入団2年目「人は誰しも大人になる前に、青春なる期間を過ごす」Bメロ
侍JAPANの金メダルには、思わず拍手喝采でした。
さて、今回は超難産でした。更新が遅くなり誠に申し訳ございません(平身低頭)。
言い訳は、最新の活動報告にて。「長らくお待たせ致しました。」を参照あれかし。
誤字誤表記を訂正致しました。御報告に感謝を!(2021.08.14)
思い返すまでもなく悔いだらけであった前の人生。
その一つは、寿命がオリンピック開催の前年で尽きた事だった。
……後一年寿命があれば、十二年振りに正式種目に復活する野球競技が観られたのになぁ。何とも惜しい事をしたものだ。
日本代表は念願の金メダルを獲得したのだろうか?
今の人生では十全に体をケアして、何としてでも観戦しないとな!
野球をギャラリーではなくプレイヤーとしての方での後悔もまた山とあるが、要約すれば次の四つだろうか。
俺の持ち味であったコントロールにもっと磨きをかけていたら。
速球勝負への拘りを早々に捨て、もっと多くの球種を会得していれば。
球威を上げる努力を惜しまなかったら。
怪我をせぬ体作りを入団時から心がけていれば。
そんな四つのタラレバに気づいたのは、打撃投手となってからだった。
どうして球団から馘を言い渡される前に気づけなかったのだろうか、と返す返すも悔やまれるが、思いも寄らず再チャレンジの機会を与えられたのだ。
今の俺がすべきはクヨクヨする事じゃない。
前世で足らなかった学びを、間違ってしまった選択を是正するのだ。
より一層コントロールに磨きをかけ、記憶と体に馴染ませた様々な球種を実践に耐えられるものとし、更にもっと球威を高め、何よりも体作りに慎重を期さなければ!
ドラフトで選ばれた直後から思いつくままに思いつく限りの事に挑戦し、プロ一年目でそれなりの結果と方向性が定まったのは望外の喜びだった。
正直言って、もう少しかかると思っていたからだ。
シーズン終盤での一軍登録と日本シリーズへの出場は少々出来過ぎのような気がしたが、選択肢を間違えずに学んだ結果への御褒美なのだろう、きっと。
さてその日本シリーズの開幕セレモニーでの事。
国歌斉唱を聞きながら俺は滂沱と涙を流してしまった。
声を殺していたからバレていないと思ったのに、江原投手ら先輩達に“シリーズ出場がそんなに嬉しいのか”と、散々揶揄われてしまったが。
ちゃうねん、そやないねん。
本来なら真夏の夜の悪夢と言うべき史上最悪の航空機墜落事故で死すべき運命であった国民的歌手が、美しくも朗々と『君が代』を歌い上げていたからだ。
あの人の命を救ったのだと実感した瞬間、涙が止めどなく溢れてしまったのである。
俺自身の人生は能動的な行動で大きく変えられた。前世では夢でしかなかった最高の舞台でマウンドに立てたのが、その証左だ。
残念ながらチームは二勝しか出来ず敗れてしまったが、俺には十分過ぎる栄誉であった。
そしてベンチ前に並んで、日本一の称号を得た大阪サンダースの優勝セレモニーに拍手を送っている最中に、ふと思ってしまったのだ。
もしかしたら自分のみならず他者へもより積極的に関われば、他者の人生もより良い方へと上書き出来るんじゃないか、と。
自分の人生なら兎も角、他者の人生を改変するだなんて大それた事を……と思いはしたが、既に墜落事故はキャンセルされてしまっているし、事故死する筈だった五百名以上の乗員乗客は今も何処かで元気に過ごしているだろう。
俺が直接働きかけたアメリカ在住の従兄も、本来ならばジャーナリストとして一向に芽が出ず早々に廃業していた筈なのだ。
それが今やそれなりに名前の通ったジャーナリストとして、仲間と共に全米を飛び回っている。
先日届いた手紙には、航空業界のみならず進展著しい宇宙産業も取材対象にしようとしていると熱い抱負が綴られていたっけ。
たった一回の電話での会話だけで従兄の人生は大きく変わった。ならばもっと直接的に、長期に亘って関与すれば他者の人生は劇的に変化するんじゃなかろうか?
