入団0年目「まるで猫目石の輝きのように」Track②
一応、1話を6000~7000文字を目安に投稿する予定にて。
一部加筆・訂正させて戴きました。(2023.01.02)
色々改訂しました。(2023.06.02)
死という真っ暗な静寂に男が身を委ねていられたのは、束の間の事。
突如、耳元で誰かが大声を上げた。
“五月蠅ェ! 静かに死なせろや!!”と怒鳴り返そうとした男の背中が、何度もどやしつけられる。
背中を手荒く叩きながら柩に放り込むとは、何と乱暴な葬儀屋である事か。
死にたてホヤホヤの死人であれど、尊厳くらい厳守すべきだろうと男の心に不満が渦巻く。
あの世に行く前に文句の一つも言ってやらねば、そう思ったところで男は気づいた。
死んだ身でどうすれば文句が言えるのか?
それより何より、死んでいるのにどうして聴覚と痛感が機能しているのか?
あれ、もしや、未だ寿命は尽きていないのかと思い始めた男の背中が、又もや激しく叩かれた。
「ドラフト4位だぞ! やったな、良かったな!」
鼓膜がキンとなるくらいの叫び声に、男の思考は中断を余儀なくされる。
考えるのを止めたのは背中に受けた衝撃だけが原因ではない。叩かれると同時に聞こえて来た言葉が、予想外の内容だったからだ。
そこで男は目を閉じたままである事、つまり視覚も機能しているのにも気づく。
真っ暗な世界にいるのではない、ギュッと目を瞑っていただけである事に。
恐る恐る目を見開けば、視界のど真ん中に鎮座してあったのは受話器の外れた黒電話がひとつ。
携帯スマホが当たり前の今時に何故、と黒電話から伸びるコードの先に目を向ければ男の左隣、受話器を握り締めた野球部の監督がいつもの濁声で謝辞を述べていた。
男が最後に野球部の監督と邂逅したのは数年前。腰は曲がり随分と痩せており、少なくとも濁声がかすれ声であったのは確かである。同じであるのはツルリとした頭だけだ。
状況が把握出来ず、ポカンとした表情で停止している男の肩を誰かが激しく揺さぶる。
「おめでとう!」
錆びついたネジのようにゆっくりと首を動かし右側へと目を向けた男は、背を幾度も叩き肩を揺さぶる乱暴者を視線の先に捉えた。
「痛ェよ、ケンジ、いい加減にしろよ」
満面の笑顔を浮かべた乱暴者へ向けて抗議を申し立てた事で、男は声帯も有効であったのを理解した。
聞いて、触られて、見て、話せる事に驚きを隠せぬ男だったが、死んだ身で五感がある事よりも、野球部時代に仲間であった戸松賢治が高校時代と全く変わらぬ姿で隣にいる事に驚愕する。
瞬く間に、男の頭の中が?マークで埋め尽くされる。
何が一体起こっているのか?
死んだのではなかったのか?
どうして過去の体験が再現されているのか?
現状がさっぱり理解出来ぬ男の頭の中で、不意に時間が巻き戻しされる。蓄積された記憶は三十数年分もあった。
その逆再生なのだから意識の混乱は、まるで逆巻く渦のよう。
意識がグルグルしている間に男はグラウンドへと引っ張り出され、ケンジの号令で胴上げされる。
数台のカメラが間抜けなフラッシュ音を立てて幾度も光り、万歳の掛け声と共に何度も宙を舞っている最中ですら、男には現在進行形の出来事とは思えないでいた。
減るどころか増え続ける疑問符を、ただただ持て余すだけである。
どうして詰襟の学生服を着ているのか?
どうして丸刈りなのか?
どうして? どうして? どうして……。
結局その日は解答の得られぬまま、まんじりともせずに夜が明ける。
寝不足状態の男は無意識の行動で身支度を整え居室を後にし、昨日よりも尚一層ボーっとした頭で食堂へと向かう。
そうか、此処は野球部専用の合宿所だったのだなぁ、などと思いながら。
そしてまた、昨日に引き続き部員達の手荒い祝福を受け、賄いのおばちゃん達からの祝いと激励の言葉を受けながら、当たり前のように朝食を取る。
「お早うさん、お前の事が載っとるぞ」
向かいの席へと乱暴に座ったケンジがこれ見よがしに広げた新聞のスポーツ面。男はぼんやりと御飯を咀嚼しながら紙面を見やった。
絵本光一郎。1966年7月5日生まれ。18歳。大阪府出身、太子学園高校卒業。右投げ右打ち。繊細ながら度胸満点のピッチングが売り。
但し、朧気となりつつ記憶を掘り起こさなくとも己の来し方と明確に違う点があった。
4位で指名した球団が、エキサイト・リーグの名古屋ドルフィンズだけではなかったのだ。
ワイルド・リーグの埼玉レイカーズにも指名され、競合の結果、レイカーズに引き当てられたという事。それは明々白々とした相違点である。
己の人生で起こった事なのに、己の人生で起こっていない事が起こっているという事に、再び意識が混濁して行く。
右手に箸、左手に茶碗を持ったままで、鮮やかだったものがドロリドロリと何だかわからないモノへと変容して行く事に男はただただ動揺する。
何が現実で、何が事実でないのか?
