入団3年目「『おもちゃのチャチャチャ』という童謡がある」間奏
さぁ、球春到来です!
って訳で遅ればせながら明けましておめでとうございます。本年も何卒宜しく願い上げます。
序でに言い訳を。
五十路になって痛感するのは、創作意欲はあれど、気力と体力が伴わないって事です。
創作意欲に溢れた若い衆へ。
気力と体力がある内に、ドンドン書きましょう。ジャンジャン読みましょう。
読書も又、気力と体力が不可欠ですから。
何度も書き直した跡が誤字脱字誤表記となり点在しておりました。御指摘誠に忝く候。訂正させて戴きました。(2022.02.01)
※)かてて加えて、とは「おまけに」「更に」などと同様の表現です。
昭和の野球の特徴を一つ上げれば“先発完投”の四文字が、金科玉条として活きていたことに尽きる。
先発すれば完投するのが当たり前。
言い換えれば、完投能力がないと思われた投手は二線級の扱いとなり、ローテーションの谷間の穴埋め要員となるか、中継ぎの一員となる。
だが、抑えを含めた中継ぎ、所謂“救援投手”の重要性が広く認知されているのもまた事実。
現に広島キャナルには辻谷恒美というストッパーがおり、名古屋ドルフィンズにいた牛山和彦投手も交換トレードで移籍した川崎オーシャンズでも抑えとしての活躍が期待されている。
他にも名を挙げれば、横浜ウィザーズの佐藤明夫投手、大阪サンダースの夏八木清起投手、東京ギャラクシーズの風間義隆投手、阪南ブルズの池本貴昭投手が代表的な救援投手だろう。
特に池本投手は二年連続で最優秀救援投手賞を受賞。去年は8勝32セーブと球史で初の40セーブポイントを稼いでいる。
池本投手以外では、派手なパフォーマンスが巷でうけている神戸ブレイザーズの人気者、パワフル・レイサン投手くらいだ。
因みにセーブポイントとはセーブ数に救援勝利数を加算したものである。
セーブ数だけで抑え投手が評価されるようになるのは確か、21世紀になってからだった筈。
未来の話はさておいて現状を鑑みれば、エ・リーグよりもワ・リーグの方が名のある救援投手が圧倒的に少ない。
いない訳ではないのだが、先発ローテーションに比べればどうしても格落ち的立場にみえる。
特に今年のレイカーズでは。
どのチームでも先発三本柱がいれば万々歳であるのに、現在のレイカーズは贅沢にも日高修、桑島公康、徐泰源、若林久信、増山博久と五本柱が揃っていた。
かてて加えて今年から西村幸広投手がそこに加わったのだ。
オープン戦で結果を出し、六番目の先発要員に選ばれたのである……まぁ当然だよな。
一週間の内、概ね月曜日は移動日に当てられる。日程によっては木曜日か金曜日がおまけの移動日となることもあった。
盤石の先発が六枚も揃っているということは、先発要員は平均すれば中六日のローテーションとなる。おまけの移動日が入れば中七日だ。
つまり登板時は休養十分ってこと、そりゃあベンチから交代を宣告されない限り完投するわな。
どうかしていると思うくらいの過剰戦力、卑怯臭いにもほどがあるよな……六枚目は俺の所為でもあるのだけれど!
史実通りに黄金期を迎えたレイカーズ、代名詞はザ・投手王国!
