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SR満州戦記2  作者: 異不丸
第一章 八月一一日
8/33

四 北京


中華民国、北平市東城区、鐵獅子胡同


 北支那方面軍参謀副長の渡辺渡少将は、参謀部第四課長室で電報綴りの回覧を見ていた。まず、第一軍司令部からだ。東路線が復旧して、路安に孤立していた独立歩兵第一四旅団との連絡が成ったという。三日間も中共軍の包囲下にあったが、今、山西軍の兵団が急行している。

 ソ連参戦と日本軍降伏に対して中共軍の動きは迅速だった。山西省都太原と路安を結ぶ鉄道が爆破されたのは八日の午前で、その夕方には中共軍の軍使が訪れている。運城にあった第五独立警備隊へも、臨汾にあった第一一四師団にも、同じ頃に来訪している。もちろん、各兵団は武装解除も休戦も蹴り、戦闘状態に入った。

 南京の支那派遣軍総司令部からは、決して中共軍に降伏してはならないと厳命されている。武装解除の相手は蒋介石の重慶軍に限られた。第一軍の受降官は、第2戦区軍司令長官の閻錫山である。澄田司令官と閻との間で休戦協定が成立したのは九日だった。中共軍に武器を渡さないための、武装と戦闘は許容された。


「高等官相当軍属、石川修孝、入ります」

 課長室の外で、申告の声がした。

「入れ」

 入って一礼をした小柄な軍属は、夏用の軍属衣に軍刀を吊っていた。玉音放送から三日が経つ。華北政務委員会の統治下にあった北京市も、中華民国の北平市に名称が戻った。日本軍の降伏と南京国民政府の解散により、政務委員会自体が重慶政府に下ったのだ。そこを遠慮して、市中を歩く時に、軍衣軍刀を外す軍属は多い。

「今朝は大使館に直行したのだな」

「そうです。いつもの洋車を使いました」

 石川の宿舎は紫禁城の至近、皇城内の北池子にあった。大使館も方面軍司令部も内城にあり、大使館までは一キロと少しだ。北池子は高級住宅街であり、それまで閉門していた重慶政府の要人宅の出入りが増えている。あちこちに重慶軍の兵隊が立っていた。

 そんな中で、軍属衣に軍刀を吊るし拍車付きの長靴で通勤する。わかりやすい男だった。そもそも、石川は協和会服での勤務が常で、軍衣を着たのは玉音放送の後からである。


「何か?」

「何でもない。続けてくれ」

「はい。報告します。楠本公使は承諾されました、どんどんやれとのことです。大使館事務所も、こちらの解釈に賛同です」

 つまり、大東亜省も外務省もこっちについたということだ。渡辺は笑みを浮かべる。

「よし。で、気づかれていただろうな」

「もちろん。丸見えです」

「では遠慮することはないな。便を増やすか」

「明日は倍増するように、華北交通に申し入れてきました。苦力があてにならないので、西郊壕舎の邦人から募ります。朝一番にトラックかバスが三台ほど要ります」

「三課長に話す。他には?」

「昼食がまだです。三十分ほど下さい」

「行って来い。ややこしい問題がある」

 石川軍属は、一礼して出て行った。


 渡辺は煙草に火を点けると、思わぬ拾いものだったかなと思う。駐蒙軍隷下の独立混成第二旅団長として張家口にいた渡辺が、方面軍司令部の参謀副長に着任したのは八月一日である。政治担当の第四課長も兼任する。特務機関だけでなく、華北政務委員会との折衝も担当することになった。

 それは内示の時から予想していた。渡辺は大陸に長く、軍政方面にも長い。哈爾浜特務機関にも勤務しているし、北京と済南では特務機関長もやった。南方軍隷下で馬来・蘭印へ進攻した第二五軍でも、参謀副長兼軍政部長であった。予想外だったのは、副官役に予定していた成田寛一が使えなくなったことである。

 慶応卒の成田とは、北京の同学会に員外学生として派遣されたときに知り合った。まだ大尉の頃だ。それから、華北各地で一緒に仕事をしている。ところが、張家口にいる筈の成田は、満州の新京に移っていた。満州国の命運が懸かった任務にあって抜けられない。石川は年は成田より四つほど若かった。早稲田卒で、新民塾から特務機関に入っている。




