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SR満州戦記2  作者: 異不丸
第一章 八月一一日
9/33

五 新京


国都新京、中央通


 関東軍総司令部では、作戦会議が行なわれていた。総司令官、総参謀長、第一課長から第四課長の、全員が出席したのは久し振りだ。六日のソ連侵攻から数えると、二回目である。この五日間、混乱が続いて、一堂に会することができなかった。最初は大本営が混乱していて、意思疎通が不足した。

 国境での応戦を可能にするために、総司令部は『戦時防衛規定』と『満州国防衛法』を発令し、『国境警備要綱』を破棄した。それは、午後になって、混乱が収まった大本営から追認された。そして、大本営陸軍部命令と指示が続々と入電した。

 大陸命第一三七四号は、全面的対ソ作戦の発動準備を命令するものであったが、朝鮮の第一七方面軍を関東軍隷下におくとあった。また、大陸指第二五三六号には、支那派遣軍からの対ソ充当兵力・資材を南満州へ送るとあった。

 援軍が得られた、増援が来る。すなわち、当初計画に従って通化での持久である。総司令部の誰もがそう思った。複郭陣地で篭城し、満州南部と朝鮮を防衛するのだ。作戦主任参謀は即時の移転を主張したが、まだ準備命令であり、行動開始は発動命令まで待つことになった。


 七日朝、待望の大陸命第一三七八号が入電した。全面的対ソ作戦の発動である。ところが、これを全軍に打電した直後に、新京に空襲があった。総司令部の建物には防空壕が一つもない。やはり新京は危険であると、移転開始が決定され、先発隊が出発する。

 通常は、司令部に地下設備を設けるか、別な場所に戦闘指揮所を設け、いつでも使用ができるように準備しておくものだ。そして開所の指令と同時に連絡通信系統を切り替えるのである。しかし、通化には何もなかった。無線機も電話も、地下壕も、ただいま建設中である。

 なければ、持って行くしかない。総司令部が方面軍司令部との通信に用いる長距離無線機は重量二トンを超える。使用電力も大きく、専用の発電機を必要とし、アンテナも高く長かった。分割してもトラックが五台もいる。移動するとなると大事であった。

 総司令官の移動中の通信をどう確保するかの問題もある。更新した暗号と新しい周波数も周知徹底しなければならない。十数年にわたって保持してきた機密文書の始末もある。全面移転の作業に入った総司令部は大混乱となった。そこへ、日本が降伏するらしいとの情報が入る。直通電話を入れると、東京は新京以上に混乱していた。



 第二課情報班長の野原中佐は、簡潔に述べるように努める。五日間の空白は大きく、奇襲を喰らったようなものだ。総司令部要員の認識と理解を、ここで統一しておかなければならない。

「総じて状況は作戦計画どおりであります。永久要塞は頑強な抵抗を継続しております」

 東正面の虎頭要塞と東寧要塞、北西の海拉爾要塞は、ソ軍の完全包囲下にあったが健在である。北の黒河も、三日間に渡ってソ軍の渡河を阻止し続けている。


「大きく突破されたのは東です。まず三江省ですが、渡河部隊と遡上部隊、合わせて三個戦車旅団と三個狙撃師団の七万が富錦前面に集結中です」

 三江省は連日の雨天で全省が重湿地帯と化して、ソ軍の進撃は滞っていた。松花江を遡上する艦船も、機雷と閉塞物によって思うように遡航できない。富錦を守る歩兵第三六七連隊は三日間支えた後、佳木斯に撤退を開始した。しかし、足並みが乱れたソ軍は再編成中で、十分な戦力を追撃に回せない。


「虎頭から興凱湖北岸にかけて渡河した敵軍は東安方面に進撃中で、三個狙撃師団です」

 虎頭要塞はソ連領内の兵站路破壊に徹していた。夜間は小規模な斬り込みを行なっているが、敵一個旅団を拘束するのがやっとで、ソ軍の進撃を阻止することはできていない。


「深刻なのは東正面中央部です。綏芬河の南北から侵入した敵兵力は、十五個狙撃師団と六個戦車旅団のおよそ三十万です。東寧の方は四個狙撃師団と二個戦車旅団の八万です。敵は明らかに牡丹江を指向しています」

 東正面の梨山から綏芬河、鹿鳴台までは圧倒的な数の敵軍が押し寄せた。もっとも濃密だったのは観月台あたりの十二キロで、一キロあたりに一個狙撃連隊と二百門の火砲が投入された。幅五メートルに対して野砲一門、狙撃兵二十名である。防戦した観月台守備隊は七日に、ほかの陣地も九日までに通信が途絶した。