俺が余計なことをしたばかりに、王国を飛び越えて投手超大国が爆誕しちまったよ。
その煽りを喰らい、中継ぎ陣はほぼ開店休業状態。
せめて七回終了時点で負けているなら降板してくれたら、などと八つ当たりするのも筋違いだしなぁ。
俺は自業自得というか因果応報というか……だけど、同じく無聊をかこつ先輩達には申し訳ないばかり。
片腹……じゃなくて胃が痛いや。
試合開始前、すぐそこにありながら縁遠いマウンドを横目に皆でゾロゾロとブルペンに移動するも、今日も今日とてすることといったらキャッチボールと日課である軽い投球練習くらい。
後は暇潰しを兼ねた体を鈍らせない為のストレッチのみ。
それすら雑談をしながらなので緊張感などこれっぽっちもありゃしない。
真剣勝負とは無縁の、ひねもすのたりのたり的な麗らかな春の日々。
もしかしたら……そんな永遠に続きそうな呑気な空気に浸りきっていたのが拙かったのだろうか。
最初に妙なズレを覚えたのは、開幕してから二度目の登板の時だった。
4月18日の対阪南ブルズ2回戦。試合展開は次の如しである。
初回に大原大二郎選手と荒木宏昌選手のブルズの1・2番コンビが連続安打で出塁し、四番DHのベン・オードリー選手が走者一掃のタイムリー二塁打を放つ。
いきなり2点のビハインドだったが、レイカーズは直ぐさま反撃。
その裏の二死から浅川幸二選手とキンタローがアベックアーチをレフトスタンドに叩き込んでイーブンに。
どうにか初回の攻防を切り抜けたレイカーズの徐泰源投手とブルズの天野秀幸投手の両先発だったが、その後も立ち直る気配は一向に見えず毎回安打を許すフラフラ状態。
それでも二回以降、スコアボードにゼロがズラリと並んでいるのは投球が共に荒れているからだろう。
下手にストライクを欲しがれば球威も球速も著しく低下するのだろうが、どちらの先発もコントロールを意識することなく投げ続けたのが功を奏していた。
イニングの先頭打者が安打を放つが、後続が悪球に手を出してしまっては併殺を献上。
或いは二死から四球を選んで出塁しても、次打者が球速に惑わされては凡退してしまう。
制球の拙さが拙攻を産み出す悪循環。投手が打者を助ければ、打者も投手を助けるといった具合である。
さぞやベンチの中はカリカリしていることだろう。
……それはブルペン内も同様で。
先発が徐なのだし完投してくれるだろう、余程のことがない限り今日もブルペンはお役御免だろうな、と安閑としていたらこの状況。
三回終了時点で早くもベンチから、いつでも行けるように準備しておけ、との指令が下っている。
取る物も取り敢えず投球練習を皆で始めたが……誰がコールされるのだろうか。 勝つ為の登板か、負けない為の登板か、それとも敗戦処理の登板なのか。
他の投手だけではなくブルペン担当の楠正宏バッテリーコーチも含め皆が首を傾げながら準備すれども、中々お呼びがかからない。
徐投手が中々崩れそうで崩れないピッチングをしているからだ。
シャキッと立ち直るか、グダグダになるかどちらかにして欲しいなぁ。
ピリッとしない投球をされると精神的に疲れるのだから。
どっちの打線も繋がりを欠いているのはきっとその所為に違いない。
何ともピリッとしない我慢大会であることよ、どっちのベンチが辛抱しきれなくなるのかな?
などと思っていたらブルペンの電話が鳴り出す。
……我慢比べを先に投げだしたのは、レイカーズの方だったか。
ふと予感がしたので振り向いたらば、楠コーチが受話器を耳に当てながら俺を指さして一言、“御指名だぞ”と。
御指名とあらば仕方がない。
少しずつ認知され出したお決まりの登場曲のイントロに被さるようにコールされる俺の名前を背に受けて、いざマウンドへすったかったったと駆け込めば、開幕戦の時よりも五割増しくらいの渋い顔をした森山祇晶監督が待ち構えていた。
「すまんが、立て直してくれ」
え~~~っと、御言葉を返すようですが私はしがない中継ぎですぜ……といいたい気持ちを我慢してボールを受け取ったものの、どうしたものか。
守備の良さを買われオープン戦終盤以来ずっとショートのポジションを確保している高山が“頼んだ”と尻をポンと叩いてくれたが、笑顔が引き攣っているのはどうかと思うぞ。
心配そうな目も止めろ、早く定位置へ戻れよ。
ふう、やれやれ、何だかなぁ。
さてさて、場面は3対3で迎えた七回表の頭から。
迎える先頭打者は……げ、リチャード・デイラー選手じゃねぇか!
