入団3年目「『おもちゃのチャチャチャ』という童謡がある」Bメロ
少し短いですがキリが良いので投稿を。
開幕戦の結果は、L×F戦とB×H戦だけは捏造ですので悪しからず宜しからず。
ソニー社製のジャンボトロンは、フルカラーディスプレイの先駆けでした。
今回は誤字脱字誤表記が多く失礼致しました。御指摘に感謝を!(2021.11.10)
遥か未来から回顧すれば、地球の総人口が50億人を突破した1987年という年は世界中に時代に波乱を招く種が芽吹いた年、と言えるのかもしれない。
先ず一月に中国の首都で大規模な学生デモが起きた。
その後、七月には欧州連合の基盤となる議定書が発効。
十月にはニューヨーク株式市場が大暴落する所謂“ブラックマンデー”が起きるが、それが日本ではバブル景気を更に膨張させる要因となる。
十一月には韓国の航空機が爆弾テロによる爆破墜落事件が発生。
十二月にはソ連の書記長が訪米し、合衆国大統領と共に中距離核戦力全廃条約に調印。
同月、民主化宣言を公約にした候補が韓国の大統領に就任。
一つ一つは個別の事象だが、次第にそれぞれが絡まり合い複雑怪奇な世界情勢を顕現させる事となる。
日本限定のトピックスが、四月の国鉄分割民営化くらいであったのは僥倖だったのかもしれない。
さて、絵本光一郎が属するプロ野球界での波乱はといえば、光一郎が与り知らぬ所で起こる。
四月初頭、ワイルド・リーグ会長が病死。後任が決まるまでの約一ヶ月半の間、ワ・リーグは会長不在で開幕を迎える事となった。
エキサイト・リーグでは広島キャナルで波乱が起こる。あろうことか龍田慶彦が球団オーナーと激しく口論をし、二週間の謹慎処分となったのだ。
龍田が一軍登録を抹消された為、キャナルは暫くの間、リードオフマン不在での戦いを余儀なくされる。
以上は史実でもあった突発であったが、それとは別に史実にはなかった事が起きたのだ。
尤もそれは多くの野球ファンに諸手の拍手で以て迎えられたので、波乱の変事ではなく寧ろ慶事であったといえよう。
開幕まで後五日と迫った日の真夜中、あるひとりの選手の発言が野球ファンの、特にブレイザーズ・ファンの関心を呼ぶ。
発言した選手の名は、川島秀司。
昨年オフに東京ギャラクシーズを自由契約となり、そのまま引退するものと思われたのだが、縁あってハリアーズのユニフォームに袖を通す事が出来たプロ生活19年目の大ベテランだ。
因みに川島とハリアーズの縁を繋いだのは球界OBの大御所、新村幸雄だったりする。
「今晩は川島さん、坂本信也です、夜遅くに申し訳ありません、さて今年も開幕を迎えられて良かったですね」
「おおきに、有難うございます。これも偏に新村かん……元監督の御蔭、挫けそうな気持ちを奮い立たせてくれたファンの御蔭ですわ」
「そうですね。さて2000本安打達成まで後13本ですが、これは是非とも達成して下さる事と思っておりますが、いつ頃にと考えておられますか?」
「いや、それは流石に判りません。年が年ですから出場は代打が中心になるかと。でも出来れば……」
「出来れば?」
「今年の初安打は開幕戦で、ヤマさんから打ちたいですね」
「ヤマさんとは、ブレイザーズの山本投手ですか?」
「そうです。同じドラフトの同級生ですし、向こうは1位で私は3位でしたが。同じく新村元監督に扱かれて汗を流した間柄ですし。
ヤマさんは今年も開幕投手だったら13年連続でしょ、そんな球界を代表する大エースから今年の一本目を打てたら……最高じゃないですか」
「なるほど。では最後に一言、お願い致します」
「ヤマさん、私が打席に立つまでマウンドを降りんといて下さいよ」
「有難うございました。開幕戦でのヒット、期待しています」
「はい、頑張ります」
『プロ野球タイムス』の開幕直前特集で電話取材を受けた際の遣り取りは球界全体へと大きな波紋を広げ、ブレイザーズの鵜飼利治監督の決断にも多大な影響を与えたのだった。
「俺の所為と違うよな?」
「何がだ?」
「いやこっちの話」
「どっちの話でもいいけど……早く肩を作らないと間に合わないぞ」
「そうやな。ほな、いつもので」
「OK、ノーサインな」
「お前の為の練習でもあるんやし、確り捕れよ」
