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栄冠は地味に輝く  作者: wildcats3
13/21

入団2年目「人は誰しも大人になる前に、青春なる期間を過ごす」後奏

 今回もまたやらかし案件やも。

 やらかしているのは勿論、主人公ですが……。

 実在の人物だと、根谷部長のモデルも結構なチート人物だったりするのが、笑えぬ話で。

 ケアレスミス!の御指摘に感謝を(平身低頭)。訂正致し一部改訂致しました(2021.09.16)

 数字と結果だけを見れば1986年の日本シリーズは実に地味であったのかもしれない。

 多くの野球ファンが戦前に期待したのは、ルーキーとしての記録を大幅に更新した強打者を擁するチームと、一時代を築いた好打者を並べたチームとの壮絶な激突であった。

 強打者と好打者を揃えているのだからそれなりの点の取り合いになるとに期待されたのだが、始まってみれば凡打の山。

 双方の投手陣の踏ん張りばかりが際立つ試合ばかりであった。

 口の悪い一部のマスコミなどは玄人好みや通好みと報じる始末である。

 しかし球場へ足を運んだ観客達は誰一人として目の前で繰り広げられた試合を退屈だとは思わなかった。

 何故ならば、全てが死闘と呼ぶに相応しい試合であったからだ。


 <第二戦・城南市民球場> 先発 C)大林豊 L)桑島公康

 L)001000000=1

 C)00020000X=2

 勝)大林豊 敗)桑島公康

 本塁打 L)浅川幸二①


 <第三戦・武蔵野球場> 先発 L)若林久信 C)長嶝浩志

 C)001301000=5

 L)010000300=4

 本塁打 L)伊倉宏典①


 <第四戦・武蔵野球場> 先発 L)増山博久 C)亀山昭人

 C)010000002=3

 L)000000010=1

 勝)辻谷恒美 敗)徐泰源

 本塁打 無し


 <第五戦・武蔵野球場> 先発 L)日高修 C)北村学

 C)000000100000=1

 L)001000000001x=2

 勝)桑島公康 敗)北村学

 本塁打 無し


 <第六戦・城南市民球場> 先発 C)大林豊 L)若林久信

 L)010100100=3

 C)000010000=1

 勝)若林久信 S)桑島公康 敗)大林豊

 本塁打 L)緒方卓司① 金月和博①  C)中嶋清幸①


 <第七戦・城南市民球場> 先発 C)長嶝浩志 L)増山博久

 L)100002000=3

 C)000001000=1

 勝)増山博久 S)徐泰源 敗)長嶝浩志

 本塁打 C)中嶋清幸②


 延長戦引き分けだった初戦の後、広島キャナルが第二戦から第四戦を制す。

 これで広島が次も勝って四連勝を果たし、広島城を背景にした空に日本一の旗が翻ると思った者は、楽観的なキャナルファンと悲観的なレイカーズファンだけであった。

 評論家も含めほとんどの観戦者が、このままで終わる筈が無いと予想し、事実そうなる。

 レイカーズ逆襲の狼煙を上げたのは、強打者ではなく中継ぎとして登板した桑島であった。

 又もや延長戦となった第五戦。

 同点のままに迎えた12回裏1アウト、ランナー二塁で打席に入った桑島が“一、二の三”で振ったバットが辻谷のやや甘い速球を捉え、打球は転々とライト線へ。

 千切れんばかりに手を回す三塁コーチの指示に従いランナーの鶴がホームへと滑り込む。それが決勝点となった。

 その瞬間を目撃した古くからの野球ファンの誰しもが、脳裡に28年前の事を思い浮かべる。

 レイカーズが未だ博多ライナーズであった1958年の日本シリーズ、奇しくも同じ第五戦。救援として登板したエースの池田和久が放ったサヨナラ本塁打。

 エ・リーグの王者、東京ギャラクシーズに三連敗していたライナーズは池田の起死回生の一発で息を吹き返すや四連勝し、奇跡の逆転優勝を成し遂げたのだ。

 もしかしたら、もしかするのかも?