過去に三度対戦して無難に仕留めちゃいるけれど、決して侮っちゃいけない強打者様だぜ、オーマイガー。
何よりも恐ろしいのは強打よりも、毛ほども隠そうとしない剥き出しの闘志なのである。
去年の日高投手の二の舞は嫌だなぁ、ぶつけたら逃げる間もなく殴られるよなぁ、冗談抜きで猛獣みたいに物騒な面構えしてやがること。
ぶつけないまでも、頭付近にボールが行ってしまったら即座にマウンドへと突進して来やがるのは必定だぜ、ああヤダヤダ。
とはいえ逃げの一手で外角一辺倒だと絶対に打たれるし。
何故ならば、84年度の三冠王に輝いたブレイザーズのドリーマー選手の分身じゃないかってくらいに、確実性と長打力と気の短さを兼ね備えた打者なのだから。
さっさと麻薬取締官が逮捕しに来てくれないかなぁ?
って……それは来年の話か。
現時点で名古屋ドルフィンズにラルフ・ブランドン選手は在籍していない。
前世では二軍で僅かながらも同僚であったのだから抑々が間違えようがない。それでも万が一のことがあってはと思い一応は確認してみた。
やはり、彼が日本に来るのは来年になってからだ。
ならば、もしもデイラー選手が今シーズン中にいなくなれば、ブランドン選手がブルズに入団する芽もなくなったりして。
……ダメ元でチクってみるか?
ここで主審にタイムをかけて尿検査を要求して……って正気を疑われて即刻連れ出されるのはどう考えても俺だろうな。
よし、諦めよう。下手の考え休むに似たり、どうせ打たれたところで元の敗戦処理に戻るだけだ。
男は度胸で坊主も読経だぜ南無三宝、打てるものなら打ってみやがれってんだ畜生め、こちとら江戸っ子……じゃねぇけどな!
投球練習後、足元を丁寧に均してから踵で地固めをしてから、覚悟を決めて投じたのは渾身の……スローカーブ!
スポンって感じで外角低目に構えられた池澤勤捕手のミットに収まり、先ずはワンストライク。
お次は気合を入れて内角高目、ストライクゾーンをかすめる辺りに速球を!
……あれ、おかしいな。
ストライク判定だけど、イメージした所よりもバッターボックス側にホンのちょっとだけズレなかったか?
大きく仰け反ったデイラー選手が主審に、ボールじゃないか、と食ってかかっているが、俺も今のは僅かだけど外れていると思うぞ。
馬鹿正直にこちらから誤審だという気はないが、脳内リプレイしてもやっぱストライクじゃない。
思わず傾げそうになる首を無理矢理固定しながら返球を受け取る。
デイラー選手がカッカし出した御蔭で少し冷静になれたぜ、場内をゆっくりと見渡すゆとりも出来たし。
折角頂戴した棚ぼたのツーナッシングだ、有効に使わなきゃ勿体ない。
さて、確実に仕留めるには何を投げるのが最適だろうか。
対戦するは外人……外国人、いや昭和の今にコンプライアンスなど影も形もないから外人でいいか、って誰への言い訳だ、まぁいいや、さてその外人バッターというのがミソだ。
多くの外人バッターに見受けられる特性はトータルでの結果を求め過ぎること。契約に縛られ結果を出さなければシーズン中でも解雇される可能性があるのだから当然なんだけど。
日本人の場合、通常の一軍選手なら1試合4打席で結果が残せずとも明日があるさと割り切るのだろうが、契約によりノルマが課せられた外人選手だとそうはいかない。
それまでの三打席が凡退であれば、第四打席目ではガラリとバッティングを変えて、好球必打に徹してしまったりする。
ここで打たなければ、そう思い定めた途端に大振りを止めてコンパクトな打撃を心掛けるのだ。矢鱈とバットを振り回すあのブランドン選手でさえ、そうだった。
投げる方からすると急にストライクゾーンが狭まった気にさせられてしまうので、外人打者の最終打席は油断禁物なのだ。
しかし幸いにして、ここは三打席目。デイリー選手は結果よりも気持ち良くバットを振る方を選ぶに違いない。カッカしていりゃ猶更だ。
土曜日のデーゲーム。日差しは穏やかなれど僅かに風が強い。バックスクリーンではためく球団旗と連盟旗とチャンピオンフラッグは全て、センターからライト方向に棚引いている。
こんな日は風に流され易いフライよりもゴロを打たせる方が良いだろう。低目に、兎に角バットの軌道よりも低く投げなければ。
サインは……外角低目にスライダーか。
ではリクエスト通りに、ストライクからボールになる縦のスライダーを。
……ヤベ、落ちるのがイメージよりもちょっと速い!
