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栄冠は地味に輝く  作者: wildcats3
21/21

入団3年目「『おもちゃのチャチャチャ』という童謡がある」サビ2

 試合描写は楽しいですね。少しでも観戦気分を味わってもらえますれば幸甚です。

 誤用・誤表記を訂正致しました。御指摘下さいました方々に感謝を。(2022.12.01)

 日本シリーズでは、第1戦と第2戦のどちらを重要視すべきか?

 元号が未だ昭和であった頃は、第1戦と答える者よりも第2戦と答える者の方が多いのは当然といえた。

 その理由は主に三つある。


 理由の最初は、レギュラーシーズン終了から日本シリーズ開幕まで、長ければ二週間近く間が空いてしまうという事実。

 実戦から遠ざかればどうしても試合勘が鈍ってしまうからだ。


 次の理由は試合日程に起因する。

 夜間照明が不十分などの特殊な事情を除き、日本シリーズは両リーグの優勝チームの本拠地、つまり二つの球場で行われるもの。

 全七戦で設定されている日本シリーズの日程を平易に表せば、<試合・試合・移動日・試合・試合・試合・移動日・試合・試合>という配分になっている。

 第1戦の敗北を前提として戦略を組み立てるのが第2戦を重視する者の特徴であるが、決して悲観論者であるからではない。その考えを展開すれば次の通りであった。

 第2戦の必勝を企図するのは、七戦勝負において最も忌避すべき連敗をしない為。

 同じ1勝1敗でも勝ってから負けるより、負けてから勝つ方が、即ち第2戦を勝った方が心理的に楽。

 敗戦を引きずって移動するよりも、勝って気分良く移動する方が良い。

 第3戦が本拠地ならば猶更。凱旋気分のまま大勢のファンの声援を背に、三連戦に臨めるからである。


 三つ目は情報の精度を上げる事。

 優勝が確定したら速やかに、日本シリーズで対戦する相手の情報を収集し分析せねばならない。

 しかしこの頃、80年代後半はネット社会ではなく、況してや誰もがパソコンを所有している時代でもなかった。

 スコアラーのほとんどは打撃投手が兼任しているのが当たり前で、交流戦など影も形もない時代でもある。

 つまり別リーグの最新情報に接するには、テレビ中継か新聞などで報じられる試合結果しか手段がないのだ。

 以上の理由により、第1戦は事前情報に乏しい手探りでの戦いとならざるを得ず、精神論よりも戦略戦術を大切にする者ほど第2戦を重要視する傾向にあった。


 野球は確率論で行うのがモットーの森山祇晶にとり“日本シリーズは第2戦が大事”なのは自明の理である。

 故に東京ギャラクシーズの第1戦先発に、大平貞治が選んだのは草尾真澄だと知った瞬間、日本シリーズ連覇達成の確信を覚えたのは必然だったのかもしれない。

 野球とは点を取ってなんぼ、点を足らなければ勝利者になれないのだが、昔からの野球格言にあるように“打線は水物”、常に点が取れる訳ではない。

 仮に得点出来たとしても対戦相手よりも上回らなければ、勝者にはなれないもの。視点を変えれば、対戦相手の得点を同等以下に抑えれば、敗者と為らずに済む。

 捕手出身の森山は、打撃の絶対性を信じていない。

 バッテリーが知恵を尽くせば如何なる強打者とて封じる事が出来るのを、体験から理解していたからだ。

 そもそも強打者とは3割の成功率でなれる者であるのだから。

 一方で投手は常時6割以上の成功率を、守備に関しては9割以上の成功率を絶対的に求められる。

 シリーズ開幕前において、第1戦よりも第2戦を重視し、確率論に随い打撃力よりも投手を含めた守備力に信を置く森山は、大平が第1戦の先発を誰にするかが最も知りたい情報であった。

 ギャラクシーズの先発は、シーズン15勝とチームの勝ち頭である草尾。投球回207イニング2/3と最優秀防御率賞を獲得した2.17は立派な成績であるが、入団2年目の若造でもある。