寮へと戻る道すがら念頭に浮かべたのは一人の男の事。
俺がプロ野球選手となる道程に立つ切っ掛けを作った男、金月和博である。
金月の名前を最初に知ったのは、地元のリトルで三番手投手だった時の事。
泉南地域に凄い奴がいると噂に聞いたのだ。噂を教えてくれたのは、練習試合で対戦した相手チームの先発投手だった。俺よりも背が高く速い球を投げ、ウチのチームを簡単に抑え込むような奴が、ポンポンとホームランを連発されたと口を尖らせる。
世の中には凄い奴がいるんだな、と幼心に思わされたっけ。
金月の存在をはっきりと認識したのは中学生になってから、野球部の二番手投手だった時だ。
第一印象は、顔も体も態度もデカイ、である。
少し前までランドセルを背負っていたとは思えぬ堂々とした歩みでバッターボックスに入るや、ウチのエースの球をバットでガツン。打球は真っ直ぐに、レフトを守らされていた俺の頭上を遥かに超えて行きやがった。
一歩も動かずに飛んで行く打球を見送った感想は、天才ってスゲーなぁ、の一言。
右上を突き上げながら満面の笑顔でダイヤモンドを一周する金月の姿に、別世界の人間じゃなかろうかと思ったっけ。
だが、後の三打席を凡退するのを見てそうじゃない事に気づく。
幾ら天才でも全ての打席でホームランをかっ飛ばせる訳ではない事に。
俺の野球人生において、その試合は大きな転機となった。
ウチのエース以上に努力すれば、もしかしたら俺レベルでも天才と互角に戦えるのかもしれないと、胸に希望が湧いたからだ。
その日から俺は、練習の虫となった。
金月と初めて対戦したのは、高校2年の時だ。
球速を上げるよりも確実に打者を仕留める術を習得すべく努力した証として得た背番号1で臨んだ、夏の大会地区予選。
四苦八苦しながら勝ち上がり辿り着いた準決勝戦での相手は、府下のみならず全国的にも優勝候補筆頭と下馬評に上がるBF学園。
一年生ながら四番を任されている金月を打席に迎えた時、俺は改めてこの世の理不尽さを思い知らされたっけ。
どれだけ牛乳飲んでもプロテインを摂取しても得られなかった類まれな体格が、もしも投手であったならばいとも簡単に150㎞を計測したのではと思わせるボディが、目の前でブンブンと素振りをしていたからだ。
おぼこい顔をしながらえげつない音を立てる金月に、正直言って嫉妬した。
生まれついてのスーパーヒーローみたいな見かけをしやがって、この野郎と。
十把一絡げ、一山幾らの選手である俺とは、何もかもが違う。
ああ、これがオーラってヤツかと嫌でも理解させられたっけ。
だが、俺にも意地があった。
何の為にこれまで苦しい思いをして練習して来たのか?
それは生まれ持った身体能力と感性のみでプレイする奴らを見返す為だ。
エースとは、最適の手段で最高の結果を導き出す者にのみ与えられる称号だと俺は思っている。俺はその太子学園高校の……何代目だかのエースなのだ。
スーパーヒーローになんか負けるものかよ!