ほ、助かった、打ち損じてくれた、あ~~~危なかった。
やっぱ久々の登板で感覚が鈍っているのかな?
前回登板から移動日を挟んで中七日だしなぁ。
仕方がないとは思うのだけど、どうもイメージ通りにボールが行かないのは何故だろう?
オードリー選手を初球のシュートで詰まらせ、金丸義明選手をフルカウントから見逃し三振に斬って取るも、気分は全然高揚しない。
デイラー選手に投じた時に感じたズレが気になるからだ。
登板間隔が空き過ぎた所為……だけなのかなぁ?
因みに俺の登板は次の回までだった。
どうにも落着かぬ速球系を見せ球にして、狙い所へと安定して決まる緩い球で八回も三者凡退に抑え込み、一応は結果オーライ的にミッションコンプリート。
後は任せましたよと上の空でアイシングしていたのだが、九回からは台風に襲われた安普請みたいな展開となる。
試合結果は……見るも無残な惨敗なり。
中継ぎ陣を虫干しするが如く俺の後に次々と登板した投手達が九回表に打者一巡の滅多打ちを喰らい、4点も献上してしまったからだ。
ズタボロにされたレイカーズ最後の反撃は、9番指名打者でスタメン出場していた小野寺博元のソロアーチのみ。
スコアだけを見れば焼け石に水の一発かもしれないが、小野寺にとっては一軍戦力であると表明する一発だ。なかなかどうして馬鹿にしたものじゃない。
もっとも首脳陣へのアピールという点では、一発よりも第一打席と第三打席に決めた二つの送りバントの方が効果的だったように思う。
森山監督は、チームバッティングに徹する打者が好きだからな。
キンタローは少しだけ“二年目のジンクス”の兆候が見え始めたが、これは自力でなんとかしてもらうしかない。只管、練習あるのみだ。
高山は、無難に過ごしているので特に問題はないだろう。
……俺も負けないように頑張らなきゃ。
頑張る為には登板機会が必要なのだが、それはつまり先発がピンチを招かないといかない訳で……ジレンマだなぁ。
何だか別の意味でモヤモヤしてきたぞ。
結局、その時心に抱いたモヤモヤは四月が終わっても解消されず仕舞いで、五月に持ち越しとなってしまう。
登板機会に関しては天にでも祈るしかないが、微妙におかしいコントロール、特に速球系のボールに関しては早急に不安を解消せねば。
そう思って試合前と試合後は小野寺の手を借り、試合中はコーチの意見を聞きながら試行錯誤を繰り返せど、全く解消の目途が立たない。
誰に聞いても、別におかしい点がないと口を揃えるので余計に判らなくなってくる。
幸いにして痛みを伴うような違和感ではないのだけど、なぁ?
月初めに起こった全国紙の地方支局への襲撃事件で俄かに騒がしくなった世情程ではないにしろ、クロスのバンドリーダーであるTOSHIKIの周囲も近頃少し騒がしくなってきた。
仕事でテレビ局へ足を運ぶ度に、声をかけられる事が多くなってきたのである。
最初は仕事関係、出演するバラエティ番組で露出が増えたからだろうと思っていたが、どうやらそれだけではないようだ。
名を売る為とはいえクロスは番組内では不本意ながら、コミックバンド的な立場であった。
それなのにテレビ局内で声をかけてくる者の多くがクロスのことを、正統なロックバンドだと認識しているようなのだ。
先日も食堂で初対面にも関わらず親し気に声をかけてきたテレビ局のスポーツ担当プロデューサーが、“良い曲だね、応援するよ”などといったのだから。
学生時代からの同志でバンド仲間のYoshiにも尋ねれば、Yoshiもまた同じ体験をしており、不思議で仕方がないと首を捻っている。
バンドとしては喜ばしいことではあるにしても訳が判らないままでは素直に喜べないでいるクロスのメンバー。
バラエティ番組に起用された当初、関係者のあるなしに関係なくビデオテープやらデモテープやらを配り捲った成果であろうと何となく納得しかけていた矢先に、ひょんなことから理由が判明する。
それは綺麗に晴れ渡った五月の最終日のことであった。