 森山が恐れていたのは、江守卓がオープニングピッチャーに指名される事であった。

 成績は全ての面で草尾に劣るとも、江守は日本シリーズに過去二度出場し、幾多の修羅場を潜り抜けて来た猛者である。

 であるにも関わらず、江守は選ばれなかった。

 大平は、経験よりも成績に重きをおいた選手起用をする。

 相手の手の内が読み取れた森山は、日本シリーズの勝者となる算段の精度が上がった事に安堵した。

 それでも下駄を履くまで(=帰り支度をするまで)判らないのが、勝負というもの。

 事実として、レイカーズがリーグ優勝出来たの要因は、森山があまり信をおいていない打線が予想以上の大活躍をしたからであるし、その破壊力は日本シリーズにおいても発揮されるのだから。



 今回よりワイルド・リーグ所属チームの主催ゲームは|DH(指名打者)制度を採用する旨が事前協議で合意を得る。エキサイト・リーグ所属チームの主催ゲームでは投手が打席に入る形式なのは従来通りで。

 DHに誰を起用し、どの打順で打たせるのかも興味の的となった今年の日本シリーズの第1戦であったが、未明より振り出した激しい秋雨により一日順延を余儀なくされる。

 明けて翌日。

 前日の雨雲は何処へやら、爽やかな秋晴れに恵まれた武蔵野球場にて、10月25日の午後1時過ぎ、3万2千を超える大観衆が見守る中、戦いの火蓋が切られた。


 <埼玉レイカーズ・スタメン>     <東京ギャラクシーズ・スタメン>

 3B)伊倉宏典             SS)近藤淳基

 LF)笠原栄治             RF)児玉徳広

 CF)浅川幸二             CF)クローザース

 1B)金月和博             3B)長谷辰徳

 DH)小野寺博元            LF)吉野禎章

 RF)ブロデリック           2B)塩沢利夫

  C)池澤勤               1B)中原清

 SS)芹澤正和             C)山野井和博

 2B)鶴発彦               DH)松野匡史


 レイカーズの先発は、チーム最年長にしてリーグを代表するエースピッチャーの日高修。

 シーズン成績は草尾と同じ15勝。防御率は2.59、投球回は222イニング2/3。チームの大黒柱としては十全の働きである。

 年齢による衰えで往年の力量は発揮出来ないまでも、経験の豊富さと類まれな勝負勘の持ち主だったが、雨天順延が調整に微妙な狂いを生じさせたのか、この日の日高は豊富な経験を活かせぬ状態であった。

 それでも初回裏の先制2点と内野守備陣の好守に支えられながら、2イニングを無失点に抑える日高。エースとは斯くあるべし、のお手本といえよう。

 しかし三回表、待ち構えていた陥穽に嵌ってしまう。

 先頭の二番ライト児玉が初回に続き二塁打を放つ。舐められてはなるものかと不敵な笑いを浮かべながら打席に入った児玉は、セカンド塁上で笑みを深くする。

 三番センターのウォーレン・クローザースは浅いレフトフライで凡退するも、四番サード長谷の左中間適時打で児玉が俊足を飛ばして1点を返す。

 五番レフト吉野も長谷と同じ打撃で一死一・二塁、六番セカンド塩沢の打球が三遊間を抜く間に長谷が返って同点となり、尚も一死一・二塁。

 七番ファースト中原の初球、二塁ランナーの吉野がレイカーズバッテリーの隙を突いて果敢に盗塁を試みるも失敗、ギャラクシーズの好機は二死1塁と萎む。

 危機が遠のいた所為で、緊張感が僅かに緩んだ日高。投じたスライダーは曲がりが甘く、中原のバットが芯で完璧にそれを捉えれば、打球は高々と左翼席上段へ飛び込んだ。

 四年前、広川達朗監督率いるレイカーズに敗北した雪辱を果たした気分の中原は、夢見心地でダイヤモンドを一周。一挙4得点に沸き返るギャラクシーズベンチで手荒い歓迎を受けた。

