールスター前から出来ていれば、少なくとも20セーブ以上は稼げたであろうし、そうであればカムバック賞とセーブ王の同時受賞も夢ではない。
少なくとも今、一軍のマウンドで仁王立ちする姿を見れば、“優勝請負人”なる肩書を持つ彼の雄姿を覚えている誰もが、タラレバを言いたくなるだろう。
絶対的な切り札と誰もが讃えた頃の姿を取り戻しつつある江原、まさかその復活の秘密が、太極拳にあったとは。
「怪我した直後よりも大分マシになりましたが、まだ無理はさせられません」
どうやら考え事に耽り過ぎていたらしい。含み笑いをしながらの二木の声に我を取り戻した私は、曖昧に相槌を打つ。
「ところで、いつから太極拳を練習に取り入れているんだ?」
「そうですね、徐が怪我をして治療に専念して、ドクターストップが無くなって練習に参加出来るようになってからですので、凡そ二週間くらい前からでしょうか」
「それだと計算が合わないじゃないか!」
不覚にも、思わず私は声を荒げてしまった。
江原が一軍昇格を果たしたのは今月の15日。今日はその十日後なのだ。二木の言う事が本当であるならば、江原が太極拳を学んだ期間は四日しかないではないか。
たった四日で効果が出るものなのか?
いや、そんな筈はない。どんなトレーニングであれ効果が出るには相応の時間が必要である。一ヶ月か二ヶ月か、江原の堂々たるピッチングを思い出すにつけ、半年かそこらは要した筈だ。
それがたった四日などと、そんな馬鹿な事が!!
「森山さんが何を勘違い為されているかは存じませんが、徐が太極拳を皆に教え出したのは、確かに二週間前ですよ。
それも、元々は意思の疎通を円滑にする為です。トレーニングの一環となったのは偶々です。
日常会話は大して困りませんでしたが、徐って結構シャイな奴でしてね。どうしても上手く会話が成立しなかったんですよ。
それがね、絵本って新人が孤立しがちだった徐に積極的に話しかけましてね、通訳が出来る程に達者な中国語……いや台湾語か、まぁ向こうの言葉と日本語をごちゃ混ぜにした会話で、皆の輪の中に引き入れたんですよ。
絵本って奴は面白い奴でしてね、全く物怖じしないんですよ。
ベテランだろうが、ペーペーだろうが、私らコーチであろうがお構いなしでね。
相手が誰であろうと言葉遣いは丁寧なんですが会話自体はとてもフランクで、うっかりすれば私でも同い年と喋っているんじゃないかと勘違いする事もあったりで。それでいて理屈や御託を並べたりもする奴でして。
それは兎も角、徐が指南する形で太極拳を全体練習に取り入れるようになったのも、絵本の奴が言い出した事でしてね。
徐の為にも、チーム全体の為にも、何よりも自分自身が怪我しないようにする為にも、是非とも取り入れて欲しいと懇願して来まして。
まぁ誰も損をしないのなら、ストレッチの一環としてやるのも良いだろうって事になりましてね」
「ほう、それで絵本って奴は、選手としてはどうなんだ?」
「そうですねぇ、とても高卒とは思えませんね」
「どういう事だ?」
「投手としては既に完成品って感じですね」
「高卒なのに完成品?」
「七月半ばから登板させているんですがね、未だにホームランを打たれていないんですよ。ホームランどころかまともなヒットすら打たれていないんで、失点すら無しで」
「剛速球でも投げるんか?」