「判ってるわい!」
他球場の試合経過を表示するバックスクリーン、今年から新設されたサニー社製のマンモストロンからグラウンドへと視線を戻す絵本光一郎。
大きく深呼吸をした後、徐に投球動作を開始した。
武蔵野球場での試合経過は5回終了、1対1。
先制したのはレイカーズで、4回裏に五番DHの笠原永時のタイムリーによるもの。
ファルコンズの同点打は五回表、九番サードの立原慎也が打ち上げた犠牲フライだった。
勝負の行方は定かならず、いつ均衡が崩れるのか判らない。それ故にブルペン待機の投手陣はベンチからの指示で準備を急がされていた。
ベテランなれど完投能力を十分に有するエースが登板しているのに、どうしてベンチの指示がなされたのかといえば、投球にいつもの冴えが感じられない日高への無言の叱咤である。
だが日高の調子は6回表になっても今ひとつ上向こうとしない。
五番ファーストのパット・パールマンに、勝ち越しのソロアーチを左翼席中段へと叩き込まれてしまったのだ。
ピリッとしていないのは、レイカーズの打者達もであった。
三者凡退で終わった6回裏の攻撃に象徴されるように、入団4年目の坪井浩の好投の前に安打数は僅か2本。一番の伊倉宏典、三番の浅川幸二、四番の金月和博、五番のブロデリックが揃って無安打では、打線が活気づく筈もない。
俺が何とかしてやる、とばかりガムシャラにバットを振り回す斬り込み隊長とクリーンアップトリオにつられてか、昨年まで共有されていた“繋ぐ意識”が欠落した打線は空回りを続けた。
プロ入り後、初めて開幕スタメンに選ばれた三人のバットが湿り切っているのも、空回りに拍車がかかった要因の一つである。
オープン戦での好成績を理由に抜擢されたセカンドの戸松誠治、ショートの高山徳雄。大阪サンダースでは主に守備要員だったレフトの吉見春樹。
二番と八番と九番に名を連ねた三人は守備力を買われての起用である。打撃を期待する方が酷であり、緊張感に苛まれながらもノーエラーであるのを寧ろ褒めるべきであろう。
反対に活発化したのはファルコンズ打線。7回表に加点したのだ。
五番DHの津村英明に代わり途中出場の今泉信一が四球を選んで出塁、六番キャッチャーの竹田藤夫がキッチリと送りバント決めて、1アウト二塁。
続く打者はここまで無安打の、7番ライトの藤屋忠美。
スコアリングポジションのランナーを意識し過ぎた日高は、打者への警戒が疎かとなる。
1ストライク2ボールから投じたスライダーに初回のようなキレはなく、ずば抜けた成績とはいえずとも四年前に新人王を獲った打者が、それを見逃しはなかった。
本来ならスーッと外角低目へと逃げて行く筈のボールはベースの近くで僅かに曲がっただけで、鋭く振り抜かれたバットによってレフトのフェンスを直撃する。
手を叩きながらランナーが生還する間に打者は悠々と二塁に到達。ファルコンズは勝利を大きく手繰り寄せる追加点を得た。
ファルコンズ期待の新星である八番ショートの高田幸雄は三振に斬って取ったものの、立原には球筋を見極められて四球を選ばれてしまう日高。
もはやこれまで、と漸く動いたレイカーズベンチ。
エースのプライドを慮り続投を許していたが、不甲斐ない投球を続ける日高に腰を上げざるを得なくなったのだ。
負けるにしても負け方がある。レイカーズは今季、王者を目指さねばならぬのだから、得るもののない無様な負けだけは避けなければならなかった。
因みに日高が開幕投手を務めたのは今回で10度目。過去の成績は2勝6敗と大きく負け越している。
開幕戦との相性の悪さを自身も自覚しているのか、主審に投手交代を告げてからマウンドへやって来た森山祇晶監督にボールを渡す時も、日高の表情はサバサバとしていた。
2死一、二塁。2点差のビハインド。開幕ダッシュでチームに弾みをつけたいレイカーズベンチとして、このような展開で登板させる投手といえばただ独りである。
ウグイス嬢によって名前がコールされた途端、場内に派手なヘヴィメタル・サウンドが鳴り響いた。
“レイカーズ、ピッチャーの交代をお知らせ致します。ピッチャー、日高に代わりまして、絵本。ピッチャーは絵本。背番号、42!