“お前ならやれる、多分な!”と、投手だったリトル時代に金月にボコボコ打たれた経験を持つ二塁手が、発破をかけてくれた。
ケンジの心許ないエールを背に、矢鱈と眩しく見える金月を見据えながらわざと速球勝負を選択し、そして挑んだ。
速球を待っている奴に望み通りの球種を投げ込むなど愚の骨頂だが、打ち気を外しずらせば抑えられるのは経験則から学習済み。
微妙に投げるタイミングとリリースポイントを変化させ、高目と低目、内と外のコーナーを正確に突けば、速球は只の速球ではなくなるのだ。
ファールを打たせ、見逃しを誘い、空振りさせた四打席。
全て異なる速球で俺は金月をねじ伏せてやった。
まぁその結果、延長戦で力尽きノーマークの九番打者にサヨナラHRを打たれて負けたのだが。
それからも何度か対戦したが、毎回俺は金月にわざと真っ向勝負をしかけてやった。最初の対戦と同様、内角高目と外角低目だけを攻める、絶対に打たせない真っ向勝負を。
コーナーを突く渾身の速球を、天性の才能だけで野球をしている金月はただの一球もバットの芯で捉えられなかった。
野球部を引退するまでの間、シャカリキになって“甲子苑の怪物”を退治し捲った結果、俺はドルフィンズにドラフト指名される。
一度も甲子苑の土を踏む事の無くプロとなれたのは、金月の御蔭と言っても過言じゃないだろう。口に出すのも恥ずかしいから絶対に言わないけどな。
俺の野球人生において最大の恩人である金月とはプロ入り後、進路も人生も一切交わる事なく関係は終わってしまった。
元々がこっち側からの一方通行な縁であったのだから仕方がないのだけれど。選手としての立場もピークも俺の方は下がる一方だったし。
こっちは二軍で燻るその他大勢、向こうは球界を代表する四番打者。
高校時代とは立ち位置やら何やら全てが逆転した相手に対し、過去の関係性を持ち出して気軽に声をかけられる程、俺は厚顔無恥じゃない。
後にFA資格を得た金月はギャラクシーズへと移籍するが、その頃の俺は一介の打撃投手。同じエ・リーグ所属とはいっても格差は益々広がるばかり。
月を仰ぎ見るスッポン的な気分だったなぁ。
そして通算安打を2000本の大台に乗せた金月が“天球会”に名を連ねた年のシーズンオフ、俺は体力の限界を理由に長年着続けたユニフォームを脱ぐ。
擦れ違いどころかまともに顔を合わせる機会もなかった現役時代。
せめて退団の際に“有難う”の一言が言えるくらいの立場になれていたならば……。
金月が現役引退を公表したのは手探りで始めた水商売が軌道に乗り、常連客も増え出した頃。俺にとっては何処か遠い世界のニュースのようであった。
そして腹部に違和感を覚え、主治医の紹介で行った国立病院での検査で癌が見つかった日の事は、今でも忘れられない。
“薬物の不法所持により金月が逮捕”された日でもあったからだ。
幸いにしてその時の癌は大事にならずに済んだが、金月の方はそうではなかったのは周知の事実。執行猶予が付いたものの、実刑判決が下されたのだから。
それからの事はあまりよく覚えていない。
克服出来たと思っていた癌の再発。店を畳んで治療に専念し、余命宣告を受けた後は終活の準備と、自分の事で一杯一杯だったからだ。
金月は社会復帰出来たのだろうか?
ハマの守護神こと坂口主浩ら親しい仲間達の支援があるから大丈夫だとは思うが……。
いや、抑々だ。
薬物を乱用する羽目に陥らなきゃ良いのだ。違法だろうが脱法だろうが合法だろうが、薬物に依存したり常飲するのは本来、体には良くないのだから。
黄色と黒は勇気の印じゃなくてスズメバチと同じ危険の兆候、24時間連続で戦ったら殺される前に死んでしまうわ!
……それは兎も角。
今世では何とかして金月を薬漬けから救済してやりたいものだ。救済……といえば、青汁か。どうせ摂取するなら青汁だよな。健康に良いし。
後はどうすれば青汁漬けに出来るかだが……幸いにして前世と異なり俺と金月はチームメイトとなる。
まだドラフト前だから決定ではないけれど、歴史が捻じ曲がらない限り金月はドラフト1位でレイカーズに入団するに違いない!
……歴史、捻じ曲げちまってるなぁ。まぁ大丈夫だろう、多分。
取り敢えず史実通りに金月が入団するという前提で考えを進めよう。もしも違ったら、またその時に考えるしかないしな。
さて、どうすれば金月の転落ルートを改変出来るのだろうか?
