入団0年目「まるで猫目石の輝きのように」Track③
分割、改訂致しました。(2023.06.02)
計算ミスに気付き、一部改訂致しました。(2023.06.03)
現時点では思い付きを実行しているに過ぎない雑多なトレーニングに、いつの間にやら参加しているケンジの奴は地頭が相当良いに違いない。
何故どうしてと、俺の行動全てに疑問を呈しても、筋道立てて理由を説明してやれば直ぐに納得し、黙々と一緒に汗を流しているのだから。
地頭が良くなければ、疑問を抱くどころか指さして笑っていただろうに。馬鹿がバカな事していると。
21世紀であれば体幹だとかフィジカルだとかは一般人でも当たり前に口にしていたが、20世紀終了まで10年以上も猶予がある今日だと、プロとして飯食ってる人間でも大半が知らないに違いない。
レオタードは着ていなくとも大の男が映画『フラッシュダンス』みたいな運動をしていたら、笑いの種でしかないのが80年代中盤の現実だったりする。
幾らエクササイズだと主張しても、“何だそれ?”で終わりだろう。
水泳は肩を冷やすので良くない。
練習中は水を飲むな。
足腰を鍛えるにはウサギ跳びが一番だ。
中世暗黒時代の拷問さながらの練習方法が罷り通っているのが今の世の中。
有酸素運動なる単語はあったとしても、何処にあるのか誰も知らないのが現実なのだ。
バランスボールが入手出来ず、近所の修理工場から頂戴した廃棄タイヤを代用品にしている俺は、誰がどう見てもサーカスのピエロ志望者でしかないだろう。
肘を床につけての腕立て伏せなんて、サボっているように勘違いされても仕方ないよな。
それなのに、ケンジの奴は違った。
試行錯誤のアレコレを笑いもせず、真剣な表情で付き合ってくれているのだ。
記憶では、一軍半の選手として現役時代は10年ほどだった戸松賢治内野手。代々木スターズへの入団は、今から4年後になる筈の男。前世ではプロ生活が入れ違いだった仲間。
今度こそ同じグラウンドで、一つのボールを巡って向き合おうぜ!
例え違うユニフォーム、異なるリーグであっても、さ!
高校時代は唯一無二のチームメイト、プロ入り後は切磋琢磨するライバルだなんて、最高じゃないか!
今度は、お前とグラウンドで戦うまでは絶対に辞めないぞ、俺は!
死に物狂いで頑張って一軍のマウンドに俺は立つからさ、お前もバリバリの一軍選手としてバッターボックスに立てよ!
俺はワリーグの所属だ。お前がエリーグの球団のユニフォームを着るのなら、戦いの舞台は日本シリーズになる。
黄金期を迎えているレイカーズに対し、万年Bクラスのスターズがチャンピオンフラッグ掲げて日本シリーズの常連となるのは7年後だ。
森山vs野沢の智将対決となる1992年の日本シリーズは、思い出すだけでもワクワクする戦いだった。第7戦までフルに戦って4勝3敗でレイカーズが日本一。
だが翌年は逆に、スターズが4勝3敗で優勝旗を奪取する。
他球団のしがない打撃投手であった俺はその二年間を、胸を熱くして過ごしたっけ。羨望に胸を焦がしていたっけ。
最高の舞台で野球人生の全てをぶつけられるなんて、羨ましい以外の何を言えと言うのだろうか!
ああ、そうだ。
ケンジ、お前はあの憧れの舞台にいたのだったよな。守備の控えで貴重な代走要員だったけど、確かにあの舞台に立ったのだよな。
俺もあの場にいたんだぜ。残念ながら試合開始前だけな。
グラウンドにいれたのは打撃投手として。試合中は背広に着替えてスタンドにいたさ、スコアラー要員としてな。晴れがましいお前の姿が、やけに眩しかったっけ。
今度は、俺も立ってやる!
膝の上にスコアブック広げての観戦など、もう二度と御免だぜ!