 池田が“神様仏様”と崇められてから幾星霜、桑島による土壇場の一撃に快哉を上げたレイカーズは、夢よもう一度とばかりに第六戦と第七戦に勝利する。

 両チーム共に戦績は三勝三敗一引き分けとなり、日本一決定はシリーズ史上初の第八戦の結果次第と相成った。


 キャナルが第四戦に7回三分の一を投げた亀山を先発に立てれば、レイカーズは第五戦に9イニングを投げたばかりの日高を中三日でマウンドへと送り出す。

 双方の首脳陣は今日が決着の日であると、ブルペン陣には総動員令を発していた。展開次第では序盤から投手交代を行うとのお達しに、中継ぎ投手達は初回から投球練習に余念なしである。

 ……絵本光一郎を除いて、であったが。

 七試合を終えた時点で、キャナルは68イニング三分の一に8人の投手を起用し、レイカーズは68イニングに12人の投手を登板させていた。

 先発起用された8人を除いた中継ぎ投手12人の内、最も多く投げたのが絵本である。

 初戦に続き第二戦にも八回の1イニングを任され、移動日を挟んだ第三戦も八回からの2イニングに登板した絵本。

 第四戦は早々にノックアウトされた増山博久に代わり二回2アウトの場面で登板するや、七回までの4回三分の一を無失点に抑えていた。

 何れも直接的にはチームの勝利に結びつかなかったものの、12イニングも消費する事で中継ぎ陣の疲労を最小限にしたのだ。

 勝ち試合に注ぎ込める投手達が万全の状態であったのが、レイカーズが第五戦から三連勝出来た要因の一つであったと言えよう。


 天下分け目の最終決戦となった第八戦。

 絵本はブルペンではなくベンチの中で参加していた。前日の晩に、森山監督からお役御免を言い渡されていたからだった。

 この一年、負け試合を整える仕事を担っていた絵本がブルペン待機するのは或る意味、不吉であると首脳陣は考えたのかもしれない。

 少なくとも野手達は絵本がブルペンではなくベンチにいるのを、必勝のメッセージだと受け止めていた。

 そんな理由でベンチ待機となった絵本だが、試合に出場しなくとも貢献出来るとばかりに臨時の野次将軍となり、初回から大声を張り上げてはチームの鼓舞に努めた。

 球場内でユニフォームを着ている限り、誰もが戦力なのだから。

 さて試合展開はといえば又も、一進一退の攻防に終始する。

 キャナル先発の亀山が5イニングを散発三安打に抑えれば、レイカーズは日高を三回で降板させ、四回からは小刻みな継投策を取った。

 日高が降板したのは、先制点を取られたからである。しかも内容が良くなかった。打たれたのが投手である亀山で、しかも2ランだったのだ。

 中三日と言う疲れもあったのだろうが、七試合の内六試合が3点以内で決着しているのである。序盤での2失点は決して軽いものではない。

 森山監督の眉間に刻まれた憂慮の深い皺。

それが緩んだのは六回表の攻撃、金月の打席の時であった。

 5打数2安打1死球で始まった金月のシリーズ成績は第八戦第二打席終了時点で、29打数10安打1本塁打5四死球。打率は.344。

 短期決戦においては絶好調と言っても良い内容だ。

 ルーキーながら早くもお祭り男の片鱗を見せ始めた四番の金月が先頭打者としてヒットを放つや、一死後に六番の浅川がキャナルに傾いた流れを引き戻す2ランを左翼席へとかっ飛ばす。

 まるでサヨナラ勝ちを決めたかのように喜びを爆発させるレイカーズベンチ。

 更に浅川が行った、優れた身体能力を最大限に生かしたパフォーマンスがレイカーズナインを、更には観客席とテレビ前で観戦するファン達を大いに盛り上げる。

 三塁ベースコーチにヘルメットをポンッと投げ渡し、側転から背面宙返りをしてからのホームイン。後に浅川の代名詞となるバク宙ホームインは、フライング気味の勝利の凱歌であった。

 同点とした事で気を良くしたレイカーズベンチは次々に代打策を使い、守備要員を送り出し、ブルペンの投手をマウンドに上げる。

 例え空回りとなろうとも先手取りに執念を燃やすレイカーズの前に、いつしかキャナルはホームゲームの有利さを失いジリジリと押され始めた。

 野手陣の好守と力投でどうにかこうにか踏ん張り続けた亀山であったが、八回表、遂に力尽きる。

 3安打目を放ち猛打賞を決めた金月を一塁に置き、二死から七番のブロデリックが勝ち越しのツーベースを打ったのだ。

 フェンス直撃後に左翼ファールゾーンを転がる打球を安原浩二が追いかけている間に、金月が死に物狂いの表情でダイヤモンドを激走、高めの返球を受けた滝口光男のタッチを搔い潜ってホームへと滑り込む。

 レイカーズ待望の逆転の一打は、キャナルの戦意を木っ端微塵とするに十分な破壊力があった。

 打線の活躍に負けず劣らずレイカーズ投手陣も活躍をみせる。

 日高の後を継いだ増山弟の雅之が2イニング打者六人を完璧に封じれば、六回は登板した三人の投手が一人一殺のリレーを行った。

 七回に登板したのは先発要員である若林と増山兄の博久。

 八回はシーズン後半戦からストッパーを務めていた徐が打者二人に四球を与えるも、後続を仕留めて無失点で切り抜ける。

 そして最終回。

 ラストバッターとなった中嶋の打球がショートの伊倉の手を離れ金月のファーストミットに収まった瞬間、シリーズの中途から抑えへと配置転換された桑島が両手を天に突き上げた。

 レイカーズ、日本一!