 あっという間の逆転劇に背が丸くなるも、まだ負けた訳ではないと八番キャッチャー山野井と対峙する日高。

 山野井の打球は三塁線を鋭く襲うも、サード伊倉がファインプレイ。横っ飛びでキャッチされたボールは、空かさず一塁へと送球された。

 ピンチの後には……の格言通り、レイカーズは三番センター浅川から始まる好打順。二死ながら一・二塁と同点あるいは逆転のチャンスを得る。

 打席に立つは、打順は下位ながらしぶとい打撃でシーズン51打点を挙げた七番キャッチャー池澤。

 早くも息が上がっている草尾の投じたカーブを、池澤はクローザースの前へと運ぶ。センター前適時打で快速の浅川は楽々とホームベースを踏んだ。

 堪らず大平がベンチを飛び出し、投手交代を告げる。草尾に代わりマウンドに上がったのは、上條初。マウンド上では何があっても動じない「鉄面皮」と渾名されるベテランであった。

 レイカーズが未だ福岡を本拠地としていた頃、チーム名が博多ライナーズであった時代に社会人から入団した上條はその年に17勝して新人王を獲得する。

 ほぼ同期の日高と共に低迷するチームを獅子奮迅の活躍で支えた上條の人生に転機が訪れたのは、入団3年目の晩秋の頃。ギャラクシーズへトレードされたのだ。

 以来11年、史上51人目のノーヒットノーランを達成するなどしながら他所よりもチーム内競争の激しい中で、上條は背番号21を背負い続けていた。

 期せずして背番号21を背負う元戦友同士の投げ合いは、四回と五回を無双モードで片付ける。ベテランによるベテランの為の2イニングだったといえよう。

 だが先に音を上げたのは、投球数が百球を越えた日高だった。

 先頭の山野井が打ち損じた平凡なゴロをショートが悪送球。久々のスタメンで緊張頻りの芹澤正和がしでかしたミスは、日高の根気を殺いでしまったのだ。

 二打席無安打だった松野の代打として登場した岡本郁に、センターオーバーの大飛球をかっ飛ばされる。

 フェンス際を転がるボールを浅川が追いかけている間に、山野井が一塁から長駆ホームイン。

 一番ショート近藤の送りバントの失敗と、焦って飛び出した二塁ランナーの岡本を池澤の送球で仕留めたものの、次打者は本日絶好調の児玉。

 続投か交代か。

 判断に迷いながらベンチを出た森山へ、日高は続投を希望する。

 ギャラクシーズの新戦力である児玉のデータが不足しているので色々な球種で確かめたいのだ、と。

 日高の意を汲み、森山は続投を決断。結果は六球目のスライダーを叩かれライトスタンドへのホームランとなり、日高は苦虫を噛み潰したような表情で降板するのだったが。

 六回表二死走者無し。点差は3点の3対6。こうなれば森山としては負けを受け入れつつも、残り2イニング1/3を有効に使おうと考えを定めた。

 投手コーチの弥永荘六が、ひっきりなしに通話機でブルペンへ指示を飛ばす。シーズン中と異なり、次から次に送り出されるレイカーズ中継ぎ陣。

 回跨ぎで1イニングを左のサイドスロー、太田真也。1983年の日本シリーズではストッパー役であった桃井繁和を、三分の一。

 八回を任されたのは増山兄弟の(オトマス)こと雅之であったが連打を許し、近藤にダメ押しの適時打を打たれてしまう。

 光一郎の名がコールされたのは、その直後の事。状況は一死二・三塁。点差は4点に広がり3対7。

 これ以上失点を重ねてもこの試合に限って影響はないが、これ以上打たれれば明日以降の試合に影響が想定される場面。

 ロックファン以外にも名が売れ出した気鋭のバンド、クロスの楽曲に背中を押されながらマウンドに上がった光一郎であったが、気分的には今すぐにもロッカールームへと帰りたい、である。

 何故ならば弥永経由で森山から命じられたのが、出来る限り球数を多く投げてギャラクシーズ打線を丸裸にしろ、であったからだ。

 抜群のコントロールで多彩な球種を操れるが故の指示である。そうは理解していても、正直な気持ちは“面倒”の二文字だ。

 打たれるな、歩かせるな、失点するな。

 リリーフの三原則を遵守するのは職務の基本であれども、出来るだけ球数多くという追加オーダーは流石に無理難題であろう。

 入団3年目の若造にする命令じゃないだろうに、と精神年齢だけはフィールド上の誰よりも年長者となる光一郎は軽く口を尖らせる。

 敬老精神はないものか、と前言を翻した嘆きを口中で転がしつつ、投じるのは内角高目に外れる速球だ。


 ここまで4打数4安打。本塁打1本、二塁打3本と全て長打の児玉は、“何がギネス記録だ、ヘロヘロ球じゃねーか!”と、マウンド上の小柄な敗戦処理投手を睨みつける。

 “しっかり抑えろ、コニャンコー!”