登場曲は、クロスの『I'LL KICK YOU』です”
森山祇晶は微かに顔をしかめながら、ブルペンから小走りでやって来た絵本にボールを渡す。
「何度聞いても喧しい曲だな」
「すいません、まだ若さと勢いだけが売りのバンドですので」
「お前がそれをいうか……まぁいい、今年も頼むぞ」
「はい」
「次はもう少し良い場面で投げてもらうからな。今日は卒業試験だと思って投げてくれ」
「はい!」
もう一度“頼むぞ”と言い残してベンチへと戻る森山に一礼すると、光一郎は周囲を取り囲む内野陣達をぐるりと見渡した。
「ではさっさと終わらせますので、裏の攻撃をお願いします」
妙に自信に満ちた光一郎の物言いに、それまで俯き加減だった伊倉は思わず空に向かって吹いてしまう。
「おいおい、相手はリーグを代表する一番打者の篠原誠さんだぞ。大口叩けるバッターじゃないだろうが」
「大丈夫です、伊倉さんほど怖いバッターじゃありませんし」
「おお、それは……お世辞でも嬉しいぞ」
「御礼は裏の攻撃でお願いします。先頭の伊倉さんが出塁してくれたら先輩……セイジさんがきっちり送って下さいね。
そして浅川さんのホームランで同点、キンタローのホームランで逆転、更に追加点が取れたら今日は万々歳でしょう?」
どう考えても劣勢であるにも関わらず自信満々な光一郎に、伊倉達は呆気に取られ、やがて全員が破顔一笑となる。
「皆で一致団結して日高さんを負け投手から救って、今夜は日高さんの奢りで今季初勝利の祝杯を挙げましょう!」
手堅いリードが信条の堅物タイプの捕手である池澤勤までもが“応!”と唱和するや、選手達は所定の位置へと駆け足で散って行く。その足取りは実に軽やかであった。
マウンド上で両肩を交互にグルグルと廻して投球前の準備運動をした光一郎は、ボールの感触を確かめながら一球二球と池澤のミット目がけて八分の力で投球練習を行う。
規定された数の練習投球を投げ終え、スパイクの踵で足場を固め直しながら内野を巡るボールを目で追う光一郎。
伊倉から高山へ、高山から戸松へ、戸松から金月へ。カクテルライトに照らされた顔はどれも、眩しいほどに明るい。
どうやら冗談半分で口にした発破が効いたようだと安堵した光一郎は、金月から返球されたボールを確りと握り締めながらニヤリと笑ってから、胸の奥のエンジンに火をいれた。
大言壮語が机上の空論となるのか、それとも嘘から出た実にするのか、全てはこれから投じる一球にかかっている。
光一郎は池澤の出すサインに頷くと、一気にアクセルを噴かせるが如く真っ直ぐに力強く踏み込んだ。
その夜、開幕戦の結果を報じた『プロ野球タイムス』は盛り沢山の内容となり、深夜帯の番組としてはかなりの視聴率を稼ぐ。
前年度3位の大阪サンダース対前年度最下位の代々木スターズ戦は、サンダースが新外国人のマット・キャラダインをいきなり先発させたが滅多打ちに遭い、敢え無く敗戦。
前年度2位の阪南ブルズ対前年度4位の川崎オーシャンズ戦は、オーシャンズのエース武藤兆治が大乱調でブルズに白星を献上する。
前年度首位の広島キャナル対前年度4位の横浜ウィザーズ戦は、梁田要・桂博一・宝田豊の“スーパーカー・スリー”が塁を駆け巡り、移籍即スタメンの加藤晋作がウィザーズに勝利をもたらす一発をかっ飛ばす。
前年度首位の埼玉レイカーズ対前年度5位の東京ファルコンズ戦は、劣勢だったレイカーズが終盤に粘りを見せて浅川と金月の初アベック弾で逆転勝利を得る。
これらの四試合よりも視聴者が最も関心を寄せたのが、残る二試合であった。
一つは、前年度2位の東京ギャラクシーズ対前年度5位の名古屋ドルフィンズ戦だ。
熱血漢を自認する保志仙一・新監督の初采配や如何に?
昨年末に1対4の大型トレードで入団した、三冠王に三度輝いた折笠博満はエ・リーグでも大活躍するのか?