 グラウンドに散っていたナイン達がマウンドへと駆け寄れば、ベンチの者達も一斉に殺到する。

 マウンド付近で作られる歓喜の輪を映すカメラの一台が、巨漢のブロデリックに手荷物のように小脇に抱えられて運ばれる絵本の姿をお茶の間へと中継した。

 まるで親猫に咥えられた子猫のような姿に失笑したとある漫画家が数日後、雑誌掲載の野球を題材とした四コマ漫画に“コニャンコー”なる渾名で絵本そっくりのキャラを登場させる。

 授けられても名誉とは思えぬ渾名であったが、レイカーズファンの間で瞬く間に膾炙されるようになるとは、歓喜の輪の中で胴上げならぬ担ぎ上げされている絵本には知り様もない未来だった。

 因みに渾名の元ネタは、この年に公開されて大ヒットとなったアメリカのアクション映画と、可愛らしいタイトルの日本映画と、昨年に結成されるや一躍人気者となったアイドルグループからだった。



 チームの内外から別個の渾名を与えられた絵本光一郎の今季の野球シーズンは、こうして終了する。

 尚、一軍での公式戦成績は以下の通り。

 3勝3敗0S、登板21試合、投球回48回1/3、被安打24、被本塁打3、奪三振16、四死球0、失点9、自責点7、防御率1.30。


 だが1986年という年の球界は、まだ終わった訳ではなかった。



 シリーズ終了の翌日、安原が広島市内のホテルにて、正式に現役引退を表明。

 同日、東京都内にて川崎オーシャンズが契約切れで退任した池田和久監督の後任に、現役引退したばかりの“ミスター川崎”こと麻生道世が就任すると公表する。

 翌10月29日には名古屋ドルフィンズが、新監督に保志仙一が就任したと発表。

 その二十四時間後の30日には代々木スターズが、関潤三の新監督就任記者会見が行われる。

 1987年の球界は、随分とフレッシュな空気が漂いそうな刷新人事が次々と報じられたのだった



 11月初旬のとある日、金月が抜群の成績で86年度の新人王に選出されたのを祝う会が赤坂のホテルで開かれた。

 発起人は絵本だが、開催に当たっての手配など全てを担当したのは貞本拓也である。

 会の規模は、参加者が金月のトレーニングに参画した者達だけなのでこじんまりとしたものであったが、特別ゲストが二人いた事でそれなりに賑やかなものに。

 特別ゲストとは江原豊と、引退後も何かと忙しい筈の安原である。

 主賓であるにも関わらずホストのように空のコップへビールを注ぐ金月に、安原は実に穏やかな表情を見せた。


「本当は引退するかどうか少しだけ迷ったんだ」


 十日ほど前まで、共に四番打者として死力を尽くして戦い合った仲とは思えぬ雰囲気を纏った安原の発言に、金月は戸惑いながら相槌を打つ。

 ここだけの話だぞ、と前置きをしてから安原が語るには、引退記者会見の直前にレイカーズの運営一切を取り仕切っている管理部長の根谷陸男から連絡があったという。

 引退を撤回してレイカーズに移籍しないか、と。

 驚きの内容に安原が絶句していると、受話器の向こうから聞こえて来たのは“金月の手本になってくれないか”という言葉。

 今の給料よりの一割増でどうだ、とのオファーに心が少しだけ揺れたと、安原は苦笑いしながら注がれたビールを一息であおる。

 受ければ良かったのに、と混ぜっ返す江原へ、広島のファンを裏切れないからな、と安原は破顔一笑で内緒話を終えた。

 爆弾発言はあったものの和やかな空気に包まれたまま祝宴はお開きとなり、参加者は満足そうな顔で夜の街へと消えて行く。

 特に貞本らトレーニング講習会のメンバーは、金月だけではなく安原からもサイン入りバットを頂戴し、ほくほく顔。

 未成年故に酒も飲めず、大人の世界に行く事も許されぬ絵本と金月は、意気揚々と銀座へと繰り出す大人達を見送った後、タクシーで大人しく帰途に就いた。