挿絵(By みてみん)




国都新京、洪熙街、


 満映撮影所第三スタヂオの関東軍総司令部は、甘粕機関の戦略と作戦の立案に使われていた。加茂参謀は壁の地図を指して全体状況から始める。

「六日の開戦から五日が経ちました。各戦線は昨日とそう変わっていません。ソ軍の進撃は最大で百キロです。天候の影響もありますが、要するに、ソ軍は慎重です」

「前線の兵隊は十二分に時間を稼いだと、その理解でいいかな」

「はい。各兵団は健闘しておりますし、これからもそうでしょう」

「と言うと?」

「東正面でのソ軍の作戦目標が明らかになりました。牡丹江です。東寧以南に投入された敵兵力は少ない」

「南の戦力を北上させよと?」

「はい。中央観象台によると、雨天はさらに数日は続くようです。虎林線、城鶴線、綏寧線、興寧線は撤去しましたが、図佳線は健在であります」

「たしかに、使うあてもない陣地構築を予備兵団にやらせておくのは無駄だね」

「は、はっ」


 質問をしたのは麻の背広を着た四十代の紳士で、手にパナマ帽とステッキを持っていた。ピンと伸ばした背筋と凛とした表情からは、貴公子の雰囲気があった。

「第三方面軍の後宮大将はうまくやったね。第一方面軍の喜田大将もやれるといい」

「はっ。大本営により通化複郭陣地での持久策は廃棄されましたので、大丈夫かと思われます」

 関東軍総司令部は対ソ全面作戦の発動を全軍に発令した後、音信不通となった。通化への隠密移動で総司令官や総参謀長が所在不明となったからだ。隷下各軍は、各々の判断で動くしかなかった。

 それは、第三方面軍司令部にとって、またとない機会だった。一方的な報告電を打つと、隷下の第四四軍の前進布陣と第三〇軍の配置転換を実行する。満映司令部は察知していたが、伝える先がないし、その気もない。哈特も同様だった。

 持久策の廃棄で新京に戻った総司令部は、次に南嶺の戦闘指揮所へ移転しようとする。開戦から五日間のほとんどを、総司令部は空騒ぎに費やした。そして昨夜、不在中の電報をすべて整理した時、第三方面軍の布陣は完結していた。



「ここまではよろしい」

「はい」

 紳士は、出された紅茶を啜り、細巻きの葉巻に火を点けた。考えをまとめているらしい。

「さて。哈特によると、モスクワは焦っているらしいが」

「はっ。ソ連極東総軍の原計画では、東は、下城子まで六日、穆陵を抜くのが八日目です。それより早いし、目立った失策もない。ヴァシレフスキー元帥は説明に困らないでしょう」

「なるほどねぇ」

 紳士は地図の下の方を凝視している。

「だけど、僕が思うにだね。南に出て来ないのには意味があるのじゃないかな」

「殿下。ソ連海軍の上陸作戦と思われます。あるいは空挺作戦。ソ軍は陸軍だけではありません。陸海空の三軍があるのです」

「理解した」


 紳士は閑院少将宮春仁王、内閣から派遣されて来た総理特使である。任務は、関東軍の作戦が自衛行動を逸脱していないものかを監察することだった。つまり、独断専行・暴走の防止である。

 昨日成立した宇垣内閣は、七日夜の海軍厚木航空隊の叛乱を重く見ていた。憲兵隊や特高警察の調査によると、未遂に終わった陸海軍の叛乱計画はいくつもあった。ポツダム宣言では、帝国陸海軍の無条件降伏を実行するのは政府の責任である。外地の三総軍、南方軍、支那派遣軍、関東軍に内閣特使が派遣された。

 南方軍はともかく、支那派遣軍には負けたと思っている軍人は一人もいない。関東軍は、ソ連侵攻がなかったら、すでに行動を起こしているだろう。それは、北支那方面軍司令官だった下村定陸軍大臣自身がよく知っていた。特使は皇族で将官で、さらに国務大臣に任命することを、下村陸相は首相に提言した。



 満映理事長の甘粕は、次に第二スタヂオに案内する。思ったとおり、少将宮は模型地図を見て大喜びだ。地図を見下ろす舞台に駆け上がると、ポケットから取り出したオペラグラスであちこちを覗き込む。手摺から身を乗り出して、転げ落ちそうになった。