見果てぬ夢に浸りながら、俺は未来の対戦相手へと塩を送らずボールを放る。
「なぁ、エホン」
「おお」
「今のボールは何や?」
受け止め損ね、グラウンドの端へと転がったボールを小走りで拾って来たケンジが、返球と同時に問いかけてきた。
「いや、別に」
「えらく落ちたやんけ」
「一応は、スクリューかな?」
「スクリューって何やねん」
「ブレイザーズの大エース、山本投手の決め球のシンカーみたいな球種や」
「お前、オーバースローやん」
「いや別に、シンカーは下手投げの専売特許やないぞ」
「ほな、シンカーとどう違うねん」
「確か定義したら、サウスポーの投げるシンカーっぽい球とか何とか」
「お前、右投げやんけ」
「いや、最初に投げたんは戦前におった二人のアメリカ人で、どっちも右投げやった筈や」
「何やそら」
不意に黙り込んだケンジがやおらしゃがみ込み、キャッチャーの捕球スタイルを取りやがった。
「もう一遍、投げてみぃや。せやけどマスクしてへんさかい、目一杯で投げんなや。軽く、軽くやぞ」
言われるがままに軽く投げたボールは僅かに沈む。外角低め、ストライクゾーンから離れた辺り。今度は見事にキャッチしたケンジが、山なりでボールを返す。
「なぁ、もしかしてやけど、他にも投げられるんか?」
「ほな、スプリットでも」
「スプリットって、何や」
「落差の小さいフォークボールや」
その後も俺はケンジに問われるまま、幾つもの変化球を投げ込んだ。
内角に食い込むシュート、シュートよりも鋭角に曲がるカットボール、OKサインのような握りで投げるサークルチェンジ、掌で押し出すように投げるパームボール。
投球と送球の間のようなぎこちないフォームで投げたナックルは、奇妙な軌道を描くやケンジのミットをすり抜け股間を潜って転がって行った。
「なぁエホン。お前いつから七色の変化球が投げられるようになってん?」
ニヒッ。そりゃあ、ズルしたからさ
プロとしてユニフォームを着ても、必ず引退の時が来る。早ければ20代前半、精々頑張っても30代後半で選手はOBとなる。
引退した後、解説者に成れる者は極少数。コーチや監督など超難関の狭き門だ。
俺が務めた打撃投手ですら1チームに数人、スカウトなどの球団職員ですら各チームに二十人といやしない。
つまり引退したら働き盛りの年齢でほとんどの者が球界から放り出されるのだ。
それまで最低保障として年俸二百万円あった収入が、球団からの“クビ”の一言でパーになってしまうのがプロの世界。
だから新人として入団契約をする際に必ず言われるのが、契約金は引退するまで貯金しておけ、だったりする。
収入ゼロでも税務署は容赦なく毟り取りに来るからな、という警告なり。
社会人野球からの入団でない限り、現役引退した者は当たり前ながら会社勤めの経験などない。入団前の学生時代は朝から晩まで野球漬けの生活だ、バイト経験すら皆無である。
二十代三十代で、野球しか知らない男達が経験の無い社会生活に身を投じなければならないとしたら、どうすれば良いのか?
余ほどの無駄遣いでもしない限り、ある程度纏まったお金はある。でも勤め人としての常識は持ち合わせていないし、教えられてもいない。
しかも野球選手は税法上、個人契約主として扱われる。選手会が労組として認められるのは、来年か再来年くらいじゃなかったかな。
まぁそんな感じで、野球選手とは良く言えば一国一城の主、悪く言えば御山の大将なのだ。
選手として監督やコーチに試合で使われるのは当然としても、会社の一員として歯車の一つに徹するのには多かれ少なかれ心理的抵抗があるのだ。
況してや、資格や特技でも所持していれば兎も角、頭の中まで筋肉体質の体力バカを雇うのを躊躇せぬ会社が、この世にどれだけあるのやら。
好景気である80年代の真っただ中であっても、野球選手の再就職は中々に厳しいのである。
だが捨てる神あれば拾う神あり、とか。
好景気に支えられた銀行が、実に安易に金を貸してくれるのもまた、80年代の良いところ。
ある程度は貯金もあるし、いい車にも乗っているし、マンションを購入していたりもする。担保としては十分だ。