 選手寮に着くなり、絵本は金月を屋上へと誘う。


「これくらいなら、エエやろ?」


 コンクリートの上にどっかりと胡坐を掻いた絵本は、スーツのポケットに隠していた缶ビールを二つ取り出し、一つを金月に渡す。

 “クラシック”と銘打たれて北海道限定で発売された缶ビールはキンキンではないものの、呑むには十分な冷えを保っていた。

 いつの間にちょろまかしたのやらと思いつつ金月はプルトップを開け、口を付けようとしたところで躊躇する。


「寮長にバレたら、しこたまドヤされませんかね?」

「そん時はビール掛けの延長戦ですぅ~ってバックレて……土下座して謝ろう!」

「うわ、カッコ悪ぅ!」

「うっせぇ、嫌なら飲むな」

「飲まんとは言うてません~~~」

「ほな改めて、おめでとうさん」

「ほな改めて、おおきにさんです」


 コツンとぶつかり合った明るい銀色の缶ビールは、それぞれの喉奥へと芳醇な黄金色を流し込む。


「ああ、そや忘れてた」


 再びスーツのポケットをまさぐった絵本は、可愛らしいリボンでラッピングされた小振りの箱を取り出し、金月へと手渡す。


「お祝いのプレゼントや。雑に扱っても大丈夫やけど大事にしてくれ」

「ホンマですか、何ですか、嬉しいなぁ……って何ですかコレ、えらいゴツイ腕時計ですけど?」

「舶来品の人気商品や」

「ホンマですか、ってよう見たら、よう見んでもCAJIOって書いてますやん」

「日本製やけど舶来品であるんに間違いはないで。アメリカで売ってたヤツやからな」

「……パチモンでっか?」

「アホ言え、ホンマもんや。向こうにいる従兄がエエもん見つけたわって最新式のを送ってくれたんや」

「へぇ……そやけど何でこないにゴツイんです?」

「“T-SHOCK”言うてな、ショックに強いタフな時計って意味らしいわ。プロのホッケー選手がスティックでぶっ叩いても壊れへんねんて。

 もしかしたら俺が投げてキンタローがレフトスタンドまでかっ飛ばしても無事かもしれへんな」

「ホンマでっか?」

「おうよ、現にアメリカやと警察や消防隊員、軍人さんまでが愛用してるらしいで」

「へぇ~~~」


 言葉は疑わし気でも顔は嬉しさで綻んでいる金月を見つめつつ、絵本は腕時計に添えられていた手紙の内容を思い出す。

 それは怒りに満ちた心情の吐露であった。

 絵本らがキャンプインに備えて自主トレに邁進していた頃、アメリカ南東部の端で起きた一つの事故。大西洋上空で命を散らしたのはたった七名であったが、その影響は全世界に及んだ。

 スターシャトル・イントレピッド号爆発事故。

 それはアメリカ合衆国が誇る最先端テクノロジーの象徴であった宇宙事業を停滞させたのみならず、成層圏の外側へ憧れを抱く世界中の人々を嘆き悲しませた。

 絵本の従兄もまた、悲嘆の涙にくれた一人である。

 事故後、即座に取材を始めた従兄とその仲間達であったが、当初は政府に属する組織にありがちな秘密主義の分厚い壁に阻まれ、何ら成果を得られなかった。

 しかしアトランタ市に本社を置く24時間放送のニュース専門チャンネルと提携する事で数か月後には分厚い壁に穴を穿ち、秘匿情報を手繰り寄せる事に成功する。

 取材とは何かと必要経費がかかるもの。資金面での後押しを得た事で行動に拍車がかかったのだから当然であろう。

 公表される前の事故調査委員会作成の報告書の一部を入手した取材者達はその内容を精査するが、詳細に記された事故原因を知るなり全員が徒労感と虚無感に苛まれる事となった。

 事故原因は、燃料部分の部品が欠陥品であったが為で、欠陥であったのは設計ミスが理由であり、その事実は事故発生以前に担当技術者のみならず組織の責任者も知っていたというもの。