 ヤケクソ気味な声援を浴びせられながらの二球目は、これまた外角低めに大きく外れるスライダー。

 セットポジションをしながらも二人のランナーを一顧だにしない光一郎が投じた三球目は、真ん中低目に小さくワンバウンドするフォークだった。

 悪球打ちを得意とする児玉ではあったが、バットが届かないほどに外れたボールやワンバウンドに手を出すような無茶はしない。

 ホーム突入のチャンスかと動き出しかけた三塁ランナーに、ベースへ戻るよう合図する余裕もあった。

 呆れた風に三球とも見送った児玉は、やる気あるのかコイツとばかりに疑いの目でマウンドを見る。


 いくら敗北必至の状況であろうとも、この試合は日本シリーズの初戦だぜ。もっとマシな投手はいないのか?


 児玉の気がホンのちょっと逸れた瞬間、微妙に早いテンポで光一郎が少し小さくモーションを起こす。

 四球目の速球は、まさかのど真ん中。完全に虚を突かれ、呆然とミットに収まったボールを凝視する児玉。視線をマウンドへと向ければ、したり顔の光一郎がいる。

 なめんな、コノヤロー!

 過剰なほど頭に血が上り、誰が見ても激高寸前となった児玉に対し、光一郎は如何にも平然としたもの。打ち易いボールを投げてやったのに何が不服なのか、と言わんばかりの態度である。

 それを挑発だと受け取った児玉は完全に冷静を欠き、一方の光一郎は平静さを保ったまま。これで勝負あった。

 五球目の内に食い込む低目のツーシームを自打球にした児玉は、不必要に力の入った打撃フォームで六球目を打ちにかかる。

 真ん中高目に投じられた山なりのカーブは、渾身のフルスイングを嘲笑うかのように池澤のミットへすっぽりと収まった。

 悔しそうに足を引き摺りながらベンチへ戻る児玉と入れ替わりに打席に立つは、クチャクチャと噛む風船ガムがトレードマークのクローザース。

 球界の紳士たれ、を標榜するギャラクシーズの中では珍しい、剽軽さが売りのやんちゃ坊主的愛されキャラである。

 但し、打席の中では戦意満々のファイターでもあった。

 その証拠に、今年の六月に熊本の球場で行われたドルフィンズ戦で乱闘騒ぎの主役となっていたのだから。


 ドルフィンズの中継ぎ左腕、宮川昌己の投じた速球を背中に受けたクローザース。謝罪を要求するも、宮川の態度に不服を覚え激怒。即座にマウンドへ走るや宮川の顎に右ストレートを御見舞いしたのだ。