お山の大将気質の多くが勢い、飲食店や水商売に手を出すのは当然の流れだろう。担保を確定させた銀行が金だけじゃなく経営アドバイスもしてくれたからね。
80年代は雨後のタケノコのように元プロ野球選手の店ってのが、彼方此方に乱立したのもむべなるかな。
その流れは、バブルが弾けた90年代になっても止まる事はなかった。
尤も、オープンした店舗の大半が経営不振で一年持たずに閉店していたけれどね。シャッターガラガラ、さようなら。
流石に21世紀を迎えて以降はそんな流れも滞ったけれどね。
さて、俺である。
引退後、打撃投手として即採用された俺は20年間も球界に残留出来た御蔭で、じっくりとセカンドライフを考える猶予があった。
その結果が梅田の片隅でバーを開く事だったのだから、お山の大将の諸先輩同輩後輩を笑える立場じゃないのだけれど。
やはりどうしても、一国一城の主気質は抜けなかったのだ。
しかし多くの失敗談を耳にしていた俺は、先人の轍を踏まぬように細心の注意を心掛けた。
親が残してくれた遺産も少しあったし、縁が無くて結婚もしなかったし、子供もいなかったし。身一つだから少しくらいの冒険は大丈夫だろうって思ったし。
球界関係者に頭を下げ捲って宣伝して、程よく集めた高めの酒と、隠れ家的な少人数制の会員制のバーにした御蔭で、あまり赤字は出さず経営はまぁまぁ順調であった。
癌で死ななきゃ、今も蝶ネクタイ締めてグラスを磨いていただろうなぁ。
客の九割が球界の人脈であったのも幸いであった。
現役時代に滅茶苦茶叱られ殴られた保志監督も、銀髪になってもダンディさを保ち続けた山本さんも、よく足を運んでくれたっけ。
現役の若いのも、チームではベテランと呼ばれる年下も、肩書が解説者となったOB達も、大いに店を賑わせてくれたよなぁ。
そんな客の中で、決め球を持つ投手達が少なからずいた。
球速はなくともコントロールは抜群に良かった俺だったが、球威のある決め球を持ち合わせてはいなかったのだ。
現役時代に投げられたのは三球種。速球、カーブ、スライダー。
高校野球でなら通用したが、プロではさっぱりだった。パカパカと面白いくらいに打たれたなぁ、笑い事じゃないけどな。
でもそれが打撃投手としては有効だったのだから、人生何が幸いするのか判らないものだよ、全く。
打撃投手となってからは三球種だけでは物足りないと球団に言われ、もっと実践に即した球種も覚えろと命令されて、シュートを覚えた。
気がついたらフォークも投げられるようになっていたっけ。
打撃投手の仕事は、打者が気持ち良くバットを振る手伝いだけじゃない。仮想誰々とライバルチームの主力投手の身代わりとして投げ、攻略法の手伝いをするのも重要なお仕事。
それが習い性となったのか、バーの来客の話し相手をする傍ら、これはと思った投手達に決め球の握りを教えてもらっていたのである。
勿論、それが相手の飯のタネであり球界で生きて行く為のマストアイテムなのは重々承知していたから他言無用は当然で、相手と一対一の時のみに教えてもらうのを厳守していた。
まぁ実際は、野球の専門誌を開けば御丁寧に写真入り図解で紹介されていたりするのだけれど。
だが、写真で見るのと、目の前で実際の握りを見せてもらうのでは、全然違うのだ。指の開き方、手の甲の筋の浮かび具合、手首や肩の回す角度。テレビで見る風景と現地で見る光景くらいに、全くの別物なのだ。
教えてくれた投手はOBよりも現役の方が多かったが、理由は即物的なもので、店にある一番高い酒を一杯御馳走したからだったりする。
ちゃっかりしているよね、今どきの若い子達は。
中でも、惜しげもなく全球種の握りを見せてくれたのは、今ではメジャーで大活躍しているファイルーズ有であった。
大阪出身のやんちゃ坊主は、持ち球全てがウィニングショットなのだ。何と羨ましい事だろう。
しかも一球一球を詳細に解説してくれたのだから、もう感激するやら呆れるやらで。
もしかしたらこの世界において、俺はファイルーズの一番弟子なのかもしれない。
因みにファイルーズは1986年生まれ。オギャーと泣くのは一年後だけどな。
まぁそんな訳で。
前世の高校時代には投げられなかったし、存在すらしていなかった球種を、俺は投げられたりするのだ。
これがズルではなくて何だというのか?