 打ち上げに関わった者全員が職務に忠実で職責を軽んじなければ、未然に防げた事故であったのだ。

 事故発生による信頼の失墜が営業成績に直結する企業では安全への意識が改善されつつあるにも関わらず、公的機関の体たらくは世間を大いに失望させた。

 手紙の筆圧からも絵本へ十分に伝わった従兄の思いであったが、世の中の関心は既に別の事故に移っている。

 イントレピッド号爆発事故の凡そ三か月後、ソビエト連邦西部にあるキエフ原子力発電所が炉心融解事故を起こし、北半球全域に放射性物質を撒き散らしたからだ。

 方やアメリカ国内の問題、方や世界規模の問題、どちらが大事かは比べるべくもないだろう。

 だがソ連の原発事故も原因を突き詰めれば、真っ当に作業していれば防げたはずの重なり合った人為的ミスである。

 宇宙事業に原子力事業と、どちらも最先端技術の粋を正確に運用せねばならぬ事業であり、人為的ミスを可能な限り排除する為の安全対策を万全にせねばならないのだ。

 安全性について警鐘を鳴らし続ける覚悟を決めている従兄にとってT-SHOCKは象徴的なアイテムなのだろうと、絵本は思う。

 そんな従兄の思いが詰まった腕時計を惜し気もなく金月に贈ったのは、絵本もまた思いを託したかったからだ。


「キンタローよ、お前は怪我しても直ぐに直さなアカンし、スランプになっても直ぐに抜け出さなアカン。

 しんどいかもしれへんけど、プロに入った以上はそれが宿命なんやと思うて日々励めよ。

 今年残した成績で、既にお前は野球少年達が憧れるスターになってしまったんやさかいに。

 ……逃げんなよ。辛くても歯ぁ食いしばって前へ前へと進み続けろよ」

「……どんだけ頑張ったらエエんですか?」

「そらぁ……ミスター・レイカーズと呼ばれるように成るまでや」

「どないしたら成れますん?」

「そやなぁ、先ずはサードにポジションチェンジしたらどないや?」

「へ?」

「一つ予言してやろう。耳の穴かっぽじってよう聞けよ。

 今のサードは浅川さんやけど、あの身体能力を最大限に活かすのは外野や、って監督さんらは考えるはずや。早ければ来年にもサードが空くさかいに。

 それにな、サンダースの神谷雅之さんも引退したオーシャンズの麻生道世さんも、伝説の英雄の長門茂雄さんも、“ミスター”付きで呼ばれている人は皆がサードの名手やで。

 ファーストって大事なポジションやし守備力も必要とされっるけど、如何せん動きが少ないやんか。それに比べりゃサードは花形ポジションやん。

 お前……今年の盗塁は幾つやった?」

「六個ですけど」

「少ないなー、少な過ぎやわ。せめて二桁は走らな。

 確か安原さんは40本塁打20盗塁を記録してはるで。ルーキー時代から十年以上連続で二桁盗塁してはるわ。

 ……走れる、ってのは長距離打者にとって結構重要やねんで。何せ四死球での出塁が多いさかいな。浅川さんも足速いやんか」

「そうですねぇ」

「田原幸一さん路線を目指すんもエエけど、それは足が遅くなってからでもエエと思うけどな。

 走る為には体型を維持せなアカンし、常に体のキレを保っとかなアカン。

 打って走って守れる、って滅茶滅茶恰好エエやんか。

 どや、三年前にブレイザーズの三浦浩二さんが達成しはった3割30本30盗塁、トリプルスリーを目指してみいひんか?

 安原さんも神谷さんも麻生さんも、長門さんでさえ達成してへん大記録を、さ」

「いや……流石にそれは無理ですがな」

「無理に通れば道理で苦しい、って言うけど、言わへんけど、無理やって誰もだ思う事を達成出来るかどうかが、スターとスーパースターの境目やと俺は思うけどな。

 せやかて、最初から無理やと思うとったらどないもならんけどな。夢はデッカイ方がエエで、ホンマに。

 願えばチャンスは必ず訪れる。そのチャンスをモノに出来るかどうかは心がけ次第やし。

 どうせならトリプルスリーやら三冠王やら獲り捲って、何れはメジャーリーガーになってやる、くらいの志を持ったらどないや?

 キンタローには、その資格があると俺は確信しとるけどな」

「いやいやいやいや、メジャーリーガーは何ぼ何でも無理ですがな」

「ほな、球団初の2000本安打でも目指せよ」

「ええ~~~」

「まぁどっちゃにしてもキンタローのプロ人生は始まったばかりや、ゴールはまだまだ長いさかいに。

 無事是名馬って風に完走する為にゃ、その腕時計みたいに丈夫で長持ちの選手にならんとな!」


 無理難題を言われ困惑顔の金月をよそにカラカラと笑う絵本。

 その笑い声は凡そ一分後、屋上への見回りに現れた寮長の怒声が夜空に轟くまで続いたのだった。



 11月18日の午後の事。

 レイカーズ球団事務所二階の会議室で、スカウト部長の上田直治は部下であるスカウト達と共に情報の最終チェックを行っていた。

 二日後に迫ったドラフト会議において指名する選手とその順番は既に決定している。だが、その決定で本当に間違いはないのか?

 吸い殻が山となった灰皿に短くなった煙草をねじ込みながら、記憶する程に読み込んだ資料の束を睨むように読み返す上田。同席するスカウト達も上田のコピーのように同じ表情同じ仕草をしている。

 去年のドラフトは金月を獲得した、ただその一点だけで大成功といえた。

例え二位以下で獲得した他五名の選手が活躍しなくとも、十分にお釣りが出るくらいに金月が大活躍してくれたからだ。

 スカウト部全員が胸を張り、指名して正解だったと今でも自画自賛出来る程に。

 では今年はどうだろうか?