 一発のパンチは、両軍入り乱れての大乱闘開始を告げるゴングとなる。

 加害者から一転被害者となったドルフィンズ側。全国に中継された闘将保志仙一が大平に喰ってかかるシーンなどは、全国のお茶の間に後年までの話題となった。

 因みに当日は広島キャナルの大ベテラン、肝付祥雄が世界記録に到達した日でもある。

 伝説的なメジャーリーガーが成し遂げた通算2130試合連続出場という偉業は並ぶ者無き大記録だと思われていたが、48年後にプロ野球選手が肩を並べたのだ。

 野球ファンのみならず多くの日本人が注目していた大記録であったが、翌日の新聞やテレビニュースのスポーツコーナーは偉業よりも事件を大いに報じる。

 コツコツと地道に積み上げられた行いよりも一見派手な大騒ぎの方にニュースバリューを認めるのが、報道の体質であり人の(さが)なのだろう。むべなるかな。

 尚、肝付が世界記録を更新したのは二日後、対ドルフィンズ戦であったのも因果の巡り合わせなのかもしれない。

 さて、クローザースと相対した光一郎。池澤のサインに随いながら淡々とボールを投げ込むが先ほどとは真逆、ポンポンと二球連続でストライクを先行させた。

 内角低目へのスプリットとツーシーム。上半身をホームベースへ被せんばかりに前傾させた極端なクラウチングスタイルでは、よほど甘くならない限り内角が弱点となる。

 シュアなバッティングで昨年は.363の高打率を記録したクローザースであっても、それは同じ。いや、内角打ちが得意ではないからこその打撃フォームであった。

 大多数の投手は、クラウチングスタイルに対しては内角攻めを控える傾向にある。コントロールを間違えたら即、死球となるからだ。

 しかし無四球試合の世界記録を樹立した光一郎ならば当てる事はないだろうと、内角の厳しい所へのボールを遠慮なく要求する池澤。当てたとて、怪我させるほどの球威でもないし、とも。

 とはいえ内角一辺倒ではいつかは打たれる。池澤のサインに無表情で応じた光一郎は、外角高目から大きく逃げるスライダーを後は、明らかにボールと判るカーブを外角高目へ投げる。

 カウントは2ストライク2ボール。

 攻める気があるのかないのか。思った所にボールが来ず、追い込まれているのかそうでないのか判断のつかぬクローザースの神経がささくれ立つ。

 五球目。外角真ん中にするりとボールがやって来た。

 絶好球だと素早くバットを振り抜くクローザース。だがぬるりと芯を避けたカットボールはバットの根もと近くに当たる。

 冒涜的な言葉を吐いたクローザースが折れたバットを地面に叩きつけるのと同時に、力のない打球は金月のグローブに拾い上げられた。


 メッチャしんどかった!

 特訓やら何やらで散々投げ倒しとったから内角はまぁまぁやったけど、外角はちょっと投げ込みが足りひんかったみたいやなぁ。

 思うてたよりも抜けてしもうた……やっぱ一ヶ月くらいの付け焼刃練習じゃアカンかったか。

 マジで草臥れたんで、今日はもうお役御免ですよね、弥永コーチ?

 え、ああ、最終回もですか、はぁ、了解です、森山監督。精々頑張らせてもらいます。

 ……せやけど俺ひとり頑張るんは嫌やなぁ。

 やっぱ、楽しぃ事はオール・フォー・ワン、楽しぃない事はワン・フォー・オールの精神やないとなぁ。


 八回裏。ギャラクシーズは、七回裏を三者凡退で抑えた水島勝仁を続投させる。

 甲子苑大会史上4校目となる春夏連覇に貢献し、その風貌から“鳴門の金太郎”と渾名された水島。強気のマウンドさばきが特色の投手だった。

 対する先頭打者は金月。

 最初の打席で草尾とのK&K対決をライト前ヒットで制したものの、その後の二打席は三振と四球である。

 今ひとつリズムに乗り切れていない金月がベンチを出ようとした時、不意に耳元で悪魔が囁いた。


「そーいや、甲子苑で水島さんに4三振やったっけなぁ、キンタロー?

 ここで一発やり返さんかったら……お母ちゃんに叱られんでェ、ケケケのケ」


 悪魔の囁きは、これまで三打席凡退だった小野寺の鼓膜にも、不気味な響きを伴い木霊する。


「ステーキ1キロと青汁1リットル、どっちがエエ?」


 二者連続のホームラン。

 金月は左中間へ、小野寺はバックスクリーンへ。

 リーグ優勝への快進撃の原動力であった若き大砲二門の上げた反撃の狼煙に、俄かに沸き立つレイカーズベンチ。

 4点差が半分に減り、もしかしてを期待するレイカーズファンの声援が球場を揺るがした。

 まさかの連続被弾に水島は動揺を隠せず、続くブロデリックは何とかレフトフライに仕留めたものの、池澤に四球を選ばれ、芹澤に替わって途中出場の高山徳雄にはバスターエンドランを許してしまう。