結果は、ギャラクシーズの西田聖投手の快投に翻弄されての完封負けであった。
もしもドルフィンズ・ベンチにマイクが仕掛けてあれば、幾度となく飛び出す保志監督の激しい怒号にボリュームを下げざるを得なかったに相違ない。
そしてもう一つは、前年度3位の神戸ブレイザーズ対前年度最下位の南紀ハリアーズ戦。
鵜飼監督はオープン戦の内容が揮わない山本に代えて、次世代を背負う中堅の佐々木義則を開幕投手に指名する心算であったが、それを揺らがせたのは先の川島の発言だった。
それは新村などブレイザーズ関係の球界OBのみならず、営業面を気にする球団側からの圧力も加味されての翻意であったのだが。
しかし最も強く影響したのは、山本の直談判であった。
絶対に勝つから投げさせてくれ、と長年に亘りチームを支え続けたエースに頭を下げられては、鵜飼とて無下には出来ぬ相談だ。
こうして史実とは異なる試合が、武庫球場で繰り広げられる準備が整う。
真っ新なマウンドに立った山本は例年よりも鬼気迫る投球でハリアーズ打線を八回まで散発三安打に抑え込んだ。
一方ハリアーズも満を持してエースが登板。山崎孝徳が飄々とブレイザーズ打線の打ち気を躱して行く。
両チーム共に攻め手を欠いた試合は投手戦のまま最終回へ。
漸くにして試合が動いたのは九回裏。八番キャッチャーの藤波浩雅がボテボテの内野安打で出塁すると、鵜飼は透かさず俊足の福田峰夫を代走に送る。
更に九番ショートの湯浅敬二郎に代えて、新人ながら長打力が魅力の福島康雄の名を主審に告げた。
八回からマウンドに上がっていたハリアーズのストッパーである入江祐二は、続けて三度も牽制球を投げるなどして盗塁封じを狙ったが、それが却って仇となる。
ランナーを意識し過ぎた中で投じられた速球が甘くなってしまったのだ。
好球必打のお手本の如く福島のバットが捉えたボールは、ライナーとなって右中間を深々と破る。
ライトを守る山野和範がフェンス際を転々とするボールを拾い上げバックホーム態勢を取ろうとする頃、福田は既に二塁を通過し三塁を蹴ったところであった。
並みの外野手であれば絶対に間に合わないタイミングであったが、山野は球界屈指の強肩の持ち主。
1試合で三度も捕殺を成功させた日本タイ記録保持は伊達じゃないとばかりに投じられた矢のような返球は、スライディングを試みる福田の足とほぼ同時にホームへ到達する。
アウトか、セーフか。超満員の大観衆が息を詰めて見守る中、主審は両手を三度水平に広げた。
観客席の四方八方から惜しみなく送られる拍手と声援を浴びてお立ち台に立つのは、13年連続で務めた大役を完投勝利で飾った山本だ。
頭上高く両手を挙げて降り注ぐ祝福に応える山本の視界の片隅に、粛々とベンチを後にするハリアーズナインの姿が映る。
その内のひとりが、ベンチを去る前に山本に向かい帽子を取って恭しく一礼するのも。それは九回表に代打で登場して二塁打を放った川島であった。
余談ながら。
銀座のとある高級クラブにてレイカーズ有志による祝勝会が行われた。
然りながら、ヤケクソ気味の日高が大盤振る舞いする席上に居てしかるべき者の姿はない。
その理由とは、寮の門限という至ってシンプルなもの。
更にいえば、金月はまだ未成年である。抑々が酒宴へと参加出来る年齢に達していなかったのだ。
理由が理由であるだけに、誰もが仕方ないと諦める。
結局、光一郎は金月と高山と小野寺と寮の食堂に集い、ジュースの乾杯で我慢する事に。
現実とは決して甘いばかりではないのだと、妙に納得しながら甘ったるいジュースを一息で飲み干す光一郎であった。
開幕三連戦が恙なく終了した三日後の事。
今度はテレビではなく、紙媒体が野球ファンの間に新たな話題を提供した。
発信源は野球情報専門の週刊誌の人気コラム、『記録の覚書』である。
元ワ・リーグ記録部長の筆者が書き記した話題とは、長大な野球の歴史の中に半ば埋もれ、見過ごされかけていたひとつの記録を丹念に掘り起こしたものであったのだ。
“今年も華々しくプロ野球が開幕した。一野球ファンとしてはこれに勝る喜びはない。
今更申すまでもないが公式に残される記録とは、公式戦に出場した多くの選手の一挙手一投足をスコアブックに記入したものの総称だ。
記録には実に様々なものがある。
今回は今季に達成された、そして達成されるであろう連続記録に注視するとしよう。
先ずは達成された記録の代表として、山本久志投手が自ら更新した連続開幕投手を取り上げる。
これまでの同一チームで開幕投手を連続した記録は12回であり、これはアメリカ大リーグでもロビン・ロジャース投手ひとりしかいない。