早朝から行われた商店街でのロケ、その出先からスタジオ内の楽屋、正確には複数のタレントで共同使用する大部屋に戻ったところで、クロスのメンバーは以前とある番組で知り合ったモデル兼スタイリストと再会する。
その人物、貞本拓也との雑談の最中に“この後暇なら付き合わないか”といわれたTOSHIKI達。
二つ返事で了承したのは食事を奢ってもらえると思ったからだ。時間帯は昼過ぎなのでアルコールまでは無理にしても、楽屋に用意された冷えた弁当よりは美味しい物を奢ってもらえるであろうと。
けばけばしい化粧を落とし、派手過ぎる衣装を私服に着替えれば、TOSHIKI達も年相応の青年となる。真っ赤や金色の髪の毛だけならば竹の子族の生き残りに見えなくもない。
貞本は貞本で黒一色に金ボタンのフレンチカジュアルに革のスニーカー、いかついサングラス姿なので、堅気に見えないという点ではどっこいどっこいである。
スタジオDELTAを出た一行が向かった先は新宿駅。
さて何処へ連れて行ってくれるのだろうかと空きっ腹を撫でながらワクワクしていたクロスのメンバーだったが、乗車時間が30分を過ぎ、車窓から見える風景に緑が多くなってきたことに不安を覚え出す。
もしかして何かの番組のドッキリ企画なのでは、と疑い出した頃に電車は終点へと到着する。
駅名は“武蔵野球場前”。ますますドッキリの疑いが濃厚になってきたと思ったTOSHIKIは真意を問い質そうとするも、引率役の貞本は進行方向を塞ぐ多くの乗車客も意に介さずスタスタと歩んで行く。
仕方なく、その後を見失わないようにゾロゾロとついていくクロスのメンバー。
そして彼らが行き着いたのは、武蔵野球場のバックネット裏の席であった。
席に着くなり懐から財布を取り出した貞本は、近くを通りかかった売り子から人数分のビールを注文し、更にYoshiへと一万円札を数枚渡して好きな物を買って来いという。
どうして野球観戦、しかも人気のあるエ・リーグの試合ではなく、人気がいまいちのワ・リーグの試合なのだろうか?
頭上に不可視の?マークを大量に浮かべながら、TOSHIKI達は俄かに野球を観戦する次第と相成った。
バックスクリーンに設置された時計が午後一時半を告げると同時に、主審がプレイを宣言する。
雲ひとつなく澄み渡った初夏の青空の下、緩やかに吹き抜ける爽やかな風を感じながら、日曜日の昼下がりにビール片手にバックネット裏という特等席での野球観戦。
それが、今この時が、ある種の贅沢であるのにクロスのメンバーが遅まきながらも気づいたのは、三回の攻防が済んだ頃のこと。
これまでの人生において味わったことのない体験に、抱いていたドッキリへの疑念など瞬く間に雲散霧消。
初めて観るプロ野球の試合を純粋に楽しむTOSHIKI達。
間近で上げられる三振のコールに盛大な拍手を送り、ホームラン性の放物線を描く打球が外野スタンド手前で失速すれば大いに落胆する。
グラウンドを駆け巡るレイカーズと川崎オーシャンズの選手達のプレイに一喜一憂するクロスのメンバーは、この日初めて野球に魅了された。
レイカーズの若林とオーシャンズの園崎一美の両先発が繰り広げる力投による拮抗した投手戦が、それに拍車をかけたのかもしれない。
五回が終了し試合開始から約一時間が過ぎていたのだが、TOSHIKI達の体感時間ではあっという間の出来事にしか感じられなかった。
両軍の選手達がベンチへと下がりグラウンドキーパー達が荒れたグラウンドを整備するのを観ながら、クロスのメンバーは漸くこの場へと誘ってくれた貞本に御礼をいうべきだと気づく。
だが、有難うございます、と口にしかけたTOSHIKI達を遮るように、貞本が不意に口を開いた。
「俺がお前らと同じくらいだった頃、こんな風に昼日中にビールを片手に楽しむ時間など、ただの1分もなかったんだ……」
貞本拓也が時間の有用性に気づいたのは、体を壊しかけたのが切っ掛けであった。
学生起業家や若き実業家が脚光を浴び出した当時であったが、誰もが成功者となれた訳ではない。
況してや全国でも有数の大学に入学したもののろくすっぽ通わずに中退し、ノリと勢いで始めた個人ブランドのブティック経営なのだ。