 敗色濃厚の状況から一転、一死一・三塁のチャンスで打席に入るのは、鶴。怪我からの復帰後、打棒が冴えわたっていた好打者である。

 だが険しく目を光らせた大平が告げた投手交代により、レイカーズの押せ押せムードは水を差されてしまった。

 三塁側の客席、スタンドの三分の一を占拠するギャラクシーズの応援団が声を揃えて神頼みが如き名前を連呼する。

 悔しそうにグラウンドを後にする水島に代わり、マウンドに立ったのは風間義隆。

 リーグ最多の63試合登板を果たし、防御率1.90。7勝4敗18セーブの好成績を上げ、ファンから奉られた通称は“風間大明神”だ。

 登板過多を心配する評論家達の声を撥ねつけながらのシーズン中の活躍を再現するかのように、風間はあっさりとピンチを片付けてしまった。

 速球の後のチェンジアップを叩いた打球をキャッチした塩沢は、二塁カバーに入った近藤にトス。近藤は、高山のスライディングを避けてのジャンピングスローで中原へボールを転送。

 レイカーズ逆転勝利の芽はたった2球で摘み取られてしまい、それが第1戦のクライマックスとなった。



 第2戦は前日とは全く異なる試合展開となる。

 三回裏に伊倉のソロで先制したレイカーズ。五回裏と六回裏にギャラクシーズ先発の西田聖へ集中打を浴びせかけ、6点をもぎ取ったのだ。

 一方でレイカーズの先発を任された桑島公康は危なげなく九回を投げ切り、ギャラクシーズ打線を零封する。

 15勝4敗の成績で最高勝率賞を獲得したリーグ最強左腕は、日本シリーズでも最強であった。

 森山が事前に思い描いた通り、第2戦を完勝したレイカーズ。

 その勝利の立役者は、完封劇の主演である桑島でも、長打力を遺憾なく発揮したチームリーダーとクリーンアップトリオでもでもない。

 試合前のバッティング練習で打撃投手を務めた中継ぎ陣、桃井・増山弟・太田・光一郎の四名であった。

 四名全員が決め球の一つに、シュートやシンカーなどの内角を突く球種を持っている。

 中でも光一郎のツーシームは、左足を高々と上げて投じる高速シュートに最も類似したボールだとレイカーズのスコアラー達が判定していた為、休みなしで打撃投手をさせられたのである。

 昨夜は昨夜で、試合後に金月ら選手寮に住む若手打者の打撃練習に付き合っていた光一郎。計算すれば、この24時間で今シーズン中に投じたよりも遥かに多くのツーシームを投げ込んでいた。

 試合開始の刻限には、ブルペンにも入らずベンチでぐったりと倒れるくらいに。

 仮想西田の練習に励んだ結果、レイカーズ打線は西田攻略に成功したのであり、打線が西田をノックアウトしてくれると期待出来たから桑島は憂いなく快投出来たのだ。



 1勝1敗となった日本シリーズは、移動日という位置づけの休養日を一日挟み、舞台を埼玉県から東京都内へと移す。

 舞台の名は、戦前の昭和12年に開場してから此の方、何度も改修を重ねながら国民に娯楽を与え続けて来た、水戸園スタヂアム。

 今年で以て五十年の歴史を閉じ、隣地に新築された首都ドーム球場に来年からの興行権を譲渡する、球界最古の本拠地指定球場である。

 その終焉に相応しい激闘が、三日間に亘って繰り広げられた。

 時代の主役が交代するのを世に知らしめる激動の三日間は、新時代の到来を声高に宣言する側が先手を取る。



 故障がちでガラスのエースと揶揄されたりするものの、万全で投げれば快速球と高速スライダーで打者を華麗に討ち取る徐泰源と、エース江守の後継者一番手に名乗りを上げた、滅法早い剛速球が武器の真殿寛己。