ロジャース投手は1950~61年にフィラデルフィア・パッカーズで12年連続開幕投手を務め、これが大リーグ史上最長である。
去年の時点で山本投手は大リーグ記録とタイであり、先日の登板で山本投手が更新した記録は日本だけではなく、唯一無二の世界記録となったのだ。
(中略)
以上のように、連続試合出場、連続イニング出場、連続二桁勝利、連続二桁本塁打など期待される記録は目白押しである。
さてそんな連続記録の中で、誰もが注目し喝采する記録ではないかもしれないが、成し遂げるのが実に困難だと思える記録が一つ、今季中にも達成されそうな塩梅である。
無四球イニングの連続記録、がそれである。
プロ野球の歴史に記録を刻んだのは、その体型とユーモラスさを感じさせる投げ方から<オウム投法>と称された元代々木スターズ(記録達成時は、代々木アストロズ)の山田猛投手である。
連続イニングは81イニング。記録したのは今から14年前の1973年。
7月17日のサンダース戦の八回裏から9月9日のサンダース戦の八回裏まで続けられた無四球記録は、田原幸一選手への敬遠四球から始まり田原幸一選手への敬遠四球で終わった。
因みに1973年の山田投手の成績は、リーグ最多の53試合(内14試合に先発、11完投)に登板し、10勝12敗。投球回は208回2/3。
先発しての無四球試合の5試合もリーグ最多、完封は4試合。
防御率は2.02で、入団以来2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した投手である。
これほどまでに傑出した成績を残しながらも敬遠の指示がベンチから出されたのは、山田投手は田原選手との相性が宜しくなかったからだ。
山田投手は1年目に6本の本塁打を打たれており、その内の3本が田原選手によるもの。
ベンチの指示が無ければ果たして記録は何処まで延びたのだろうかと、夢想するのも記録の楽しみ方のひとつであろうか。
さて今季、その記録を塗り替えそうな気配がある投手がひとりいる。
埼玉レイカーズの中継ぎである、絵本光一郎投手がそうだ。
入団1年目は投球回25回2/3で四死球0、2年目は投球回48回1/3で四死球0。通算で、74イニング連続で四死球が皆無なのである。
注目すべきは、四球0ではなく四死球0という点だ。山田投手でさえ81イニング中に一度だけ死球を与えているのだから。
但し山田投手の記録は1シーズンでの成し遂げたものであるが、比較対象としてしまうのは左右の違いはあれど(山田投手は左投げ、絵本投手は右投げ)、合わせ鏡の様によく似た投球フォームと多彩な変化球の持ち主であるからだ。
シーズンを跨いだ記録で比較するのならば終戦直後にまで年月を遡らねばならない。
無四球イニングの連続記録をシーズン跨ぎで成し遂げたのは、1946年から東京セインツ(現・東京ファルコンズ)で活躍した島義一郎投手である。
入団1年目に30勝22敗で最多勝利投手となり、2年目には26勝25敗で最多敗を喫しながら防御率1.74で最優秀防御率のタイトルを掴んだ、島投手。
活躍期間は数年と短く、球界引退後は政界へと身を投じた島投手が球史に残した連続記録は二つ。
1949年後半から1950年前半にかけて達成した92イニング連続無四球記録と、1950年前半に達成した74イニング連続無四球記録である。
1シーズン記録の方は23年後に山田投手が更新したが、シーズン跨ぎの記録はこれまで37年間更新されず仕舞であった。
しかし遂に今年、絵本投手がその記録を塗り替えそうなのだ。
今季早速、開幕三連戦の内で2試合に登板した絵本投手は5イニングを四死球0としている。
これで通算イニングは79となり、後13イニングを四死球無しで終えればタイ記録となるのだ。
しかもである。絵本投手を末頼もしく感じるのは、記録の始まりが初登板からである事だ。弱冠二十歳でありながら、どれだけ精緻なコントロールの持ち主なのだろうか。
入団3年目となる今季、何処まで記録を伸ばすのだろうか。起用法次第では山田投手の記録すら塗り替えてしまうのかもしれない。中継ぎのままでは難しいだろうとは思うが。
記録に親しむ者としては何とも楽しみの多い今季である。”
どうして主人公が好成績にも関わらず“敗戦処理”だったのか?
その答えが今回です。敗戦処理ならば、敬遠の指示がベンチから出る事はほぼありませんので。
余談ながら今頃に知った事。
野手のコーチとして有名な高代延博氏は現役時代の1985~88年の間だけ登録名が「慎也」だったそうです。