「殿下、危ない」

 横にいた秘書が少将宮の身体を攫って、後ろに下げる。女性とは思えないほどの素早さと腕力だった。

「ああ、乙穂さん。いつもすまない」

 夏用従軍服を着た秘書は、上から落ちて来たステッキと帽子を両手に受けると、少将宮に差し出した。

「ありがとう。でも、よく出来てるんだ」

「殿下、みなさまがお待ちかねです」

 少将宮が振り返ると、国民勤労部の半田次長を筆頭に、邦人避退計画の幹部要員が並んでいた。半田が紹介すると、少将宮が微笑む。

「宮沢君じゃないか。成田君や日笠君も。そうだったのか」

 閑院少将宮は、昭和一六年の当時、総力戦研究所の聴講生であった。


 半田次長は、ざっと邦人避退計画の現状を説明した。

「すると、持久策破棄に対応していたのだね」

「はい。絶対防衛圏と相対防衛圏を設定していました。妊婦・乳幼児・老人とその家族、老壮年、青少年と、それぞれ日中の就労区域と夜間の居住区域を分けています。これは避退満人も同様です」

「ほう」

「地図上には、青、緑の毛糸で張ってあります。以後は生産活動が重要となります。現在の備蓄は内地供出と満ソ戦争に費やします」

 邦人開拓団の入居地は国境省に集中していた。これからの農業生産は満人農家が主体となる。そこに邦人を派遣、就労させることが試行されていた。



「ちょっと、いいかな」

「あ、いつでもどうぞ」

 少将宮は、また上から模型地図を覗き込む。

「あそこの穆陵の周囲だが」

 第五軍司令部のある牡丹江の西、穆陵の前面にはソ軍の駒が集中していた。一つしかない青い駒を取り囲むように、十数個の赤い駒が乱暴に置いてあった。戦車は三段に積まれ、大砲は串刺しになっている。

 模型地図で軍の駒を担当している曹長は直立不動のままだったが、その顔は紅潮し、汗が流れはじめる。

「現在の実際の戦力比はどうなのだろう。師団の駒じゃ分からない。連隊か大隊の駒でできないかな」


 地図の周りに立っている要員に緊張が走った。役人には問われた意味はわかったが、どうすればいいのか見当がつかない。視線は最先任の軍人に集まった。直立不動の曹長は、目を瞬かせる。

「報告します。本模型地図は地形や鉄道を綿密に再現してありますが、邦人避退計画を立案するためのものでして、一駅あたり二個の駒が置けるように縮尺が決定されました。したがって、戦略、作戦単位であります師団や旅団の駒は置けますが、連隊や大隊単位では不可であります。強行すれば、穆陵前面には五銭玉の塔がいくつも建つ事になるのであります」


 一気に言い終わった曹長は、息をつく。

「あ、そう」

 だが、少将宮はまだ納得していなかった。

「駒が無理なのはわかりました。それで戦力比はどうなの」

「はっ。第五軍によりますと、下城子から穆陵のソ軍は昨日から再編成中らしく、ここまで突進してきた第72狙撃軍団に代わり、無傷の第45狙撃軍団が前に出るようです」

「敵も損害は大きいのだな。しかし後衛が出て来たということは、総攻撃だ。いつになる?」

「え」


 曹長はまた目を瞬く。が、スタヂオの中は静まったままだ。

「報告します。本職は敵情を推定する立場にはありませんが、天候を鑑みて、明後日の払暁であります」

「そうか。我は一個師、敵は八個師に二個戦車旅。分が悪い」

「報告します。拉孟謄越から沖縄まで、十倍の敵軍に対して数ヶ月の防衛を敢闘した例は数多あります」

「うむ。そうだ」

「満州の戦場には地方人はおりません。そして、鉄道があります。後方が機能しています」

 少将宮は深く頷いた。




 玄関では総出で送り出した。紳士が頭を下げる。

「竹林君、いや、甘粕理事長。宇垣総理の言われたとおりだった。感服した。今日は本当によかった。礼を言う。ありがとう」

「殿下、お役に立てて幸いです。いつでもお寄りください」

 甘粕が答え、全員が最敬礼する。

「うん。これから軍人会館に戻り荷物を取って来る。今夜から湖西会館に泊まらせてもらうよ。よろしく頼む」

 少将宮を乗せた車は走り出した。

「え」

「え」

「え」




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