 方面軍司令部の高等官食堂は一階玄関の突き当たりにあった。ドアを入ってすぐは司令官や将官の席で、佐官、尉官と順に奥になる。石川は尉官待遇だから一番奥の席に座る。特務機関に入って七年になるが、昇給も進級もなかった。すぐに顔見知りの給仕が膳を運んで来る。まだ二十前の女性は、内地から応募してきた軍属だった。

 朝夕と違って、昼食はいろいろと融通が利く。まして、先日から開設された戦闘指揮所に、司令官や参謀長とともに一課や二課のほとんどが出払っていた。おかずの盛りも多い気がする。ご飯は前に置かれたお櫃から自分でよそうが、汁は給仕してもらえた。石川はいつも馬鹿の三杯汁である。

 食事を終えた石川は礼を云うと、食堂を出て酒保に向かう。饅頭や羊羹などの甘味類はまだ並んでいた。配給切符がないと買えないから、数は調整できるのだろう。石川は必勝パンを買って頬張る。甘い。砂糖を減らしたとは思えない。この先、軍から持ち出す量を増やせば、尉官用の飯は雑穀が増え、酒保の菓子は減るのだろうか。


 この数日で北京の日本人は、軍民ともに急増していた。前線にいた一般居留民が引き揚げて来て、また、南や東にいた兵団が北への移動途中に寄るからだ。方面軍管轄の華北の一般居留民はおよそ四十万人、ほとんどが俸給生活者である。開拓団や農民はいないから、自活はできない。最低量の食糧を確保してやる必要があった。そして、蒙彊や山西など遠方からの引揚者には住宅も必要だ。

 方面軍の野戦兵器廠と貨物廠には、流用できる兵糧と衣類・資材の備蓄があった。住宅には、八年前に計画された西郊の日本人地区がある。二年前に計画は縮小されたが、土地の契約は済んでおり、上下水道も計画されていたから、飲料水と排水には目途があった。

 渡辺も石川も降伏には納得していなかったが、それはそれ、政治担当としての職務は遂行されなければならない。西郊に収容する日本人の増加線図を見積もり、必要な食糧と資材の輸送計画を立てる。鉄道と自動車を持つ華北交通は、北支那交通団となって第三課直轄下にあった。


 二日ほどで大雑把な計画を立てると、課内の事務は同僚に任せ、石川は外での監督と調整に飛び回っていた。今朝は大東亜省と外務省の説得だった。面倒なことに、北京には日本政府を代表する外交団が二つあった。大東亜省特命全権の在北京公使は楠本中将だが、扱うのは行政である。『純外交』事項は外務省の管轄下で、在南京の谷大使に直属する大使館事務所が行なっていた。

 つまり、軍の備蓄を民間に放出する政治判断と行政命令は大東亜省でできるが、それらがポツダム宣言やマニラ会談に反していないかどうかは、外務省でないと判断できない。ポツダム宣言の第一一項には賠償・補償の記述があった。武器弾薬と同じく戦利品として収奪されては、邦人居留民の保護と援助ができない。

 武装解除の対象は軍用品であり、民間から正規に購入して支払いの終わった食料や衣類や建設資材はあたらない。また、民間に払い下げられたものは、すでに軍の管理下にはない。そのような理論武装が必要なのだ。石川は精力的に、購入・払い下げの偽装工作、軍倉庫から民間倉庫への搬出、さらに内城から十キロ離れた西郊への搬入にあたっていた。




挿絵(By みてみん)




 渡辺少将は煙草を灰皿に擦り付けて消すと、また電報綴りを捲る。次は第四三軍だった。青島にあった第一二独立警備隊が、上陸した重慶軍と接触したとあった。揚子江の米海軍第7艦隊の艦船が輸送してきた先遣部隊だろう。すると、米兵も一緒の筈だ。むしろ主力は第3海兵水陸両用部隊だろう。

(止むを得んな)

 独警一二は独立警備歩兵六個大隊から成る。いまは内陸に一兵でもほしい状況だが、米軍が表に出てきたとあっては、降伏させるしかない。まだ、重慶との密約を曝すわけはいかない。独混五旅だけでも脱出させて善しとするしかなかった。思いのほか、米軍の動きは早い。渡辺は黒板に『南京総司令部へ、米軍早い』と書き殴ると、次の電報に移った。

 山東省の山岳地帯はすべて中共軍に支配されていた。だから軍民は全員、軍司令部のある済南に集結する。それ自体は滞りなく進んでいた。いずれにしても海岸地帯は、遅かれ早かれ、米軍が上陸して来る。中共軍が間近まで迫っているとの言い訳は、米軍相手には効かない。