やはり年長者による指導……しかないよな。
前世での金月に纏わる事柄を思い出せば、同級生や後輩から慕われていたってエピソードは多いが、年の離れた先輩達に可愛がられたって話はそれほど多くないのだよなぁ。
つまるところ、入団してから退団するまでの間、先輩による躾や指導をあまり受けず仲間内だけでワイワイやっていた、って事なのだろう。
だから金月はずーっと野球少年のままだったのかもしれない。
ずば抜けたとは言えないが、球界と時代を代表する強打者であるのに、引退後に指導者の芽がさっぱりなかったのは、精神的に苦労知らずのボンボン気質が是正されなかったからに相違ない。
ミスタープロ野球のジュニア、のように。
ならば、例え嫌われようとも俺がガツンとやってやるべきだよな。それが俺をプロへと導いてくれた金月への恩返しになると信じてさ。
だがいきなりガツンは幾ら何でも拙かろう。
先ずは入団を祝福する手紙でも書くとするか。到着はドラフトの二日後くらいでいいか。
最初は距離を縮めるところから、高校時代の疎遠を反省しつつ不信感を与えぬように、と。少しでも俺の事を意識してくれると良いけどな!
金月の入団が決まった!
これで次の段階に進めるぜ。……どうやって進めようか、などと考えていたら森山新監督から直々に電話があり、御指名を受けた。
公認で金月の世話係ですと!?
さぁ、どうしてやろうか、どうしてくれよう、やはりバールのような物で闇討ちするようにガツンとかますべきだろうか?
うーむ……よし、監督公認なのだから遠慮は無用、少し大げさにかまして上下関係をDNAレベルにまで刷り込んでやるとしよう。
ファースト・インパクトは大事だからな!
キャンプが始まる前の一月は自主トレ期間だ。
卒業式を迎える前に早々に選手寮へと入った金月へ、無事に先輩後輩の上下関係を植え付けるのに成功した俺は、金月改造計画を着々と進める事にした。
健全なる精神は健全なる身体に宿る、とか何とか。
であれば、その健全なる精神を宿らせる為に健全なる身体とやらを授けてやらねば。そう思った俺はトレーニング研究の先生や仲間に連絡を取り、金月に最適なトレーニング方法を編み出してもらえないか、と依頼する。
本人の首に縄付けて先生らの元へと引っ張って行きたいところだったが、先生らも金月も何かと忙しくタイミングが合わない。
仕方がないので球団編成部にお願いしてBF学園時代のビデオテープをダビングしてもらい、参考資料にと先生らの元へと発送する。
キャンプまでに何とかとしてくれたら有難いが、時間的に難しいかもなぁ。
さてキャンプが始まった。
金月のお目付け役という特典の御蔭か、今年は一軍キャンプに参加である。ラッキー、ラッキー、有難や。
これで歴戦の猛者達の調整法や投球術、卓越した配球の組み立て方が間近で学べるぜ。嬉し過ぎて万歳三唱だぜ。
監督との面談はガチで緊張したが、前世から持ち越した悔恨と反省点が山とあり、言いたい事も山とあったが概ね伝えられたと思う。
金月の事にまで言及したのはやり過ぎだったかもしれないが、御指名されたのだからお目付け役としての役割は果たさないとな。
キャンプ第二クールがスタート。
最初にガツンとかましたのが効いたのか、金月は此方が驚くほどに従順である。あまりにも唯々諾々と俺の指示に従うのが何だか少し不気味だ。
監督やコーチが協力的過ぎるのも何故だろう?
……金月改造計画を推進したい俺としては有難い限りなのだが。
しかし金月相手に投げるのは久々だなぁ。
どてっ腹に思いっきり当ててやりたいくらいに的がデカイから投げやすいわ。当てないけどな。当ててみたいが、我慢我慢。
当てないように細心の注意を払って、当たりそうな所に投げないと。
それにしても、この練習って金月よりも俺の方が得なんじゃないかな?
コントロールの練習に最適じゃないか!
これからも積極的に投げさせてもらうとしよう!
