1.
「おーほっほっほ……そうねえ、もう少し声を高くするべきかしら」
屋敷中に響き渡る高笑いが使用人たちを怖がらせるなか、部屋の中であーでもない、こーでもないと一人ごちている者がいる。カカロット王国、ライアンド公爵家のご令嬢のアリア・ライアンドである。筆頭公爵家で、幼少期に王太子と婚約をしたことから次期王妃は彼女がふさわしいといわれている。社交性に富んでおり、ダンスや刺繍は一流の腕を持つ素晴らしい令嬢。アリアはその燃えるように紅い髪と目にちなんで『紅玉嬢』と称えられた。
しかし、アリアに近しい人物だけが知っている。次期王妃候補であるにもかかわらず、アリアはやや性格に難があるということを。
例えば、友人のお茶会に参加したとき、突然立ち上がって「今日は人を叩く練習をしなければならないのですわ……!お先に失礼いたしますわ!」と言って嵐のように屋敷へ戻ってしまったということがあった。
他にも、婚約者の王太子に初対面で妙に黒い笑みを浮かべてみたり、ドレスを侍女からもらいビリビリに破いたり等々さまざまな奇行が確認されている。
しかし、アリアはそれらに明らかな目的を持っている。
それは「悪役令嬢になる」ということだ。
アリアは、かのラノベでありがちな異世界転生を果たしている。第二の人生では、前世で死ぬ直前まで楽しんでいた乙女ゲームの世界へやってきたのだ。最初こそ死んだショックも大きかったが、せっかくまた生きることができるのだから落ち込んではいられないと現世に馴染んでいった。
アリアは悪役令嬢に生まれ変わったことに絶望はしなかった。別に悪役令嬢が悲惨な終わりを迎える訳ではないからだ。むしろ、運が良いといえるもので、悪役令嬢は商会の跡取り息子と結婚する。それをアリアが「王妃の立場より全然良い!」と考えたため、悪役令嬢になることにしたのだ。
花嫁修行ならぬ悪役令嬢修行のリミットはヒロイン召喚まで。いよいよ明日だ。
「アリア!何をやってる!その高笑いで全く仕事に手がつかん!!」
「あら、お父様」
部屋を激しくノックし、入ってきたのは公爵だ。公爵は娘の奇行に悩む一人。この国の宰相であり、優れた人材として重宝されている。
「せっかく屋敷へ戻って仕事ができるというのに、娘がこれだと心配で夜も眠れぬわ……」
「どうせ夜まで仕事で眠るつもりなどないでしょう?私は明日のことの方が心配ですわ……。異世界人の初召喚、準備は大丈夫なのでしょうか」
公爵の目の下のくまが徹夜の辛さを物語っている。
アリアは公爵の返答を促す。
「安心しろ、準備はできているはずだ。新たな風を、という王家からの提案だ。魔術師たちも失敗するような真似はしないだろう。……アリアよ、何か企んではないだろうな……」
最後に嘆かれた言葉にアリアは無言の笑顔を返した。すると、公爵は少したじろぎ、一つため息をついてから部屋を出ていった。
それからはアリアの高笑い練習の禁止が出てしまったため、部屋の隅に立たせていた侍女に紅茶を入れるよう頼んだ。侍女の入れた紅茶ではやる気持ちを落ち着かせる。
「王国の新しい風、ね……。この王国は多文化主義であるから独自の文化が少ない。輸入に頼るばかりだから異世界人が必要。私にとっても……。確実にこちらへ来てもらわなくてはね」
その新しい風は婚約破棄のために大いに必要なのである。失敗されては堪らない。
なのでアリア、召喚失敗が万が一、億が一にでも起きないよう、知り合いの魔術師に「念入りに確認するように」と書簡で送った。
この助言によって、まさか召喚魔法陣の改良に成功するなどアリアは知るよしもなかった。