 シーズン中盤から終盤に至るまで好調を維持していた両先発の登板により、1点の重みが格段に上がった第3戦

 先制点は初回第1球目を叩いた、伊倉の先頭打者アーチ。

 仲間を鼓舞する一打は、大きなプレッシャーとなって対する側へ圧し掛かる。

 序盤から4併殺と悉くチャンスを潰していたギャラクシーズ打線が、漸く一矢報いたのは七回裏。

 ムードメイカーの中原が放った同点タイムリーに、ライトスタンドの応援団はヤンヤヤンヤの喝采を送った。

 しかし直後の八回表、レイカーズファンで埋め尽くされたレフトスタンドに特大のプレゼントが届く。

 ソロアーチをかっ飛ばしたのは、それまで不発であったブロデリックだった。

 先の2試合では主役に成れず、打順も八番にまで下げられたブロデリックがスタンドに叩き込んだ決勝点。

 真っ向勝負で相手を捻じ伏せるのが信条である剛速球投手には付きものといえるのが、所謂“一発病”だ。

 入団当初の江守を含め、本格派タイプの宿痾である。

 それを二発も喰らってしまった真殿は完投したものの、試合後には大平から大目玉を喰らう羽目に。

 現役時代に前人未到の偉大な記録を打ち立てた大平は、打者心理には精通していたとて、投手心理には些か疎過ぎた。

 監督室からドアを隔てた廊下にまで轟く怒声は、ギャラクシーズ投手陣の心胆を寒からしめるのと同時に、少なからず反感を生み出す。

 特にベテラン達の心情において。

 幸い士気の低下に直結しなかったが為に、第4戦はギャラクシーズが勝利するが、完投でシャットアウトゲームを完成させた江守は、そっぽを向いたままで大平の握手に応じる。

 翌日の新聞一面を飾ったセンセーショナルなそのシーンは、12月のドタバタ劇の第一幕であったと巷の話題となるのだが、今は関係のないお話。

 兎も角、これで対戦成績は五分と五分。

 どちらが先に日本一へ王手をかけるのかは、数々の大舞台を提供して来た水戸園スタヂアムでの最終戦に委ねられる。



 その先発に指名されたのは、草尾だった。

 草尾当人は、不甲斐なくノックアウトされた第1戦の雪辱を期していたが、ギャラクシーズベンチとしては期待半分不安半分といったところ。

 ローテーションの都合上、他に選択肢がなかったが故の指名であったりする。

 ギャラクシーズは先発のマウンドに日高ではなく、西村幸広を送り出す。

 ルーキーながら先発ローテーションの一員としてシーズンを投げ切り、成績は登板22試合中20試合に 先発して14勝4敗、防御率2.79。

 ルーキーとしては破格の成績だといえよう。

 但し、ライバルである阪南ブルズの天野秀幸が15勝しており、優勝の御祝儀があれども新人王に選ばれる事はないだろうと目されていたが。

 高卒2年目19歳と大卒ルーキー23歳の一騎打ちとなった第5戦。

 先に得点したのはレイカーズが誇る若き大砲達。

 初回表、サード長谷のエラーで出塁した伊倉を二番に繰り上がった鶴がバントで送り、浅川の二塁打で先制。

 そして、金月と小野寺のバットが次々と火を噴く。

 シーズン中に六度記録したアベックアーチが、日本シリーズにおいて再び記録されたのだ。

 高校時代には最高のコンビであり、入団時のアレコレで因縁の相手となり、共に選ばれたオールスターでは勝者と敗者に分けられたK&Kの二人。

 晴れの大舞台、主役の座を力尽くで物にしたのは、対峙する度に涙と苦渋を飲まされる立場の金月であった。

 更に、高校時代は栄光に包まれた二人と違い全国区とはなれず地方の雄でしかなかった小野寺も、金月の隣でふんぞり返るのが許されるほどに成長している。

 球史に名を深々と刻むに違いない同世代のバットで粉々に粉砕された、投手としてのプライド。

 血と汗の結晶でもあるそれを利き腕の掌からポロポロと零しながら、マウンドから追い出される草尾。

 その欠片を拾い戻すのに、二年もの月日を要するのを知らないままで。

 幸先よく4点を奪ったレイカーズであったが、残念ながらこの試合で追加点を得ることは終ぞなかった。

 何故ならば初戦と同じく、“鉄面皮”の男がまたもやのっそりと仁王立ちしたからである。

 一喜一憂とは無縁の上條は黙々と、五回表のスリーアウトまでゼロを並べる。

 六回表のマウンドを守ったのは、12番という選手としては然程期待されていない岡田光であった。