「いえ、球速は大して出ないんですが、球のキレがピカ一でして。それ以上にコントロールが抜群なんですわ、贔屓目抜きにしても日高よりも優れています。
変化球も絶品だし、打者心理を読むのに長けているのか、相手の打ち気を外した所にドンドンと投げ込むんですわ。
常にストライク先行。フォアボールもデッドボールも無し。まるで何年も投げてるベテランみたいな投球をしよるんですわ」
「それはまた」
「御蔭でこっちが教える事が何一つありゃせんので、野放しにしてるんですけどね」
「ある意味、コーチ泣かせってヤツか」
「仰る通りで。野放しでも全体練習は一生懸命やるし、個人練習も手抜きは無し。それどころかサボり気味の奴らの尻まで叩いて、練習だ何だと追い回していますわ。私らにも効率の良い練習方法を進言して来たり」
「それじゃあ、どっちがコーチだか判らんな」
「全くですわ。資質も内容も十分に上で通用すると樋浦監督も思っていましてね、そろそろ昇格させても良いのではと話し合っているんですけどね……」
「そんな奴なら一軍で欲しいだろうに」
「本人が“まだまだ”って言うんですわ。鍛え方が足りない、とか言いましてね。全く変に意固地な奴ですわ」
「その変な意固地は、何処にいるんだ?」
「あそこですわ」
グラウンドに広がり思い思いの練習をしている選手達の中で、三塁側のファールゾーンを指さす二木。そこでは、徐と緒方を相手に少年のような若者が何かを伝えようとしていた。
野球選手として背の低い緒方とあまり変わらぬ身長の選手は、言葉では上手く伝えられないとみるや、やおら大袈裟な身振り手振りをし出す。
両手を頭上高く突き上げ、上体を左右に捻りながら足を交差するように歩き出したのだ。その姿を笑うでもなく熱心に見つめる徐と緒方。
何とも奇妙な取り合わせと行いである事に、私は首を傾げるしかない。
「また訳の分からん事をしてやがって。おい、絵本、ちょっと来いッ!」
苦笑いをしながら二木が声を出すと、野球少年がプロのユニフォームを着ているような若者は、奇妙な歩き方を止めて小走りで駆けて来る。
「何でしょうか、二木コーチ」
「さっきのアレは何だ?」
「緒方さんが体を柔らかくする方法を他に知らないかと仰ったので、研究会の友人に先日教えてもらった、家でも出来る歩き方を伝授していました」
「家でも?」
「緒方さんの体の硬さは一朝一夕に改善出来るものではありませんので、練習以外の時間、例えば自宅ででも根気良くストレッチをしてもらう他はありません。
ですが単調な動作を繰り返すだけでは人は飽きてしまいます。折角行うのですから三日坊主にならないような工夫が必要かと。
それで幾つかのバリエーションがありながら簡単に出来る動きを取り入れた、全身運動であるウォーキングをお勧めしていました」
「まぁ、こんな奴ですわ」
「ああ、成る程」
そこで彼は、初めて私の存在に気付いたようであった。二木に対してよりも尚一層姿勢を正しくし、帽子を素早く脱ぐや直立の体勢から腰を深く折って一礼をする。
だが彼の口から発せられたのは、驚きの言葉であった。
「初めまして、森山監督!」
呆気に取られたのは私だけではなく、二木もである。その後ろを見れば樋浦や弥永も驚いた表情をしていた。
ヘッドコーチまでしか務めた事が無く、凡そ監督なる立場とは無縁の私に何を言い出すのやら。この場合、どう反応すれば良いのだろうか?