オープン戦が終わり、さぁ今シーズンの開幕だ!
開幕戦の相手は南紀ハリアーズ。前年度最下位のチームであるが、油断は出来ない。相手の先発は山崎孝徳投手で、こちらは日高修投手。
両先発の投げ合いで接戦になるかと思いきや、四本のホームランが飛び交い終わってみれば、4対5の辛勝。やはり強打のハリアーズは手強い。
終始レイカーズのリードだったので俺に出番は無かったけれど。
因みにオープン戦前半は絶不調で、後半に漸く持ち直した金月も出番は無し。
そんな俺達に出番が回って来たのは早くも翌日の事。
先発した若林久信投手がハリアーズの強打に5回でノックアウトされ、試合は負けモード。7回表に登板した俺は1イニングを無失点に抑えたが、劣勢は変わらずで。
だが希望らしきものが見えたのは9回裏。加藤晋作選手の代打として名をコールされた金月が、プロ入り初打席で2ランをかっ飛ばしたのだ。
それも、あわやデッドボールかという藤谷修二投手の内角攻めを避けた直後、外角ストレートを踏み込んでの会心の一撃。
小さくガッツポーズをしながらダイヤモンドを一周した金月をベンチ前で迎えた俺は、ハイタッチの後で力一杯尻を叩いてやった。浣腸じゃないぞ、張り手だぞ。
やったな、金月!
試合は結局負けたけど、130試合を戦う中では小さな出来事。
だが今日のホームランは、新人王を記録尽くめで獲り球史に名を残す男の偉大なる第一歩なのだから。
明日は目にもの見せてやろうぜ!
翌日もレフトスタンドへ特大アーチを放ってチームの勝利に貢献した金月は、二日後の東京ファルコンズ戦からスタメンに名を連ねる。
打順は8番だったけど。
幾らデビュー直ぐに豪打を見せつけたとはいえ、高卒新人なのだから至極当然で。俺が監督であっても、直ぐには主軸を任せたりはしないし。
何せ我がレイカーズには、好打の伊倉宏典選手やベテランの緒方卓司選手もいるし、俊足とパワーを兼ね備えた浅川幸二選手に新助っ人のブロデリック選手もいるのだから。
先ずは下位打線でじっくりしっかりと実績を積まないとな。俺だって敗戦処理で実績作りに邁進中なのだもの。
五月になり、チームは勝ったり負けたりで勝率は五割を切っていたが、金月は打順を一つ上げて7番となった。
打率は中の下ラインだが、ホームランを含め長打率が高いのは絶賛しよう。三振も多いがしっかりとバットを振ってならば、それは強打者の証。批判するに及ばずである。
一方で俺は、可もなく不可もなし。
敗戦処理って役割も相変わらず。ほどほどに登板機会があり、そこそこ打たれながらも、まぁまぁ抑えている。
勝ち星には結びつかなかったが、逆転勝ちにも二回貢献しているし。
何れは“勝利の方程式”の一員になってみたいものだけど、俺よりも良い成績の投手は他にもいるので、当分は今の役目を粛々とこなしましょう。
そんなこんなでゴールデンウィークの連戦で汗水流していた頃に、筑波の芝山仁先生から連絡があった。金月に最適なトレーニングを施す為には、実地の見分が必要であると。
二勝二敗であった大阪での四連戦の後、本拠地に神戸ブレイザーズを迎えるまで三日間の空き日があるので、その二日目の午後に打ち合わせをする事となった。
さて約束の日。
レイカーズの練習場に揃ったのは俺と金月と芝山先生以外に、大輝コーチとチームトレーナーと、助手ポジションの箕輪英治氏と何故か貞本拓也氏の計七名。
俺と同じく受講生でしかないのに何故と貞本氏に尋ねたら、面白そうだからとの事。実際は芝山先生の送迎を務める序での参加だそうな。
未来の著名トレーナーも、無名の今はアッシーくんか。
それは兎も角、金月改造計画だ。
先ずは金月を海パン一丁にひん剥いて、全力での素振りをさせる。芝山先生はビデオを構え、箕輪氏と貞本氏はゴツめのカメラで前と横から連写。
大輝コーチはバットスィングに逐一指摘を入れ、トレーナーは筋肉の動きを具に観察してはメモを取っていた。
本日の俺の役割はセッティング担当なので、今は特にする事がなく只の傍観者である。
……ほぼ全裸の青年を囲んで中年のおっさん達があれやこれやしている様は、何だか不健全な特殊ビデオ撮影会のようで。見てはいけないものを見せられている気になってきたぜ。
だって聞こえて来るセリフが“腰の使い方が甘い”だの“どこまでしなやかさを保てるか”だの“太腿が”とか“肩甲骨のラインが”とかだもの。
マスコミに見つかったら絶対に誤解されるよなぁ、これって。
一応、練習場の入り口は施錠しているし、“立ち入り禁止”の張り紙もしているから大丈夫だと思うけれど……ねぇ?