例え世間が下々に至るまで活況を享受していようとも、これで上手く行くならば世に経営学など必要ないといえる。
当然の成り行きとして、ブティックは半年ともたずに閉店を余儀なくされ、貞本に残されたのは一億以上の借金であった。
店舗や売れ残りの商品などを片っ端から手放したことで借金は九桁から八桁に目減りしたが、それでも数千万の負債は決して軽くはない。
残りを返済すべく日雇いも含め時給の高いバイト、主にブティック経営時に知己となった某モデル事務所の下請けを幾つも掛け持ちし、夜明け前に出勤して午前様の帰宅など当たり前、週に三日は徹夜仕事をこなした貞本。
当然ながら悠長にスポーツ観戦を楽しむ暇など微塵もなく、そもそも楽しむ時間自体が日常に存在しなかったのだ。
貞本にとっての20代とは、寝食を惜しんで必死に働き、借金返済に費やす日々であり、“はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり”を地で行く期間であった。
石川啄木のように虚弱ではなかったが故に早世せずに済んだのは幸いだったといえよう。
聞きかじりながら株式投資などの財テクも行い、多少の貯えを持てるまでに財政状況が回復したのはいいものの、体の彼方此方から悲鳴が聞こえるようにもなる。
過労でいつ倒れても不思議ではない生活を約10年も過ごしたのだから、頑張り過ぎたツケに見舞われるのも当然であろう。
とてつもない倦怠感と疲労感に襲われるようになり、流石にこのままでは拙いと体のメンテナンスをと考えるも、生憎ながら貞本にその知識はない。
どうすれば良いのかさっぱり判らぬままに取り敢えずは鍼や按摩に通うが、それは根本からの改善には程遠い対処療法でしかない。
そこで貞本は更に考えた。
考えた結論は、判らなければ専門家に教えを請えば良い、である。
どこで学べば肉体を正常に戻す知識を得られるのだろうかと調べて直ぐに、ワカタベ学園なる学校法人の中に体育専門の学校があると貞本は知った。
学校の所在地は電車一本で行ける埼玉県内にあり、池袋在住の貞本には当に願ったり叶ったり。
早速に申請を出し中途編入ながらもスポーツ医学なる講座の聴講生となった貞本。
因みにスポーツ医学とは、人体を科学的視点から多角的に考察するアメリカ発祥の最先端分野の学問であり、専任講師はアメリカから帰国間もない芝山仁であった。
肉体を正しくする知識、即ちトレーニング方法とは不備の改正ではなく根本からの改善なり、特に留意すべきは意識改革。そして肉体と真摯に向き合い知悉すべし。
トレーニングを行う上で合理的ではない無理は禁物、無理をすれば整合性を失い、怪我の元となる。故に課すべきは最適な負荷である、云々。
受講の度に目から鱗がボロボロと落ちる思いがし、タオル地に染み渡る水分の様に知識が脳へと浸透していくのを実感する貞本。理路整然と語られる芝山の講義は当に啓蒙のひと時であった。
特に感銘を受けたのは、姿勢に関する知識である。
貞本の現在の生業であるモデル業は、バイトで縁を繋いだ某モデル事務所に正規採用されたからであった。時々に勤めるスタイリストはそのおまけでしかない。
さて、モデルにとって美しい姿勢は欠くべからざる必須である。美しい姿勢とは即ち、正しい姿勢だ。モデル業界で猫背など御法度であるのは当然のこと。
姿勢を正しくするにはその身に合った均整な肉体が必要であり、均整な肉体を維持するには適正な食事とトレーニングが不可欠となる。
受講で得た知識を基に姿勢を意識した生活を送ることで、貞本の体調は随分と改善されていた。
来る日も来る日も如何にすれば正しい姿勢を維持出来るのだろうかと考えながら暮らすようになっていた貞本だったが、いつしか自分以外の他人の姿勢も気になる様になる。
「そんでまぁ、君らを見つけたって訳だ。見た目はえらく尖っているのに、バンドメンバー全員が揃って矢鱈と姿勢が良いな、ってな」
ざわつく場内の中で長々と語られた貞本の独り語り。まさかその唐突なオチが自分達になるとはと、クロスのメンバーは呆気に取られ目を白黒とさせた。