 シリーズ初登板でありながら凡打製造機に徹する岡田。淡々と打者三人を始末する姿は、まるで上條の等倍コピーのようだ。

 七回表と八回表は、今シリーズでの先発失格を暗に言い渡された西田が担当する。

 鬼気迫る投球で、ワ・リーグを代表する投手達を打ち砕いて来たレイカーズ打線を完璧な内容で討ち取った。

 西村の方も負けてはいない。

 四回裏、二死二塁から投じた数少ない失投を吉野にレフト前へ痛打されて1点失っただけで、全体的にはシーズン中と変わらぬ涼しい顔を崩さずにいた。

 九回になり、3点差で負けている展開にも関わらず登板した風間が、レイカーズ打線から簡単にアウトを三つ取るのを見届けた光一郎。

 是が非でも勝ちたい絶対に負けたくないという大平の執念をまざまざと見せつけられ、ブルリと背筋を震わせる。

 勝負の世界ってホンマ恐ろしい、と。

 そして、代打の切り札である福士昭仁やスタメンを外れ代打要員となっていた近藤らを片っ端から抑えていく西村を見て、悔恨の念に苛まれる。

 東京ファルコンズには悪い事をしたな、と。

 西村投手が史実通りの球団に入団していたら、根谷管理部長に余計な入れ知恵をしなければ、ファルコンズは最下位に沈まずに済んだのになぁ、とも。

 史実では63勝60敗7分けでリーグ3位、四年振りのAクラス入りで来季からの飛躍が予想されたファルコンズの今季成績は、49勝76敗5分けで断トツの最下位。

 本来ならばその飛躍の立役者となり、トレンディエースだと世の賞賛を受け、入団直後から十年間もチームの屋台骨であったのが、西村幸広という投手である。

 ファルコンズ在籍中に残した成績は、117勝98敗2セーブ。それがゴッソリと全て消え失せてしまうのだ。既にその十分の一ほどが消滅していたのだが。

 本拠地を水戸園スタヂアムから日本初のドーム型球場へと変更するファルコンズの前途が洋々とはならず、ユニフォームを彩る鮮やかなオレンジ色もくすませる暗黒で塗り潰されているのを知っているのは、この世で光一郎ただひとり。

 本拠地を共同利用するギャラクシーズが球界の盟主としての地位に相応しい成績を残し続けるのに対し、たった一人の戦力を獲り損なったが為にファンを失望させ続ける未来を予想出来るのも、光一郎だけである。

 最後の打者をキャッチャーフライに仕留め、マウンド上でガッツポーズをしている西村の背後に、地の底でのたうち回るファルコンズの幻影を見てしまった光一郎は、静かに目を閉じて合掌した。


 ファルコンズの関係者及びファンの皆様、どうぞお許し下さい。北海道に移転するまで、どうか御健闘下さいますように。


 万が一に備えブルペンで待機していたものの出番が無く、単なる傍観者となっていた桑島は、隣にいた光一郎がいきなり跪いて懺悔し始めたのにギョッとする。

 尚且つその頬に一筋の涙、本当は冷や汗であった、が流れるのを間近で目撃してしまい、思わず勘違いをしてしまったのだ。


 おいおい、天に祈りを捧げるほどギャラクシーズに勝ちたいのかよお前は、これで日本一になっちゃったら号泣するんじゃないだろうな、勘弁してくれよ、と。


 桑島の勘違いが訂正されるのは凡そ四十八時間が過ぎた頃。移動日を挟み、舞台を武蔵野球場へ戻してからのこととなる。

 様々なドラマを内包し、後世まで語り継がれる決戦の時。

 第6戦の真っ最中であった。

 史実の試合展開とは多少変えました。五試合の勝敗は同じですが。

 87年のラストも出来るだけ早くに、と思いつつ、今夜は日本対ドイツ戦が。

 野球もいいけど、サッカーもね♪

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[良い点] 面白くて徹夜で一気に読みました!続きが楽しみです!
[良い点] トレンディエースw 懐かしすぎる [気になる点] そのトレンディエースの先発がLじゃなくGになってます? [一言] 結構名前覚えてるもんだな―
[良い点] 丁寧なご対応に感謝です。 [一言] 真弓氏がライオンズ時代は惨めな思い出しかないと語ってました。 太平洋クラブの後釜スポンサーが決まらず、チーム名も未定故に 秋期キャンプはロゴなしユニホー…
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