検討会は二時間ほどで終了。関係者間で名刺交換も行われ、今後も密接に連絡を取り合う旨の申し合わせがなされ、お開きとなった。
芝山先生と箕輪氏は新たな研究材料が得られてホクホク顔、大輝コーチとトレーナーは新たな知識に接してニコニコ顔。
貞本氏に至っては着ていた真っ白なTシャツの背中に金月からサインを貰って、子供みたいにはしゃいでいやがる。
金月も、自分の事を真摯に考えてくれる大人達に接したのが嬉しかったのか、いつもよりも表情が明るくなっていた。
そんな金月の姿に、今日の機会が彼の野球人生においてエポックメイキングとなる事を念じつつ声をかけた。
早う服着ろよ風邪引くぞ、と。
時は移ろい気づけばシーズンの前半戦が間もなく終了を迎える。
チーム内外からの様々な手厚い支援の御蔭か、金月のホームランは20本を超えていた。打順の兼ね合いの所為で約半分はソロだけど。
試合を重ねる毎に内角攻めは厳しくなり、避け切れずにデッドボールを食らう事は侭あれど、それで調子を崩すこともなく挫ける事もなく。
当初の想定以上に、金月の成長は目に見えて勢いを増していた。
キャンプの頃は嫌々やっていた太極拳やストレッチも真面目に行うようになり、怪我に屈せぬ体作りに余念なしである。
驚いたのは内野の要である鶴選手との連携プレイにも意欲的であった事だ。
しかも守備練習に至ってはファーストだけではなく、浅川選手と一緒にサードの特守にも志願するとはなぁ。
内角攻め対処の特訓も真剣さが増しているし、オーバーワークにならぬよう上手く導いてやらないとなぁ。怪我をしない為のトレーニングで怪我をしたら本末転倒だもの。
新人ながらファン投票一位で選出されたオールスター戦でも、金月の勢いは衰えを見せなかった。
第1戦で七回に代打で登場するや、ギャラクシーズの上條初投手からオールスター初打席でレフト前ヒット。
第2戦では横浜ウィザーズのエース江川一彦投手から、何とワ・リーグを勝利へと導く決勝ホームランを放ち、MVPに選ばれたのだ。
前世でも金月は“お祭り男”とは呼ばれていたけれど、その萌芽は新人の頃からあったのだよなぁ。
第3戦では広島キャナルの辻谷恒美投手の剛速球の前にクルクルと空振り三振したのも、良い経験になっただろう。
幾らお祭りゲームでも真剣勝負には変わりないからな。悔しかったら日本シリーズで借りを返せよ、尻に卵の殻をつけた永遠の野球少年君。
……早く野球少年を卒業して、一人前の野球選手になってくれよ金月和博、いや、キンタロー!