その中でいち早く立ち直ったTOSHIKIが、一体全体どういうことかと問い質そうとしたが、貞本は機先を制するようにニヤリとする。
「実体験だから判るんだが、正しい姿勢を維持して美しく魅せるってのは血の滲むような努力をし続ける必要がある。
しかもそれを他人に覚られないようにしなけりゃならねぇ。
そんな頑張り屋さんを見つけちまったら御褒美を上げたくなるのが、宜しくない大人の悪い癖でな」
「……それが今日、誘って下さった理由ですか?」
「うーーーん……半分正解、ってトコだな」
「半分?」
「そう、半分」
「あの……もう半分は?」
「君らの運次第だろうな」
「はぁ、運ですか」
訳が判らず一様に狐につままれた表情となるクロスのメンバー。
その頭上に再び浮かんだ不可視の?マークが!マークへと変化したのは投手戦から一転、打撃戦へと移行した六回の攻防が終了してからのことだった。
六回の表のオーシャンズの攻撃は、先頭打者の6番ファーストの山崎功児のセンター前ヒットから始まる。
7番セカンドの丸井一仁の代打で出た森野芳彦の送りバントを若林がファンブル。無死一、二塁のチャンスに8番キャッチャーの華村英利がタイムリー二塁打を放って先制点を挙げ、更に9番ショートの水沢善雄がヒットで続く。
無死満塁の大ピンチを迎えた若林は辛うじて1番レフトの西原徳文は三振に斬って取るも、2番サードの斎藤健一に走者一掃の二塁打を打たれてしまう。
3番センターの吉田正之にもタイムリーヒットを浴びた若林は、4番指名打者のレックス・リューに四球を与えたところで力尽き、降板。
緊急登板した石橋毅は、5番ライトの高橋秀昭をピッチャーライナーに、再び打席に立った山崎を外野フライに打ち取り、仕事を終えた。
打者一巡の猛攻で一気に5点をスコアボードに記したオーシャンズであったが、直ぐに奪い取った点をまるまる吐き出してしまう。
レイカーズ反撃の狼煙を上げたのは、六回裏の先頭打者であった。
四月下旬から打棒が少しずつ湿り出し、十日前から5番打者となっていた金月が七試合ぶりの本塁打を左翼席へと弾丸ライナーで叩き込む。
次打者はここまで二打数無安打の池澤であるが、ゆっくりとベンチを出た森山監督が代打として告げたのは小野寺の名であった。
今年から一軍に定着し、磨きをかけた自慢の長打力で幾度もチームのピンチを救っていた小野寺。そのバットが一閃するや、園崎の投じたスライダーは易々とセンターの頭上を越えて、バックスクリーンで弾む。
同点打は、一死から飛び出した伊倉のスリーランである。
長短打の組み合わせで得点を重ねたオーシャンズに対し、レイカーズは三本のホームランで傾きかけた試合の流れを力ずくで引き戻してみせた。
序盤は抑えられれば抑え、中盤は取ったら取り返すというシーソーゲームに、ホームとビジターの別なく大いに盛り上がる観客席。
貞本もビールをお代わりしつつ、声も嗄れよとばかりに声援を送る。
そして試合は終盤、七回表。
グラウンドの定位置へと散って行くレイカーズナインの背を後押しするかのように、スピーカーが派手なサウンドを奏で出す。
他の観客と同様にやんやと拍手と乾杯を繰り返していたクロスのメンバーは、場内を圧する勢いのビートに、一瞬で我に返った。
聞きなれたリズムが紛れもなく、自分達の演奏であったからだ。
「やっぱり、運が良いな君らは」
「「「「「もしかして、これって!?」」」」」
「君らから前にライブのビデオテープ貰っただろう。それをダビングして、聴講仲間にも配ったんだ。
そうしたら、ほら今、名前をコールされている、ブルペンから出て来たアイツが滅茶苦茶に気に入りやがって、“一生モンのお宝やー!”って叫んだりしてな、知らん内に自分のテーマソングにしたみたいでな、これが」
この回からキャッチャーマスクを被る小野寺とマウンドで何事か打ち合わせをしている絵本光一郎を指さしながら、ニヤニヤとネタ晴らしをする貞本。