 石川が戻って来た。黒板を見て呟く。

「早い。まさか天津か」

 渋面になった渡辺は、綴りから抜き出した数通の電報を渡す。石川は壁の地図と見比べながら吟味する。

「青島の在留邦人には前大戦からの者も多く、したがって家産財産もあります。引揚を拒むのも無理はない。降伏したわが軍では強制もできない。米軍に任せるしかありませんね」

 そう言った石川の表情も苦かった。

「満州がうらやましいな」

「仕方がありません。満州に比べると、五年は遅れて来ました。自活の基盤がありません。とにかく、華北が米軍統治下になるまでは、方面軍で持ち堪えましょう。それには内陸の都市です」

 何度も確認したことだった。米軍の進出は海岸からだ。中共軍の根拠地は山岳山地にあり、重慶軍の進駐は都市となる。一方で、日本軍が武装解除に応じれば、邦人居留民を保護することはできない。そういう情勢下では、重慶政府と妥協して、内陸の都市に居留民と日本軍の特別地区を成立させるしかなかった。



 渡辺は読み終わった電報を回す。読んだ石川は眉を寄せた。

「洛陽の第一一〇師団と南陽の騎兵第四旅団の鉄道輸送はわかります。しかし、すぐそこにいる戦車第三師団の鉄道利用は納得できません。戦車師団は通常師団や騎兵旅団より機械化されているのではありませんか」

「もっともだが、戦車はトラックより壊れやすい」

「段列の修理では間に合わないのですね」

 北支那方面軍は今、管下の兵団と居留民を内陸都市部に集結させる一方で、前線から後退して来る戦力を北上させていた。


 陸軍西郊飛行場の至近に戦闘指揮所が設置されたのは、九日だった。北上する兵団を方面軍直轄で指揮するためだ。六日に来訪した満州使節の予言は、七日に特派された陸軍省の使者によって裏づけされた。ソ連の大軍はすでに外蒙古に入っている。延安からの特情は、中共軍の目的は武器弾薬と兵糧以外にもあると伝えてきた。猶予はなかった。

「これだけの兵団を輸送すると、民間には回せません」

「そこだが、さらに第一軍の一一四師も北上させる」

 石川は顔を上げて渡辺を見つめる。

「太原周辺だけで日本人は三万を超えます。不安です。山西省南部の日本軍を太原に撤収させてください」



 しかし、渡辺は答えず、机から一葉の用箋を取り出した。

「進級と昇給だ。新設する渉外部に移ってもらう。実質の次長だ」

 石川は驚いた。高等官四等とある。中佐に相当するから、一気に三階級特進だ。

「部下にする要員を推薦してくれ。四課の業務を引き継ぐ者もな」

「それは、つまり」

「もちろん、米軍との折衝だ。山西省を抑えるにはそれしかなかろう」

 石川は無言で待つ。

「澄田司令官より、山西産業の河本社長だな。走り過ぎだ」

「引揚を待つ間の自活は必要です。総司令部も本省も同意と聞きました」

「ややこしい問題と言った筈だ。本省特使の田中少将が北京に戻って来た」

「え」


 陸軍省から田中隆吉少将が派遣されて来たのは七日だった。前日の満州使節の予言がなかったら、気が触れたと思われただろう。だが、田中少将の言行は、甘粕理事長や澄田司令官に理解された。なにより、宇垣大将の親書があった。

「あの人たちは、その、一味ではなかったのですか」

「一筋縄ではいかんよ。その、全員が役者揃いだ」

 石川は頷いた。甘粕正彦、河本大作、田中隆吉、いずれも謀略や陰謀という言葉がついて回る人物だ。澄田中将のことはよく知らないが、あるいは陸軍省内では有名なのかもしれない。

「君は田中少将とは面識があるそうだね」

「は、はい」

 ようやく石川は理解した。たしかに、田中少将の依頼を実行したことがあった。

(四年前の百号作戦だ。安安か)

 ある構図が見えてくる。



「渉外部の部長はわたしが兼任する。田中少将は顧問、しばらく滞在する」

「了解しました」

 しかし、渡辺の顔は暗いままだった。

「課長、どうされました」

「あ、いや。ありがとう」

 石川は、なんとなく胸騒ぎがした。

(ひょっとして何かを踏んだか)


「課長、まさか、相手の米軍にも同じような」

 渡辺は暗い笑顔で答えた。

「陰謀好きな軍人かい。もちろん、いるに違いない」





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