 毎年の事ながら、上田らスカウト部に属する者達はドラフト会議が近づく度に、膨れ上がる不安に苛まれる。

 選択を失敗すればその損失を被るのは、評価の下がるスカウト部だけではない。戦力を補充出来なかった球団の損失も大きいし、何よりも選択された選手の人生が左右されるのだ。

 またレイカーズが選択を失敗するという事はつまり、他球団の利益を意味する。獲得出来た筈の有望な選手をむざむざと奪われてしまうのだから。

 スカウト部として考える事は大きく、且つ多い。

 指名したとしても他球団と競合するかもしれないし、クジ引きを外してしまうかもしれない。

 もしもクジ引きで敗れてしまったら、下位指名予定者を繰り上げるのが正解なのか、それとも指名候補リストから新たに選び直すのが正解なのか。

 選ぶべき選手はレイカーズの戦力となる者か、それとも他球団を強化させてしまう選手か。

 考えれば考える程に選択肢が増えてしまい、迷路に迷い込んだ気になってしまうのもまた、例年の事。

 もう何度目か判らぬ程の指名者と順位の再点検は、スカウト部の個々が心を落ち着かせる為の恒例行事であった。

 西側の窓から差し込む陽の光が茜色に染まる頃、誰もが今日はもう良いだろうと思い立ち上がったその時。


「おい、上田! 戦略を練り直すぞ!」


 ノックもなく、開放厳禁と張り紙されたドアが勢いよく開けられた。許可もなくズカズカと入って来た人物を見て、上田の顔が一瞬で諦めに塗り潰される。

 上田以外の者達の表情にタイトルを付けたならば、無情ならぬ“ああ無常”だろうか。

 今年一年間かけて苦労し続けた長い道程、やっと辿り着きそうだったゴールが地平線の彼方へすっ飛んでしまった、と理解させられたスカウト部の面々だが、誰一人として抗議声明を発しはしない。

 まるで嵐のように現れた人物は、紛れもなく嵐そのものなのだから。

 両手に抱えていた書類の束を会議室の机にドサッと投げ出すや、件の人物は先ほどまで上田が座っていた椅子にドッカと腰を下ろした。

 新たな重量物が無遠慮に乗せられたが所為で、吸い殻の山がザラザラと雪崩を起こす。

 灰塗れとなった資料を取り上げ汚れを叩き落としながら、上田は前触れもなくトンデモ発言を口にした根谷陸男を恨めし気な目で見た。

 今更何を言い出すのかと異議申し立てをしようとしたが、“バレてるぞ”の一言で即座に居住まいを正す。

 出入り口に近い席のスカウトにドアの施錠を命ずるや、上田は難しい顔で腕組みをしている根谷に反論をする。


「そんな筈はあり得ません。根谷部長が仕掛けられた秘中の秘、なんですから。

 ……もしかしたら我々の誰かが情報を漏らしたとでも?」

「こん中にスパイがいるとは思っちゃいねぇよ。勿論、口の軽い奴もな。そいつは俺が一番良く判ってる。

 だがな……今年の一位指名予定者の名を知ってる奴がいるんだ、いたんだ!」

「だ……誰ですか?」

「絵本光一郎。リーグ優勝と日本一の陰のMVP野郎だ」

「そういえば部長は確か今日、絵本の契約更改に立ち会っていたんでしたっけ」

「ああそうだ。良くやったと一言褒めてやろうと思ってな。

 去年は緒方卓司(タク)江原豊(ユタカ)の一軍復帰を助けてくれたし、トレーニングとは違うリハビリテーションやらストレッチやらをチームに広めてくれたからな。

 新しい風を吹き込んでくれた奴の顔をキッチリ拝んでやろうと思ったが……まさかあんな爆弾野郎だったとは思わなかったぜ!」


 根谷は机に放りだした紙束を顎で指し示す。


「チームへの提言書、だとよ」

「提言書、ですか?」

「ああ。良くやったと経理担当が提示した金額にちょいと色付けてやろうとしたら、何て言ったと思う?