「アイツは中継ぎだからな、登板がいつになるかはその日になってみないと判らないんだ。そろそろじゃないかと思って君らを誘ってはみたものの、今日に登板するかどうかは判らんかったし。
いやはや、しかし、君らは本当に運が良いな!」
投球練習を終えた光一郎は、ランナーもいないのにセットポジションを取ると、軽く頷いてから速球を外角高目へと投じる。
主審のボール判定も気にならないのか、小野寺の手元を覗き込む仕草をするや今度は小さく落ちるスプリットを内角へと決めた。
次の大きく落ちるフォークは外れて見逃されたものの、内角低目の速球とストライクゾーンからボールとなるスライダーにバットは泳ぎ、森野は敢え無く三振を喫する。
サイン交換をしているのかと疑わしいくらいの速いテンポで様々な球種をドンドンと投げ込む光一郎の前に、あっさりと三者凡退で終えてしまうオーシャンズ打線。
すると、場内アナウンスが光一郎の連続での無四球イニング記録が日本タイとなったことを告げた。
「……本当に運が良いな、君らは」
八回表に連打でピンチを迎えるも、後続を抑えてマウンドを降りようとする絵本に貞本は惜しみない拍手を送りつつ立ち上がった。
そして大声で絵本の名前を叫んで千切れんばかりに手を振れば、貞本の声が聞こえたのか光一郎が脱いだ帽子を手に笑顔をみせる。
小野寺と握手をしながら一旦はベンチへ戻るも、レイカーズ・ファンの大声援に応える為にグラウンドへと身を翻し、両手を大きく振ってエールに応える光一郎。
スタンドの彼方此方から沸く“エ・モ・トッ!!”“コニャンコーッ!!”と二種類のシュプレヒ・コールをBGMに、ウグイス嬢が心なしか弾んだ口調で光一郎が日本記録を更新したと告げる。
「……俺も君らの運にあやかりたいもんだ。流行りのセリフでいえば、“梵天丸も斯くありたし”ってヤツかな」
目の前で起こったことが未だ信じられぬクロスのメンバー。八回の攻防が終了しても呆然としたままであった。
漸くにして意識が上の空から現実へと戻ったのは、光一郎から交代した桃井繁和が決勝点となる一発をオーシャンズに献上し、三番ライトのブロデリックが本日の最終打者となってからである。
試合が終わったぞ、と貞本に肩を叩かれたTOSHIKIは忙しなく瞬きしてから、周囲をキョロキョロとすれば、バンド仲間の全員が同じ仕草をしていた。
コンサート会場として多くのミュージシャンに利用されている武蔵野球場、しかもほぼ満員状態のそこで、デビュー間もない自分達の曲がライブではないとはいえ流され、多くの観客がそれを聞いていた。そう、聞いていたのだ。
ドッキリ……というか、夢ではなかろうか?
TOSHIKIがYoshiの頬に手を伸ばせば、YoshiもまたTOSHIKIの頬を抓ろうとする。
残りのメンバーは既に互いの頬を抓り合っていた。
頬を思いきり抓り合った所為か、痛みを実感したことで全てが現実であると理解した為か、クロスのメンバー全員の目が潤む。
「まさかのメジャーデビュー、おめでとう。知らぬは本人ばかりなり、とは前代未聞だけどな」
人目を気にせず抱き合う頑張り屋な青年達の背を優しく撫でた初夏の風が、突き抜けた青空へと爽やかに去って行く。
当たりを憚らず号泣するクロスのメンバーを見て、さてどうしたものかと思案に耽る貞本だったが、自らもまたこの後直ぐに思いがけぬドッキリに遭遇するとは気づいていない。
銀幕の大スターである吉川小百合が、全ての事情に通じたような観音様の如き笑みを浮かべながら、己の背後に立っていることを。
さて、1987年の史実での埼玉球団。130試合制で先発完投数が「66」です。
チーム最多は、工藤公康投手。「先発27」で「完投26」です。
現代野球からは想像も出来ぬ数字ですが、当時は当たり前で。
何せパリーグ新人王の阿波野秀幸投手が「先発30」で「完投22」、投げたイニング「249回2/3」。
新人特別表彰の西崎幸広投手が「先発28」で「完投16」、投げたイニング「221回1/3」。
1987年のレイカーズは恐らく「完投80」となりそうですので、主人公の活躍の場は……。