今年もモニター越しに眺めるだけであったオールスター戦が終了すれば、直ぐにシーズンが再開だ。
今日からは葛井寺球場を戦場にしての首位決戦第一ラウンド、阪南ブルズとの三連戦だ。
試合前のミーティング。気合十分の俺達の前に立つのは大輝コーチ。
先発が予想される丘和義投手とブルズ中継ぎ陣の最新の成績と、推定されるコンディションの説明をざっと受ける。
選手個々の能力は高くとも実は結構穴だらけで、特にサードの金丸義明選手とショートの室井隆行選手は守備に難ありなので積極的に三遊間を狙うべし、だそうな。
次は弥永コーチによる投手陣へのレクチャー。
ブルズは好不調の差が激しいのが玉に瑕の打線だが一番の大原大二郎選手、二番の荒木宏昌選手以外は全員がフルスイングしてくるので、油断ならないのだよなぁ。
厳にマークすべき打者は後半戦も絶好調の四番デイラー選手の前後、つまり三番と五番か。どれだけ打線を寸断出来るのか、それは先発の左腕に全てかかっている。頼みますよ、桑島公康投手!
そしてミーティングの締めでは森山監督が、まるで落語家の小咄のように思い出語りをひとくさり。
前世での記憶だと、何事においても言葉少なであった森山監督なのに今世では多弁とまでは言わないものの、積極的に話そうと努力されている。
思い出語りの内容は主に監督の現役時代、球史に燦然と輝く東京ギャラクシーズの9連覇時代の事だ。但し、自慢話や苦労話などではない。どちらかといえば、失敗談ばかりだ。
先日は日本を代表する大エース、勝部正一氏とバッテリーを最初に組んだ時に配球を間違え負け試合となった時のエピソードだったっけ。
半ば生きる伝説となっているミスタープロ野球こと長門茂雄氏や、世界のホームラン王の大平貞治氏も、監督の記憶の中では偉人ではなく等身大の人間だったりするのだ。
完全無欠のヒーローが集った銀河軍団も、怪我に苦しみスランプに悩んだ末にV9を達成したのだなぁ。
今日の監督の思い出語りは、V9を阻もうと立ち塞がったライバル達の一人、60年代当時に大阪サンダースのエースであった村井実氏についてであった。
フォークボールの名手として名を馳せた村井投手も、怪我に悩まされ泣かされ続けの野球人生であったそうな。
血行障害や肩痛を患いながらも投げ続け、昭和40年には春季キャンプで利き手の手首骨折まで負ったとの事。
しかし逆境にめげず、骨折から復帰するやいなやオーバー・スリークォーター・サイドの三段階投球法を試合中に展開しては強打者好打者を片っ端から翻弄し、1点台の防御率で最多勝と最多奪三振を記録する。シーズン終了後にはベストナインと沢村賞にも選ばれたのだそうな。
……ギャラクシーズナインだけじゃなくライバル達も超人だったとは!
偉業の二文字では語り尽くせぬ仰天エピソードにポカンとする俺達を、森山監督は心底楽しそうな表情で見渡す。
「人間業とは思えぬバケモンじみた話だろう?
確かに今振り返ってみたら私もそう思う。ようあんなバケモンと戦っていたなと。
それに比べたら、お前達は気楽なもんで実に結構。今の球界にバケモンはおらず、人間しかいないのだから。
今日の対戦相手も、どこにでもいる普通の人間でしかない。
甘い球でも打ち損じるし、10球に1球は絶好球を投げてくれる、自分達と同じ人間や。
変に気負わず、キチンと練習の成果を出せば勝てる相手だ。以上!」
監督の言葉で適度に気合が抜けたその日の試合は初回からレイカーズ打線が火を噴き、8対3で見事に快勝。
ブルペン待機の俺は、投球練習をする事もなく終始ダラダラと観戦モード。八番に打順を下げられたキンタローが久々に放った2安打へ拍手を送るぐらいしかする事がなかった。
尤も、呑気でいられたのは初戦だけで。続く二戦目三戦目は乱打戦となり、俺は二連投する羽目に。終わってみれば1勝1敗1分けの痛み分け。やはり怖いわ、ブルズ打線。
特に9対9で引き分けとなった第2戦。ブルズの9点目は、5回から緊急登板した俺が献上したものである。まさか、ブルズ打線で最もパンチ力のない荒木選手にホームランを打たれるとは!