姿勢を元に戻した彼の表情を見る限り、冗談を言った訳ではなさそうだ。かといって私をからかっている様子でもない。
「おいおい、絵本。相手は広川監督でも樋浦監督でもないぞ」
ややして二木が呆れたような調子で彼の失言を指摘する。すると彼は慌てたように“森山さん”と言い直し、叫ぶような声で失礼を詫びた。
顔を真っ赤にして項垂れる姿に、漸く年相応の印象を受けた私は、思わず声を上げて笑ってしまう。
「絵本光一郎だったか。面白い男だな、君は」
「はい、有難うございます!」
「いや、誰も褒めてへんぞ」
行って良し、と二木が言うと、再び折り目正しい一礼をして“失礼します”と去って行く。
その際、“しまった、まだ監督やなかった”という呟きが聞こえたように思えたが、恐らく気の所為であろう。
それが気の所為などではなかったのを理解するのは日本シリーズが終了してからの事となるのだが、その時点において神ならぬ私に判る筈もなかった。
また、江原復活の秘密が彼にあった事も同様に。
珍しい苗字の高卒新人と何とも不思議な邂逅を終えた後、球場を後にした私の歩みは何処か軽かったような気がする。
後から考えてみれば恐らくは、年甲斐もなくはしゃいだ気分であったのかもしれない。
だからであろう、東京への帰路の電車内に腰を落ち着けるまで、取材の目的を何一つ果たしていなかった事に気づきもしなかったのだから。
気づけはしたものの、既に後の祭り。球場は逆戻りするには遠過ぎるほど遥か後方にあった。
まぁ仕方がない。何れまた機会があるだろう。
私はポケットから取り出した取材ノートに“絵本光一郎”と大きな“?”マークを書き記してから、終点まで目を閉じたのである。
そして瞬く間に十日が過ぎた頃、私はスポーツ日報の記事を書く為に水戸園スタヂアムの記者席にいた。
私の古巣である東京ギャラクシーズが、エ・リーグの優勝争いから脱落しようとしている様を観るのは何とも気分が重いものである。
ギャラクシーズは九月に入ってからの四試合で一つしか勝てていない。
今日からは、開幕以来ずっと六位を定位置としている横浜ウィザーズを迎えての本拠地三連戦なのだが、どうやらギャラクシーズはチーム全体が絶不調であるらしい。
最下位チームを相手にシーソーゲーム、しかも敗色濃厚。これでは首位をひた走る大阪サンダースはおろか、直近のライバルである三位の広島キャナルにすら抜かされそうだ。
これはもう駄目だな。
大平監督のワンパターンと揶揄される“ピッチャー風間”がコールされるのを聞いて、私は暗澹たる思いに囚われた。
一体何試合に登板させれば気が済むのだろうか?
先発の一角であった真殿寛己が七月に負傷し、入院を余儀なくされてから此の方、不甲斐ない先発陣を支え続けて来たのが中継ぎの風間義隆である。
だが如何せん夏場の登板過多が祟ってか、ここ最近は投げては打たれの繰り返しなのだ。
いい加減休ませるべきであろうし、幹本和知のように若い力が芽吹いているのだから、今が最後のチャンスと投手陣の立て直しを図るべきであるのに。
何とも歯痒く、実に腹立たしい!
ピリピリした雰囲気は周囲にも伝わっているのだろう、誰一人として話しかけて来ないのもまた、己の人望の無さを指摘されているようでイライラが募るばかり。
鉛筆の尻を齧りながら早く試合が終わらないかと貧乏ゆすりをしていたら、誰かが一枚のメモを私の手元に置いた。
ふと顔を上げれば、私の数少ない友人であるザワさんこと野沢克也がいつものように不敵なニヤニヤ笑いで立っている。
「おい、モリ。またユタカの奴がやりよったぜ」
それだけを言い置いてスッと立ち去るザワさん。その後ろ姿をぼんやりと見送ってから、私は手元に残されたメモへと視線を落とした。
“ユタカ、7セーブ目! 中継ぎの新人がブレイザーズを完璧に封じて初勝利。絵本って誰や?”
書き殴りなれど達筆なザワさんの文字を見た途端、あれほど胸中で渦巻いていた負の感情が一瞬で吹き飛んでしまった。完全に、綺麗に、消え去ってしまったのには驚くばかり。
次いで我慢出来ぬ程の笑いが込み上げて来た。
何故に可笑しいのか判らぬままに私は声を殺して笑い続ける。
実に愉快だ。どうして愉快なのか全くの謎だが、こんなに愉快な気分なのは久々だ。
ああしかし、惜しい事をした。
今日が文華放送の解説担当であったのならば、武蔵野球場での試合をバックネットから直に観戦していれば、愉快である理由もさっぱり判らぬ謎もすっきりと解消していたのかもしれないのに。
いや、解説の途中で笑い出すという放送事故を起こしていたかもしれないのだから、現場にいなくて良かったのかもしれない。
周囲の記者達から奇異の目で見られている事も知らず、主審がゲームセットを告げるまでの間、堪え切れぬ笑いに私は身を委ねたのであった。
次回は漸く、試合の話をば。