頼るものを失い、混乱が錯乱へと変化しようとした当にその時、ケンジの発した言葉が一筋の光明のように男の心を照らし、現実へと縫い止めた。
「アホ面しとる場合ちゃうやろ。エホン、お前、プロ野球選手になるんやぞ!」
“プロ野球選手になる”と指摘された瞬間、男の中に、己こそがこの世界で生きている“絵本光一郎”だという自覚が一気に芽吹く。
芽吹いた自覚は急速に育ち、混乱も錯乱も全て吸収した上で確固たるものを心の中に根付かせたのだった。
「しかし残念やな、田原が引退していなけりゃサインをねだれたのによ!」
揶揄を多分に含んだケンジの発破に、俺はハッと我に返る。
そうだ、俺は俺なのだ。
そう理解出来た俺は、腹の底から湧き上がってくる歓喜に身を委ねながら不敵な笑みを浮かべて見せる。
「そこは、俺のサインで我慢しとけや」
思わず吐き出した言葉に、ケンジは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてから大笑いしやがった。
「誰かマジック持って来い、ついでにケンジを取り押さえろ!」
俺の命令に部員達は直ぐさま行動に移す。調子に乗った部員達に床へ押さえつけられたケンジに馬乗りし、俺は意気揚々とマジックのキャップを外す。
止めろ止めろと無駄な抵抗するケンジのシャツを捲り上げ、鍛えられた赤銅色の背中に平仮名で“えもとこういちろう さいたまれいかーず”と書いてやった。
爆笑に包まれる食堂の中、俺は全てを理解する。
どうやら俺は野球人としてリターンマッチっていうか、延長戦っていうかのチャンスが与えられたらしい。
プロ野球選手をもう一度、やらせてもらえるようだ。
何て有難い事だろうか。
しかもである。短いながらも二桁の背番号を与えられたドルフィンズではなく、チームスタッフの証である三桁の背番号であったレイカーズなのが不思議だが。
視点を変えれば完全に真っ新、正真正銘一からのやり直し、ってヤツなのだろうがなぁ?
生まれて此の方ずっと暮らした大阪を離れ、東海道を行きつ戻りつ途中下車しつつ過ごした前世での野球人生。名古屋で現役4年・打撃投手で2年、埼玉で5年、東京で4年、大阪に戻って5年、横浜で4年の浮草生活。
初めて関東圏に住民票を移す時には、田舎者だと馬鹿にされないだろうか、と少しビクビクしていたのも今となっては懐かしくも恥ずかしい記憶だ。
21世紀の世では禁句になってしまったが、当時の埼玉県は“ダ埼玉”と揶揄されるような関東の大いなる田舎だったので、馬鹿にされたりはしなかったけれど。
それでも試合で東京に出る度にビビっていたっけ。おぼこかったな、あの頃の俺は。
ギャラクシーズのユニフォームに袖を通す頃には何とも思わなくなったけれどな。
やり直しの人生が前と丸々一緒でないのが不安材料ではあるけど、緊張感を持ち続ければ心配ないよな。
今度こそは怪我しないようにしなければ。
絶対に一軍に定着してやるぞ。
ロートルと呼ばれるその日まで、必死のパッチで一軍のマウンドにしがみついてやる。
でなきゃ、やり直す意味がない!
チャンスをくれたのが野球の神様か誰だかは知らないけれど、感謝の気持ちも忘れないようにしよう。
投げられるだけで御の字めっけもの、その為にはプロで投げられる体作りをしなければ。取り敢えずは計画を立てよう。
トレーニングは下半身強化を中心に、筋トレとストレッチだよな。後は体がふやける寸前まで温水プール通いかな。
俺は体が小さいしスタミナも心許ない。
前のプロ生活では無理にスタミナをつけようとして体を鍛え、分厚い金属板ような筋肉をつけてしまった。それが怪我を呼び込む元となってしまったのだ。
必要なのはガッチガチじゃない、しなやかな筋肉である。
陸上選手で例えるなら、短距離走者のような。それでいてマラソン選手のように持久力のある体作りもしないと。
特に肩回りは、水泳選手のように柔らかくて強い筋肉をつけねばならぬ。
よし、早速今日から走り込みだ!