 現状維持でも結構ですから、昇給分でトレーニング施設の充実を図って欲しいとさ。トレーナーも増やして欲しいとさ。……何様だアイツは!?」

「はぁ……は?」

「それだけじゃねぇ。チーム強化の為に浅川のセンターへのコンバートと、空いたサードには金月を入れるべきだとか言い出しやがる。……何で奴は来季の構想を知っていやがるんだ?」

「え……ええ!?」

「何でそう思ったか問い質したら、チームを見ていたら判る、なんて言いやがる。ノストラダムスとかの預言者か、それとも御狐様でも憑けてやがるのか、全く訳が判らねぇ。

 そんでコイツを俺に突き付けて、是非御一考を、だとよ」

「……何が書いてあるんですか」

「それがなぁ、随分と面白れぇ事が書いてあった。……だが、俺一人では手の余る事なんでな、本社の人間と検討してみなきゃなんねぇ。

 アホみたいな内容ばかりだが一笑に付すには勿体ねェアイディアばかりでな、腹が立つくらい耳の痛い事も書いてあるし、夢物語だと捨てるには惜しい事も書いてあった」

「読んでみても?」

「いや、それよりも明後日のドラフト会議の事を先に片付けにゃならん」

「はぁ……それで、どういう事ですか?」

「奴と話していたら段々と頭が痛くなってきてな、給料は上げてやるから判子押してもう帰れ、と追い出そうとしたらな、僭越ながら最後に一つご質問が、と言いやがる。

 漫画雑誌みたいな提言書突き付けといて何を今更と思ったらよ……」

「はぁ」

「“どうして森尾が一位なんですか?”だとよ」

「「「「「……ええっ!!」」」」」


 驚きの声を上げたのは上田だけではない。スカウト部の全員がであった。

 その内のひとり、九州六大学野球で名を轟かせた投手の森尾良二を秘密裏に囲い込んだ当の本人であるスカウトの楠徹の驚愕は、誰よりも大きかった。


「奴がどうして知っていたのかは判らねぇ。人目がなけりゃ締め上げてでも聞き出したんだけどな」

「締め上げたんでしょう?」

「当たり前だろうが。上田、お前でもそうしただろうが?」

「ええ当然、締め上げますとも……それでゲロッたんですか」

「いや、胸倉掴んでも口を割りやがらねぇ。あそこの毛が生え揃ったくらいの年齢のくせに大したタマだぜ、あの野郎。

 シレッと“夢で見たんです”としか言いやがらねぇから、ぶん殴ってやろうとしたら、球団社長や経理担当やらが“暴力沙汰はダメです”とか言いやがるんで解放してやったけどな」

「ああ、まぁ、賢明な判断だったかと」

「二、三発も殴れば白状したかもしれねぇのに……いや、それでも吐かねぇかもしれんな、あの目は」

「ほほぅ、そんなタマでしたか」

「ああ、何があろうと一歩も引かねぇ男の目をしてやがった。……そういや奴を担当したのは上田だったな」

「ええ、まぁ」

「改めて聞くが、どんな奴だ、絵本ってのは?」

「高校時代は金月キラーだったくらいしか目立つ点はなかったですね。コントロールが抜群に良いのが特徴らしい特徴で……内角攻めが矢鱈と上手いので性根の坐った奴だなぁ、と。

 もしも他球団が獲得したら、それがワ・リーグの何処かだったら、ウチが金月を獲得出来た暁には厄介な存在になるかもしれない、それを理由に一昨年、予防策として獲ったんです。

 化けたら面白い存在になるかもしれないし、化けなくても早々に打撃投手にしてしまえばと」

「……そしたら化けたって訳か」

「ええ」

「化けたんじゃなくて、猫の皮を被っていたのかもしれねぇな。

 それでな、口を割らねぇなら喋らせちまえと考えてな、お前なら誰を指名するのかと聞いてみたんだ」

「ほう」

「するとな、懐からスポーツ紙を取り出してな、ほら、今日のスポーツ紙にドラフト候補の一覧が載っていただろう」

「そういえば」

「経理担当が持ってた赤ペン借りて、何人かに丸をしやがった。まるで競馬の予想をするみたいにな……それがコレだ」

「取り上げたんですか?」

「外聞の悪い事言うな。置いてけ、と言っただけだ。それよりもだ……」


 根谷が机の上にクシャクシャになったスポーツ紙を広げれば、確かに数人の名前が丸で囲ってある。


「奴が言うには、森尾を二位か三位指名にして、コイツを一位指名にするべきだとさ。他の球団は何処も一位で指名しないから、競合せずに単独で獲れるとほざきやがった。

 そんでコイツとコイツは内野手としても優秀だが、是非とも外野手として育てるべきだとよ。

 充実した内野に比べたら外野が乏しいから……だとさ」

「コイツは……捕手ですよ。それなのに、内野手? 外野手?」

「超がつくくらいズバ抜けた身体能力の持ち主なんだとさ。誰に教えられた予言だよ、まるで見て来たように知った顔しやがってからに。

 えらく自信満々なんで、聞いたこっちの方が呆気に取られちまったぜ。

 全く何を何処まで知っているのやら……それでどうだ、お前らの見立ては?