まぁ、俺の特性があってこそ成立する反則技なのだけどね。他人よりも指が長くて手首の関節が柔らかい、っていう生まれながらの特性の。
「エホン、お前、いつの間にそないに器用になったんや?」
「サンタさんにお願いしたんや」
「ホンマか!」
「そんな訳ないやろ! 冬休みに帰省した時、めっちゃ必死に覚えたんや」
「何でそないな事したんや。プロ入ってからでもエエやろが」
「それやと遅いんやわ。なぁ、ケンジ。俺のドラフト4位って評価を、どう思う?」
「スゴイなぁ」
「いや、そうやなくて、もっと具体的に、や」
「甲子園に行ってへんわりには高いと思う」
「胸にグサグサ突き刺さる評価をおおきに」
「いや、言うた俺かてズンバラリンと返り討ちやし」
「ほいでや」
「おう」
「広島のドライチ、箕島の椙本は夏の大会に出たからエエとして。ブレイザース指名の嶋方やオーシャンズ指名の金田の二人は、俺と同じで一度も甲子園に出とらんのに1位指名やったやんか。
嶋方や金田と、俺との違いは何や?」
「確か二人共、かなり背ェが高かったんと違うか」
「そや。190くらいあった筈や」
「って事は、お前は20センチも見上げなアカンのか。そら大変や、首折れそうやな、コルセットいるか?」
「いらんわ。それに差はたったの15センチや、ほっとけ。それは兎も角、アイツらは長身から投げ下ろす球威が評価されてのドライチって事や。
ほな、背の高くない俺がドラヨンでしかも競合やったんは、何でやと思う?」
「そやなぁ、背が低ぅて球威の無いエホンが、6位でもドラフト外でもなかった理由かぁ」
「低いんやない、高くないだけや」
「チビッ子のお前が評価されたんは、二年生やのに超高校級の怪物と噂されとるヤツを完璧に抑え込んでるから、やろうな」
「そや。生意気にも一年生の時からPS学園の四番を任されとる金月には、未だにホームランを一本も打たれてへんからやと俺も思う」
「前にも聞いたけど、何で打たれてへんねん?」
「そら、金月と勝負する時は絶対にホームランを打たれへんトコに投げてるからや」
「スピードも球威もしょぼいけど、コントロールはエエもんなぁ」
「スピードも球威もしょぼくても、コントロールが良かったら打たれへんのや、恐れ入ったか」
「へいへい」
「でもなぁ、超高校級の怪物や言うても金月は所詮、高校球児や。プロの選手やあらへん。どう考えても俺の球威はプロじゃ通用せェへん。
投げ間違わん自信はあるけど、絶対とは言い切れへんし。少しでも甘くなったら」
「楽々スタンドインやろうな。それで球種を増やそうってか?」
「イエス、ザッツライト。まぁ実戦で使えるレベルやないから、これからドンドン磨かなアカンけどな」
「監督の頭みたいにか」
「おうよ、ツルッツルのピッカピカに磨き上げて、皆の度肝抜いたらぁ」
「ほな、名前もアッと驚くタメゴローに変えなアカンな、大変やな」
「アホか、何で改名せならんねん。まぁ投げ方は変える心算やけどな」
「サブマリンに転向か」
「オーバーからアンダーって、180度も転向すんのはやり過ぎやろうが、逆に体壊すわ」
「ほなスリークォーターか、それともサイドか」
「ああ、そんな感じや。さっき投げたスクリューやけどな、オーバースローやと肩いわすねん」
「なるほど、球種増やす為に投げ方も変えるんか」
「違うな。プロとして生き残る為に球種を増やす必要に迫られたから、必然的に投げ方も変わらざるをえんって事や。所謂、アジャストメントってヤツや」
「アジャストメント、って何や?」
「適者生存、って意味や」
「当たるも八卦当たらぬも八卦か」
「易者やない、適者や!」
暮れなずむまで他愛のない話とキャッチボールを堪能した二人は、“また明日”とグラウンドを後にする。
翌日も、また次の日も、卒業式を迎えるまでの間ずっと、まるで儀式のように続けられた。
そして桜の蕾が一斉に開花する直前、卒業証書を手にした二人は母校のグラウンドを離れ、それぞれの進路へと向かって歩き出す。
ひとりは、東京の八王子市にある私立大学の野球部へと。
もうひとりは、埼玉を本拠地とするプロ球団へと。
歩み出す道は違えども何れその道先が再び交わる事を、固く信じて。
続きはまた、後日に。
改訂作業は続くよ、どこまでも……。