それからの俺は、昼は学校のグラウンドで走り込みをし、夜は電話帳片手にトレーニング施設を探す毎日を過ごす。
ネット社会ではないアナログな今の時代、トレーニング施設を探すのは大変だったが、書店で陸上競技や他のスポーツのトレーニング方法が記された雑誌を買い込んでは試行錯誤を繰り返した。
現役時代は活字と無縁の生活だったが、引退後は読書が趣味だったのが幸いしたな。情報を集めるのが苦にならないし。
日記もつけておこう。
前世では忘備録だったが、今年からは己の観察記録だ。何をどう工夫してトレーニングに活かしたか。
試行を錯誤だけに貶めるのは無駄の極みであるのだもの。努力をするならより正しい方へ。
未来に起こる事も覚えているだけメモしておくとするか。
自分自身の事以外でも是正出来るのならば是正したい事が山とある。
先々に起きるアレコレの全てが良い方に変えられる筈はないけれど、少しでも何か出来る事があるのは間違いない。
例えば90年代半ばに起こる災害と事件とか。被害を被った知人達にそれとなくアドバイスが出来れば、もしかしたら、と。
幾ら未来に起きる事を知っていても所詮は個人、出来る事などしれているだろうが、諦めるのは嫌だし。
助けられるものならば、助けたい人達は本当に沢山いるのだ。
されど社会的無名の立場じゃ、誰も聞く耳を持ってくれないだろうな。
せめてスポーツ紙で一度くらいはクローズアップされるような、一角の選手にならないと!
その為には一も二もなく鍛錬鍛錬また鍛錬の日々を過ごさないと。
鍛えなきゃいけないのは体だけじゃない、頭もだ。
大成するには理論を組み立てられる頭脳も大事。
親に頼み込んで送金を増やしてもらった俺は、野球理論を記した専門書を買い漁って読み込むのにも専心する。
所謂“野球脳”の育成だ。
野球バカへ直行する特急券と言っても良いだろうが、決してただの馬鹿って意味ではない。
飯を食うのも、風呂に入るのも、就寝すら野球と不可分とし、ありとあらゆる発想のスタートが野球にあり、ありとあらゆる行為の終着点が野球となる。
全ては、野球の為に。馬鹿というより狂気の沙汰なのかもしれない。
前世で知遇を得た野球人達で功成り名遂げた者は皆が皆、そんな野球狂ばかりであった。
世界のホームラン王と呼ばれた偉人も、通算400勝の大エースも、名監督と尊ばれた指導者達も、天球会に名を連ねる猛者達も。
棚ぼたみたいなやり直しの人生だ、目指せるならば前世では雲の上だった世界を目標にしてみるのも一興だろう。
どこまで出来るか、どこまでやれるのか、俺なりの野球理論を構築してみるとしよう!
野球脳育成の一環として、学校の勉強にも真面目に取り組んでみた。
教科書の内容を如何にすればテスト問題となるのかを考えてみる、って方法で。
御蔭で、期末試験の結果は生涯最高の得点を叩き出せたのには正直いって吃驚した。学年全体では中の上くらいではあったけれど、ね。
これまでの成績が悪かったのは目的無しに勉強していたからだろうな、って事にも気づけたし。
ともあれこれで、落第せずに高卒の身分と為れるぜ。
プロ入り決定しているのに中退扱いだったら、親が泣くもんな。
いや、俺も泣くわ。
補習しての卒業扱いだなんて超格好悪いし!
因みに入団記者会見に出席した四人の内、俺を含めた三人が高校生である。社会人なのは3位指名の田村郁夫投手だけだ。
1位で指名された小野寺博元も2位指名の高山徳雄もガリ勉とは縁遠い選手なので、彼らよりも学業が劣るとあれば一生の恥晒しである。
だけどなぁ、小野寺は捕手なんだから頭が良くないとダメだろう?
実際、前世での小野寺は打撃ばかりが目立ち、捕手としては劣等生だったっけ。
高山は内野手だし、いやいや、内野手も頭が良くなければダメだよな。連携プレイやら何やらで、かなり頭を使うポジションなのだからさ。
やはり勉強は出来ないよりも出来る方が良いよな。
大学への進学を決めているケンジと新年早々に学校のグラウンドでキャッチボールをしながら、しみじみそう思う俺だった。
続きは、来月かもと。
RE:公方 (ベータテスト版)も頑張らせて戴きますので。