 肯定でも否定でも構わねぇから、ケチケチせずに情報を出せ、さっさと意見を言え」

「そうですね、出来れば予定通りに森尾を一位指名にしてやりたいです。その為に大学を中退させて、野球部の無い地元企業に入社させたんですから」

「だけどな楠、部長の……いや絵本の言う通り、コイツが単独一位で獲れるのなら、森尾は二位でも大丈夫じゃないか」

「もしも競合したら外れ一位で森尾を指名すれば」

「いやしかし」


 例年と異なりレイカーズのスカウト部の会議は、翌日の夜中まで延長に延長を重ねる。まるで日本シリーズのように。

 そしてドラフト会議の当日。

 根谷と上田は、森山監督と球団社長が本気で心配するほど目の下に黒々とした隈を作り、フラフラの状態で会場へと現れる。

 楠もまた、ふらつく足で飛行機に乗り込み九州へと飛んだ。一日千秋の思いで名を呼ばれる事を心待ちにしている森尾に付き添い、記者会見をセットする為に。


 やがて定時となり、ドラフト会議の幕が開く。

 後に“最強の根谷マジック炸裂”と絶賛されるドラフト会議が。

 五球団が超高校級の呼び声が高い小市真一を、三球団が興亜大学のエースである天野秀幸を、二球団が社会人ナンバーワンと評された田中俊雄を、それぞれ指名する。

 単独指名に成功したのは、宣秀大学の関根清和を指名したオーシャンズと、東海地域では名の知られた大学生を指名したレイカーズの二球団であった。

 因みに。

 小市を名古屋ドルフィンズに、天野を阪南ブルズに、田中を南紀ハリアーズに獲られた他の球団は次善の策である外れ一位を指名するが、またも競合指名が発生する。

 代々木スターズと東京ファルコンズが、東大阪大学の西川剛を同時指名したからだ。

 抽選の結果はファルコンズの勝ち。

 又もや敗れたスターズの首脳陣は急遽、三位指名の予定であった豊川学院高校の中尾尚行を繰り上げる決断を下す。

 参加者の誰もが予想していた以上に、初っ端から波乱含みで始まった1986年のドラフト会議。

 尚、レイカーズの指名は以下の通りである。


 一位指名、西村幸広、投手、東海工業大学。

 二位指名、森尾良二、投手、MOMOフーヅ。

 三位指名、岩永哲也、捕手、殖産大学光陵高校。

 四位指名、小野坂耕一、内野手、肥後工業高校。

 五位指名、川合猛斗、投手、県立高崎中央高校。


 以上の結果を絵本が知ったのは翌日の朝、選手寮の食堂であった。



「キンタロー、えらいこっちゃ!」


 六人掛けの食卓に新聞を広げた絵本は、史実とは異なるドラフト会議の内容を目にした途端、思わず飲んでいた御茶を吹き出してしまう。

 対面席に座っていたが故に霧吹きの被害者となってしまった金月は、いつの日かきっと腕に嵌めた時計とその贈り主の額とどちらが頑丈か試してやると心に誓い、食卓の下でそっと拳を握り締めた。

 そんな事など露知らず、両手で押し広げた新聞を覗き込みながら譫言のように“大変だ”を何度も繰り返す絵本。

 もう何やねんこの人、と金月が顔を拭いた布巾で飛沫の散った机を綺麗にしていると、絵本が不意にガバッと顔を上げた。


「何でこうなったんやろう!?」


 問われても“知らんがな”としか答えようのない金月は、無言で首を左右に振る。

 しかし、心の中ではちゃんと正解をぼやいていた。

 多分アンタの所為ちゃうか……知らんけど、と。

 ドラフト会議が気になられました御方はウィキペディアの検索ワードに、

 1986年度新人選手選択会議

 と入力してお調べ下さいませ。

 ドラフトって答えを知ってから見ると、全く別の世界が見えてきますので。

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― 新着の感想 ―
[一言] 小説まとめサイトに紹介されていましたので興味をもって一気に全話読みました。面白いです。 >金月の目標 彼からすれば「先輩ビール一本でもう酔っ払ったんか?」 じゃないですかねwまだ目の前の事…
[良い点] 一気に読ませていただきました。当時西武ファンの子供だった自分の記憶にある時代なので絵本の空気を読まない暴れっぷりが心地良いです 特に金月はモデルの選手のファンだったので大人になってから西武…
[気になる点] 主人公の防御率がとてもよく、そして負け試合ばかりに投げさせられてる割に3勝3敗という成績・・・どこで3敗もついたの? そもそもこの防御率でよくこのシーズン最後まで敗戦処理ばっかだったな…
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