あわや敗戦投手かと思ったが、それを帳消しにしてくれたのはキンタローの24号ツーランだったりする。後で何か御礼をしないとな。
ブルズとのデッドヒートはシーズン終了間際まで続き、決着したのは何と129試合目。ブルズが神戸ブレイザーズに惜敗し、桑島投手が川崎オーシャンズを完封した夜の事である。
その試合で初めて四番に座ったキンタローがかっ飛ばしたホームランは、新人本塁打記録31本を大幅に更新する37号となった。
……あれ?
前世の記憶が確かなら、金月の新人本塁打って最多タイの31本じゃなかったっけ?
何でしれっと6本も多く打っているんだ?
打率も確か最終戦で三割を漸く超えたくらいだったはずなのに.319と堂々とした数字であるし、打点も後少しで100に届きそうな90オーバーだし……。
ブロデリック選手に代わって四番打者になっているし……ってのは前世と一緒……だったかな?
まぁ良しとしよう。
今は兎も角、就任初年度で優勝を勝ち取った森山監督の胴上げだ!
本拠地での優勝決定とあって武蔵野球場は、もうお祭り騒ぎだ。
客席を埋め尽くしたレイカーズ・ファンは声も嗄れろとばかりに万歳万歳の大合唱。
数え切れぬほどの紙テープが投げ込まれ、宙を舞う紙吹雪がグラウンドとスタンドをカラフルに彩る。まるで球場全体が満開の花園のようだ。
振り仰げば夜空は、つるべ打ちに上げられた花火が鮮やかな極彩色に染めていた。
レイカーズ・ナインもまるで子供のように大はしゃぎ。
広川前監督の呪縛から解き放たれたのだから喜びも倍増……なのかも。満座に笑顔の花が咲くとは当にこの瞬間の事だろう。
胴上げが済めば誰彼ともなく抱き合っては握手、握手、握手である。
ブルペンで苦労を分かち合った増山雅之投手に良くやったと頭を叩かれ、長沢保投手に背中を叩かれ、開幕前のトレードで名古屋ドルフィンズからやって来た市川則紀投手に尻を叩かれ……。
あれ、握手は? と思ったら、夏場以降に抑えとなった徐泰源投手がそっと右手を差し出してくれた。ああ、心の友よ。俺の方が五歳下だけど。
尻の痛さで潤む目尻を拭いながら俺も右手を差し出せば、何故か徐投手の右手は俺の首をガッチリとホールドする。ブルータス、お前もかい!
そして更に叩かれる俺の尻。チラリと視界に入ったのは、日高投手と桑島投手のやんちゃ師弟だ。あ、若林投手まで加わりやがった。俺の尻は太鼓じゃねーぞ、誰か助けて、ヘルプ・ミー!
不意に解放された俺は強引に別の誰かに抱き留められる。これで俺が可憐な乙女ならば一発で恋に落ちる所だが、生憎ながらオッサンだ。ガタイの良い野郎に惚れる趣味など1ミクロンもない!
何処の誰だか知らないが、助けてくれて有難う……ってキンタローかよ。流石は俺の舎弟だな、褒めて遣わす、余は満足じゃ。
「絵本さん!」
「何やキンタロー?」
「わし、野球やってて良かった!」
「お? おお、そうか、そりゃ良かったな」
「今まで生きてた中で今が一番幸せですわ!」
待て待て待てコラ、お前は最年少の金メダリストか、おい?
と、ツッコもうとした瞬間、キンタローの馬鹿力全開のベアハッグを喰らった俺は窒息寸前となる。
タップタップ、タンマタンマ、ギブギブ、超気……持ち……悪ぃ…………。
オリンピックが終了し、甲子園大会が始まり、24日からはパラリンピック。
疫病禍・炎天・集中豪雨と、素直にスポーツを楽しめぬのが辛いですね。
物故者の方々の御霊の安らかなるを祈念して合掌礼拝。
被害者罹災者の方々に早く安穏が訪れますように。